カテゴリー別アーカイブ: インド

こちらは「インド」のカテゴリーです。
今ちょっと文章が読みづらくなっています。すみません。
4月中旬まで待ってください。

朝5時40分。

タージ・マハルを早く見たい。

デジカメは昨夜充電した。
ガイドブックをポーチに入れて少しのルピーをポケットにしまう。

部屋に鍵を掛けて1階フロントまで階段で降りて行く。
階段の勾配が急だからか、焦る気持ちからか、
前のめりで降りて行く。

ホテルの出口は動物園の檻の様にドシャーン!と閉められている。

え?出られないってこと?

フロントの扉も鍵が掛かっている。

エクスキューズミー!
ドンドンドン。

叫んでも、戸を叩いても手応えがない。

朝の太陽はホテルにうるさいぐらい日差しを浴びせる。

シーンと静まりかえっていて「もぬけの殻」

誰もいない?

フロントマンは帰った?ってこと?

わたしは「朝タージ」を諦めるしかないようだ。

部屋に帰るしかない。

折角着替えた服を乱暴に脱いでまたベッドに沈む。

何時になったらフロントは開くのだろう?

とりあえず9時ぐらい迄寝てもう一回行ってみるか。

それから夢を見たかもしれないし見なかったかもしれない。

携帯のアラームは暴力的に9時に起こしてくれる。

わたしはもし扉が開いていた時そのまま行けるように着替えて、用意して、鍵掛けて、白い階段を降りる。

空いている。

フロントも開いている。

相変わらずのインド人もいる。

開いている玄関の門を
「結局いつ開いたんだ?」としげしげと見つめる。

門はこのホテルが建った時からずっと開いていたぞ!どこみてたんだ?みたいな顔してる。

「こいつが今朝開かなかったんだよな、」と今一度確かめる。

この事実を僕はどう落とし込んでいいか分からず『ミステリー』にしてやろうかなと思う。

フロントには「そんなにいた?」と思うぐらいインド人が沢山いる。

みんな私服だから誰が「仕事中」だか分からない。

またそれが笑顔でじゃれあっているから
誰が遊びに来ている友達か分からない。

みんなフロントマンかもしれないし、
みんな近所の子供達かもしれない。

もういいや。聞きたい気持ちを抑える。とりあえず門は開いている。

「自由に外出できる」という宿泊者として当然の権利を我は今3時間越しに享受する。

16世紀のフランス市民みたいになった

わたしは朝9時過ぎにホテルを出る。

次へ

わたしは1人ホテルのレストランで瓶のペプシを飲んでいた。

『飲んでいた』というのはちょっと間違えかもしれない。
昨日から何も食べていない。
インドの食に対する衛生面を信じられないわたしはペプシを『食べて』いた。

わたしにとってペプシは『朝食』になっていた。

喉が渇いたらミネラルウォーター。
お腹が減ったらペプシ。

不思議とこれまでの6日間あんだけ飲料水を飲んだのに小便は1回も出なかった。
多分全て汗になっているんだと思う。

時計は9時40分をさしている。

先程タージ・マハルを見てきた。

中には入れなかったけど。
外から。
頭だけ見えた。

朝、
わたしはやっと開いたホテルの門を右に行く。

バラナシで泊まったホテルのオーナーは休みでもタージ・マハルの庭には入れる。

そこから写真が撮れる。と教えてくれた。

わたしはそれを頼りに足を運ばせる。

昨晩から泊まっているホテル『スイッダールタ』
を右に行くと後は100mも無いところに入り口はある。

簡易的なゲートが設けられていて通常ならここから入るらしかった。
外壁が10m以上もあってその中がどうなっているかも分からない。
右に丸い円柱の形をした扉がある。

あれが入り口だろう。

インド軍がパイプ椅子に座って警備にあたっている。

おうど色で、綺麗な制服を着て、談笑している。

彼らは日本人を認めると
「何しに来たんだ?
休館日なのに間違えてきちゃったパターンか?」みたいな顔を一律する。

何かヒンドゥー語で目線だけをこちらに据えて話してる。

「はい。そのパターンです。」

わたしは知ってるなら話しは早いと
「エクスキューズミー、キャナイカムイン?」
中に入っていいか聞いてみる。

インド軍は黙って首を振る。
4人いる中の英語ができる人が
「トゥモローモーニング。」
明日の朝6時に入れるという。

わたしは庭までなら入れるんじゃないの?と聞く。

「ノー」

入れないんかーい!

するとそのうちの1人が「今日は中には入れないけどイーストゲートの河のほとりに行ったら外からのタージ・マハルが観れるよ。」と身振り手振りで教えてくれた。

わたしは「そこでみんな写真撮ってるよ」というのを聞くと「センキュー」といい向かってみる事にした。

タージ・マハル横の草むらは瓦礫の山。
誰も片付けられないで何百年と放置されている。

瓦礫一枚はかなり大きくて1畳分ぐらいの大きい瓦礫が折れていたり、そのままだったりして積まれていた。
多分この城壁に使った石だろう。

頭の中でよくニュースで特集されている「片付けられない人」を思い出す。

ここら辺の草は鬱蒼と茂っていて誰も刈る気はないのだろう。

昨日は暗かった街並みをわたしは悠々通ってイーストゲート迄来た。

昨日リクシャーに降ろされた所だ。

イーストゲートの方が賑やかで右手の方にはジューススタンドやカフェなんかも立ち並んでいる。

人の往来も多いし
相変わらずリクシャーが話しかけてくる。

イーストゲートにも同じく軍がいる。
先程のウェストゲートのような楽々な感じではない。

タージ・マハルの外壁に沿っていくと辺りは別の集落が望める。

そこではちょっとした公園になっているのか
裸で住んでいる人が多い。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!ジュースいらない?うちあそこだからさ!」

わたしはわかったわかった。覚えておく。帰りに寄る。

と適当な事いってあしらった。

「帰り寄ってね!」
と言われた。

左手には城壁。
その壁は高くてウェストゲートと同じく中は見えない。

草むらの道を真っ直ぐ行くと河にぶつかる。

ヤムナー河。
ちょっと今居る位置から低い所にあって川としては向こう岸まで30mぐらい。

川辺にはボートがある。

そこの川辺まで草むらが支配していてある決められた道を行く感じだ。

ここから見える景色は広くて向こう岸は何もない。
また草が広がるだけ。

川上も川下もどこで始まりどこで終わりか分からない。
長いのだろう。

わたしの右斜め後ろに簡易的な家というより小学校にあった大きなウサギ小屋みたいのが3つぐらい並んでいる。
インド人が座ってる。

住んでいるのだろう。

左手の方には外国人観光客が10人ぐらいいる。

インド人も多い。

インド人の集団が何かヒンドゥー語で話し掛けてきた。
10人ぐらいに囲まれた。

「アイドンノー」
とお断りを入れると集団に笑われた。

何がおもろいんだよ。
お前らだよ。

他の外国人は大きな一眼レフカメラを相棒にしている。
休館日で入れない恨みからか、
川辺の方、
手入れされていない草むらを掻き分けて、
ベストショットが撮れる位置を探していた。

外国人がカメラを向ける。
腰を下ろす。

カメラに「カシャカシャ」いわせる。

そのカメラの向く方向に目線を送ると「それ」はあった。

タージ・マハルだ!
うわーすげー!

外壁で上半身しか見えなかったが確かにすごかった。

ヤヌール川から見たタージマハル

ヤヌール川から見たタージマハル

すげー!すげー!

今日は休館日だが、
明日タージ・マハルは朝6時から入れる。

「明日必ず行こう!」

それからわたしはホテルに帰る。
来るとき「帰りに寄る」と約束した子供が遠距離から「お兄ちゃん!」と呼んでいた。

ホテルに着くと荷物を部屋に置いてホテル内のレストランに行く。

そしてわたしは昨日から何も食べていない事を思いだしペプシを『食べて』いた。

時計は9時40分をさしている。
「今日これからどこに行こう?」

すると、
向こうの入り口からアジア系の女の子が通った。

女性というよりは「女の子」といった感じだ。

女の子はこちらに気付くとまるで知り合いに会ったようなテンションと笑顔で

「アーユージャパニーズ?」と聞いてきた。

わたしは「イエス」と答える。
「リアリー?」となぜか嬉しそうだ。

わたしはまさか!と思い聞いた。
「アユージャパニーズ?」
もし日本人なら英語はやめようよ、
と思った。

女の子は
「ノー。アイムコリアン。」とこたえた。

次へ

アーグラカント駅に着く頃には辺りは真っ暗で時刻は20時過ぎを指していた。

アーグラカント

アーグラカント


暗い中駅からタージ・マハル近くまで行き、ホテルを探さなくてはいけない。

電車は「予定通り」遅れた。

インドでは電車に乗るまでも大変。

駅構内を歩いていると小さい子供に金をせびられる。
一人は長い髪の毛を三つ編みにして頭を上下、縦横に振る。
一人は側転を歩きながら繰り返す。

こちらが歩く横で平行してやった後「お金ちょうだい」と銀色の受け皿を差し出す。
さすがにこういう人には強く言えない。
こちらが無言で首を振ると「見たでしょ?」と引かない。
こちらに言わせれば勝手に視界に入ってきて勝手にやってたのに。

地元のインド人もこれには無視をして手でしっし!とやる。

こういう場面は電車が途中駅に停まった時にも出くわす。

ニューデリーからバラナシに向かう途中の駅でわたしは電車の入り口から外の風景を眺めていた。

するとホームから小さい子供が小さい赤ちゃんを抱いて「この子にあげるミルク代がないの。お金ちょうだい。」
とジェスチャーだけで訴えてくる。

口に何回も手を当て
広げた手をこちらに差し出す。

これを繰り返す。

ジェスチャーでも十分に分かる。

わたしはなぜこの子にお金をあげれないか自分でも分からない。
ちょっとでもあげればいいのだろうけどそれができない。
理由は分からないが「あげちゃいけない」と思う。

わたしもあなたも十分に運命を呪うしかない。

車内の自分の席に戻ると
子供も外から車内の僕の視線に入る場所に移動する。
とにかくしつこい。

向こうにしてみれば「しつこい」だけでお金が貰えるならどこまででもついて来るのだろう。

コンノートプレイスの映画館近くにいた子供はさらにしつこかった。

蝿が舞う黒いヘドロの中に何か食べれる物を探し
口に入れる。
わたしが見るとゆっくりとついてくる。
身に着けている服は原形をとどめていなく、体は真っ黒。

黒が日焼けや生まれつきの黒ではなく灰のススのような黒。
喋る事もジェスチャーもできない。
とにかく静かに追ってくる。

インドを歩いていると色々な「そういう人」にも違いがある事に気付く。
宗教上そうなっている人。

輪廻という考え方から現世でそうなっている人。
戦争や紛争がそうさせてそうなっている人。
病気でそうなっている人。
ただ単にそうなっている人。
そういう人達の中にも差がある事に気付く。

アーグラカント駅まで電車の中は変な感じだった。

インドでは電車に乗る際に予め自分のシートが指定されている。

なので切符を通す必要がなく電車が出発してからスーツを着たお偉いさんが予約者名簿一覧の紙をボードに挟んで一人ずつ巡回チェックしていく。

そこでEチケットを確認する。
外国人はパスポートも見せなければならない。

わたしのバースの前の席は3人掛け。
一人は女性で左端に座っているがあとの2つのシートに何故か別のインド人が立ち代わり座る。

そしてわたしを見ては「なんだい?ここは僕の席だよ?」といった顔をする。

暫くして巡回が来る気配を感じるといなくなる。

巡回がどこか行くとまたどこからか戻ってきて「なんだい?俺の席だよ?」と我が物顔。

わたしは「こいつチケットを持っていないでただ乗りをしてるな。」と勘繰る。

男が立ち代わりして巡回から逃れている。

それが前のシートだけで女性が許してるならそれでいいがわたしの隣まで及んできた。

写真はその時の物。

深夜の列車

深夜の列車


警戒しないといけないのでゆっくり休めない。

この少年は周りの様子を伺っては行ったり戻ったりしている。

わたしは全くいらないストレスを抱える。
意を決して言おう!と思い、「すみません。もしあなたがこのシートのチケットを持っていなかったらあなたはここからでていかなければならない」と指摘すると「何言ってるんだこの外国人」という顔をする。

前の女性も「気にしないでいいわよ」
みたいな事を少年にいう。
インドはインドの味方だ。
ひょっとしたらこの「自分の席以外はみんなの席」という考え方、適当な感じはインドでは常識なのかもしれない。

インドでは自分で買った新聞をちょっと座席に置いていると勝手に読み始めるらしい。
「今読んでいないなら読んでいいだろ。」という感覚。
つまりこの場合も「空いてるならどこに座ってもいいだろ。」なのかもしれない。
ただこれは日本でいうグリーン席で一般席ではない。
こんな事を説明しても無理だろう。

「グリーン車だって空いてるなら座ってもいいだろ。」となるだろう。

アーグラカントまで僕はこの「変な感じ」を我慢しなければならなかった。

「次はアーグラカント?」
「イエス。」

4時間以上列車は進みアーグラカント駅に着く。

わたしはひょっとしたら列車からタージ・マハルが見れるかなと思い窓の外を眺める。
自分の顔がうっすら見える先は絵の具というよりペンキで塗った様な黒だった。

窓の外は終始灯りがなく日本の真っ暗より真っ暗。
真っ暗より真っ暗なので全くどこを走ってるかも分からない。

わたしはこの旅の最終目的地アーグラに着く。

そしてアーグラでタージ・マハルを拝める。

実は最近までわたしはタージマハルの存在を全く知らなかった。
わたしがインドに行くと知った知り合いが当然の様に「じゃぁタージ・マハル行くの?」と聞いてきて初めてその存在を知る。

その時写真で見て以来これは絶対外せない箇所になった。

世界一美しい墓。
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが王妃が亡くなった時に22年の歳月を掛けて建てた墓。

もしわたしが王妃で愛する王様が自分が亡くなった時にこのような墓を作ってくれて「君の墓を造ったよ。これだよ。」と見せられたらどれだけの愛情を感じるだろうと思う。

びっくりして生き返っちゃうかもしれない。

「なぜ私が生きている時このようなサプライズしてくれなかったの!」と怒るかもしれない。

アーグラカントに列車はそのホーム

アーグラカントに列車はそのホーム

アーグラカント駅に降りると駅前にはタクシーやリクシャーに乗せようとする輩が外国人を見るや寄ってくる。
わたしは料金交渉が面倒臭いのでプリペイドタクシーを使う。
ただ真っ暗でどこに行けば手続き出来るのか分からない。
迷っていると「どうしたんだ?」「タクシーか?」「いくらだ?」と余計なインドに捕まる。

わたしは警察官を見つけるとプリペイドタクシーの手続き場所を尋ねる。

警察官は長い銃を持っているおおど色の制服を着ていて痩せているから分かりやすい。

何か聞きたい事がある時警察官に聞くと信用度の高い情報が得られる。

警察官は「ついてこい」と言う。
警察官と僕と複数のインド人がついてきて
インド人は「俺にこの日本人を送らせてくれ!」「仕事をくれ!」みたいな事を警察官に訴える。
警察官は「お前らうるさい!ちょっと待て!」と制する。

負けじと野次が飛ぶなか「どこに行きたいんだ?」と僕の目指す場所を聞いてくる。
「タージ・マハルのウエストゲート。」

世界遺産タージ・マハル近くに評判のいいホテルが結構ある事を情報で掴んでいる。

とりあえずそこら辺に行けばホテルがある。

わたしがそう告げると
警察官自ら用紙に書き込み手続きをした。

「タクシー?」
「ノータクシー。」
「ハウキャナイゲットディスプレイス?」
「リクシャー。」

タクシーはこの時間もうやっていないという。
悪夢のリクシャーに乗らなければ着けない。

プリペイドリクシャー。

夕方コンノートプレイス近郊でリクシャーを拾い旅行会社に連れて行かれた事がまだ消えない過去になっている。

あとにも先にもあの出来事が一番腹が立った。

警察官の横で「俺に仕事をくれ!」とうるさい奴に警察官が使命した。

どういう基準でその運転手にしたかは分からないがこいつに決まった。

わたしはその運転手に着いて行くと
ラージガードの時やったように
乗る前に
「あなたを信じる。」
「あなたを信用している。」
とまずやる気を起こさせ、
「もし違う場所に連れて行ったらこのシートは渡さない。」
「もし安全にタージ・マハルのウエストゲートに着いたらチップをあげる。」
と伝えた。
運転手は「オーケーオーケー。」と分かった風だ。

「どのくらい時間掛かる?」と聞くと「20分ぐらい。」だと言う。

暗くて見えないが後部座席から撮った運転手。

世界遺産タージ・マハルがある駅、アーグラカントに列車はそのホームをうめた。

タージマハルまでのリキシャー

タージマハルまでのリキシャー


駅前の大通りを右に曲がると戦車でも通るのかと思うような太い道路に出た。

街灯が等間隔で道路を照らしさっきまでの真っ暗闇が嘘のような明るさになる。
「これは歩きでは無理だ。」
「こいつはわたしをどこに連れて行くのだろう。」

こうしてわたしはもう一度『インド』を信じる事にした。

次へ

ガンジー空港からニューデリーに出るにはバスかタクシーかリクシャーに乗らなければならない。

初日インドに着いてすぐそうしたように僕はニューデリー行きのバスに乗ろうとした。

国内線のバス乗り場は国際線のそれとは違い空港から少し離れた場所にある。

そして30分に1本の運行。ただ待てども一向に来る気配がない。
炎天下の中で待っているにはこたえる。

わたしが道路で待っているとリクシャーがやって来ては「いくらだ?」と聞いてくる。
要は「お前はいくらでニューデリーまで行きたいんだ?」略して「いくらだ?」だ。
わたしはトラブルは避けたいのでできるだけ流しのリクシャーは使わない。

地元のインド人はわたしが拒否したリクシャーと交渉して話がついたのか乗り込んでゆく。

わたしは30分待っても来ないバスを諦めてプリペイドタクシーを利用する事にした。
プリペイドタクシーはその名の通り料金先払いの定額制のタクシーで料金は公共機関に払う。

