「今まで訪れた国々の話」カテゴリーアーカイブ

こちらは「もりたけんじが今まで訪れた国々の話」のカテゴリーです。
旅はわたしに気付かせてくれました。
たとえ海外に行かずともあなたの周りにいる価値観が会わない人を理解する事。
それこそが旅である。
旅は続けなくてはならない。ってね。

この頃からわたしは「アイアムコリアン」と言うようになった。

日本人はインドではなめられやすい。

お金を持っているし、騙しやすいし、意見がないからだろう。

インドではコリアンは気が強いというイメージなのだろうか。

先程話し掛けて来た客引きも「ホエアユーフロム?」と聞いてきた。
「フロムコリアン」と突き放した。

客引きは「ニーハオ!アイムインディアン!」と調子を合わせてきた。

それチャイニーズだし!知っとるわ!
思わず日本語が出てしまった。

インドに来てリクシャーには乗らないと決めていたがコンノートプレイスからラージガードまでの距離は乗らざるを得ない。

わたしは初めて自分の意思でリクシャーを停めた。

「アイウォントゥゴラージガード、ハウマッチ」
「70ルピー」

「70」といわれわたしは高いか安いか知らなかったが
高く吹っ掛けてるに決まっている。
「20にしろ」と言って強気に出た。
運転手は首を振って過ぎ去った。

わたしは「そんなに無理難題か?」と思いもう一台停めた。
「ハウマッチ?」と聞くと
「50!」という、
わたしはだめだ「20だ」という。
首を振って走り去った。

1台目と2台目が吹っ掛けてきた額が違う。
「ってことは1台目のヤローはかなり強気にきたってことだ。」

リクシャーは何台か停めてその距離の相場を知った方がいいと思った。

商品に料金が表示されていない国。
表示されていても「外国人料金だ!」と増してくる国。

僕の「20」という数字も向こうにしてみれば「いやいや!お客さん!」の額なのだろう。

僕は結局次に来たリクシャーで「50」で乗り込みラージガードに行ってもらった。

初めてのリクシャーだった。

インドのリキシャー
インドのリキシャー

風を感じて気持ちいい。
常に徒歩で移動していたので凄く涼しい。

クラクションをすぐに鳴らすし鳴らされる。
走っていてもガタガタ部品が取れそうだ。
「この距離は歩けないな」と思う。

インドに来てリクシャーに乗らないで色々回るのは無理な事が分かった。

そうなると付き合い方だ。

リクシャーでのよく聞くトラブルは最初に料金を決めておかないとあとでトラブルになるという事。
また間違えた所にわざと連れていかれ「あと30払ってくれないと行けない。」と無茶苦茶言われる事だ。

「こいつはどこに連れていくんだろう。」

やはりわたしの心が休む事はない。

わたしは逐一「ここはどこだ?次をどっちに曲がるんだ?あと何分掛かる?」

と時折マップと答え合わせをしながら相手を牽制をする。

「俺は知ってるぞ」とアピールする。

このリクシャーは確かに最短ルートを通っていた。

ラージガードに着いた。

「あ。本当に着いた。」
と感動したぐらいだ。

わたしは「ユーアーグッドドライバー、アイウィルペイサムチップ」というと

それまで黙っていた運転手はすごく照れ臭そうに笑って受け取った。

リクシャーに騙されるとよく聞く、
それは多分わたしの方も悪いのかも知れない。

ある程度場所までの道を頭に入れて確認しながら行くこと。
任せっきりにしないこと。
運転手の気分を乗せること。
おとなしそうだったり身なりが綺麗な運転手を選ぶこと。

多分これがインドでリクシャーを快適に乗りこなすコツだと思った。

わたしは無事ラージガードに着いた。
わたしはインドに行く前に映画「ガンジー」を観ていて、
「あ、ここがガンジーのお墓かぁ、」という思いに耽る。
思えばインドに来てこんなに綺麗に管理されている所は初めてだ。

ウンコが一つも落ちていない。
腐った臭いもしない場所。
客引きがいない。

クラクションの音が聞こえない。
初めてニューデリーでこんな綺麗な所を見て珍しいので写真を撮ってしまった。

ガンジー記念公園
ガンジー記念公園

ラージガードは入り口でパンフレットを配っているおっさんがいる。
「靴を脱げ。」という。

宗教上の理由か
「どうせお前らニューデリーでウンコ踏んできたんだろ?」か、

どっちかの理由だろう。

わたしはサンダルを預けてノーマネー?と聞く
「ノーマネーだ」という。
中に入る。
中に入るというというよりは先程歩いてきた続きで
公園が目の前にあるといった感じだ。

