エプロン

たまに思い出す記憶がある。
その記憶はわたしは母の背中でおんぶされていて、エプロンの肩越しから母がフライパンで野菜を炒めている風景だ。
それがハッキリとした画となって今でも思い出される。

記憶の不思議なところはわたしにとって重要な局面は思い出せないのに、
どうでもいいようなことは覚えているところだ。

先日話した「の」の記憶もそうだ。
まだ話していないが、学生の頃の当時好きだった女の子のポニーテールと日差しの感じだったり。
まああれだが、、、

エプロンの記憶は、わたしがおんぶされている程の小さな頃の記憶なので、まだ3歳になっていないかもしれない。
おんぶをされている間わたしは母の背中で結ばれているエプロンの「結び目」をどうにかして解いていた。

母はまたそれを固く結ぶことなく一時的に繋ぎ合わせて、またフライパンと菜箸で炒め始める。
わたしは結ばれたそれをまたどうにかしてほどこうとする。
やっと解けたそれをまた母は結ぶ。
この繰り返しをエプロンの背中でやっていた。

わたしは今でも実家に帰ると、
この小さな母親の背中に乗っていたのかと思うことがある。
あの記憶は確かなのかと疑うことがある。

先日実家から電話があった。
そろそろ帰ろう。