「母親・小さい頃の話」カテゴリーアーカイブ

こちらは「もりたけんじの母親・小さい頃の話」のカテゴリーです。
今思うと面白い家族でしたし特異な幼少期を過ごしたと思います。
決して引かないでください。

これまでの経緯
がありまして、、

昨日母親から電話かかってきて、
「テレビみてる??」
って聞いたら

「みてるよ。のど自慢

それ観たかったのか。。

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母親とテレビ

先日母親にテレビ買ってあげました。
なぜその程度で記事するかという問いには森田家のテレビに対する戦いがあったからです。
また、今回のこの出来事は私にとって大変ショックな事だったのです。
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この間、母親が「けんちゃん坊主やめなよ、、印象悪いからさ、」と頼んできました。 image 帰る度に言われてるんだけど、 こっちの台所事情もあるので、 意に介さないで横になってたら、

母親が じーっと見た後、 発見した!見つけた!みたいに興奮しながら、

「髪の毛あるじゃん! お母さんないと思ってた!笑、 あるじゃん!笑 な〜んだ笑 お母さんないと思ってた!笑 髪の毛あるんじゃん! なんで坊主なのよ!笑

髪の毛あるのに! お母さんないと思ってた!笑 あるじゃん!笑 」

わたしは、そうなの?あるの?じゃぁ伸ばそうかしら?なんて思ったら、、

「前だけじゃん!ないの!」

小さい頃よく兄と野球をした。
広場がなかったので壁に向かってボールを投げて壁に沿ってバッターが立っていた。
それは道路をまたぐのでそれでは危ないと言うことで
近くの家の壁に向かってボールを投げて打っていた。

暴投などした場合や後ろにファールした際はその家の庭にボールが入る
その都度「ボール取らしてください」と言っていたが、
また懲りずにやるのでまたボールが入る。
「ボール取らしてください」

子供だからというのがルールでそれに甘えていたというのは大人になって分かるものだ。
僕ら兄弟は
「ボールを取らしてください」といえば野球を続けられると思っていた。
しまいには「ボールを取らしてください」と言いながら人の庭に入っていった。

それが悪いことだと知ると、
今度は「ボール取らしてください」を小声で言いながら(なんで小声で言ったら許されると思ったのか)
忍者のように人の家の庭に侵入した。

ただ子供だったのでそれを侵入とは思っていない。
あの頃のわたしは「ボールを取らせてください」といえば無敵で、スーパーマリオのように音楽が鳴っている間は星を纏っていた

ついには「ボール取らしてください」をいうとバレると思って言わないでボールを取らせてもらった。

僕ら兄弟は怒られると違う新しい壁を探してはその壁に向かってボールを投げた。

ボールは取らせて欲しい。し、あなたの家の壁に向かって投げたい。

そういう気持ちで野球をやっていた。

たまに思い出す記憶がある。
その記憶はわたしは母の背中でおんぶされていて、エプロンの肩越しから母がフライパンで野菜を炒めている風景だ。
それがハッキリとした画となって今でも思い出される。

記憶の不思議なところはわたしにとって重要な局面は思い出せないのに、
どうでもいいようなことは覚えているところだ。

先日話した「の」の記憶もそうだ。
まだ話していないが、学生の頃の当時好きだった女の子のポニーテールと日差しの感じだったり。
まああれだが、、、

エプロンの記憶は、わたしがおんぶされている程の小さな頃の記憶なので、まだ3歳になっていないかもしれない。
おんぶをされている間わたしは母の背中で結ばれているエプロンの「結び目」をどうにかして解いていた。

母はまたそれを固く結ぶことなく一時的に繋ぎ合わせて、またフライパンと菜箸で炒め始める。
わたしは結ばれたそれをまたどうにかしてほどこうとする。
やっと解けたそれをまた母は結ぶ。
この繰り返しをエプロンの背中でやっていた。

わたしは今でも実家に帰ると、
この小さな母親の背中に乗っていたのかと思うことがある。
あの記憶は確かなのかと疑うことがある。

先日実家から電話があった。
そろそろ帰ろう。