ゲートを通過すると四角く回れる順路になっていて

真ん中に黒い背の低い平たい大きな墓というか記念碑みたいのがある。

みんなそこで拝んでいる。
わたしはヒンドゥではないので拝まない代わりに写真も自粛したが、

それより何より地面が熱くて熱くて素足にはこたえる。
ぴったり足の裏で立っていられない。

僕は爪先立ちしながらマハートマー・ガンジーさんを想う。

だんだん爪先も熱くなってくる。

重心を変えてかかと立ちしてマハートマー・ガンジーさんを想う。

だんだんかかとも「あちっ」になる。

ならばと土踏まずでマハートマー・ガンジーさんを想う。

「あつっ。」となる。

今度はその間に冷やしといたおいた爪先でマハートマー、

もういい。

マハ・ガン。
やめだ!やめだ!

ただの「これができたら100万円」じゃないか。

非暴力が化けた暴力じゃないか。

照りつける太陽の光を吸っている石畳は本当に熱くて素足では無理だ。

拝んでいるインド人にしてみれば「プールサイドか!」と突っ込まれそうになりながら帰っていく東アジア人。
「あいつ何しに来たんだ?」だろう。

わたしは「靴を返して」と入り口で言うとおっさんは乱暴に靴を台の上に出され「引換券をよこせ」と言う。
「もらってない!」と言うと「100ルピーよこせ!」と言う。
わたしはその瞬間
「あ。こいつ、わざと渡さなかったな。」と確信し
無視してサンダルを履いて帰った。

本当に向こうが正当で必要なお金ら「お客さんちょっと!」と追ってくるはずだ。
だが走って追ってこない。
それが『答え』だ。

多分集団の外国人にはやらないのだろう。

一人で来ている日本人だからなめられた。

わたしはまたインド人にショックを受けた。

ちゃんと目的地で降ろすリクシャーもいればこういう奴もいる。

わたしはラージガードに隣接するガンジーが撃たれた場所「ガンジー博物館」に行くことにした。

ガンジー記念公園
ガンジー記念公園

ただ博物館に入ってみるがどこを探してもモニュメントはない。

後に聞くとニューデリーには
「ガンジー博物館」と「ガンジー記念博物館」があり
撃たれたモニュメントがあるのは「ガンジー記念博物館」だそうだ。
両者はとても離れている。

わたしは芥川龍之介が好きだが、
もし東京の同じ田端に
「芥川龍之介博物館」と「芥川龍之介記念博物館」があって
館長の僕が外国人に「こっちが博物館であなたが仰っているのは記念博物館です。博物館と記念博物館は違います。そして場所はかなり離れています。残念でした。」と説明したら
「紛らわしいんだよ!」と怒られそうだ。

「あー、喉乾いた、」と入った食堂でわたしは蝿のローリング族にブンブンおちょくられながらミネラルウォーターを飲みほすと「そろそろ時間か」と立ち上がる。

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バラナシ行きのチケットはあっさり取れた。
バラナシ行きのチケット

当初の予定通り夕方から15時間掛けて寝台列車でバラナシへ行ける。

そして朝のガンジス川が望める。

日本でこのチケットを取るためにメールアドレスを変えて
クレジットカードを作ったり
インターネットカフェに通いつめたりもした

しかし取れず、
ホテルでぼったくられそうになり、
ようやく取れたチケットだ。

「よしコンノートプレイスにいこう。」

夕方までの空き時間をこのインドという国を知る時間にしようと思う。
「コンノートプレイス」という商業公園施設はイギリス領だったインドの面影を残している所だ。
コンノートプレイス広場

ニューデリーにあってメインバザールのような不潔で雑多な感じではないし
主に外国人旅行者がお土産を買ったりできる所だ。
なので例によって
騙そうとする輩が何人も声を掛けてくる。
そいつらに一瞥も与えず歩いていると見覚えのある看板に出会った。