宝くじナンバーズを売ってるような箱詰めの中の人に行き先を行ってお金を払う。
2枚綴りのレシートが貰えて書かれた番号のタクシーを探す。
運転手にそれを見せて確認してもらい乗る。
目的地についたら綴りの1枚を渡してお互いちゃんと「送りましたよ。」「着きましたよ。」の証明になる。

もし目的地に着かなかったら綴りを渡さなければ良い。

多分運転手は公共機関にそれを渡しお給料を得るのだろう。

インドではよくタクシーやリクシャーに違う場所に連れて行かれたり、着いてから料金でもめたりするのでこのような「プリペイド」があるのだろう。

地元のインド人は流しのタクシーを利用する人が多いが、外国人はプリペイドタクシーを使うのが大半でそのチケット購入に長い列が作られていた。

180ルピーを払って、タクシーの運転手を探し、
コンノートプレイスの『ゴール・マーケット』に行くようにを伝える。

初日インド人でごった返す空港からの市バスが50ルピーだった事を考えるとかなり高い値段だ。

ニューデリー発アーグラカント行きの列車に乗る前の2時間でマンゴーティーを買うことにする。

世界の歩き方

世界の歩き方


ゴールマーケットというのはそこら辺周辺の地帯の事でお店の名前は「プレミア」。

タクシーの運転手は15才ぐらいの少年だった。

リキシャー

リキシャー


空港から市内のタクシーに乗ると階級社会を垣間見ることができる。

バスはタクシーや乗用車にクラクションを鳴らし、
タクシーや乗用車はリクシャーにクラクションを鳴らし、リクシャーはバイクやサイクルリクシャーに鳴らす。

道路を歩いている奴には全員でクラクションを鳴らす。

このタクシーの運転手もそうだが鳴らす事や鳴らされる事に何の感情もない。

日本ならそんなに鳴らしたら前でハザードたかれて降りてくるぞ!なのに。
鳴らされた方も鳴らした方も怒っていない。

黒いタクシーは「ここが『ゴールマーケット』だ」と車を一旦停めて言い張る。
マーケットと言うからにはお店群があるはずだがフロントガラス越しに見えるそれらは廃墟と化してる店とも言えないものだった。

「ここが?」
「そうだ。」
「わかった。」

わたしが降りると運転手は降りた場所にたまたまいたインド人を乗せてまた走り出した。

ここはコンノートプレイスからも郊外で車がどんどん行き交う場所でインドでは珍しく『信号』がある場所だ。

今のところインドで『信号』があったのはラージガード付近に1つと『ゴールマーケット』の2つだけだ。
わたしは歩き始め
ボロボロのお店で何かをしているインド人にガイドブックを指差し「ここに行きたい」と伝えた。

すると向こう側の道路沿いだという。

わたしは車が行き交う大通りをインディアンスタイル(車がビュンビュン行きかう道路を平気で横切る)で渡って歩き始める。

暫く歩いても一向にそれらしい風景が与えられないのでわたしは真面目そうなインド人に道を聞いてみるが分からないといった表情をされる。

すると「どうしたんだ?」とリクシャーの運転手が降りてきて「地図を見せろ」という。

ここら辺に詳しい奴なんだろうと見せると
「分からない。ただ地図がある所を知っている。まず地図をもらいに行こう。」という。
わたしは「この地図じゃ分かりづらいのだろう」と思い乗る前に「いくらだ?」と値段を求める。
「100ルピー。」この短い距離で100は破格だがしょうがないと思い乗る。

汚いボロボロのリクシャーが走る。

「その周辺に地図が置いてある所がある。連れていってやる。」
「お前はそこで待っていてくれるのか?」
「待ってる。」
「分かった。」

暫くして先ほどタクシーで降ろされた場所付近、
ちょっと奥ばった砂利道に入ってゆくとリクシャーは停まる。
「ここだ」と指摘され100を渡すとリクシャーは去っていった。
「あれ?待っていてくれるんじゃないの?」と思ったが「まぁいいや」と思い
狭い入り口をカランコロンカランを鳴らしながら入ると涼しい。
部屋周りを見ると個別に話を聞くような仕切りが何列かにされていて『塾の個別部屋』のような印象を受けた。

地図だけもらいたい旨を男に伝えると、
「奥まで行け!座れ!座れ!」と何かこちらがやったかのような語気で指示する。
奥まで来たが「座れ!早く!」とさらに怒られる。
言い方に頭にきた僕は何も言わず帰ろうと出口に向かって歩いた。

屈強な男が「どうしたんだ?」と聞いてくる。
「お前の言い方が気にくわない」と伝えても「イイカタ?」と反応するだけで通じないのか「いいから座れ、何があった?」と聞いてくる。
怒って帰る外国人に「どうしましたか?」とここだけ日本語だった。

腹立ってそれ以上は無視をする。
外に出るまで無視をして
砂利道を大通りを目指し歩き始めると後ろから物が飛んできた。
見ると男が笑いながらかなりバカにしたような言葉を浴びせていた。

何を言っていたか分からないが多分屈辱的な言葉だったはずだ。

これにわたしは腹が立ち何度暴言を吐いたか知れない。
ここには書けないような暴言を浴びせる事でしか解消されなかった。

こうしてまたインドが嫌いになった。

あのリクシャーは鼻っからここが旅行会社だと知っていて
外国人が迷いやすいここら辺でそれをピックアップして「とりあえず地図を手に入れよう!」という誘い水で乗せるとここで降ろし旅行会社からいくらか貰うのだろう。

旅行会社は来た外国人に対し高額なツアーを組ませる。
わたしはその対応や怪しい個室部屋からすぐに出たが、

この流れるような早い展開から騙される旅行者は多いと思った。

多分座ったら最後、入り口を塞がれ、全く関係ない話をされるのだろう。

わたしはバラナシで平和ボケになってた。
ここはニューデリーで観光客相手にいかに金を盗るか考えている猛者がいる街。
「日本人か?」と聞いてきたらもう怪しい。
「Sit down」と座ることを勧めてくるのはただじゃ帰らせない証拠。
人に道をたずねている時、間に入ってくる奴にはついていってはダメ。

わたしはこれらを教訓にまた土産物屋さんを探す。

暫くして僕が人が良さそうなインド人に道を聞いているとまた輩が間に入ってきて「連れて行ってやる。」という。

さっきのこともありもううんざりで無視をする。

最初道を聞いた人は「知ってるならこの人についていきなさい。」みたいになっているがわたしが許さない。

無視して「あなたに聞いています。」という。

するとクソ男は「俺が案内する!」とうるさい。
たまりかねて
「お前には聞いていない!どっか行け!」と強く当たる。
男は「何でだ、俺はその店の者だ!」と分からない様子。
わたしは「いいから消えろ!」とクソ男を相手にしない。
初めに道を聞かれたインド人は「どうしたんだこの二人は、」みたいになっている。

そいつは本当に店の従業員かもしれない。
ただ人と人が話している時に間に入ってきて「知っている」はインドでは完全に騙す輩だ。

またさっきの二の舞だ。

わたしは隣にあった名前も分からないファーストフードに入り店の従業員に道をたずねる。
すると男も入ってきて「俺がその店の従業員だ」とファーストフードの従業員にいう。

もうしっちゃかめっちゃか。

ファーストフードの従業員にしてみれば
「ここの店に行きたいんだけどどこにある?」という日本人と「俺がそこの店の従業員だ。」という奴が2人同時に入ってきてケンカしている。

なんのこっちゃわからないだろう。

「俺は店員さんに聞いているんだ、消えろ!」
と伝えても去ろうとしない。
こんな奴が紅茶を売っている訳がない。
状況が分かったファーストフードの店員はその男から名刺をもらうと退店してもらっていた。

わたしにその名刺を見せてくれる。

偽者の名刺

偽者の名刺


この名刺。
名前の所が◯◯になっている。
店の名前を本家と似せて、重要な箇所は伏せてある偽物。
セブンイレブンに行きたい人にこの『セブ◯◯レブン』という名刺を見せて「俺はここの従業員だ」と信じさせる。
それだけで作った名刺。
こういう手の込んだ事をする奴が本当に多い。

よく見ると行きたかったお店の名前「プレミアム」が小さい住所のようなところに書かれている。

男はそこを指差してお店の名前がここに書いてあると伝えた。

わたしは店員に「これは偽物だ。」と伝える。

インドでは日本で売られているガイドブックに出てくる店の名前は既に知られていて
それの名前に似せた店が乱立し、偽名刺まで作られている。

これはバラナシで見たサリー屋さんの写真。

日本語で書かれている

日本語で書かれている


暖簾にはガイドブックの名前が書いてあり「203ページに載っています。」と書かれている。

日本語で書かれている所がもう既に日本人向けのお店、高額な品物が置いてあるという証。

わたしは多くの日本人がガイドブックを頼りに来ている事をインドが既に知っている現実を
ただの広告や宣伝といった生ぬるいものではなく、
『ぼったくりのアイデア』になっている事を実感した。
この写真を見た時、
「ぼったくりに遭わない事は不可能だ」と思った。

その証拠に昨日まで泊まっていたバラナシの「サンモーニ」もよくよくガイドブックを見たら『一泊50ルピー』とうたっている。
100円。
だか言われた金額は550ルピー。1100円。

インドでは「言っていた事と違う!」と思う事が何度もある。

現地でたまたま会った少年に「うちのホテルは100ルピーだ」と言われてついていくと別の奴が200ルピーだ。と跳ね返す。

この「ガイドブック掲載金額」と「行った先で言われた金額」が違う事がまさにこのガイドブックは現地の少年と同じ事をしている事にはならないだろうか。

つまりこの旅のわたしはガイドブックを信用し過ぎたんだと思う。

ファーストフードの店員さんが改めて地図を書いて丁寧に教えてくれる。

書いてもらった地図

書いてもらった地図


ここら辺は地図の通り丸い大きなロータリーのような場所に位置する為、今どこにいてどの道がどこに位置しているのか分かりづらい。

必然的に道案内に化けたインド人が寄ってくる。

わたしは貰った地図頼りに修羅場のファーストフードでコーラを飲んだ後出ると
また歩き始めた。

すると「ヘイヘイ!困っている事はない?」と言ったような男が話掛けてきた。
続けて「持ってるよ?ほら!」と見せられたのは

お馴染みのガイドブック
「地球の歩き方」だった。

まさかインド人が日本で売られているガイドブックを持っているとは思わなかった。
わたしは手の込んだやり方に「そこまでするか!」と静かに驚くと無視してぐんぐん歩いた。

紅茶1つ買うのにこんなに疲れるとは思わなかった。
もうインドでお土産を買うことはないだろう。

コンノートプレイス郊外からニューデリー駅迄、
わたしは暑い日差しの中「タクシーに直接ニューデリー駅まで行ってもらえばよかった、」と後悔しながら歩く。

次へ

7月31日インドで大規模な停電が起こりました。6億人が影響を受けた世界史からみてもこのくらい大規模な停電はないみたいです。

自分がインドを訪れたのはもう2年も前になりますが、

その時の印象は「あ、この国はあと50年経っても変わらないな」というものでした。

どういう意味かというと、

インドは「頭ばかり発達して体が未熟な国」なのです。

インフラ整備(体)が一向に進んでいないのにIT分野(頭)は発達していると聞きます。

私が見たインドもそうでした。

上下水道の設備は急務なはずなのですがそんなことをやったら道路が渋滞して回らなくなる様相です。

ほとんどの道路に信号がないのですから。

今回の停電ですが、インド国内の庶民にしてみればそんなに驚いてはいないのではないでしょうか。

なぜならインドでは停電は日常茶飯事(1日に8回はある)だからです。

わたしは停電の時間が妙に神秘的でした。

急に目の前が真っ暗になると今まで考えていたことがリセットされて

「まぁなんとかなるだろ」と思わせてくれたり、

人とのコミュニケーションの距離が妙に近くなるんですね。

多分誰の顔だか分からないからだったり、

人の表情が読み取りにくくなるから自然と近くなるんでしょうか。

今回の停電はさすがに日系企業等にしてみればインドリスクとして考えなければならないのかもしれませんが、

私たち旅人にしてみれば「大切なものが何なのか考えさせられる瞬間」だったなぁと思い出しました。

タクシーは予定通りバラナシ空港に着いた。

わたしはこの『予定通り』を信じていなかったが運転手は「ほら、着いたろ?」と自慢げな顔をしてみせた。

わたしはスムーズに運ばせてくれたお礼にチップをあげようとしたが次にこのタクシーに乗る日本人がチップをねだられる可能性がある為止めといた。

当たり前だが空港にはインド人ばかりで日本人がいない。
ヨーロッパ辺りの外国人グループは2組いた。

いつも思うのだが知らない場所にポンと下ろされてもどこに行っていいか分からない。

必ず場所を尋ねる事になる。

チェックイン手続きをどこでやればいいのか。

軍みたいな奴にチケットを見てもらう。

インドの国内線

インドの国内線


「あっちだ」

バラナシ空港は周りが何もない所に低い屋根の仮設住宅みたいな、簡易的な建物が並ぶ空港で中に入ると暗い。
「多分ここだろう。」と思われるチェックインカウンターとおぼしき所で並ぶ。

金髪の外国人のグループの後ろにとりあえず並んで様子を見る。

何の列か分からないで並んでる奴程間抜けなものはない。

前の人がそうしていたようにパスポートとEチケットを渡す。

わたしはヒンドゥー語で何か言われてる。

分からない。

係員は諦めたのか「どっかいけ!」とばかりに追い払う。

わたしは必ず荷物は機内に持っていく。
以前誰かから聞いた、
エアインディアで荷物を預けたら違う所に運ばれてその旅行は荷物なし。
「帰国日」に手元に返って来たという。

それが日常的ではないにしろわたしはリュックは常に本日生まれた赤ちゃんかと思われるぐらい背中で可愛がらなくてはならない。

チェックインが済み、
荷物チェックまでの時間、わたしはベンチを見つけると構内で買ったコーラを体に入れた。

わたしの隣にインド人が座った。

男はリュックから銀色のステンレス器を2、3取り出してカレーと思われる物に肌色の何かをつけて食べ始めてた。
そういえば僕は今朝から何も食べていない。

バラナシ空港

バラナシ空港


簡単なパスポートチェックの為の長い行列に並んでいる間、わたしはガイドブックに目を通す。
今日12時10分にこの飛行機は飛び15時にガンジー国際空港ターミナル1に着く。
ニューデリーに向かい、
わたしは列車までの2時間をそこで過ごさなくてはいけない。
コンノートプレイスに有名な紅茶のお店がある。
「マンゴーティーを買えるお店にいこうかな、」

2列で手続きを待つインド人達は熱心に「インド」と書かれたガイドブックを見る僕に変な違和感を覚えそのレアな画にさぞ居心地が悪かっただろう。

わたしがマンゴーティーを買いたい一心でインド人の穏やかな気持ちを不穏にした罪は
引き続きマンゴーティーを買うための努力で返さなくてはならない。

もしわたしの好きなラーメン屋の行列の中にリュックを背負った金髪の外国人が1人で並び、
熱心に「JAPAN」と書かれたガイドブックを読んでいたら
わたしはその「日常の中の非日常」に吹き出し、
そのシュールさにカメラを向けるだろう。

暫くして身体検査が始まる。
変な『囲い』の下で「金属バンザイ」をしてチェックが終わるとエックス線を通った「俺の」を急いで取る。

外したベルトを締めながらこの一瞬でも何も取られていないか確かめる。

チェックはそのくらいがちょうどいい。

搭乗時間までの間近くの集合ベンチで過ごす。

サリーを着た女性の集団が来るとインド人男性は席を譲る。
そのサリーを着た女性中でもサリーを着た高齢者にサリーの女性は席を譲る。

こんなにベンチが満員で立っている人がいる中
スキンヘッドでオレンジ色の袈裟を着ている男は1人で4人分の席を使っていた。

わたしはひょんな所で「ディスイズインド」を見た。

男の両手は広げて背もたれに、
片足はベンチの上に折り曲げて収め、
「この国は我の物ぞ」といったご様子だ。

そこに1人の男性が話し掛けた。
その話し掛けた男性はかなり金持ちなのが見て分かる。
ニューデリーやバラナシにはいない、
『ニューインディアン』だ。
男は「この国は我が物ぞ」に合掌しすると「隣に座っていいか」許可を求めた。
「この国は我の物ぞ」軽く頷き、その男はまた合掌して懐に座る。

見る限り、
男はなにやら「この国は我の物ぞ」に悩み事を相談しているようだった。

サリーの女性集団はたまに興奮する私服の子供を一喝する以外は一家の主である「我の物ぞ」と男の様子を静かに見守っていた。

何を言ってるか分からないがアナウンスの後、搭乗の為の列は作られた。

成田だとチェックインロビーと荷物チェック、出国チェックと搭乗口はそれぞれある程度距離を歩くが、
ここバラナシ空港は全てが歩いて何秒の範囲内。

搭乗券の半券をもぎられて皆が進む方向に飛行機はあった。

バラナシ空港

バラナシ空港

皆飛行場から直接搭乗する。

外から搭乗する

外から搭乗する


ここにわたしはインドの『国内線』を感じた。

離陸して暫くすると機内食は配られた。

キングフィッシャーの機内食

キングフィッシャーの機内食 


いつもカレー。
インドにいる限り逃げても逃げてもカレーはわたしを追いかけてくる。

「お前はベジタリアンか?それともノンベジタリアンか?」だけを尋ねられる。
もしも僕がその意に反して「どっちでもない」と抵抗したら
「お前は正直者だ。このベジタリアンの方をあげよう。」と言われるだろう。

次へ

「この運転手はインド人なのにクラクション鳴らさないなぁ。」
タクシーの後ろの席に座りながら不思議に思っていた。

プーー!

