わたしはなぜ野球少年にならずサッカー少年になったか

子供の頃野球が大好きで好きで好きでしかたなかった。

やるのも好きだったけど野球を聴くのが好きだった。

当時テレビは毎日のように野球中継をしていて、

わたしはテレビを目で観ながら耳でラジオ中継を聴いていた。

ラジオはテンポある実況だし「今ピッチャーはどういう心境か」「バッターは今どういう心理状況か」等の解説をしてくれる。

テレビの野球中継は夜19時からやるのだが、ラジオは試合開始の18時から流れる。

わたしは小学校から大学生なってからも毎日ラジオで野球中継を聴いていた。

18時からラジオを聴いて、19時からのテレビ中継が始まると、子供によくある得意げな気分「僕は既にここまで何があって点数が入っているか知っているんだぜ」というふうになった。

高校の時情報科学という授業中に優勝を争っている巨人と広島とのデーゲーム(昼間の試合)があった。

わたしはイヤホンを耳にしのばしその試合を聴きながら授業を受けたほどだった。

今でもなぜ野球に固執していたのだろうと思う。

なぜならわたしはサッカー少年だったからだ。

小学校4年から大学までサッカーをやっていた。本格的に。

高校はサッカー推薦で入学した。これは自慢だ。それは嬉しいことだった。

なのにわたしはその入った高校でもサッカー部が終わるとすぐにラジオで野球を聴いて家路に向かった。

TBSラジオのショーアップナイターはわたしのペダルを軽いものにした。

 

巨人が好きで、大事な試合の前は緊張していたし、翌日の新聞記事を切り抜いてはファイリングして、自分なりにデータ分析をしていた。

ただわたしは休み時間になるとサッカーボールをまっさきに持って校庭でサッカーに興じ、土日は少年サッカークラブで費やした。

ガルベスが投げた札幌のデーゲームも覚えているし、槙原の完全試合も目にした。大野がリリーフで出てきた際にはもう巨人は負けたと思ったし、佐々岡からサヨナラホームランを打った時には大いに歓んだ。

休み時間を越えてもサッカーをして、汗だくで国語の授業を受けた。次の休み時間どう攻撃的に攻めるか考えていた。

桑田が2年ぶりにマウンドに復活した際は胸が熱くなった。桑田の痛みを僕も共有していた。

ただわたしは休み時間になるとサッカーボールをまっさきに持って校庭に向かい高い鉄塔の上までボールを蹴り、どれだけ高くあがったか自分なりに目標を立ててキックの上達に励んだ。

巨人にマントという助っ人外国人がいた。エラーばかりしてわたしはその都度深いため息をついた。

ただわたしは休み時間になるとサッカーボールをまっさきに持って校庭でサッカーをした。サッカーボールがこんなにも憎いのかと言うほど蹴りまくった。

わたしはなぜ野球少年にならずサッカー少年になったか

次の理由につきる。

わたしの家はグローブとバット、ユニフォームを揃える程「裕福」ではなかったのだ。

ひらたくいうと貧乏だったのだ。

ひらたくいうと貧乏だったのだ。