「あっ。マクドナルドだ。」
インドにマクドナルドがある安心感。
マクドナルドがあるだけでどんなに心が安らぐか想像してみて欲しい。

世界共通はサービスの保証で、わたしは他の外国人がそうするように当たり前にいざなわれた。

インドのマクドナルドには入り口に「ドアマン」がいる。
それだけ庶民には高級な食べ物なのだろう。

銀座にある「なんとかガッパーナ?」とかでしか観たことない。

ここインドには「アデダス」にもドアマンがいる。

インド人にしてみれば「うわ、あいつアデダスに入ってったぞ!所得あるなぁ・・・。」だろう。

インドはヒンドゥー教が主な宗教な為牛肉を食べない。
またイスラム教も多い為豚肉も置いてない。

こうした事でマックでは「ベジタリアンバーガー」などが置いてあった。

菜食主義は厳格なヒンドゥー教徒で今ではヒンドゥー教でも肉を食べる人もいるらしい。
ただ厳格なヒンドゥーは他のイスラム、スィク、ジャイナ、キリスト、仏教などの人達と同席して食べる事もしないという。

わたしはベジタリアンバーガーは
不味そうだったので食べなかった。

そういえばエアーインディアの機内食も不味そうだったので食べなかった。

折角インド来たんだし、
ちょっと文化に触れてみては?
無理して食べてみては?と思うかもしれないが、
わたしはマックさえも信用できないショックをインドで既に受けていた。

そして「不味そう」というのはわたしが日本人を感じる瞬間でもある。

気付いたのは、
違う国に行くと自分は日本だという事を強く感じる事がある。
わたしの場合「不味そう」はわたしが日本人を感じる瞬間の一つだった。

わたしはコーラだけ飲んでいた。

コンノートプレイスのマクドナルド
コンノートプレイスのマクドナルド

隣のインド人カップルに
「映画館は何時からか」聞く。
思えば朝5時にホテルを出て8時にチケットを取って、まだ10時だ。

インドではカップルを見る機会がほとんどない。

多分伝統的な宗教を崇めている家庭で育った子供はおおっぴらにカップルでデートはしないのだろう。

ほとんど見ないカップルの中でも大体目にするカップルは18歳らへんの高校生でTシャツを着ている。

以降、
インド最終日まで街を歩いていてカップルを見るのはほとんどない。

年間300本も産み出されるインド映画を観に映画館へ。
ただ行って気付いたがインドの映画を観る気は起きない。
インドじゃない違う映画を観る。
260ルピー。

日本円で500円ぐらいだ。
インドの映画館はセキュリティチェックが厳しくて
入り口で持ち物検査をされ、係員のボディチェックに万歳の体勢から金属探知機でチェックをされる。
「映画観るだけなんだけどなぁ」と思いながら、係員にデジカメを預け札を受けとる。

「しかも爆発や銃撃戦の映画なら多少納得だけど俺が観るの『トイストーリー3』なんだけどなぁ。」

マフィア映画じゃないんだけどなぁ。

トイストーリー3は終始英語だったので何言ってるか分からない。

映画を観ていてある場面でインド人は全員笑っているのにわたしは全然笑っていない。
なぜならわたしには3Dのこいつらが何を言ってるか分からないからだ。

周りのインド人は笑っていない僕を見てさぞ「何か身内に不幸でもあったのかなぁ」と思っただろう。

わたしの身内はピンピンだ。

わたしはただ「この帽子のおっさんは何を言ってるんだろう」と思ってただけだけど。

インドの映画は途中休憩時間がある。

みんな当たり前のようにどこかにポップコーンやペプシを買いに行く。
慣れていないわたしはずっと席に座ってた。

周りのインド人にしてみれば「あの日本人マジかっ!そんなに後半が待ち遠しいかっ!」だったろう。

映画が終わったらすぐ外に出る。
ただインドの映画館は出口が決まっている。
スクリーンのある前の方の扉が開きみんなそこから並んで出る。
暫く細い通路を歩いて外に出たと思ったらゴミの山に出た。

ん?なんで?

映画館の裏手から出された。

NHK7時のニュースの環境資料映像みたいなゴミ山に出た。

なんでトイストーリー3を観終わったらゴミの山に案内されるのよ。

『ディスイズインド』めっ!

「あ。デジカメ。」

わたしは映画館の裏手に出てぐるっと廻って歩きます。

なんでなんだよ!
と腹立って映画館の入り口まで5分ぐらい歩いて
やっと着いてセキュリティチェックやってるインド人に札を渡したら
変なリュックを渡されました。
いや違うわ。カメラだよ。
カメラ渡されました。

人の預かったもの間違えるって!