あ。鳴らした。

運転手の右手をよーく見ると右手の親指の腹の根元。「ふかふかな所」で鳴らしている。

鳴りやまないクラクションの撃ち合いがインドの喧騒と混沌、雑多さを引き立たせている。

ホテルをタクシーで出たわたしはバラナシ空港に向かう。
タクシー代は600ルピー。チップは必要ないと言われている。

「本当にしっかり送ってくれる?」
「大丈夫だ。」
「彼は道を知っている?」「大丈夫大丈夫(笑)」

ホテルのオーナー、
ティーティンはどこまでも疑ってかかる日本人に笑って答える。

そろそろお別れの時間だ。パパやオーナー、フロント君にお別れを告げなくてはいけない。

ホテルの分厚い宿泊者名簿のチェックアウト欄に「森田賢二」を記入する。

するとその下の欄に前日からここのホテルに泊まっている日本人女性の名前があった。
女性1人でここに来てるのだろう。

「イズディスジャパニーズ?」

オーナーはそうだという。
ここインドで日本人が同じホテルに泊まっている偶然にわたしはまるで親戚と会ったかのような懐かしい親近感を覚え、
今までどのようなルートでここに来たか、
どのような出来事があったか吐露したい気持ちになった。

「みんなガイドブックを見てここに来ているんだなぁ。」

会えなかったのは残念。
わたしはフロントでお金の精算をする。
ホテルの延泊代。
ジュース代。
列車チケット代。
チケット代行手数料。
タクシー代。

全てクリアーになり、
ティーティンと握手をして別れを告げる。
ティーティンは「もしまたここに来るような事があったら訪ねてくれ。いつでも味方をする。」
という旨を英語でいうとヒンドゥー語で何か唱えた後合掌した。
わたしは心の芯から込み上げてくる感謝と
どうにもならない別れの悲しさに
気持ちが整わないまま合掌する。

別れは人を大きくすると聞いたことがある。

わたしは嗚咽する寸前のものを我慢すると
「この人との別れがこんなにも悲しい事だったんだ」と別れ際に気付く。

わたしはこのオーナーやパパとの別れがわたしを大きくさせたかは分からないけど
わたしはわたしを保ってられないぐらい悲しかった。

そしてわたしはタクシーの運転手を紹介されて、乗り込み、
バラナシのハリスチャンドラガートを後にした。

この旅は今後2日間どんな事があっても「来てよかった」と思えるだろう。

わたしは「空港まで何分ぐらい掛かる?」とタクシーの運転手に尋ねる。そして何度か英語のやり取りをした後「1時間。」 という答えを頂いた。

わたしは今後わたしの言いたい事や相手の言いたい事が英語でお互い伝わるまで
文章を変えて、発音、単語を変えて、僕と相手が分かるまで「ソーリー?」を繰り返すだろう。

お互いの心を繋げる努力を惜しまないだろう。

なかなか前に進まない牛のお尻「牛渋滞」を抜けバラナシ郊外の本当のスラムを横目にタクシーはまるでタイムスリップするかのような速度でバラナシ空港へ向かう。

次へ

ガンジス川

ガンジス川

ガンジス川

ガンジス川

「これ日本人みんな買うよ!これはガネーシャ!これはシヴァ! みんな買うよ!え?100ルピーだ!高い?高くないよ!みんな買うよ!」

「成る程そーゆーことか」とわたしはガンジス川を行くボートの上で思った。

その日朝5時のボートに乗る。

フロントの前の地面で寝るパパに「グッドモーニング」と声を掛け起こすと、
オーナーは自分のせいで太った体を自分の責任で立ち上がらせ「こっちに来い」と僕を促した。

「ガッガっ」と開きづらいホテルの扉を引くとパパはわたしを後ろに感じながら凸凹な道の前をゆく。

ホテルから50mもない目と鼻の先にガンジスはある。
朝早すぎてか地元のインド人は外にはいない。

わたしはどんよりする空を認めると「イズットクラウディトゥディ?」と聞いた。
「ノー」
ただ単に日の出前だという。
でも雲はある。
質問がまずかったのかもしれない。

川の畔に多数のボートが簡単な杭で繋がれていて朝に強い子供がいつもの調子で遊んでいる。

古いボートの前で止まる。
「これでいくのか?」とパパに確認すると「そうだ。」と案内する。

「それよりちょっと待ってくれ。お腹が痛いからホテルのトイレに行ってくる。」
わたしは昨日の夜からお腹を壊している。
ここに来てお腹の調子だけは気を付けていたが昨晩見事にやられてしまった。

マンゴーか、チーズか、鶏肉か、ホットチリスープか。

わたしは「水」がどれだけ食生活の基本的な問題であるかを知る。

「生水」だけは飲まないようにしてきた。

ただ「生水」を飲まないというのは「インドでは食事をしない。」「断食する。」という事とほぼ一緒。

マンゴーも洗って食べれないし食器に口をつけられない。
昨晩ピザを食べたが、
チーズは乳製品でその牛は水を飲み穀物を食べている。
穀物は水と大地で作られ、水はまた大地を作る。

結局は生水を使っている。
キッチンがどれだけ清潔かもコックが手を洗ってるかも分からないが、
その手を洗うのも結局は生水ではないか。

わたしは「生水」というものがいかに生きる上で絶対的に必要で食生活の根底に密着しているかを知る。

よくインドで腹を壊したか、壊さなかったかを問われる。
『インド』と距離が近かった人は壊すし
『インド』とある程度距離を取った人は壊さない。

わたしはこの腹を下したことをこのように結論づけた。

インドは前から裸だった。僕は初めそれを拒否した。そしてわたしはわたしの方から裸になった瞬間お腹をやられた。
多分こんなとこだ。

ホテルにもらった外国人用のトイレットペーパーもどんどん痩せていき芯だけになった。

わたしは急いで待たせている川辺にベルトをしめながら向かう。

大人が5人乗ったら沈むような木製のボート。
乗るのは14歳ぐらいの少年とわたしだけだ。

少年は足で杭を蹴ってボートを岸から離す。
水面が斜めを描きボートが離れてゆく。

少年は慣れた手つきで水を切り、漕ぎ始める。
それは次第に岸から離れて行った。

なんの救命道具も積んでいない木製ボートは今ガンジス川の真ん中をゆく。

「どこから来たんだ?」
「フロムコリア」

お約束の挨拶を終えるとわたしは聞きたいことを聞いた。
どこまでいくんだ?
「向こうの方まで、行って帰ってくる」

何分くらいだ?
「1時間くらいだ。」

あれはなんだ?
「お祈りだ」

この流れている声と歌はなんだ?
「近くの寺で歌っているものがスピーカーされている。」

向こう岸にはいけないのか?
「いけない」

なんで?
「いけない。」

沢山のガートがあるこちら側は沐浴などで賑やかだがその向こう岸は何もない砂漠が広がっていた。

木も建物もない本当の砂漠。
どのボートも川の真ん中を平行に流れて元に戻るのみで向こう岸に着こうとはしない。

後で知ったのだが向こう岸は「不浄」、汚い所と古くから伝えられているらしく誰も行かない場所だという。

わたしは「あっちに行きたい」という質問がどれだけ無知な質問だったかその時は知らなかった。

暫くするとボートが沢山行き交う。
ヨーロッパの団体がガイドを乗せ写真を撮っているボート。

アジア人。50代、60代の夫婦が乗っているボートとすれ違う。

みんな団体で僕1人が1人で乗っている。

みんなが川から見たガート、朝の沐浴風景を写真におさめていた。

ボートに乗ってわいわいしているインド人はいなく、外国人のみがボートに乗っていた。

するとそこにインド人が乗るボートがわたしの乗るボートに横付けしてきた。

そして何故か少年はボートを漕ぐのを止める。

「ヘイ!ジャポン!」
わたしは無視をする。
「これ買わないか?」

みると木製の像。置物。
ボートが露店と化している。

「これ日本人みんな買うよ!これはガネーシャ!これはシヴァ! みんな買うよ!」

こちらのボートを漕ぐ少年は一向に「おっさん邪魔だよ!あっちいけよ!」とは言わない。
疲れた腕を休ませて無言を貫いている。

こいつら「グル」だ。

「いくらだ」

「20ルピー」

とりあえず「高い。」と言っておく。
高く吹っ掛けてきてるに決まっているからだ。

「え?高い?高くないよ!みんな買うよ!」

「みんな買うかは知らない。俺には高い。」

「日本人みんな買うよ!」「俺は買わない。」

わたしは少年に早くボートを出せという。
少年は無視する。

「これならどうだ。こっちはガネーシャ。こっちはシヴァ。」

わたしは『夢を叶えるゾウ』を愛読書としているので一瞬ガネーシャに反応した。

「いくらだ。」
「100ルピー。」
「高い。」

少年は全くボートを出す気配を見せない。

「成る程そーゆーことか」
旅行客をボートに乗せて身動きが取れない水上で粗品を買わせる。
5時に来い!というのは言い換えると「インド人も朝の稼ぎをするからその時間に合わせてこい!」ということだ。

神聖なはずのガンジス、みんなが輪廻を信じて還るガンジスで外国人から金をふんだくる。

「これはみんな買うよ?この中にガンジスの水を入れて持って帰るんだ。お土産に喜ばれるよ?それでこうやって頭に水を掛ける。」
あ。でもこれはいいかもな。
と思ったが「高い。」で通した。実際100円で払ってもいいが
こいつらのこのやり方が今後、旅行客の朝ガンジスで高揚した気分を一旦削ぎ、
買うまでボートは動かないとするならこれは「戦い」だ。
どんなに安くても、どんなに買いたくても払っちゃだめだ。

わたしはだんだん腹立ってきて何故お前らから買わないか理詰めで説明した後ボートを出すように求めた。

「ゴーゴー」と言われた少年は露店商とヒンドゥー語で二言目三言交わして漕ぎ始めた。

少年は「こいつは買わないよ。」と言っている様だった。

わたしはその後30分ぐらいボートの上で拘束される。

次々と露店商が横付けしては売ろうとするがわたしは目を合わすことなくカメラで風景をおさめていた。

「あの『ガンジス川の水を汲んで持って帰れる奴』欲しかったなぁ」と何度も思った。

アラジンの魔法のランプの様な入れ物で100円だった。
あれはお土産にはたまらないぞ。
ガンジス川の水入ってるし。
あれは「買い」だろ。

もう一度戻って今度俺等がボートを「横付け」したらどっちがインド人か分からなくなるぞ。

さっき告って来た女にボロカス言って振ったのに10分後「すみません付き合ってください。」とは言えないしな、
実は好きでしたはおかしいしな、
あーでも欲しいなぁ。

わたしはなんとも変な感じでボートの旅を終える。

「着いたぞ。」
ボートが着いたすぐそこでは今朝も死体を焼いている。
わたしは昨日の巻き戻しを観ているような風景に早送りの様な足取りでホテルに帰る。

すると後ろで「ヘイ!マネー!」と少年が追ってきた。
マネー?なんで?
「マネーマネー!」
なぜだと聞くと漕いだから200ルピー払え!という。
「いやいや!お前には払わない。ホテルに払うんだ。しかも50ルピーだ!」
というとそれ以上のやり取りは無視してホテルに向かった。

するとやはり追って来なかった。
その事からすると「それとは別で貰おうとしたな、」と察した。

パパに50ルピーを払うとパパは「100ルピーだ」という。
「なんでだ。50と言ったじゃないか」というと
「それはボートに2人以上で乗った場合だ。」

という。
わたしは1人でホテルにチェックインして1人でホテル内を行き来してパパともソファーで「暑いねー、」やら「停電はいつまでなの?」やら話をしている経緯がある。
その僕が「ボートはいくら?」と聞いたとき「50だ。」と2人で乗った場合の金額を言うのはおかしい。

パパは「そこに書いてある。」とフロント横に貼ってある紙切れを指差してみせた。

いやいや文字小さ!

「オーケーオーケー。私は払う、でも今度からそういうのは先に言わないとダメだ。私が1人で乗る事は知っていたはず。そしたらその値段を言わないといけないし、あなたは説明しなければならない。」

向こうも納得したようなので「よし!もうこの話しはなし!」といい握手をすると緑色をした階段を上がっていった。

これから飛行機に乗る為のタクシーがホテルにくる9時45分までにサリーを買いに行かなければならない。

次へ

休みのヨガスクールからホテルに帰ると「部屋を掃除した者がTシャツを持っていった」とパパに告げられた。

わたしはその人がいつ返しにくるのか尋ねた。

「今日はもう帰ってしまったから明日。」

「明日?そいつの家はここから近いのか?」

「近い。」

「明日私はここを出なくてはいけない。」

「わかった。」

「9時までには来るか?」
「来る。」

「わかった。」

わたしの泊まっている部屋の階下を掃除した『者』は何で誰にもティシャツの事を告げず家に持って帰ったのだろう。

いずれにしろホテルにいるうちはホテルの人とうまくやらなければならない。

今回の件はわたしが「返ってくる」という事だけで腑に落ちなくてはいけない。

わたしは「明日、早朝ガンジス川をボートしたい。」
とパパに告げる。

「わかった。朝5時にここ、フロントに来い。」

「わかった。何ルピーだ?」
「50だ。」

「わかった。」

「あと明日ヨガを体験したいんだけどどうしたらいい?」

「ヨガの先生が8時にホテルにやって来る。呼ぶか?」

「幾らだ?」

「500ルピーだ。」
ホテル1泊分の金額だ。

「うーん、高いな、ちょっと考えさせてくれ。
鉄道チケットを予約したいんだけど、オーナーはいるか?」

「今呼ぶ。」

ヨガは一回1000円。
その頃インドの金銭感覚になっているわたしにはこれは手に届かない値段だった。

ホテルのフロントの内線を使うと近所にいたのかオーナーはすぐに来た。

そして「事務所でやろう。」と僕を呼び込む。

これがもし『インド1日目』で『心が通じてない奴』だったらノーと言っていただろう。

首から掛けたタオルでおでこの汗を拭き事務椅子に座ると「暑いね。」とオーナーは切り出した。

わたしは「ャァ。」と同意する。

さっき僕が買ったサリーを一般のインド人は幾らと判断するのだろう。

気になって値段を予想してもらう事にした。

「ちょっと聞きたいんだが、さっきわたしはこのサリーを買ってきた。幾らだと思う?」

オーナーはサリーに全く興味ないのかよく分からないといった表情をする。
「300ルピー?」

なるほど。
わたしは相場で買ったのかもしれない。

オーナーはちょっと微笑むと、
全く関心がないのか本題に入る気配をだす。

わたしがなぜこのような質問をするのか意図が分からないのだろう。

お互い瓶ジュースを飲みながら今後のプランについて話し合う。

わたしは昨日から考えてたここバラナシからアーグラまでどのように行くかプランを提案した。

出来るかどうかは列車の空き状況次第だ。

「明日なんだが、わたしはバラナシからニューデリーまで一回戻り、
その日の夜に列車でアーグラに着くようにしたい。大丈夫か?」

「リシュケーシュは?」

「諦める。」
わたしはリシュケーシュというヨガ発祥の地に行くことを諦めた。
「本当に俺は行きたいと思っているのか?」と自分に問いただしてみた結果だ。
ヨガを体験したかったらここでも出来るというし、
最終日にニューデリーでも出来る。

リシュケーシュは当初プランにはなかった。
わたしは『迷ったら原点に帰る。』事にした。

相変わらず薄暗い部屋に
わたしとオーナーだけだ。

事務所の扉は開いていて外が見える。

ここハリスチャンドラガートには火葬場がある。

インド全土から死体が運ばれて来ては焼かれる場所だ。
今僕がオーナーと旅行の計画を立ててるすぐ外が賑わしい。
リズムに合わせて叫んでいる。
またどこからか死体が運ばれてきた。

ずっとこの場所にいるからだろう、
オーナーは全く葬儀に目をくれず「どうやってここからニューデリーまで行く?」かわたしに尋ねた。

わたしはニューデリーからここまで列車で15時間掛けて来た。
また寝台で戻ったら時間が掛かる。
わたしは今度いつ来るか分からないインドで『時間』を取るか『お金』を取るかの判断を迫られた。

電車なら15時間。
安い。ただ明日は移動で1日潰れる。

飛行機なら1時間半。
高くつく。ニューデリーで乗り換えて即日アーグラを回れる。

わたしは外で故人の名前が何度もリズムよく叫ばれている中「国内線の飛行機だ。」と要求した。

インドに来て一番の買い物をした。

オーナーは
「オーケー、アイチェック」と短い英語で一人言の様に呟くと
飛行機で行った場合の便と値段を調べてくれた。

暫くして「あった。キングフィッシャー社6600ルピーだ。」と告げる。

昨日も国内線を調べてくれたがその時は4000ルピー弱だった。
昨日のエアインディア社の国内線は埋まってしまったらしい。
キングフィッシャー社の便は『午後便』で1万4000円。
昨日飛行機に決めていれば安く、時間もタイトにできた。
リシュケーシュに行くか否か、インドの国内線を使うか否かが僕の一歩目を遅らせた。
躊躇した事で条件は悪くなり費用は4000円近く掛かり、
尚且つ時間は「間延び」の結果になった。

わたしは仮に国内線で行ったとして、
ニューデリーからアーグラに行く列車は何時発か気になった。
オーナーは僕より先に気になっていたらしくもう既に調べ始めてた。
「ニューデリー17時発だ。それなら空いている。」

つまりアーグラには21時に着く。
飛行機で行ったとしても明日は1日移動で潰れる。

13時にニューデリーに着き17時までの4時間をそこで過ごさなければならない。
僕は「列車は予約できるか?」と尋ねた。

そして投げた後、
ガイドブックに目を落とし次に拝める世界遺産タージ・マハルの歴史を読み返しどのような見学ルールなのかも確認していた。

そして確認していて僕は思わず「あ。」と発してしまった。
『タージ・マハルは金曜日は休み。』

その事実を知らないオーナーは画面に穴が空くような眼でサイトが移動するのをカチカチやりながら待っている。

わたしは「いわなきゃ」と思いながらタイミングを見計らい頭を整理する。
逆算してみる。

もし明日夜に着いたとしても閉館してる。
次の日タージ・マハルは休館で入れない。
明後日は帰国日。
20時ガンジー国際空港だ。18時までに空港チェックインを済ませるなら
17時までにニューデリーに着かなくてはならない。

インドの列車は平気で遅れる。
聞くと「明後日の列車は10時アーグラ発ニューデリー14時着しかないという。」
という事は10時のアーグラ駅列車に乗らなくてはならないという。
タージ・マハルは朝6時から開館しているらしい。

