「あなたもリシュケシュに行くの?」と彼女は話し掛けてくれた。

同じ列車に5時間も乗った後にハリドワードに着きまたバスターミナルで会う。

「ここで待っているとリシュケシュ行きのバスが来るようだよ」

わたしは何台もの停まっているバス一台一台に「これはリシュケシュには行くのか?」と聞いて回っている彼女に教える。

暫くするとボロボロのバスが定位置じゃない場所で停まる。
「あれだ」

リシュケシュまではハリドワードから1時間半掛かるみたいだ。
道々から望める景色は自然の広大さを教えてくれる。
緑多い山というよりは掘り返している鉱山のような白く鋭い山肌で
崖が崩れてこうなりました。という風だ。

バスは運転手に急いでいるのか?と聞きたくなるようなスピードで行く。
時折対向車に道を譲りながら、横入りするリキシャーに細かく速度を落としながら
緊張の空気が辺りを支配し多くの乗客は行く手を見つめて押し黙っている。

リシュケシュのバスターミナルに着いたバスは全ての乗客を降ろしその役割を終える。
このバスのチケット代をまだ払っていないのだがいいのだろうか。

一緒に乗った外国人女性はわたしをまた見つけると
「あなたはこれからどこに行くつもり?わたしと一緒に乗り合いしない?」と提案してきてくれた。
「あなたはどこの国から?そう。日本のどこ?本当に?」

アルゼンチン出身のルーシアはこれから古い旧友に会いに行くという。

彼女は旅慣れているようでリキシャーとの交渉も積極的にする。
「ねぇ。わたしの友達も連れて行って?ノーノーノー。2人でリシュケシュのブリッジまで。いくら?
ノーノー。高すぎるわ。オーケー100ルピーね。」

交渉がまとまるとリキシャーは走り出す。
「もしあなたがリシュケシュでヨガとホテルを一緒に楽しむなら反対側。もし分けるならインターネットで探すといいわ。
アスタンガヨガというところがいいらしいわよ?知ってる?
わたしはね。リキシャーに毎回腹が立ってるの笑」
「着いたぞ。」リキシャーが伝える。

「ここはどこなの?」ルーシアがリキシャーに問いかける。
「リシュケシュだ。」
「ブリッジは?反対側?ノーノーノー。ブリッジまで連れて行ってよ。」
「ここまでで2人で200ルピーだ。」
「そうじゃない。反対側まで連れてって。それで2人で100ルピーよ。」
「いいや。そしたら150ルピーだ」
「そんなことは聞いていない。100ルピーて言ったでしょ?」

このルーシアの流暢な英語でも言い合いになるということは
リキシャーとの度々ある喧嘩の原因はこちら側の英語力の問題ではないのだなと思う。

リキシャーは言ってもいないことを後から追加してくる。
もっともわたしがインド人だったらこの色白の外国人からいかに多くのお金を落としてもらおうか
考えるが、
「お金を落としてもらおう」という気持ちは何か欠けている部分を見つけてそこを埋めてあげ、対価を頂くというものだ。
しかし彼らの多くは「落としてもらおう」とは思っていないみたいで、
「どうにかお金を巻き取ろう」と考えるみたいだ。
行きたくもない高級ストアに立ち寄る。
ここまでで100ルピーだと自分ルールを押し付ける。
交渉の中に出てこなかった追加代金を要求する。

それからわたしとルーシアはリシュケシュを周ったり休憩したり多くの時間を共有してまたお互いの旅に戻った。

「あなたはフォトグラファー?そうなんだ笑。電車の中でカメラのお手入れしていたから笑大事よね。
わたしはレンズをクリーンにしておかなかったからカメラがダメになっちゃったの笑」

ルーシアとの出会いはその後の旅のし方を大きく変えた。
「あそこに行きたい」という「場所」をゴールにしていた今までが「ゴールは人だった」と気付かされた。
極端なことをいうと場所はもうどうでもよくなった。
もうここはあの出会い以外の感動は得られない。
わたしはビートルズも修行したというヨガの聖地リシュケシュに6時間以上掛けて来て、それを体験しなかった唯一の外国人かもしれない。

ルーシア