じゃぁこの札何の意味があるんだよ!

あーインド腹立つ。

その後コンノートプレイスを歩いていると人だかりを見つけます。

何やらおっさんが座っています。
蝿が何十匹も舞う中
ビニールから乳製品を取り出して
変なアルミから豆を取り出して混ぜています。

コンノート広場で売る男
コンノート広場で売る男

わたしはその臭さと汚さで
「おぇ」っとなる。

周りのインド人5、6人もさすがのこれには
「このおっさん何作ってんだ?」と思っているのか眉間に皺を寄せている。

わたしは「あ、やっぱりインド人もこれには距離を置くんだ」と思ったら、

一人のインド人がお金を払っている。
おっさんが腐った物を渡します。

そしたら今まで見ていた周りの人が次々とお金を払う。

おっさんはみんなに腐った物を渡す。

そう。
「そんな汚い物作って!なにしてんだ!」と周りが軽蔑してしかめっ面になっていると思っていたそれは、

実は周りのインド人は
外の気温が余りにも暑くて眉間に皺が集まっていただけ。

そして買うために並んでいただけだった。

並んでたんかーい。

コンノートプレイスもういいわ!

わたしは寝台列車が出発する夕方迄の間

オールドデリーの遥か向こうラージガード(ガンジーが撃たれた場所)を目指すのでした。

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「どこから来たのですか
?」

隣の中国人男性が朝食を食べながら話しかけてきた。

新聞を広げ、ビジネスマンのような装いで、インドに慣れた感じが見て取れた。

わたしは簡単な英語で答えると妙に同じアジア人(インドもアジアだけど)ということに共感を覚え、

圧倒的ストレスを感じている今までの苦悩を共感してもらいたかったし、

インドについてのいろいろな事を聞きたかったが急いでいるようなので止めといた。

彼はわたしのテーブルの上に並べられた食事の量とバックパッカー丸出しの姿を見て話しかけずにはいられなかったのだろう。

アラカシャン通りを3分ぐらい入っていったミルク販売店の隣「アジェンタホテル」のレストランは250ルピーでビュッフェだった。

2010062811220000

わたしが沢山ある料理の中からベジタリアンカリーを何杯もおかわりしていると
興味を持ったのかお店のオーナーがいろいろ話しかけてきてくれた。

「わたしの兄弟が四ッ谷いるよ」

「四谷に?」

「お店を出しているんだ。」

あつあつのナンのような物を運んできてくれる。

「このナンはエクストラチャージ?」

笑って首を振ってた。

「これは何だ?美味しい。」と聞くと

「アールブラータ」だという。

ナンの中にポテトが入っている。

今思い出しても「アールブラータ」がインド料理で一番美味しかった。

喉が乾いていたわたしは
マンゴージュースを何の抵抗もなく流し込んでる途中「しまった!これ生水使ってるかもな、腹下るかも。」と気付く。

ただそんな事いったら先程から飲んでいるベジタリアンカリーも水で作られているはずだ。

わたしの不安を打ち消してくれたのは向こう側で座っているヨーロッパのカップルの存在だった。

彼らはもう毎日、何時間もここにいるような雰囲気で場に馴染んでいた。

多分何かのガイドを見てここに来たのかそれともここのホテルに泊まっているだろう。

他にも先程の隣の中国人がむしゃむしゃ。

わたしはここは
「大丈夫なレストランだ。」と思った。

もしこれが今いる店内のお客さん全てインド人だったらわたしはマンゴージュースを吐き出さなくちゃいけない。

なぜなら地元人が来るようなお店はわたしと『同じ種類の胃』ではないからだ。

「大丈夫なレストラン」を見つけるとその街で何とか過ごしてゆける。

なんとか「生きて行ける」と思う。
お腹が空いたらまた戻ってくればいいからだ。

インドでエコノミーな旅をしていると信用できるレストランを見つけ出すのは難しい。

日本なら旨いお店か不味いかの違いだが、

インドでは『大丈夫なお店』か『ヤバイお店』かしかない。

しかも圧倒的にヤバイお店が多い。

それはある程度高いお金を出したら全て大丈夫なお店だろう。

わたしはエコノミーな旅での「大丈夫なレストラン」を見極めるポイントを3つ発見した。

ひとつは、

『店内に外国人のお客がいる事』、

店内に外国人がいるということは料理に対する価値観が先進国に認められたお店であることを示している。

なので対外的においしい・大丈夫という評価をもらっているお店ということになる。

2つめは『値段がしっかり書いてあるメニュー表がある事』だ

インドの物価はしばしば外国人価格と自国民価格を設定している。

同じ商品でもどっちが買い手かで値段が違うのだ。(これによって多くの旅行者が被害を受ける)