10時アーグラ発だとしたら9時までの3時間しか回れない。

タージ・マハルにいられる時間はたった3時間。

わたしはこの事実を渋々納得しなくてはならない。

オーナーにタージ・マハルが休みという事を告げると「タージ・マハルの中には入れないが庭園には入れる。みんな写真を撮っている。」という。

いずれにしろこの旅程でゆくしかない。
オーナーに全てのチケット予約を頼んだ。
暫くしてオーナーが叫ぶ。「シット!」

わたしは映画でしか聞いたことのない言葉に不穏を感じ「どうした?」と尋ねる。

「ここのパソコンは速度が遅い。この近くにネットカフェがある。そこで予約する。一緒に来てくれないか?」
なかなか怪しい発言だ。
この国はとにかく外国人をついてこさせる。

わたしは今までの「経緯」に信頼をして「イャァ」と同意すると立ち上がった。

飛行機、列車のチケット予約を近くのネットカフェでする。

日本の旅行会社に航空券の予約を直接頼みに行き、
暫くして担当が「うちの会社はネットが速度が遅い。ちょっとそこのマン喫まで来てくれないか?」と言われたらわたしは「じゃぁちょっと出掛けるのでやっといてくれないか?」となるだろう。

インドでもわたしはそのように答えたが通じなかった。
「こい。」という。
『来させる国、インド』だ。
凸凹の道。
牛の集団。
薪割り少年。
日差し。
寝ている奴。
死体から上がってくる微かな煙。

オーナーは汚い、屋台とも言えない『リアカー引き』の前に立ち止まると
「ちょっと待ってくれ。腹が減った。」といい、
何かそいつに頼んでいた。
そいつはなんか米粒みたいなものを汚いところであぶり粉をまぶしたり何かを混ぜたり手慣れた感じで表情変えずやる。

14歳ぐらいで若い。
誰がこんなの買うんだよ!と今まで道を通る度突っ込んでいた物をオーナーは買った。

10ルピー札を出してお釣りをもらっていた。
わたしはインドに来て10ルピー以下の物を買った事もない。
「お腹がすいた、」と辛そうな顔をしたオーナーはこの変なヤツで腹ごしらえするつもりだ。

新聞の切れ端、よく小学生の尿検査時に紙切れで折って作った紙コップみたいのに目の前の無表情が米粒500粒くらい入れると

そうそうこれが食べたかったんだよみたいに受け取る。
わたしは「そうそうこれこれ。」と一旦米粒を投げ込む振りをしてこんな汚いもの喰えるか!とやるもんだと思っていた。
そしたらどうだろう。
オーナーは一向に米粒を掴んでは口に入れる。
食べながら前を歩き始めた。
あ、成る程、ある程度食べてから「こんなもん喰えるか!ボケ!」だ。
わたしはいつその声が聞こえるのか待っていた。

牛と牛の間をすり抜け、
軽いスラムみたいな通りをすり抜けオーナーは「ベビースターみたいな食い方」をしながら進む。

すると前をいくオーナーが歩を休め、
わたしの方を振り向き
「食べるか?」と聞いてきた。

わたしは折角の好意を無駄にしたくない気持ちとチャレンジという意味で手を差し出した。
日本人には『にんじん』と言ったら分かるかもしれない。
駄菓子屋で売ってる赤い人参の包装に入っている揚げスナックだ。
オーナーはこちらがそんなにいらないよ!と思うぐらい手の上にそれをのせる。わたしは恐る恐る一粒口に入れる。
スパイシーな奴だ。
不味くはないが食べないでも平気だ。
わたしはあまりちょびちょび食べていると相手に不快に思われる事を懸念して次はひとつまみチャレンジする。
わたしは美味しくはないが不味くもないそれを不気味に感じ手にあるそれをオーナーが前を行く後ろをうかがえないうちに道に捨てた。

こーゆー貰いものが一番怖い。
そこまではこの国の『食』を信じていない。
おもむろに振り向いたオーナーは僕の手に『人参』が無くなっていることに気付いた。
すると「美味しいか?」と感想を求めてきた。
わたしは最高の演技で「美味しい美味しい!」と感動してみせる。

するとオーナーは嬉しかったのかまたわたしの手に『人参』を乗せてきた。

「うわー!センキュー!」顔ではセンキューだが、
内では「こいつ何してくれてんだよ!ふざけんな!喰えるか!」だ。

この『人参』の量。
まずい!
今捨てたら鳩が寄ってくるぞ!
この道を行く両サイドのインド人全員が「こいついいのもってるじゃねーか」と監視してる。

ほしいならやるよ!
今道路に捨てたらこいつらに「おい!捨ててるぞ!」とチクられる。
そして多分「お前落としたぞ!ほら!気を付けろよ!」
といって落としたたそれがまた手の内に汚くなって戻ってくるだけだ。
あーどうしよ。

その次のわたしの行動を見ていたインド人の目には「あの日本人相当お腹が空いていたんだな、」と映っただろう。

わたしは口の端に付いちゃうぐらい意を決してガツガツ全部平らげた。
それを笑いながら見ていたオーナーは「そんな旨かったのか!」と勘違いしてわたしの手にまた『地獄』を乗っけた。
「ノーノーノ!」
オーナーのが無くなっちゃうじゃないか!という旨を伝えるとオーナーはわたしの気遣いに感謝しながらネットカフェに入っていった。
まさか「捨てたら鳩が寄ってくるぐらい」くれるとは思わなかった。
それが原因かその夜のイーバカフェが原因かは分からない。
わたしは朝まで寝てはトイレを繰り返し下痢に苦しむことになる。
多分全部当たったのだろう。なぜなら僕は肛門でこれは「何の分」「これはマンゴーの分」「あ、これはまだイーバカフェの分だな。」とかが本当に分かった。
「これはクリリンの分!」
わたしは怒った時の孫悟空みたいな事を朝までやっていた。

※インドの歯磨き粉は辛い。キャップをしないで放置していたら翌日蟻が集ってた。

インドの歯磨きセット

インドの歯磨きセット

※インドの一番大丈夫そうなマンゴー。20ルピー。40円。

マンゴー

マンゴー


※必ず飲むことになるミネラルウォーター。真ん中の水色ラベルのが一番飲みやすかった。

黄色のラベルの奴のように日本から「ポカリの粉」を持っていって対応していた。

ミネラルウォーター

ミネラルウォーター

※インドの歯磨き粉。「FAITER」インド人にとって歯磨きをすることは「戦い」なのだろう。

FIGHTER

FIGHTER

次へ

右足の親指と人差し指のサンダルの支点となる所の皮が剥けている。

靴擦れを起こしている。

舗装された道路がないバラナシではサンダルで砂地を歩く。

わたしはどうにかその支点を爪先側にずらす事で対処してペタペタ歩く。

「お兄さん!お兄さん!昨日の僕だよ!覚えてる?話したよね!昨日話したよ!」

この感じだと結構近い距離で声を掛けられている。

わたしはそちらに振り向く事なく目の前を急に止まるサイクルリクシャーを避けたり、声の主とは別の客引きをあしらわなくてはいけない。

よそ見していたら誰かしらにぶつかる。

「お兄さん!覚えてる?!」
「覚えてない!」

「話したじゃん!」

「話してない!」

歩を前に進めながらわたしは誰だか分からない声の主に答えた。

多分声の感じからしてダーシュワメードガートの「大沢たかお少年」だろう。

または違うかも知れない。昨日通りすがりでたまたま見た日本人に「昨日会った!」と振り向かせようとしているかもしれない。

向こうから来る「インド」と急ブレーキする「インド」を避けながら縫うように歩いてゆくと
話しかけてきた「インド」はやがて聞こえなくなった。

ここら辺はバラナシに来た観光客がお土産を買う通り。

店頭にサリーを着たマネキンを置き
お店の雇われ人が目が合った僕に軽く顎を「クイっ」とつきだし
無言で「どうだ?(買うか?)」とやる。

または店頭でそれだけの為に立っている男性がわたしに向かって「ヘーイ!サリー!」と叫んでくる。

ニューデリーでもここでもそうだが、
よくインド人は自分が売っている物の名前で人を呼ぶ。
わたしが歩いていると隣につけて「ヘーイ!タクシー!」
わたしが「あ、マンゴーだ、」と見てると
「ヘーイ!マンゴー!」

わたしはそれらを全部無視してあげる。

ワゴンにぐちゃぐちゃに重ねられたサリーや
どことどこを結んでいるのかロープを張らしそこに引っ掛けるように吊るされたサリー、
ちょっとテントの中の奥まったお店に行くとサリーを切り売りしている。
それら筒状のサリーは立て掛けてあったりボックスに突っ込んであったりで、
店頭のそれとは値段が違うのがわかる。

どこもそうだが僕がサリーのお店に入ると必ず店員が「あ、日本人が来た。」みたいな顔がする。

「このサリーは肩から袖に掛けて風通しがよさそうだ。春や秋にいいかもしれない。
あげる人のイメージにぴったりだ。」

日本人に反応した店員は
「いらっしゃいませ」や「どのような物をお探しですか?」とは絶対言ってこない。

わたしの目線の先にあるサリーを追って「800ルピー」と始める。

値段交渉が始める。

店「800」

わたし「いや、このサリーは200だ。(サリーの事全く知らないのに。)」

「200?これはいいサリーだぞ?知ってるか?200なんて無理だ。」

「わたしは知っている。これは200だ。」

「ラストだ。600だ。」

「200しか持っていない」
「600だ。」

「残念だ。帰る。」

「400だ」

「人の話し聞いてるのか。これは200だ。」

「オーケー。分かった200ルピー。」
ボロボロの薄いビニール袋にサリーを畳んで渡してくれる。
握手をする。
店員が聞いてくる「ホエアユーフロム?」

「フロムコリア。」

店員は「やっぱり、韓国人だからか。」みたいになってる。

過去に韓国人と何があったのだろう。

それにしても
あのやろー最初3倍近くの値段吹っ掛けて来やがった。
帰ろうとしたら値段下げて来た。
200でも高いかも。
100でいけたかも。

近くのお店で似たようなサリーが幾らスタートになっているか何軒か回ってみる。
「多分これは相場だ。」

ヨガを習いたいのでホテル近くのヨガスクールに訪れる。
校舎に入ってゆき扉を開けようとするが鍵が掛かっていていてこれ以上入れない。
ここだけは静かだ。

バラナシにある寺院

バラナシにある寺院

「歯を磨きたい。」

あそこの建物からこっちを見ている人がいる。

向こうのほうから見ている

向こうのほうから見ている

「今日は休み?」

返事がない。

聞こえているけど言葉がわからないのか。

聞こえていて意味が分かっているけど無視しているのか。

聞こえていないのか。

「明日からのスケジュールを決めないといけない。マンゴー買って帰ろう。」

次へ

今日しなければいけない事。
明日から最終日までの全ての交通機関のチケット取得。

「その前にご飯食べにいくか。」

Tシャツが朝5時には下のベランダにあったのに10時にはなくなってた。

フロントも「知らない。」という。

わたしはホテルの従業員や下の階のお客さんが取っていたという風に考えず「消えた!」「幻?」等とミステリアスな方に捉えていた。

そしてフロントの「お客さんは泊まってない知らない」発言はますます僕の心臓の脈を速くさせた。

一階に降りていき
「みんなに聞いて調べておいてくれないか?」
と投げるとパパが「わかった」と受け取る。

一旦Tシャツの件は置いておく。

インドに来て以来食事は主にキャップ付きの「ペプシ」か「ミネラルウォーター」

他は全て「実験」をした上でお腹の調子、経過を診た後食べれる物を判断しなくてはならない。

食べ物に関して、
インド1日目は、
とにかく食べ物は絶対口にしない。
という意識だった。

そして
インド2日目は高級レストラン、もしくは袋入りなら食べる。

インド3日目は信用できるインド人が薦めたお店なら食べる。

このように徐々にではあるが僕の「食べ物への信用」のハードルが低くなってきた。

そして今まで人に対しても食べ物に対してもインドを全く信じていなかったが「信じてみようかな」という心境の変化があった。

両方ともここバラナシに来てからだ。

「今日はちょっとだけ新しい食べ物にチャレンジしよう。」

『信用がなかったものを信用するようになる』という心境変化は環境に適応する能力が働いたのかもしれない。

「ここインドで生きなくてはならない」という問題に直面した時こちらが一方的にインドを信じるしかない。
なぜなら何も分からないから。

どんなに騙されても信じるしかない。

もしインドの料理でお腹を下して

病院に担ぎ込まれ入院しても出されたものを信じて食べるしかない。

全く価値観や文化が違う所に放り込まれた時
人は人を信じなくては生きられないんだと実感する。

そこの国の人を信じる事でしか生きる方法がない事を目の当たりにする。

例えば考えが合わない奴が「インド」だとして、

「最初はお前の事嫌いだったけど今は〜だ。」みたいなのは最初受け入れられなかった行動、信じられない発言があっても一緒に団体生活をしていく(生きていく、信用し続ける)上でこちら側のその人に対する信用のキャパが増えて、こちらが譲歩して仲良くなることがある。

だめな奴の中にも信用が芽生える。

わたしは最近人と人が別れたり疎遠になる時は「お互いの信用がなくなった時、振られた側の何かの信頼がなくなって回復できる見込みがないと判断された状態」だと思っている。

だから信用がない初めましての時期はすぐに「あれが嫌」だけで別れがくる。

逆に積み上げて来たお互いの信用はなかなか崩れない。

また新しい人と関係を築くのは信用を重ねるしかない。

わたしは日本の国の価値観を信用してきて

インドという異国で衝突して何度も腹が立って別れたかった。

ただわたしはインドでは何も知らない弱い立場で、
あと3日目間別れられないし付き合っていかなくてはならない。

わたしが重ねてきたインドへの信用(これだったらインドでも大丈夫という)の範囲内で行動しなくてはいけないし、
インドに対する信用を築く為に僕の方がリスクを背負って、冒険して、新しいアプローチをしないといけない。

それが「今日はちょっと新しい物を食べてみよう。」なのだと思う。

もし腹を下してもそれは多分階段を4段飛ばしぐらいで積み上げようとした結果で、
1歩づつ慣れないといけない。
インド人がよく口にする蝿が舞った料理を食べてもお腹が痛くならなくなるにはインド料理という階段のかなり上の方まで信用を積み上げた結果なのだろう。

今日は移動しない。
という事もインドに来て初めてだ。
今までなにかと時間に急かされていたがホテルも決まっているしじっくりバラナシと向き合える。

「どうしようかな。」

わたしはリュックをホテルの部屋に置いていくべきか否か考える。
従業員が勝手に入ってバックの中をあさらないかな。
こういう危ないことがインドでは考えられる。

もし持ち物がなくなって
「部屋にあった〜が無くなってる!」と騒いでも「知らない。」で終わるだろうし警察にも「管理してなかったお前が悪い」と言われて終わりだろう。

ただずっとリュックサックを背負ってるのもホテルに滞在している意味がない。
わたしはポシェットだけを腰に巻いて軽装で出歩くことにした。

そして出先で万が一身ぐるみを剥がされ、
無一文になった時の為
リュックサックのちょっと探しただけじゃ分からない場所にトラベラーズチェックと日本円とクレジットカード。
そのリュックサック自体をベッドの下に、
そしてさらに見にくい所に隠す。

途中「わたしは何やってるんだろう」と思うぐらい誰かの為に防犯をした。

引き続きウンコ臭い道を通り
ガイドブックに載っている美味しいと評判のお店「ケサリ」に向かう。

ダシャーシュワメードロードから少し入った所にある。
老舗のベジタリアンレストランらしい。
途中ティーポイントカードに似たお店。

バラナシのホームセンター

バラナシのホームセンター


「お客さんが来ないから寝る」のか「寝てるからお客さんが来ない」のか。
店番するインド人

店番するインド人


とにかくインド人は布団を掛けないで寝るのが大好きだ。

写真が大好きなインドの子供。

バイクに乗るインドの少年

バイクに乗るインドの少年


これはかわいい。

「ケサリ」に着いた。
え?ここが美味しいの?って思うぐらい清潔感なくて看板を確認してしまう。

従業員が「またガイドブック見てきた日本人が来たぞ!」みたいなニヤニヤした顔で出迎える。
分かりやすい表情をする奴らだ。
こっちは言葉が通じない分表情を読むことをする。
それに気付いていないのかな。

相手の待ってました!に応えるにはちょっと癪だったけど、「しょうがない他に裏取れている所ないし」という思いで入る。

写真もない、
何が書いてあるか分からないメニュー表に戸惑っていたら店員が「今はランチメニューは終わってこれならある。」みたいな事を言ってるので「それにする」と告げる。

「何とかタリー」を食べる。

バラナシのカレー

バラナシのカレー


斜め右のボックス席ではインド人の家族がタリーを器用に右手だけで食べている。
彼らは蝿が来ても決して払おうとしない。

写真の奴。
味は全く美味しくなく
揚げパンの皮、油っこい部分に全くスパイスが効いていないカレーを付けて食べている感じ。

ちぎって、乗せて、つけて放り込むが上手くできなくてえらい苦労した割には
全く満足できない。

「びっくりドンキーのハンバーグ食べたい。」

会計の際また最初言ってた値段と違う。
「彼は最初『80ルピー』と言った。」と伝えたらおっさんは従業員と話して渋々値段を変えた。
このやり取りはこの国にいる限り、
わたしが顔を整形してインド人にならない限りずーっと繰り返されるのだろう。

「あ、そうだ!」

インドに来て以来今までわたしは歯磨きをしていない。

ホテルにあるものだと思ってたしすぐに買えるものだと思っていた。

そういえば石鹸も買わなければいけない。

インドでは歯みがき粉と歯ブラシを買うのに2時間掛かる。

2時間。

コンビニという全ての生活用品が一堂に会してる所がなく全て専門的なお店だ。

なので歩き回って、

聞きまくってようやく買ったお店はインド人も敬遠しそうな汚いお店。

何百年ぶりのお客さんに驚いたのか幸せそうな顔をしていた。

わたしもわたしでやっと買えた歯ブラシに満足して店の人と握手をしたぐらい買うのに苦労した。

大人2人が歯ブラシを買えてよかったという握手。

二人ガッチリ交わす。

何してんだろ。

それらはポシェットに入らないので暫く手に持って歩いていたらインド人が好奇の目で見ていた。

歯磨き粉

歯磨き粉


子供が近づいて来たので
「これかい?これは歯ブラシと歯みがき粉さ、」
と説明すると
笑いながらどっか行ってしまった。

確かに
わたしも日本のどこかの田舎道で外国人が前から歯ブラシと歯みがき粉だけ手に持ってぐんぐん歩いていたら笑う。

そしてその外人が
「これかい?これは歯ブラシと歯みがき粉さ、」と聞いてないのに説明してきたら急いで逃げるだろう。

わたしは歯ブラシと歯みがき粉を焼けた左手に持ちぐんぐん歩く。

これからインドの民族衣装「サリー」を買わなくてはいけない。

次へ

ホテル「レジェンド」
インドの電車は遅れる。

それも10分とかではない。
2時間〜4時間、場合によっては8時間遅れる。

わたしは全日程の鉄道の予約を日本で済ませればよかったと後悔していた。

日本でインドの鉄道会社の予約サイトにアクセスすると重くてどうしてもE-チケットを取る事が出来ない。(『Eチケット』※サイトを印刷すれば現地でチケットになる物。)

なので現地で電車予約をする事になった。

「電車を予約する」というと日本人は「ん?」と疑問に思うだろう。
日本では券売機でさくっと切符を買って多少混むし見送るときもある。ただその日電車に乗れない事はない。

インドでは違う。電車を予め予約しないと乗れない。

電車で移動したいのに席が満席になるとその日移動できない。

わたしは3日目の朝に「ガンジス川」がある『VARANASI』バラナシという街に着く計画をしていた。

なので2日目の夕方に寝台列車でデリーから15時間掛けて移動したかった。

hotelに着いて
一呼吸おいて
フロントで
「電車の予約は出来ないか?」と尋ねる。

ニューデリー1830分発
バラナシ7時30着
「2560 shiv Ganga Exp」

ホテルマン7人が固まって「こいつをどうにかしてやろう」とにやにや笑っている。
周りを囲まれる。

わたしは怖かったが怯んだらつけこまれると思い平静を保って堂々と立つことにした。

馬鹿にしている顔つきは世界共通だ。
その中で英語ができる奴が笑いながら「ない。」と言う。

「前日に明日の夕方発寝台列車の予約を取るのは無理なのかなぁ、ニューデリーで2泊するのか、」
と思っていたら

一人が「こっちにこい」と促す。

フロントのすぐ隣の奥ばったところの『トラベラーズツアー』と書いてある薄暗いちょっとした勉強机に座ると、
「旅は何日間なんだ?」
「日本人か?」
と聞かれる。

わたしは立ちながら
「関係あるのか?」
と尋ねると
「まぁ座りなさい」
と促す。

わたしは「座ったら最後だ」と。
ホテルに高額なツアーを組まされて金を巻き上げられる。

噂で何度も聞いていた。

わたしが「立ちながらでいい」と言うと向こうは

「その電車の予約は取れる」とさっきと違う事をいいます。
「いくらで?」
「1500ルピーだ」

わたしはこの値段は「怪しい」となんとなく感じ

「インターネットはあるか?」
「ある」
「エクストラチャージ?」「ノー」
のやりとりをして

すぐ脇にあったインターネットでインドの鉄道予約サイトにアクセスして
わたしが今提示した乗りたい列車、
今こいつが言った値段が適正か調べてみる。

500ルピー、

日本円で1000円の手数料が発生している事に気づいた。

ここでの500ルピーは現地の感覚で1日働いた収入ぐらいだ。

その時のわたしまだ日本の金銭感覚で向き合ってたので1000円で予約の手間が省けるならいいかもと思ったが、

手数料が500?かなりふんだくってるな。と感じ、

「インドで絶対騙されたくない!」
「絶対腹をくださない!」という強い意志があったわたしは

そもそもさっき
「列車はない」と言ったのに「ある」になり
「巻き上げ」に走るホテルマンに腹が立ち
そこから何を言われようが「I don’t speak English」を連呼して

「だめだ、こいつは言葉が通じない」
と向こうがお手上げになるまで演じる。
こうしてわたしはツアーに強制加入される事避けられた。
ホテル「LEGEMD」

日本人はその場の空気を悪くしたくない。という考えがある。なのでどうしたいんだ!という判断を迫られる時一瞬躊躇する。
でも考えなくちゃいけないのは「この旅は誰の旅」かという事だ。
自分の旅だ。
ちょっとでも違和感を感じたらどんなことでも曲げない事だと。

ただ自分の旅と言うからには責任がある。

自分の事は自分でしなくてはいけない。という事だ。

部屋に戻りテレビで何を言ってるか分からないCMを観ながら
「自分で直接ニューデリー駅の『外国人予約オフィス』に行けばもしかしたら発券してくれるかも」という考えにいたった。

(外国人専用チケットオフィス。直接インド鉄道チケットが買えるオフィス。インド人は入れない為並ばないで買える。)

わたしは朝5時にホテルをチェックアウトをし
全く街灯もない日も上がっていない暗いニューデリーの街を予約オフィスが開く朝8時までの3時間散歩も兼ねて歩く事にするのだった。

次へ

暑いから起きた。

どうやらまた停電になっているみたいだ。

時計は朝10時を指している。
寝覚めは良くはないが体はもうこれ以上の休息は望んでいない感じだ。

腹を下さなかったことから判断すると昨日食べたイーバカフェの全ての食材は「大丈夫だった。」ということだ。

ベランダから下の階のベランダを見る。

「あれ?なくなってる!代わりに椅子が置いてある!」

わたしは何が起きたか理解に努める。

話はさかのぼって昨日サッカーを観る前。

Tシャツとパンツとバスタオルをベランダの手摺に掛けて干しておいた。

わたしはサッカーが終わると「もう乾いただろう。」とそれを回収しに自分の部屋のベランダへ。
「あ!」
なくなっている。
すぐ下を見る。

暗くて分からない。

風で飛ばされた?

干す時ビチャビチャで干しておいたから手摺によくくっついていたが

サラサラに乾いたTシャツはそのまま飛んでいったのだろう。

運良くパンツとバスタオルはベランダ側に落ちている。

先程インドで初めて充実した時間を過ごした矢先だったので僕は妙にプラス思考になり
「これはこういう事かもしれない。」と哲学する。

「成田から昨日までの3日間、ずーと同じTシャツを着てきた。
そして昨日までわたしはインドでかなりの辛酸を嘗めてきた。
しかし先程3日目にして初めて幸福を感じた。
そしたらTシャツが無くなった。

『昨日までのインド=昨日まで着ていたTシャツ』
だとしたら、

無くなった事は
「昨日までのインドをもう忘れろ!」と表しているのかもしれない。

そのように解釈した。

ただ次の瞬間
「俺シャツ2枚しか持ってきてないし!やっぱ困るわ!」と我に返った。

わたしは部屋を飛び出し、
階段を2段飛ばしで降りていった。

何が昨日までのインドだ!Tシャツなくなったら今日からのインドどうするんだ!

ホテルに庭はなく
もしわたしのベランダからボールを下に落としたら落下地点はゴミ置き場だ。

ただ無くしたのはボールではなくTシャツで、
飛んでいっても半径10mだろう。

一番最悪なイメージは
落ちている「黄色いTシャツ」をインド人が「あらこれちょっといいわね。」と取っていっちゃうパターン。

売っちゃったりするかもしれない。

ただ辺りは真っ暗だしすぐには落ちている事も気付かないだろう。
僕はそんな事を想定しながら真っ暗なホテル周辺を「あれー?ないなぁ、」とうろうろしてた。

周りのインド人にしてみれば「こんな時間に何やってんだこいつ。」だっただろう。

わたしはこういうとき英語でなんて言うんだろう。
必死に文章を組み立てて「どうした?」と心配そうに追ってきたパパに伝えた。
「アイロストマイシャツ。」までは伝わったが、

手摺に干していたから風で飛んでいった。
が言えなくて
とにかく「Tシャツイズフライング」を連呼する羽目になった。

パパにしてみれば
「Tシャツは飛んでる?ん?飛んでる??ん?ここら辺を?ぐるぐる?Tシャツが勝手に?」
だっただろう。

「もう暗いから明日にするよありがとう。」

探してくれたパパに伝えた。
明日探せばいい。

寝よ。

「このホテルはなんで石鹸を置いてないんだ!」と思い、
腹いせにツインのベッドを斜めに、
両方使って寝てやった。

アラームが5時に鳴る。
ボートの時間だ。

過去の自分に叩き起こされ、
目も開けられない状態で
ベランダに出る。

初めての朝ガンジス。
えーと、写メ、写メ。
携帯、携帯。
あった。
はい。

バラナシのガンジス川

バラナシのガンジス川


えーと、Tシャツはどこかな、
あるかな?
ベランダの下を確認してみる。

「あった!」

黄色いTシャツは下の階のベランダに3ヶ月ぐらい前からあるような顔をして落ちていた。

「後で『下の階のベランダに落ちていた』とフロントに伝えよう。

ボートはどうしよう、
まっいっか。
今日じゃなくても。

ちょっと寝足りない。
「もうちょっとだけ寝させて。」
起きしなの太陽に許しをもらってベッドに沈む。

「Tシャツあってよかったよかった・・・」

それからわたしは何時間後に「暑いから」起きた。

どうやらまた停電になっているみたいだ。

時計は朝10時を指している。
寝覚めは良くはないが体はもうこれ以上の休息は望んでいない感じだ。

腹を下さなかったことから判断すると昨日食べたイーバカフェの全ての食材は「大丈夫だった。」ということだ。

ベランダから下の階のベランダを見る。

「あれ?なくなってる!代わりに椅子が置いてある!」

わたしはフロントが見つけてくれて預かっているのかと思ったが聞いたら
「あったのか?知らない」という。

「え!!??」

次へ

バラナシのホテル

バラナシのホテル

バラナシのホテルで見た2010W杯

バラナシのホテルで見た2010W杯

わたしは「このまま1時間停電してたら後半まるまる見れないな。」と思いながら
レストランの窓を開けてここから見える景色を眺めている。

冷静に考えたら比べる物ではないがこの夜景だけ切り取ったら「成田山から見た街並み」や「横浜馬車道の夜景が見える丘公園」「隅田川花火大会」の方が綺麗だな。と思ってしまった。

バラナシには1日にかなりの数の停電がある。
今また停電したところだ。

ホテルの最上階のレストランから夜のガンジス川を眺める。

向こうの方で光っているのは『プージャー』(夜行われるガンガーへの礼拝)だろう。
「18時くらいになるとここら辺で儀式が始まる。」cokeを飲んでいたら出会ったホテルの少年が言ってた奴だ。

もやっとした暑さ。
停電が続いているともちろん施設内は暑いのだがこうやって窓を開けて顔を出していると涼しい。

わたしはイーバカフェを出た後ホテルに戻り、
唯一ホテル内でテレビがある場所、
5階の今は営業していないレストランで
オーナーの友人のインド人とここのホテルの従業員の3人で日本VSパラグアイを見ていた。

こいつら、
センタリング上がっただけで「ウォー!イェー!」
ゴールが入らないと
「あ゛ー!」
でもまぁ今のはナイスプレーだったと思うと
「ホンダイズグッドプレイヤー!」
わたしも
「Yaeh、ホンダイスグッドプレイヤー。」
と調子を合わせる。

すると「ワーオー!」

どうした?と思って画面を観たら遠藤が痛がってる。
インド人が遠藤を心配してる。

緑色の画面で音が流れない14インチのテレビで日本代表のW杯。

この旅は出発1ヶ月前から日本の出発日を決めた。

当然まだ開催前のW杯の日程とにらめっこして日本戦と被らない1週間を予定して決めた。

まさか決勝トーナメントに行けると思わなかったから今週にした。

そしてデンマークに勝利した時インドでは当然「観れないだろうと」と諦めていた。

日本ではテレビのチャンネルは10個ぐらい?新聞に乗ってるぐらいしかないが、
インドのテレビチャンネルはわたしが知る所で50以上あった。(「何個あるんだろう」と思い1チャンから押していったら50以上あり「もういいわ!」としびれを切らし調べるのを止めた。)

そのなかで『ESPN』という局がずっとワールドカップを放映している。

わたしはそれをニューデリーのホテルで確認すると夜は時間があれば観ていた。

家で消したくない番組を消去してHDDに何試合分予約してきたかしれないが、
「なんだ、観れるんだ、」と安心した。

このESPNのスタジオの司会をしている女性キャスターがかなりのグラマーな女性で「ヘイ!ホワッイズハーネーム?」と隣に聞いたら
オーナーの友達のおっさんは「分からない」とそっけない。

右手にいるホテルの従業員の少年に聞いてみたら「分からない。」と同様の答え。

なんだ興味ないのか、と思ったら
インド人はこーゆう女性興味ないのかなぁと思っていたら

少年がテレビに向かって
小刻みに6回、最後に長〜いのを1回の投げキッスをした。

めちゃくちゃ興味あるじゃん!
性に溺れてるじゃん!

その後照れたのか椅子をバタンバタンしながら笑ってた。

いやいや何が面白いんだよ!
しかも投げキッスって。

インドの人は性欲を抑えられているのかもしれない。
インドのテレビCMを見ていると綺麗な女性が突然目の前に現れて、
見とれて、
あ!この商品を買えばいいんだ!と考え、
買ったらあの綺麗な女性が寄ってきて恋人になる、
みたいなCMが多い。

今この少年がやった「投げキッス」は日本では見られない。
日本ではFC東京の平山しかやらない。
彼は投げキッスをして「気持ち悪いからやめろ」と世間に怒られてた。
大変貴重な投げキッスを見た。

岡崎がヘッドをして外したとき2人のインド人が
「サータクリナータ!サータクリナータ!」
と叫んでた。
なんて言ってるか分からない。
この瞬間はさすがに「帰りたい。」と思った。

あと、違う話だが、
パラグアイの監督はかなり怒っていた。

わたしが「ヒーイズベリーアングリー、ベリーアングリー」と言ったあと画面に岡田監督が映る「クール、ヒーイズクール。」と言った。

またパラグアイ監督が映る「ベリベリベーリーアングリー!」
と教えてあげると2人はゲラゲラ笑った。

以後、パラグアイの監督が映った瞬間「ヒーイズベリーアングリー!」と言ったら絶対笑うのでインド人が飽きるまで繰り返すゲームをした。

ホンダが大好きみたいで誰かが倒れると
おっさんが「ホンダ?(ホンダが倒れたのか?)」と心配していたが
実際は大久保で、
わたしが「ノーホンダ!」と伝える「セーフホンダ?」
と聞いてくるので
「ディスイズオークボ!」「ノーホンダ!」
と言う。
「オーケーオーケー!」と安心する。

オーケーじゃないだろ!
大久保痛がってるじゃねーか!
なんで大久保が怪我したら「オーケーオーケー!」なんだよ!

そしてそんな事してるとテレビの画面が岡田監督の心配そうな表現を映す。

わたしはすかさず「ヒーイズクール!」

そしてお約束なのか、
次に画面はパラグアイ監督を映す。
わたしは間髪いれず「ヒーイズベリベリベーリーアーーーングリー!」

インド人ゲラゲラ笑ってる。
こいつら言い方か?
あー面白い。

こーゆーのもあった。
インド人に日本の代表選手の名前を紹介する。

画面が松井を映す。
「ディスイズ、マツイ!」インド人頷く。

画面が遠藤を映す。
「ディスイズ、エンドウ!」
インド人頷く。

画面がパラグアイ選手を映す。
「アイドンノー!」

インド人が「そりゃそうだ!」みたいに笑う。

そして思いがけずパラグアイの監督が映る。
「ヒーイズベリベリベーリーアーーーングリー!」

ゲラゲラ笑う。

笑い過ぎて腸が絡まって明日からカレー食べれなくかもしれない!とこちらが心配するぐらい笑ってた。

そして前半が終わったら停電した。
「あ!」

わたしが今もし日本にいて、
例えば日本戦を観てる最中テレビが故障したとしたら
わたしはどうにかしてテレビの観れる場所までバイクを飛ばすだろう。

わたしは「あ。」と思ったが、意外とすんなり停電を受け入れ「まぁいっか。」と断念できた。

これもインドだ。

「これ1時間停電したら後半まるまる見れないな。」と思いながらレストランの窓を開けてここから見える景色を眺めてみた。

向こうでプージャーがやってる。
冷静に考えたら比べる物ではないがこの夜景は「成田山から見た街並み」や「横浜馬車道の夜景が見える丘公園」「隅田川花火大会」の方が綺麗だな。と思ってしまった。

向こうの方で真っ暗の中宗教の音楽が外で流れている。
夕方見た火葬場はまた黒い煙を吐いている。

本当にずーっと焼いてるんだな。
あそこでまた泣いている人がいる。

大人達が叫ぶ声が下から聞こえる。
辺りが見えないから声が大きくなっているのか、
もしくはもとからそういう人なのかもしれない。

ガイドブックに載っていた。
インドに持って行く持ち物に「懐中電灯」がある。
わたしは持ってこなかったが
「こういうことね。」
下の通りで小さい丸い光が辺りを走ってる。

モンキーが屋根と屋根を行き来してる。

停電してから数十分経った。

目が「暗順応」になってきた。

「ホンダ好きのおっさん」と投げ「キッス少年」が一旦どこか行ってしまった。
真っ暗なレストランに僕一人だ。

この停電はこれまでのインドの旅を思うのに十分な時間を与えてくれた。

騙されて騙されて来たけどそれでも旅をしなくちゃいけない。
誰かに助けてもらわないと旅ができない。
「インド人を嫌いにならないで?いい人もいるから。」となだめた少年。

さっきサッカーを一緒に観ていた「ホンダおっさん」は日本人の僕より悔しがったり興奮していた。

そしてゲラゲラ笑い
お前は「クリケットをやるか?」とインドの国民スポーツの話題をしてきた。

もしわたしが「やる。」と答えたらさらにおっさんは興奮してただろう。

おっさんは「ここに何日いるんだ?」と聞いてきた。
僕は分からない。まだ決めていない。と伝えた。

ひょっとしたら帰ってほしくないのかな?
と思った。

ガンジス川の目の前で、
外はプージャーの金物を鳴らす音が響き、
インド人2人に挟まれて日本代表の決勝トーナメントを観ることができる。

わたしはこの時
この旅始まって以来感じることなかった幸福感を覚えた。
もし僕が明日日本に帰る事になってもこの旅は「成功」だったし「幸せだった」と思える。

今まだ停電している。
この「停電」はインド国民全体の「一服の時間」のような気がする。

人々が停電で慌てている事はなく、
一回それまで考えていた思考をシャットアウトして想いにふける時間のような気がする。

まぁわたしはタバコ吸ったことないから分からないけど。

この時
わたしはガンジス川を見ながら何回「インドに来てよかった。」
「幸せな時間だなぁ。」と思ったのか分からない。

多分それは現地の人と「心が通った」からだ。

わたしはこの時「旅」ってなんだろう。と思い自分なりに考えてみた。

有名な建物を見たり美味しい伝統料理を味わう。

あーなるほどね。と文化の違いに頷く。

わたしの場合、今のところそれで感動はしていない。

初見のガンジス川も「川がやせてるなー!」
と思ったぐらいだ。

わたしは「見るのが旅ではない心が通うのが旅だ」
と思う。

現地の人の心を感じて自分の心を現地の人が感じてくれた時
全く宗教も言葉も違う国の人と暖かい気持ちが生まれる。
これは「ガンジス川を見た」という事実より感動することが分かった。

停電が終わると日本戦はPK戦になっていた。

わたしは日本が外しても入ってもどっちでもよかった。

多分それはインドにいる事でかなり日本との「距離」があったからだ。

わたしは今インドにいるので重要ではなかった。

わたしは日本がPKを外したとき全く悔しくなかったが
両サイドのインド人は僕にこーやってほしいんだろう思い
わたしはあえてオーバーリアクションで「あー!」といい椅子から落ち、頭を抱えてうずくまった。
両サイドは「この日本人!頭かかえてるよ!あははは!」みたいな事を言い合ってたと思う。

笑っていた。

その時は笑っていたけど本当に試合が負けた時は
両サイドのインド人はどうしていいかわからなかったのか
声のトーンが一気に下がり残念そうな表情をしてた。
わたしはこの空気は俺次第だなと感じると「グッドゲーム!」を明るく繰り返した。

向こうも「グッドゲーム」と明るく努めた。

この楽しかった空気を壊したくない。大事にしたいと思ってとった3人の行動だった。

心が確かに通っている。

画面に「カミングスーン、スペインVSポルトガル」と表示されると
「また12時にレストランに来るだろ?一緒に観るだろ?」と誘ってくれた。

わたしは当然だよ!
と言うと部屋に一回帰ってシャワーを浴びた。

さて「サッカーも観終わったし、オーナーとプランを立てるか!」とフロントに行く。
何かいい案を考えてくれてるかな?
取れるチケット見つけてくれるかな?
と思っていたら
フロントの人に

「オーナーはもう寝たよ」と言われた。

全然心が通ってないじゃん!
寝るかね!普通!
あいつが食事してサッカー見たら考えようって仰って!
寝るかね!
いい夢見れるのかね!