向こうにしてみれば貧乏人(インド)が旅行者(金持ち)からあらゆる手段を使ってふんだくってやろうという考えなのだろう。

なので、この国で物の値段を買い手にはっきり表示するという事は(日本では当たり前だが)「この物の値段は外国人でもインド人でも同じ値段ですよ」と潔く提示していることになり、

ある種の「信用」なのである。

そういったお店はお会計の際にぼられる心配もないし、言っていた値段とちがうじゃないか!という心配もないのだ。

これはその店がしっかりとした先進国の価値観を備えているお店ということになり「大丈夫なお店」ということだ。

最後は「ピカピカのタクシーが入り口前に停まっているお店はサービスがいい。」だ。

タクシーを使うのは外国人か、ネオインディア(急成長するインドの中でのし上がっていったインド人)しかいないからだ。

なので「この人達を満足させることができるお店」、「信用できるお店」という判断ができる。

多分この3つをクリアーしてる所は食中毒やぼったくりのケースは少ないと思う。

このような自衛の為の偏見をわたしはこの2日間で学んだ。

蓋が空いてないミネラルウォーターを蓄えにしてそれをポシェットにぶち込むとニューデリー駅に歩いた。

わたしはインドでなんとか生きてゆけそうだ。

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「これは死ぬかもしれない。」

早朝5時ホテルを頃軽い気持ちでニューデリーを歩き始めた。
わたしは
「列車のチケットオフィスオープンまでに3時間あるし、コンノートプレイス(こちらでいうでっかい代々木公園をラゾーナ川崎のような商業施設が周りを囲んでいるような場所)まで行って帰ってきてメインバザーにある日本食でご飯食べて駅オフィスまでいこう」と安易に考えていた。

歩いていると声を掛けられる。

ニューデリーに着いて以来
全然関係ない所に下ろされる、
道を聞けば嘘を言われる、
ホテルの奴は金を巻き上げようとする、
寄って来る奴は騙そうとする、
信用できない国だ。

最大の防犯対策は自分の意志だけ。
寄って来た奴は「いけ!」「構うな!」「触るな!」
何言ってるか分からないヒンドゥー語で近づいて来る奴は
「なんでこちらを外人と分かりながら自国の言葉で寄ってくるんだ。」
というのもあり、
暑さと、苛立ちと、詐欺多さにこちらも日本語で返す場面も多々ある。

もちろん日本語は伝わらない。
ただ日本語で怒ると向こうの人は何言ってるか分からないためちょっと恐く感じるみたいだ。

これは効く。

あと声を掛けて来る奴の対策は、
目を合わせない、
もし合ったら
話を聞く意志がないことを伝える、
早歩きで歩く
しつこい奴は怒る

これは悪い虫が付かない、事件になる前段階の予防策。

ちょっとでも緩んだら終わり。

「そこまでしないでも」と思うかもしれないがそこまでしないとダメな国。

ツアーで行ってたり、ガイドさんがいたらまた違っただろう。
インドのいい所だけを回って
いい距離感で人と接する事ができるだろう。

ただ一人は狙われるし向こうはすぐ距離を縮めてくる。
ましてや「日本人」というのはいいカモとして定着している。
必ず「お前はどこから来た?」と聞かれる。

「日本人だ」というと話を進めてくる。

過去に日本人をぼったくった経験があるから聞いてくるのだ。

今後インドに来る日本人が被害に遭わないために、
「日本人は気が強くて恐い、一筋縄ではいかない」というイメージをこいつらに植え付けないといけない。

わたしはコンノートプレイスに行くのは止める事にしまた。
「コンノートプレイスはここからどのくらいある?」
「車で10分だ」
「車で10分?本当か?」
「本当だ」

とてもじゃないけど歩いて行ける距離じゃない。
また戻ってくるのも一苦労。

「メインバザーで日本食屋さんが空くまで待とう。」

ニューデリー駅正面にメインバザーという活気に溢れた通りがあるが
そこは道路も整備されていない所。
日本でいう「原宿竹下通り」だろう。

朝方のメインバザー
↓↓↓
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朝5時に行ったので店は閉まっていたが、
不潔極まりない所。
日本食の美味しいお店があるとガイドに書いてあったが
僕はオープン前のそこに行きましたがまぁ信用出来ない。