わたしは明日は移動しないで

1日バラナシを回ってまたこのホテルに泊まる事にした。

次へ

ホテル『サンモニー』
に決めたのは「ガンジス川はよく見える」「プラグ変換器がある」「テレビがある」「列車の予約ができる」というのを満たしたからだった。
サンモニーはハリスチャンドラガート内の一番ガンジス川に近いホテルだ。

部屋から見えるガンジス川。

ホテルから望めるガンジス

ホテルから望めるガンジス

値段はガイドブックにはシングル1泊8〜15ルピーと載っていた。
日本円で30円。
オーナーが示した金額は500ルピー。
1000円。

わたしはこの『ツーリスト価格』を別に揉める事もなく受け入れた。

「1000円で眺めが最高でサービスがいい所に泊まれるなら、」という日本の金銭感覚が残っていたためだ。
これからわたしがまずやるべき事はインド人ともめる事じゃない。
少なくなった携帯電話を海外用のプラグで充電して、

お風呂に入る。
そしてオーナーに列車の予約をしてもらう。
夜は日本代表VSパラグアイ。
テレビで観戦したあとはゆっくり休もう。
ずっと歩きっぱなしだ。
そして明日の朝ガンジス川に行き日の出の時間にボートに乗ろう。

部屋にあるお風呂に入る。インド最初のホテル「レジェンド」で入って以来だ。
僕は荷物を極力減らすため着替えは今着ているの合わせてTシャツ2枚とパンツ2枚。ズボンは今はいている奴のみ。
こっちで洗って干せばいいと思った。
ここ2日間の汗と砂が染み込んだTシャツとズボンを脱ぐ。
シャワーを浴びようとひねると最初は何やら水が汚れてた。
多分ガンジス川の水が混ざっていたのかもしれない。わたしは思わぬ所で「沐浴」をした。
シャワーをしていて気づいたが石鹸もシャンプーもない。
インドに来て買おうと思っててすっかり忘れてた。
今日は仕方ない。
水で流すだけた。
髭も延びてきた。
この旅行で剃るつもりはない。

出たらバスタオルとTシャツをベランダに干して新しいシャツとパンツに着替える。
「あーすっきりした、」
部屋のベッドにどっぷり大の字になりシーリングファンを眺める。

目の錯覚で眉間に皺を寄せるぐらい睨んでいるとシーリングファンのプロペラ一枚一枚がくっきり見えた。

もう夕方だ。
日本は夜19時間のはずだ。

携帯の画面にインドの時間と日本の時間が表示される。
せっかくインドにいて日本の時間は「常に」表示しないでいいよ、と思った。
時差は−3h30m。
計算できるし。
どう設定しても消えない。
これから夜20時のサッカーまでに
列車の予約。
飯。
を済ませよう。

わたしはミネラルウォーターを飲み干すと部屋をロックする南京錠に四苦八苦し、やっとのおもいで鍵が掛かると階段をおりていった。

オーナーはどこかインド人っぽくない顔をしている。
事務所にネパールのポスターがやたら貼ってあったのでひょっとしたら「ネパール人?」と聞くと。
ただ「ネパールにしょっちゅう行く」だけらしい。

事務所机には日本人が撮ったプリクラがディスプレイしてあった、

「イズデイスジャパニーズ?」
「イェー」

他には日本人女性のの履歴証用の「証明写真」もあった。
その女性と一緒に仕事をしたのかスナップ写真もある。

日本人と交流がある所からして騙したりはしないだろう、思う。

四ッ谷に店があるニューデリーのレストランに入った時オーナーは頼んでもいない美味しい料理をどんどん無料で運んできた。

このように分かりやすい親日家はいる。

ここのオーナーもそうじゃないか?
じゃないと日本人がオーナーと一緒に写真を撮らないし思い出にプリクラを置いていかない。
そしてここのオーナーはそれを大切にこのようにディスプレイしている。

ガイドブックにここのオーナーは頼まれた事はしっかりやる。と口コミがあった事も信頼を寄せた理由だ。

ここのホテルの人とはうまくやっていかないといけない。

列車の予約とスケジュール相談はこの旅の後半を大きく左右する。

わたしのこれからの希望のスケジュールは
明日6/30夕方〜アーグラに10時間近く掛けて列車移動する。
夜アーグラ泊。

7/1。
タージ・マハルを夕方まで見学してリシュケーシュへ。

「リシュケーシュ」はヨガ発祥の地。
かつてはビートルズも訪れて本場のヨガを体験したという。

7/1はリシュケーシュ泊。

7/2はリシュケーシュに滞在、そのまま泊まる。

7/3は夜までにニューデリーに戻り同日20時の便で帰国する。

これは可能か?とオーナーに聞くと「やってみる」という。

事務所のインターネットで列車の予約をしている。

オーナーはたまに画面に向かって「シット!」と罵声を浴びせてる。

「どうしたんだ?」と聞くと「お前が乗りたい列車がもう予約で埋まってる。明日夕方からアーグラに行きたいと言ったが、
アーグラに行く列車は朝8時にバラナシを出ないといけない。それしかない。」
という。

「明日朝8時?!ガンジス川のボートが朝5時からだから・・・いや、ちょっと厳しいなぁ、」

わたしはどうしようか迷った上「国内線はどうだ?」と聞いてみた。

ニューデリーからアーグラまで列車で3時間だ。

ニューデリーからバラナシまで列車で15時間掛かった。その日は夕方から1日潰れた。

わたしは折角のインド滅多にこれないインドで時間を大事にしたいと思い、
バラナシ空港からニューデリーのガンジー国際空港まで飛行機で帰りニューデリーからアーグラまで列車で行こうと考えた。

列車では15時間掛かる所、バラナシからニューデリーまで飛行機で1時間半。

「国内線を予約できるか?」と尋ねると「ジャスウェイト」と言い調べ始めた。

キングフィッシャー社のエアラインが16時バラナシからある。
席は残り僅か。
値段は7500ルピー。
大体1万5千円。

15000円か、、、。

わたしは一回冷静になって何が一番大事か考えてみた。
わたしが本当にしたい事。

「タージ・マハルは絶対見たい。」わたしがしたいことは考えてみたらそれだけだ。

「シット!」
オーナーが叫ぶ。
「どうした?」と聞くと
「明日は仮に飛行機でニューデリーに着いたとしてもその日中にアーグラは行けない。列車に空きがない。」

なのでニューデリーに泊まることになり、
朝イチでアーグラに行くことになる。

それだと話は別だ。結局バラナシから列車で15時間かけてまた戻るのと一緒だ。

確実に今日の夜アーグラに着かないと国内線を乗る意味が無い。

試行錯誤したスケジュール。

スケジュール

スケジュール


ニューデリーだけはもう勘弁だった。
あそこには極力いたくない。

あの環境の悪さ。
悪い奴の多さ。
イメージが悪い。

一回考えて、落ち着こう。

わたしは「ちょっとご飯食べてくる。」というと
オーナーは「よし!ご飯食べてフットボールを見終わったらまた考えよう!」と提案してくれた。

ここのオーナーは自分のスケジュールに添えないとPC画面に向かって「シット!」と罵声を浴びせてくれる。

わたしの意に沿いたい一心で気持ちが入っている。

「インド人を嫌いにならないで?インド人でもいい人はいるから。」

と少年に言われたが、本当に目の前にいい人がいた。

喉渇いていないか?コーク飲むか?

お金はいいよ!

わたしは夜また練り直すことにした。

「この辺に美味しい日本食はあるか?」とオーナーの親父っぽい巨漢に聞くと「『イーバカフェ』がすぐそこにある。」と教えてくれた。

日本人がバラナシに来たら多分通うお店だ。

道路に「イーバカフェはこちら!」と日本語で書かれている垂れ幕があるくらいだ。

インド7日間の旅だとしたらバラナシに来る日本人はカルカタから入国しない限りニューデリー〜アーグラ〜バラナシの順で来る。
その場合バラナシでは旅も終盤に差し掛かる。
そして終盤には日本食が恋しくなる。
わたしは違ったルートニューデリー〜バラナシの順で来た。
旅は終盤ではない。
中盤だ。
だが日本食は恋しい。
わたしは最初から日本食が恋しい。
インドのカレー、「タリー」なんて食べたくもない。
インドの食事は食べたくもない。
蠅がたかって、洗ってない食器で煮込んで、何触っているか分からない手で、
埃まみれの場所で、
ウンコの匂いしかしない道路の近くで、

美味しいインドの料理を食べるにはそれなりにお金を払わないと食べれない事が分かった。

ただそれでも怖い。
腹を下して残りの3日は病院で寝込む。
これだけは避けなくてはいけない。

わたしは日本食を食べたい。
インド料理は食べないでいい。

話は変わるがバラナシは1日6回ぐらい停電する。
もっとかもしれない。

ただでさえ街頭がない地区で停電が起こると何も見えない。
夜は真っ暗になる。
しかも暑い。
エアコンは停まるしファンも止まる。
真っ暗。
インド人は毎日の事だから慌てない。

これには考えさせられる。
しかも停電が5〜10分とかではない。
40分〜1時間以上も戻らない事もある。

最低でも40分は復旧しない。

話しは戻って、

わたしは日本食のお店イーバカフェに向かった。
ここら辺なんだけどなー、おかしいなぁ、
見逃したかな、
3つめを右だろ?
これはちょっと行きすぎてるよな、
この地図だとこんな歩く距離じゃないもんな、
などと迷っていたら
8歳ぐらいのガリガリで上半身裸の子供が(珍しくはないが、)
「イーバカフェだろ?あっちだよ?」と教えてくれる。
わたしは「センキュー」と別れを告げると子供は離れない。

「連れて行ってやる!」と何かが化けた親切心を見せてくる。
わたしは「自分で見つけられる」というと「こっちだよ!」と勝手にエスコートする。
ちょっと前の僕なら気にせず無視して違う道を行っていたが、
「まぁじゃぁ連れて行ってもらおうかな。」と楽な気持ちになる。

「ここを曲がって、、ほらあった。」
子供の目線の先、店頭には「ジャパニーズフード・イーバカフェ」とある。

わたしは「ありがとう」というと予め用意してあった2ルピー硬貨を渡した。

子供はありがとう!と言って去るだろうと予想してたら「少ない!」と言いやがった。

チップに少ないも何もあるか!気持ちだろこんなもの!
道を教えてくれた奴にあげるチップの相場なんて知らないし

少なかったかもしれないが俺にしてみれば「初めてのチップ」だぞ。

こっちはずいぶん前からポケットの中を漁って「あ、このお兄ちゃんチップくれるんだ!」ってバレないようにお金を確認して「着いたよ?」と同時にあげるという演出まで考えたのに「少ない!」はないだろ。

日本でちょっと道教えただけで「お金!」なんて言ったら削られるぞ?

その子供はあろう事か店まで入って来てチップを要求してきた。

店員に外に追い出されてた。

店内は薄暗くて低いソファーと低いテーブルがありゆったりと時間が流れている雰囲気があった。

日本人の女性2人組が入り口に、
ヨーロピアン?の女性3人組が奥に位置している。

日本人の女性は当たり前だが日本語で話していた。

わたしはちょっと恥ずかしくなった。
海外で日本人に会うと恥ずかしくなるのはわたしだけだろうか?

あんまり話したくない。

わたしはメニューを開くと
「マンゴーラッシー」と「ラーメン」と「鳥と茄子の揚げ出し」を頼んだ。

出てきたそれを見てわたしは「失敗したー!」と思った。
というのもこれ全部「生水使ってるじゃん!」と今にして気付いたからだ。

うわー、怖いなー、
ラッシー。
牛乳だしなー、

うわー、普通の味。
不味くないけど、
ラーメン、ちょっと美味しいな!日本の不味いラーメンより美味しいぞ、

バラナシの日本食堂ラーメン

バラナシの日本食堂ラーメン

なんだこれ?
ラーメンにキャベツの千切り?え?何これ、人参の千切り?
コールスロー?

煮玉子かぁ!これはあぶねーな!この玉子はインドを棒に振るぞ!

うわ!これ鳥と茄子の丼、どんぶりか!
うわ、なにこれ!まずい!
この米、くそまじー!
うわ、残そ!

ラッシー怖いなー!
ラーメンちょっと旨いなー。
なんでキャベツなんだよ!
ちょっと最後に食べてみよ、
うわー、やっぱ米まじーな!鳥なんか本当に怖いわ!絶対食べれないわ!

わたしはこんな事を思いながら残した言い訳を
「アイムソーリー、アイアムビジー、アイハブノータイム。ソーリー。」とお店の人に言いながら席を立った。

次へ

リクシャーが行き交うサナリプラロードを「ノー」と断りながら歩く。

牛使いが集団から遅れた牛を叩く。
あんなに思いっきり叩いているのに牛のお尻はでかい。
全く痛くなさそうだ。

これからハリスチャンドラガートに行きヒンドゥー式火葬を見物した後ホテルを探す。

そして明日から7日目までのスケジュールを立てなければならない。

インドを歩くのはただ暑いから疲れるのだけではない。
交通事情や勧誘、悪環境に体力を奪われる。

ましてや知らない街となると地図を見たり人に聞いたりして歩く。

喉が渇いたらジューススタンドを見つないといけない。

自動販売機がないインドではなかなかジュースは飲めないし
お釣りを騙すジューススタンドもいるのでこちらの目利きが必要だ。

ダーシュワーメイドガートで日本語が上手い少年と出会った。
なんでもかんでも話し掛けてきたインド人は防犯の為突っぱねていたが

今なら少しだけ受け入れる用意がある。
ほんの少しなら話を聞ける。
ニューデリーの時とは心持ちが違う。
インド人に対しての扱いに少し余裕を持てるようになった。

また断る時のバリエーションもただ強く言うだけじゃなく、

ホテルを紹介する奴に「オーケー覚えとく。覚えとく。」
と名刺は貰わないでも覚えとくから去ってくれパターンや
初見なのに「アイノーアイノー」の私は(君の店を)知ってるパターン。
今まで無視してた「ヘイジャポン!」に「ナマステー」と返すパターンもできた。
(これはたまに無視されたけど。)

乗らないか?と営業するリクシャーに何も言わず笑って首を振ると意外とあっさり去ってくれる。

リクシャーにぎゅうぎゅうで乗ってるインド人の「ハロージャポン」に「ノー。アイムコリアン」と
うそぶく。

「こっちもインド人を上手く利用してやろう。」と思うようになった。

歩いていたら
店頭を暖簾で閉めきって
いるお店があった。

このような商業施設付近ではない田舎の道路で暖簾は見たことがない。
暖簾は外の喧騒と悪環境を嫌がっているってことだ。

わたしはひょっとしたら「インドを受け入れていないのではないか?お店の人はインドが嫌いなのではないか?」と思い

「だとしたら一緒だ。」と思いそこで道を聞くことにした。

後々そこはインターネットカフェだった事に気付く。
奥の方にひとがいる。
「エクスキューズミー、パリスチャンドラガートはあとどのくらい?」

ガタイのいいおっさんが答える。
「歩いて2分、真っ直ぐ行って左だ。」
どうやらインド人ではなさそうだ。
わたしは砂漠には行ったことがないが「オアシス」に辿り着いた感覚でこの店のベンチに座っていた。

外に出ると猛暑と臭い匂い、
客引き、
排気ガス、
動物園の匂い、
砂埃のインド。

ちょっとしたジューススタンドがオアシスに感じられる。

ニューデリーの2日目に見つけたレストランとここのジューススタンドは「なんとか死なないで大丈夫だ」という保証がもらえる。

人が嘘つかない、値段が適性、腹を下す事がないからだ。

インドで1人で旅をしてこの3つの信頼がある一軒を見つける事がどんだけ難しいことか。

わたしは「あ、よかった。バラナシでも生きて行ける。」
と思ったぐらいだ。

わたしはすぐこの店がどこに立地しているかメモり、
写真を撮り、
マップにマーキングした。

道を聞くと一休みする事にした。
少年と別れて30分ぐらい歩いたと思う。
「オーケーサンキュー、cokeプリーズ」
インドに来てからcoke、ペプシ、ミネラルウォーターばかり飲んでる。

後々気付いたのだが「ペプシ」はインドのバラナシに工場を持っている。
今大企業の多くは中国の次は新興国インドに自社工場を持つ事を狙っているというのを聞いたことがある。

それは中国→インド→ブラジル→南アフリカの順らしい。

「7UP」というサイダーもインドでは主流。
あとあったのはマンゴージュース。
これは後々飲むことになるが美味しかった。
90円位で350mlペットボトル。
こっちでいうアップルジュースぐらいでっかい顔をして店頭に置かれている。

マンゴーは路上でも売ってるしとにかくマンゴーを目にする機会が多い。

りんごは目にしなかった。
停電が1日に6回ぐらい起こるバラナシは冷蔵保存出来ないものはすぐ傷むし、
売らないし、
好まないのだろう。

その証拠に路上で売ってるマンゴーは緑色の物が多い。
マンゴーはたとえ売れなくても日持ちがいいし、
日に当てると熟れてくるからインドの季候に丁度いいフルーツなのだろう。

おっさんが出てきて、
「何でハリスチャンドラなんかに行きたいんだ?」
と聞かれた。

「葬儀が見たいんだ。」
わたしはおっさんの発言の真意を探った。

「なぜ?」
前々から気になっていたのだろう。
外国人はみんなあそこにいく。
おっさんは理解に苦しむといった感じだ。

なぜ?と聞かれると困る。
率直に言うと死体を焼く所を見たいだけだ。

珍しいから。
日本では見れない風習だから。

多分それを言った所でまた「なぜ?」と聞かれてただろう。

お店のおっさんは不可解な顔をして店の奥に引っ込んだ。

わたしは「センキュー」を「長居しちゃってごめんね」という意味でおっさんに告げ、
最近見ないcoke瓶を所定の位置に入れると
暖簾をめくり表に出た。

店の名前。
『OM CYBER CAFE』
覚えておこう。
コーラの看板に、緑の暖簾。
よし覚えた。

相変わらずクラクションがうるさい。

出てすぐのクラクションの音はハリスチャンドラまでの「よーいドン」の合図だ。

おっさんが教えてくれた通りの道を歩き
緑色のマンゴーが並んでいるお店を左に曲がる。

急にでけぼこ道になり次の一歩を見つけながら歩く。

この辺り一帯は道というよりは「何かの敷地内」もしくは小さい「集落」のような場所だった。

今までの2つのガートとは性格が違うのが直ぐに分かる。
こっちは人が静かだ。

こちらが外国人でも「ちらっ」と見ることはするが決して深追いしない。

客引き行為もない。

火葬が行われているガートだからかもしれない。

薪を割っている小学1、2ぐらいの2人の子供がいる。

それを瓦礫の家の軒先から何やら言いながら眺めている7人ぐらいの大人がいる。

嘘だろ?と驚くぐらいの薪の量を頭の上に乗せてバランスよく運ぶ劇的に痩せたマッチョの少年。

路地裏で寝ている牛。

薪を割っている少年だが僕らが従来イメージにある薪割りじゃない。

デッカイ釘。
見たことないような1mぐらいの釘を木材の側面に差して子供が「どうにか」してる。

ジャパニーズ「斧でパッカーン」ではない。

「さけるチーズ」で例えると縦から割かないで横から割こうとしてる。

大変な方を選んでる気がする。

「斧が一本でもあればいいのになぁ。」

わたしはハリスチャンドラガートに着いた。

背中から何やら軽快な掛け声が聞こえる。

「あ。死体だ。」
直ぐにわかった。

木材で作られた担架に白い布でぐるぐる巻きにされた死体が僕と同世代ぐらいの男達6、7人によって運ばれてる。

叫んでいるのは「故人の名前」だろう。

同じ単語ばかりを合わせて叫んでいる。

「男性が亡くなったんだ。」
男性は白い布で、
女性はその姿を隠すようにペルシャ絨毯のような物を被されて運ばれてくる。

男達の先頭で導くのは多分宗教のお偉いさんなのだろう。
ターバンを頭に巻き右手には大量のお線香のような物を持ち煙で周囲を包みながら歩いていた。

これは多分、
死者の腐敗した匂いに蝿等がたからないようにする為だ。

担架の後ろから歩いているのは親族だろう。

何かを叫びながら泣いている女性。
泣いている女性の顔を自分の胸に落とし込むおばあさん。

後に続く人々。8人ぐらい連なっていた。

わたしは泣いている女性を見たらつらいんだろうなぁ、

俺もおばあちゃん亡くなった時辛かったもんなぁ、
一緒だよなぁ、
と思い出すとなんだかいたたまれなくなってきた。

全く関係ない子供が走りまくっていた。

列は細い道を通るとその先の階段を降りて下のちょっとした浜辺に向かう。

そこには人1人が横たわれる分の広さの薪が何段にも四角に作られていて炎が上がっていた。

それが距離を置いて2つ用意されていた。

わたしは列の最後が階段を降りてゆくと
生前にこの方にお世話になった訳でも
話をした事も、
顔も見たこともないのに
全くの部外者が申し訳ないと思いながら拝見する為に降りて行った。
わたし以外外国人はそのガートにいないけど「ここからはダメだ。」とも言われなかったのでわたしは「このインド人ただの傍観者だな。」と明らかに全く関係ないだろう人の隣で見学した。

さっきの女性がずっと泣いている。

インド人は死者になるとまた違うのに生まれ変わるという。
なので悪い事(業)をすると来世に差し支える。
罪を浄めてもらう為に、死んだ時にヒマーラヤに帰って行くことを願いガンジス側で沐浴をする。

担架がそこに到着したら女性が泣き崩れて死者に頬をあてる。

ジューススタンドのおっさんが「なぜそんな所に行きたいんだ?」と言ってのを思い出す。

確かにこれは沈痛な気持ちになる。

ここのガートのインド人は見慣れているはずなのにみんなこの様子を眺めている。

それもすごく静かに。

クラクションあんなに鳴らすのに。

前方右の岸辺には女性の死者だろう。
もう既に「先客」がいる。
担架のまま川に沈める為に石をそれにくくりつけて重りを作っている

前方左の方は今から女性の親族のとは別の死者が焼かれる為に準備がされている。
先客がいる。

インドの各方面から信者の死体が運ばれてくる。

何で運ばれてくるの?と聞いたらトラックだそうだ。
毎日火が消えることはないそうだ。

火葬が始まる様子を見てると
上半身裸の真っ黒の少年が近づいてくる。

売り子?と思っていたら
少年は「ここは自分達の仕事場だ写真は撮るなよ?」と注意してきた。

わたしは撮らないよ。というと少年は元の場所に戻っていった。

撮る外国人がいるのだろう。

左の方で死者が焼かれ
右の方で川に浮かばせているのを見たとき

わたしは「俺は何してるんだろう。ホテル探そう。」と我に返る。

あの死者に頬を擦り寄せながら号泣して

死者に顔を埋め過ぎておでこの中心にある「ティカ」が布に付いちゃったあの女性の最愛の夫が焼かれる所は見れない。

ヒンドゥーは「輪廻」「来世」「ガンガーに還る」など続きがあるみたいにいうが、
やっぱりヒンドゥーでも「死」は受け入れたくないんだと思った。

現世で生きたいんだと思った。

もしそうじゃないとあんなに悲しそうに静かに見守る人は多くないしあんなに泣かないのではないかと思った。

「写真撮るのか?」
さっきと違う子供がまた来た。
「帰るよ。」
というと

ネットカフェのおっさんが言ってた事をまた思い出した。
「何であんな所に行きたいんだ?」

これからわたしはガンガーの眺めがいいホテルを探しにいく。

次へ

バラナシで会った日本語を話せる少年

バラナシで会った日本語を話せる少年

目が合うインド人は大抵客引きだ。

合わないインド人はこちらが合わそうとじっと見ても合わない。

わたしは話し掛けて来た少年も「また客引きか、、」とうんざりしたが、
ただ余りにも日本語が上手くてわたしは自然と張っていた緊張がゆるんだ。

イントネーション、発音も笑ってしまうぐらいうまかった。

「日本語うまいね!」と褒めると嬉しそうだった。

以後少年と日本語でのやりとり。

「日本のマンガに僕のお兄ちゃん出てるからね。」

「そうなの?」

「そうだよ。」

わたしはそこはあんまり掘り下げないようにした。

「お兄ちゃんちょっと疲れてるね?」

「わかる?」

「分かるよ、ここにくる日本人はみんな疲れてるよ、」

「そうなんだ、」

「そうだよ、ニューデリー、アーグラ、でみんな騙されてここに来るからね。」
「アーグラ?」

アーグラはニューデリーから電車で約4時間。
世界遺産『タージ・マハル』がある所だ。

本来北インドを1週間で回る旅行は
ニューデリー、
アーグラ、
バラナシ、
ガーヤ(時間があったら)
コルカタを回り
コルカタから日本に帰国するが時間的に見て回れる。

多くの旅行者はそうする。

ただわたしが見たいのは

ガンジス川とタージマハルだけだ。

わたしは余裕をもってニューデリー→アーグラ→バラナシ→ニューデリーの旅を計画していた。

3大都市を回るだけの旅。
ただ以前ここで書いたがインドの列車は遅れる。
10分、20分ではない。
8時間や12時間も遅れるという。

最終日にバラナシからニューデリーに15時間掛けて戻る際、
もし列車が遅れたら飛行機に乗れない!と思い
非常事態を想定して
ニューデリー→アーグラ→バラナシ→ニューデリーを止めて、

ニューデリー→最初に一番離れたバラナシに向かいアーグラ→ニューデリーとニューデリーに上ってゆくルートを選んだ。

分かりやすくいうと
東京→名古屋→大阪→東京を変更して、
東京→大阪→名古屋→東京。
最終日の東京行きの時間と距離を計算しやすくした。
日本ならそんなことする必要がないがインドは上記の理由や社会情勢で何が起こるか分からない。

話がそれたが、
今少年が言った「アーグラも騙す奴が多い。」という発言がわたしを驚かせた。

バラナシの次に行く都市。
ニューデリーと変わらない治安の悪さなのか・・・。
少年は
「日本人みんなニューデリー、アーグラで騙されてバラナシに来るからインド人の事を嫌いな人が多いんだ、」と続ける。

「そうなんだ、」
分かる気がする。

「ただインド人を嫌いにならないで?インド人でもいい人はいるから。。。」

わたしはこの言葉に胸を打たれた。

なぜならわたしがその「インド人が嫌いな人」の先頭集団を走っているからだ。

わたしはその「インド人を嫌いにならないで?」と頼んでくるような、こんな悲しい言葉をこの少年に言わせてしまった事に強く悲しい気持ちになった。

日本語で言われたから心に刺さったのかもしれない。
「お前は何をそんなに怒ってるんだ?」とバラナシの駅前で言われた。

これも考えさせられた。
今の言葉もつらい。

わたしは常に戦闘態勢だったがこの言葉を聞いて戦う気を失せてしまった。

少年と座って話していると客引きが来る。

客引きにしてみれば「おっ!あいつ日本人と仲よさそうに話してるじゃん!しめしめ。」
だったのだろう。

少年が客引きに「あっちへいけ」とヒンドゥー語で追っ払う。
わたしは「あの人なんだって?」
と今来たインド人の事を聞く。
やっぱり「客引き。」らしい。

少年に以前から疑問に思っていた事を聞いてみた。

こんなに暑いのにインド人はみんな汗をかかない。

わたしは不思議に思っていた。
「インド人が暑いと感じる気温は何度なの?」と聞いてみた。

「ん?」

「インド人が暑いと感じる気温は何度なの?」

「ちょっとよく分からない。」
この少年は日本語でもまだまだ分からない言葉があるんだと思い、

「インディアン、フィールホット、フォワット・・・えーと・・『気温』・・・『気温』って英語で何て言うんだっけな・・・」

わたしはポシェットから和英を取り出し「ジャストモーメント・・えーと・・。」
と急遽調べる。
「あっ!」

見つけた!
「テンパーチャー!」
と叫んだ。

少年もこちらの聞きたい事が分かったのか
「あー!」と叫んだ後、
はいはいみたいに頷き

「分からない。」と軽く告げた。

分からないんかっ!

「あー!」って叫んだから。

そんな事より!みたいに少年は「『大沢たかお』
を知っているか?」と聞いてきた。

わたしはなんとか持ちこたえて、

「知ってるよ?」
と返した。

「僕のお店に来たんだぞ?」

「そうなの?」

「友達だ。」

「そうなんだ、連絡先知ってるの?」

「知らない。」

知らないんじゃねーか。

「長澤まさみも来たんだぞ?」

「すごいね、」

「君の家は何屋さんなの?」

「サリーを売ってるんだ。」

「そうなんだ。長澤まさみとも友達なの?」

「友達だ。」

「連絡先知ってるの?」

「知らない。」

知らねーんじゃねーか。

「大沢たかおは『僕のお兄ちゃん』と仲がいいんだ。」

「そうなんだ。お兄ちゃんどこにいるの?」

「日本。」

「日本にいるの!?」

「大沢たかおと友達なの?」

「友達だよ。」

「お兄ちゃんは番号知ってるの?」

「知らない。」

知らねーんじゃねーか!

もういいわ!

なんでもいけるじゃねーか!
そもそも『大沢たかお』と言っておけば日本人は食いつくだろう。

話がうまく出来すぎている。

少年は「ここら辺に泊まってるの?」
と聞いてきた。

わたしはここまでの話しで「まさかこの少年も客引きか?」と思い始めた。

試しに僕は言ってみた。

「俺何も買わないよ?」

「いいよ?別に。」

「ガイド料とかも払わないよ?」

「いいよ別に。ホテルあるの?」

わたしは嘘をついた。

「ホテルはあるよ。泊まってる。」

「絶対嘘!」

「本当だよ。」

「絶対嘘!名前は?」

「忘れた。」

「住所は?」

「いちいち住所覚えていない。」

「バラナシに今来たんでしょ?」

「そうだよ。」

「じゃぁ嘘だね!リュック持ってるじゃん!泊まってたら置いてくるじゃん!」

変な空気が流れた。

向こうにしてみれば
「まだ僕の事信用してないんだ。」と思ったのだろう。

どうにか空気を戻したかったのか少年は話題を変えようとした。

『地球の歩き方』と言いたかったのだろう、
言い間違えて
「『チカンの歩き方』持ってる?」と聞いてきた。

『チカンの歩き方』て。

チカンの教科書!?

「チカンの歩き方」を俺はインドで真似するのか。

痴漢も普通の人も歩き方一緒でしょ!
「こうかな?違うな・・・こうかな?チカンはこう歩くのかな?」って真似するのか。

わたしは「キャナイテイクアピクチャー?」と許可をもらうと初めてインド人の写真を撮った。

その後僕は少年に別れを告げた。そしてマニカルニカガートを目指した。

少年は最後まで日本人に「何かを売ろう」とはしなかった。

インドに来て初めてだ。
わたしが客引きに疲れていたから売らなかったのか、

もしかしたら本当に仲良くなりたいだけだったのかもしれない。

「少年は本当に大沢たかおと友達なのかもしれない。」と思った。

次へ

「何を書いているの?」
ダシャーシュワメードガートでガンジスを眺めながらわたしは書き物をしていた。

すると14歳ぐらいの子供が『日本語』で話しかけてきた。

今から約一時間前にわたしは当初泊まる予定のホテルの階段を急いで降りるとオーナーの騒ぐ声に構わず外に出た。

5階の吹き抜けからオーナーの声と1階フロントにいるここまで連れてきた「男」のヒンドゥー語が飛び交う。

構わず降りて外に出た。
「ヘイヘイ!ジャポン!」
男が追ってくる。

わたしは黙って先を急ぐ。
メインストリートはどっちだろう?