動物園の檻の中だろ!という匂いが辺りを支配していて
牛の糞、埃、蠅の量、

近くに露店商がありますがただ家の中が暑いから壁を打ち砕いて露わになっているだけだ。

生水もダメ、外も不衛生、
家の中のキッチンが綺麗な訳がない。

「これはやばいな、食べれないなぁ」

ただ昨日の機内食から何も食べていないわたしは
散歩がてら歩いたつもりが大きな目印がないインドで迷い、

朝方襲った砂嵐と暑さで体力を奪われ、
ジューススタンドも開いてない(インドでは自動販売機は防犯上からか1つも置いてない)

お店もやっていない、
やっていてるお店は生命の危機を店頭で感じる、
道路は臭い。
腹減った、喉カラカラ、
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この旅始まって初めて
「これは死ぬかもしれない。」と感じる。

そしてわたしはたまたま2、3人でたむろしていたインド人に
「この近くに水が売ってる所あるか?」と聞くと
「ここだ。」と言われる事になる。

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ニューデリー

歩いても歩いても予約していた「hotel LEGEND」に着かない。

日が暮れようとしている。

「地球の歩き方」を持ちながら歩いてると『カモ』にされる。

周りのインド人にしてみれば「あいつは旅行者だ!」「日本人だ!」「金を持っているはずだ!」と。

そう書いてあったがわたしは堂々と見ながら歩いた。
見ない余裕はない。

最初はインドのカルチャーショックを楽しんでいた
「うわ。黒く塗ってある所をまた塗ってる。」
「あんな所草むしってる。」

「なんだあのレモンのジュースの屋台。絶対危ないじゃん。」
ただ、
次々に目に飛び込んでくる物が私を不安にさせた。

日没で薄暗くなる辺り、
案内標識が一切ない交差点、
舗装されていない道路、
「Do you speak English?」が通じない。

何もないのに外でたっている人、
前髪を前で縛る人、
砂利道、
行き交う牛、
じめっとした暑さ、
不潔な人、
クラクション、
バイク、
人力車、
リクシャー(3輪車バイクタクシー。今後問題になるのでお見知り置きを。)
↓↓↓
インド1日目②

ハロージャポン!、
牛の糞、
山羊の糞、
人の糞、
アンモニア臭、
蠅、
ゴミの山、
瓦礫、
排気ガス、
砂ぼこり、
ポシェットをじろじろ見る奴
笑う奴、
全く目が合わない奴、
サリーの集団、

これら全てが一緒の画面として目に飛び込んでくる事を想像してみてほしい。

ニューデリー。
日本でいう「東京」がこんな感じ?

「これあと6日間どうしよう・・。」

サングラスを掛けると目の動きを読めなくて不安になるから客引きがあっさり諦めるらしいが
わたしのサングラスはしっかりフィットしないくて汗でずれ落ちてくる。
現地に行って気付いたが街頭もない所を道も知らない奴がサングラスを掛けたら視界を遮るような行為でますます迷う。
すぐにリュックに閉まった。

アラカシャン通りにあるhotel レジェンドに自力でたどり着くまでに数多くの人に道を尋ねたがかなりの確率で嘘をつかれる。

「アラカシャン通りはどこですか?」
「向こうだ。ここ真っ直ぐ行って左だ。」

だが真っ直ぐいっても
砂利道ともいえないほぼ砂の上の道に道路の案内板はなく、
「え?どこを曲がればいいの?」
別の奴に聞く。
「アラカシャン通りはどこ?」

「逆だ!逆!真っ直ぐいくとブリッジがあるから!そこを右だ!」

インドの人は道を訪ねられるとたとえ知らなくても「知らない」とは言わないらしい。と聞いたことがある。

わたしはここまでの失敗から道を聞くときの3つの自衛策を産み出した。

1つ目に、
まずインドでは聞く人を選ぶこと。
警察やターバンを巻いているような階級の高い人、
道を教えても全く利害が発生しない職業の人、
一回自分の目の前を声を掛けないで通りすぎていった人、

逆に
リクシャーやタクシー、話し掛けてくる奴や、ちょっとでも反応が遅れた奴は全くあてにしない方がいい。

お金が発生したり全く別の所に向かわされる。

2つ目は、
そいつが本当に信用なる奴か確認する。
確認方法は、
自分が知っている場所をあえて聞いて
方向と掛かる時間が正しかった場合、
次に本当に聞きたい場所を聞くということ、

3つ目は1人に聞いただけで判断しない。最低3人に聞いて判断するということ。
このように何重ものフィルターを通さないと信頼できる情報は得られず
自分の身は守れない事に気付いた。

このような予防策でわたしは4時間近く歩るき
ようやくアラカシャンロードにある看板のないhotel レジェンドに着いた。

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【アーグラの夜猿】あらすじ

ニューデリー

私は長いフライトの所為で腰を痛めたみたいだ。

どこをどうひねれば元の腰になるのか入国審査までひねりながら歩いていた。

日本人はいないみたい。あれは韓国人だろう。

そういえば機内で席が隣だった韓国人はどこにいったのだろう。

むんっとした空気の空港内に響き渡るアナウンスに耳を傾ける奴はいなく英語のプラカードを持った奴が市内まで送るお客を探している。

空港でドルをルピーにした方がいいとガイドブックに書いてあったからその通りにした。

もし空港で太陽のポーズをした方がいいとガイドブックに書いてあったら私はそうしてたかもしれない。

ガンディー国際空港に着き、市バスに乗ってとりあえずニューデリー迄行かなくてはならない。

バスターミナルが見当たらないのでカタコトの英語で尋ねると「あそこだ」と教えてくれる。

汚いバスに乗り込むとインド人が乗り込んできた。

彼等は一様に驚いた表情で私を見て、暫くすると飽きて、黙って出発を待っていた。

どうやらこのような「市バス」で市街地に向かう外国人は珍しいらしい。

皆タクシーで向かうらしい。

私は遅れて徴収しに来たインド人に(バングラディッシュ人かもしれないしパキスタン人かもしれない。)訳も分からず何ルピーか払いバスに乗る権利を得た。

1000ルピーだ!といわれたら1000ルピー払っていたのかもしれない。

この150ルピーが高いのか安いのか私には分からない。

バスはやがて動き出した。

驚いたのは車のクラクションだ。
日本ではクラクションは「危ない!」の意味で鳴らしすが、
インドでは「おい!来てるぞ!」の意味で鳴らす。

インドには車線がない。

だから走っている車の横を通り過ぎる時「おい来てるぞ!」と鳴らす。

皆が皆隙間を縫って走行するから皆が皆クラクションを鳴らす。

それも1回につき何回も鳴らす。「プーップーップップププ」これで1回分。
これを何回も、
車の横を通りすぎる度に鳴らす。

あなたが住んでいる近くにある一番大きい道路を想像してほしい。
他の車を通りすぎる度、対向車が来る時、全ての車が何回もクラクションを鳴らして行き交ってる所をだ。

つまりは秩序がないのだ。
危なくないのに鳴らす。

外から見える景色は私にとって新鮮で異常だった。

広い道路の路肩でレンガを積む小さい子供

どこからかリヤカーで石材を運ぶ少年

空港から歩いて市街地に向かう家族の集団。

タクシーはバスを抜かし、

リキシャー(3輪自動車)はその間をかいくぐり

荷台を取り付けた自転車は堂々と道の真ん中を走る。

信号がないこと、ガードレールがないこと、路肩がないこと、

横断歩道も中央線も見当たらなかった。

早くも混沌を目の当たりにした私を悩ませたのはこのローカルバスには次はどこのストップか、案内が全くないことだった。

日本のように電子案内板もなければ、路線地図もない。

驚くことにバスストップもない。

たまにバスのスピードが下がり、徐行速度になると

皆いっせいに降りる。入ってくる。

案内アナウンスもない。

今どこを走っているのかわからないのだ。

私は「ニューデリーに行きたい。次はニューデリー駅近くのバス停?」と近くのインディアンにたまらず聞くと、

彼は「ニューデリー?今の所がニューデリーだったんだぞ?降りろ!降りろ!」
と促す。

その騒ぎを聞いた運転手が気を利かせバスは急遽停まった。

私は「センキュー!」と感謝を表して「ぽんっ」と降りた。

「なんていい奴なんだろう、助かった、」
と。

ただ後々分かったのだが降りた場所は
『オールドデリー』で『ニューデリー』とは8キロ離れた場所に位置していた。

私はそうとは知らずクラクションが鳴り続ける道路を歩き始めた。

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【アーグラの夜猿】30手前の芸人が1人バックパックでインドへ行った話