しっかり帰り道を覚えてたつもりが迷った。

察して男が叫ぶ。
「そっちじゃない!」

「どっちだ?」

「そっちだ!どうしたんだ?何が起きた?」

余りにしつこい為教えてやる。

「お前とオーナーの言ってる事が違う。お前は250ルピーで最上階だと言った。あのオーナーは250でエアコンなしの下層階だった。
言ってる事が違う奴等と話しはしない。」

「じゃぁ別のホテルならどうだ?」

わたしの足取りが早いのと目線を二度と合わせなかった事で男は諦め
最後に去って行く僕の背中にヒンドゥー語で何か汚い言葉を吐き捨てた。

それはちらっとみた表情から分かった。
それが全てだろう。

気にしない。

交渉が決裂する事はよくあるだろう。

妥協案を探して譲れればいいが、
前提がひっくり返るような嘘だったり筋違いな事をしてくるのは納得がいかない。

わたしとあの捨て台詞を吐いた男は信頼関係を少しずつだが築いていた。

ただあのホテルのオーナーの態度を見ればわたしの足元を見ている事ぐらいすぐ分かる。

「ファッキンジャップぐらい分かるよバカヤロー!」だ。

あそこにはルピーは落とせない。

これからハリスチャンドラガートに向かい葬儀を見て
その周辺で今日泊まるホテルを探す。

まだ昼だがこのくらいの時間から探しておいてもいいだろう。

道は広いが瓦礫が多い。
バラナシはインドでも田舎の方なのだろう。

相変わらずクラクションの音が耳に通う。
相変わらずリクシャーが目と眉毛で商売してくる。
相変わらず喉が渇く国だ。

ダシャーシュワメードガート。
人の流れに従順にしていたら自然と着いた。

時間もあるしちょっと寄って行く。
一番大きくて有名なガートだ。
まず沐浴する人の数が多い。
そして家族が岸辺にパラソルの様なものを立てて順々に入水する。
これはジャパニーズ「海水浴場」だ。

「さてはただ暑いから入ってるだけだな?」

周りを見渡しても僕意外外国人がいない。

座っていたらヒンドゥー語で話しかけてくるインド人。
何を言ってるか分からない。
「いいから構わずどこかいけ。」という仕草をしてあげる。
じゃないとずっと話し掛けてくるだろう。

買う気や乗る気がないなら直ぐに追っ払った方がお互いの為だ。

わたしは今初めて一人でガンジスと対峙してセンチな気分になっている。

ヒンドゥーが続々と汚い川に入って行く。

「インドに来たんだなぁ」とふと思う。

たまに日本時間を気にする。
今昼12時だから日本は朝9時半か。

今腰を下ろし
スピーカーから聞こえてくる宗教の歌を聞きながら
ここまでの道のりに想いを馳せる。

ニューデリーより全然いいなぁ。

さっき「事件」にわざと片足を突っ込んだ。

成る程あんなもんか。

最大の『防犯』は
「相手がこうしたら絶対NOという」とか
「これだけは曲げられない」
というこちら側のルールだな。

それを周りの空気や相手によって変えない。

ポシェットからメモ帳を取り出す。
バラナシに来てから今まで感じたことやちょっとした事件をノートする。

その時
「何を書いているの?」
ダシャーシュワメードガートでこのような経緯で書き物をしていると14歳ぐらいの子供が『日本語』で話しかけてきた。

また「事件」の方からノックしてきた。

バラナシで会った日本語を話せる少年

バラナシで会った日本語を話せる少年

次へ

ガンジス川は思ったより幅がなかった。

ヒマーラヤ山からベンガル湾を流れるガンジス川は全長2500キロ。
この距離は北海道から沖縄までだ。

北海道から沖縄までの長い川をわたしは想像する。

聞くとこによると岸辺から向こう岸まで500mぐらいらしい。

男は「あそこを見てみろ」とわたしの背後に立つ建物を指差す。

仰ぎ見る建物の3、4階の高さの位置にペンキで線が引っ張ってある。

ヒンドゥー語で何やら書かれている。

「ガンジス川はあの位置まで増水するんだ」

今立ってる自分の位地の遥か頭上に河が増水した水面の跡が残っている。

わたしは線の位置まで増水した時の景色を想像する。

ヒンドゥー教徒がガンジスを崇める理由。

日本人にとって富士山は日本の象徴だ。
その理由が日本一「高い」だからだとして
皆が山頂を目指し「登る」のだとしたら

ヒンドゥーが何故ガンジス川に敬虔なのか?の答えは「大きい」から「浴びる」のだろう。

日本人がガートに来たと知るやいなや
既にそこら辺にいた奴等が「ボートに乗るか?」「これ買わないか?」とゾロゾロ近づいてくる。

※ガート。岸辺から階段になって河水に没している堤。

男が「俺の客だ」と言ったのかすぐに諦めて散らばる。

ガンジス川の人々

ガンジス川の人々


みんな沐浴をしている。
もっと神妙な面持ちで入水しているのかなと思ったが子供達ははしゃいでいた。
ただの水遊び?と思うぐらいだ。

水はさすがに掛け合ってはいなかった。

そんな中でも
掌をあわせて目を閉じて
何か言いながら
真っ直ぐ沈んでいく。
上がったら合わせた掌を頭の上に持っていき
また胸に位置して沈む。

それを何回もやっている人を見た。

ガンジス川の岸辺は汚い。色々なゴミが浮遊して集まっている。

「ボートで向こう岸に行けるのか?」と聞くと「今は太陽が照っていて暑いから高いぞ?」と言われた。

「18時くらいになるとここら辺で儀式が行われる。」

「毎日?」

「毎日だ。その時に乗るといいだろう。」

あれは何だろう。
別のガート200mぐらい先の方で煙が上がっている。

「マニカルニカーガートだ」

「マニカルニカガート?」

「火葬場だ。」

あれが火葬場か。

ヒンドゥーは皆最後はガンガーに還るという。
死んだら焼かれて灰になりガンガーにまかれる。

輪廻。

子供と出家遊行者は火葬ができないらしく石にくくりつけてガンガーに沈めるらしい。

「あそこには行かない方がいい。汚いから。行った外国人はみんな吐いている。あと死体を焼く蒔き代を取られる。行かない方がいい。」
という。

わたしはマニカルニカガートの火葬場には行かないが、これからホテルに荷物を置いたらパリシュチャンドラガートという火葬場に行く予定だ。

そこのほうがゆっくり見れるらしい。

わたしは正直ガンジス川を見てそこまで感動はしなかった。

ましてや「入りたい」とはちっとも思わない。

ガンジス川で沐浴をしたい。と確かに思っていたがそこまでわたしはインドにのめり込んでいなかった。
率直に言えば「ヒンドゥーに引いていた」のだと思う。

どうせまた入ったら入ったでお金を要求されるのだろう。
服や荷物を自分の身から離したくない。

「オーケー。」
一通り眺めてみて男に切り出した。まだ午前中だ。

違うガートから見たいしパリシュチャンドラガートにも行く。

また違う景色からみたら違うかもしれない。

「向こうのガートに他のガートを通りながら行けるか?」

「行けない。」

「オーケー。違うガートに行きたい。」

ガートの説明をもうちょっと分かりやすく言う為に
「体育館の壇上」を想像してもらいたい。

今わたしがいるのは壇上。

整列している生徒(ガンジス川)を見ている。

両サイドにちょっとした階段がある。
壇上から降りたらすぐガンジス川だ。

波が押し寄せたり今より水位が上がってもいいように
壇上の上にさらに壇上がある。

なので一番低い壇上の一歩先はガンジス川。

そしてわたしは一番高い壇上から低いここに来た。
写真の通りだ。

ここのすべての壇上の一画を「ガート」という。

なので僕は隣の壇上をつたって向こうの学校の壇上(パリシュチャンドラガート)まで行けないか?と質問した。

行けない。という。

ガート同士お互い「島意識」があって、
禁止されているのだろう。
なのでわたしはまた一回壇上の裏手に引っ込んで
出演者出口から外に出て
ぐるっとメインストリートに出て
また違う学校の壇上の裏からガートに入って
違う風景の「生徒達(ガンガー)」を見ないといけない。

「裏手」からメインストリートまでが複雑で暗いし臭いし、
どこかの遊園地の迷路みたいな作りをしている。

なのでこの男は最短のガンガーへの道を通らないで「自分の学校の体育館」に連れて来たわけだ。

違う学校の体育館に行かれたら自分の「島」じゃない為働けない。

同じガートにあるホテルからのマージンも貰えない。

なるほど。

「オーケー。ホテルに行こう。」

約束は約束だ。
そもそもわたしはここのホテルに泊まろうとしてたし、

「ハウマッチ?」

「250ルピーで一番いい最上階の部屋。」

「ガンガーは望める?」

「望める。」

「オーケー。行こう。」

なんでこのホテルに最初から決めていたかというとオーナーが「親日家」だからだ。
ガイドブックに書いてあった。

ただそれだけのこと。

一通り写真を撮り終えてまた狭い道を案内されついて行く。

どうやってホテルまで行くのかしっかり覚えていないといけない。

いざというときは逃げるからだ。

2分ぐらい歩くとそれはあった。

「ここだ。」

薄暗くていかにも危なそうなだだっ広いエントランス。

事件が起きるような予感のフロント。

電気はつけないのか。

男がオーナーに話をしている。
それを聞いたオーナーは「オーケーオーケー。」
何やら全て解ったみたいだ。
ついてこい。という。

ホテルにエレベーターなんて勿論なく、
階段で部屋を案内される。

3階の一番端っこの扉が開く。

「この部屋はどうだ?」

ペンキで塗っただけの何の模様も演出もないつまらない部屋だ。

「ハウマッチ?」

「250ルピーだ。」

「ん?250ルピー?」

「そうだ。」

「最上階か?」

「違う。」

なんで違うんだよ!

「ガンガーは見えるのか?」
「見える。ほら。」
窓を開けるとそこには柵があった。
確かに柵越しにガンジス川が見える。

「なんだこれは。」

「モンキーだ。」

「モンキー?」

「猿が入ってくるから柵があるんだ。」

窓を開くと柵が真ん前にあってオーナーはその柵の小窓を開ける。

「ほら。こうするともっとよく見えるだろ。」

いやいや、見えるけど!カメラにフレームインするし!

気分台無し!
これじゃぁ「牢屋からガンジス川見てる人」じゃん。

「ここにするか?」

するかボケ。

「ウェイトウェイト!」

こいつナメてる。
今気付いたのだが
オーナーは何故だか知らないが
「水」を口の中いっぱいに含みながらわたしに対応している。

ほっぺたがパンパンだ。

どこのホテルに水を含みながら客室を案内する奴がいるんだ。

まぁいい。

「次の部屋を見せろ。」
「こっちだ。」

階段を上っている最中に僕は「決める」という英語が分からなかったので持ってきたポケット辞典で調べてみた。

「デクレイト。」
「メイクアップマイマインド。」

オーケー。いってやろう。

もう一階高い4階に着く。
「ここだ。」

確かに柵はさっきより上階の為猿は登ってこないのかなかったが、、
「いくらだ?」
「350ルピーだ」
「クーラーは?」
「ない。」
「ない?」

この暑いのに?
「決めたか?」

決めるか!なにが決め手で「よしここにする!」と言うと思ったんだろう。
「アイキャンットディクレイド、キャナイシーアナザルーム」
さらにエアコン付きの部屋を見せろ。あと最上階の部屋を見せろ。と要求した。

「オーケー。ついてこい。」という。
それにしても気になる。
余りに量を入れすぎたのかわたしと話す時は顎を前にだして水がこぼれないようにしてる。

「インドのホテルでこのホテルマンなめてるな、どんなとき?」

「口の中に水をパンパンに含みながら部屋を案内する。」

5階に案内される。

「この部屋はどうだ?」

確かにクーラーもある。
テレビはない。

ハウマッチ?

「550ルピー」

その瞬間。
そのオーナーは冷蔵庫を開けた。
冷蔵庫を開けるとペットボトルを取りだした。

わたしは「あ、暑いから俺に一本くれるのかな」と思った。

するとオーナーは今含んでいる水を「ごっくん」すると
キャップを開け、水をまた口に含んで

「決まったか?」

なんでだよ!

「最上階か?」

「違う。」

なんでだよ!なんで最上階案内しないんだよ!

「決まったか?」

「もういいわ!」

わたしは今すぐここを出て違うホテルを見つけなければならない。

ガンジス川付近の街バラナシ

ガンジス川付近の街バラナシ

次へ

「お前は何をそんなに怒ってるんだ?」

今朝バラナシ駅で乗り込んだタクシー運転手にわたしは質問された。

この言葉は後々まで飲んでも飲んでも喉元で引っ掛かっているトゲのように残ることになる。

「(そんなに殺気立って)お前は何しにインドに来たんだ?」と言われている気がしたからだ。

確かにわたしは何で怒ってるんだろう。

インドに来て以来ずーっと怒ってる。

「事件を楽しむ」予定でいたがいつしか事件に本気になっていた。

さっき店頭に腰を下ろしcokeを飲んでいる時に話掛けてきたこいつは
「こっちだ。こっち。」
とわたしの前を歩く。

「事件を楽しむ」ということ。

今からわたしはこいつについて行きどこまで騙されたら危なくてどこまでが大丈夫なのか?という境界線を調べに行く。

男は164位の真っ黒な青年。24位だろう。

さすがに一日中「キャッチ」をやっているとしんどいのかタオルを頭から巻いて顎下で結んでいる。

顎下が「ガンジス川に連れていってやる。こい。」と先導する。

また騙されるかもしれない。
ただ今回は
自分から事件に片足を突っ込みにゆく。

ただ一方で信じていた。

その理由は
前を行くこいつはかねてからわたしがバラナシに来たら「ここに泊まろう」と決めていたホテルの従業員だったからだ。

「エクスキューズミー。ホワッハプン?」

先程店頭でcokeを飲んでる僕に話掛けてきたこいつに「ガンジス川まであとどのくらいか」聞いた。

聞いただけ。
信じない。
参考にする程度だった。

連れていってやるよ。
と言う。

わたしは「自分でいける。」と突っぱねる。

いや連れていってやる。
と聞かない。

わたしはそもそもお前は誰だ!と聞く。
「フーアーユー」

男から名刺を渡された時、もし違う国に来ていたら「今日ここのホテルに泊まろうと思ってたんだよ!!丁度よかった!ホテルにいこう!」と握手していただろう。

ただここはインドだ。

興奮したらスキが生まれる。
わたしは内心びっくりしながらも「ふーん。」と冷静を演じていた。

バラナシは海外からの旅行者がよく来る観光地だ。

ガンジス川を見たいというのが主な理由だが
ホテルの数は大小合わせると300近くあるという。

決して大きくないこの町で自分が探していたホテルが「ホテル」の方から来た。

以上の2つの理由で今まさにこいつの背中を追っている。

「ガンジス川に行ったあと僕のホテルを見るだけ見たらいい。」と男は言った。

「見るだけなら」と了承した。

クラクションと人混み。
お前は慣れてるからいいけど。
それにしても歩く。

「まだ歩くのか?」

「こっちだ。」

「どのくらいだ?」

「ヰ♀▽●」

何言ってるかクラクションで分からない。
伝える気もないのだろう。

暑い。
一体今気温は何度だ。
何でインド人は汗をかかないんだ。

誰一人一滴もかいていない。

不意に路駐してるリクシャーインド人と目が合う。

わたしと目が合うインド人は眉毛を上下させるだけで「乗ってくか?」と誘う。

よく人の目を見てる。

合った瞬間上下させる。

こうやって男についていってる最中もリクシャーに声をかけられる。

ガンガーまでエスコートする男がヒンドゥー語で何やら言うとリクシャーは去って行く。「俺の客だ」とでも言っているかもしれない。これはこれで悪い虫がつかない。心なしかこいつの歩き方を後ろから見ていると「俺は日本人と一緒に歩いているんだぞ!インド人どけどけ!」と言っている気がする。
自慢気な気がする。

「危ない危ない。」
車が来ているのに男は道路を平気で横切って行く。

手で車を制して横切ってく。

しかしこいつはどんどん歩いていく。

なんでこいつは後ろにいるわたしの事を気にしないでどんどん歩いて行くのだろう?

「こいつのペースになってるな、」と思ったわたしは試しに「まく」事にした。

狭い路地に入っていくあいつのスキをついてわたしはわざと違う方向に歩く。

わざとはぐれる。

「今だ。」

あー、せいせいした。

ホテルは後で探せばいいし
大体ここまで来ればガンガーは目と鼻の先だ。

こういう風に案内させといて、
大体の所まで来たら「まく」のも今後使えるかもしれない。

「ヘイ!ヘイ!」

追ってきた。無視。

「ヘイヘイ!」

捕まった。

「ヘイ!」
なんだうるさい。

男は「なんでどっか行っちゃうんだ!ちゃんとついてこい!」と烈火のごとくだ。

腹立って言い返した。

「これは誰のツアーだ!
俺のツアーだ!
お前のツアーじゃない!
どんどん行くな!」

小道ばっかり行きやがって、メインストリート、もっと安全そうな所から行けるはずだ。

人が一人通れるか否かぐらいの、同世代の方に分かりやすくいうと
こいつは藤子不二夫?先生の作品に出てくる
「ラーメンこいけさん」がいるような場所、
人と人の部屋の間のような道ばかりすり抜けていく。これじゃぁわたしは道を知らない忍者ハットリくんじゃないか。

その道は普段から空気が通らない為生臭い匂いが立ち込めてる。

これは明らかに人の糞尿だろってのをギリギリで踏まないように進む。

このインド旅行で後にも先にもこのガンガー近くの狭い路地(ガート周辺の路地商)の匂いが一番ヤバい匂いだった。

こんな細い地元の奴しか知らないような道で

着いたその先が袋小路だったらどうするのだろう。

そして男達が待っていてわたしを囲み、身ぐるみ剥がし持ってかれたらアウトだ。

これはまずい。

こんだけ不穏な旅を続けているといつも最悪な結末が容易に想像できるような頭になる。

なので怒っていい。

「自分はこのような道を歩くのは怖い。もっと大通りを歩け。」
と要求する。

「ここからガンガーに行くしかない」

続けて奴は「僕のホテルが近いけど、荷物重いだろ?ホテルで荷物を置いてからガンガーを見に行ったらどうだ?」と提案してくる。

わたしは「デイスイズマイツアー。ユーアンダスタン?」

お前が決めるな。
まずガンジスに行きたいんだ。と言う。

日本語ではきつく聞こえるかもしれないが
話を反らしてくる奴は危ない。
こちらを気遣ってるフリして自分のペース誘い込む。
わたしは書き忘れたが
男の背中を追って歩きつつ、通りすがりのインド人に「ガンガーはこっちか?(男が行く方向で合ってるか?)」と聞きながらついていってた。

まずガンガー、ホテルは次!を
「オーケーオーケー」
と前を歩きながら背中で言う男に「本当にわかったんか!」と日本語が出る。

相変わらず狭くて蝿が舞う道を通るのが好きな奴だ。

男が「ここはテンプルだ。」と歩きながら指で示す。

橙色のサリー?を来た女性が大人数で歌っている。

女性達とすれ違っても僕と目があわない。

いや、目線が合っているのに合っていない。

一心に祈りを捧げて歌っている為見えていない。
こっちだ。と急かされる。「こっちだこっちだ」うるさい奴だ。またウンコが落ちてるし。「こっちだこっちだ」で来てみたらウンコ落ちてる。まるで俺がウンコを探してるでっかいハエみたいじゃないか。わたしは形のいいウンコを探しに日本から来たのか?

やがて暗い背の低いトンネルに入る。

かがんで歩く必要はないが頭スレスレだ。

トンネルで響く歌声。

何かの宗教なのだろう。

金物をチーンチーンと鳴らす音。

何かの宗教なのだろう。

トンネルを行き交う人の両サイドで座って喜捨(お金)を乞う老婆。

何かの宗教なのだろう。

わたしには分からない。

何かの宗教なのだろう。

日本にあるアジアン系の雑貨屋さんで嗅いだことのある匂い。

真っ暗のトンネルというよりマンホールを抜ける。

目の前に光が戻る。

当たり前のように男が伝える。

「みろ。ガンジス川だ。」

ガンジス川

ガンジス川

次へ