『ご報告』

突然ですが
わたくしもりたけんじは
6月27日成田12:00の便で7月4日までの7日間インドに1人で行ってきます。

実は1ヶ月前から動いていてパスポートを取り航空券を取り本日ビザも取得しました。

もともとは「銀座のママ学」みたいな名前の本を立ち読みした事がきっかけでした。

その本の銀座のママがいうには『1人暮らしと1人で海外旅行をした事がある男は一目で分かる。』ということでした。

最近僕の中で流行っている考えがあります。
それは「これは何を僕に教えてくれているんだろう」という考えです。

この本と出逢った事は何を僕に教えてるんだろう。

なんでもそう思うとちょっとした「運命」を感じ、ちょっとした出逢いやアクシデントを大事にして変われそうです。

このようなきっかけや考えのもと僕は20代最後の年にもう一度地獄を見に行く事にしました。
地獄は人を成長させる事は過去に実感していますし

僕には合っているみたいです。

なのでいい噂を聞かない「人間の森」インドです。

僕の人生のターニングポイントは
27で先輩の運転手をしたことでした。
多分それは80歳になっても「あの時だったなぁ」と思えます。

そしてまた日に日に「成長したい」「昨日の自分よりちょっとでも成長したい」「大きい奴になりたい」という欲が出てきました。

少しの期間ではありますがいろんな価値観に触れて将来の芸の糧になるようなものを探して身につけてこようと思います。

成田に帰って来たとき何か変わってる自分に期待し、
10年後の将来に先行投資したいと思います。

ニューデリー(コンノートプレイス)→アーグラ(タージ・マハル)→バラナシ(ガンジス)をツアーを組まず一人で歩く旅です。

本日ビザ取得したこれを機会に明るい色の報告をさせていただきました。

因みにそのきっかけとなった本に
全てが決まったので報告しに行ったらもうどこにもありませんでした。。。

いろいろご批判はあるのは承知ですが僕は僕の価値判断で動きます。

死んだら笑ってください。

インド1日目①へ

ABロードで2.9万で航空券あるんよ。事務手数料なし。オープンジョー。訪問可能都市1都市。5月末までに購入すれば別支払いの燃料サーチャージ上がらず。

バングラディッシュのダッカから帰国してもいいし、ネパールのカトマンズからでもいいし、コルカタでも、インドネシアのテンバザールでもいいんだって!

上海乗り継ぎで5000円でストップオーバーもできるらしい!

インドはネタの宝庫だから行きたいんだけど、

中国行って中国語を会得したいし。

これ迷いどころ。

5/20までに結論出すわ。

っていうカメラ好きにはたまらない奴を買いたいんだよ、ボディだけで30万以上、レンズつけると50万以上。

今携帯でバシバシやっているけどやっぱり同じ風景には二度と出会えないわけだしSNSが流行っている時代だからこそ30年後見ても生きている写真にしたいんだよね。

もちろんデジカメは持っているけどチベット行くなら一眼レフ持って行きたい。

一眼レフ買うとチベット行けない。

じゃあインド行くか?って考えてるけどそれもそれで一眼レフ持って行きたいわ。

10万くらいの一眼レフ買うならいっそ来年まで待ってもっとスペックがいい奴買った方がいいよね。

ニコンD800
ニコンD800

八方塞ですわ。こんなに旅したいのに。

今僕は本当に怖いです。

劇的な変化がなければ日本での生活が残り1年とちょいになりそうだからです。

やがてくるその日を迎えるのが怖くて仕方ありません。

先日よしもとの社員さんと飲む機会がありお話を伺いました。

その方が仰る「今の時代、いかに人と違うことをやるかですね。僕なら中国行きますね。」という言葉は今の自分の考えを加速させてくれるものでした。

そして再確認したのは自分がこれから向かう方向はそんなに間違っていないんだなということでした。

これはそう思うより他無いし、先駆者がいないという意味で本当に怖いですが

一方で信じているのは、

コンテンツが多様化するなかで表現の仕方も変わり、時代に合わせてこちらも変化しなくてはならないんだろうなという愚かな先見であります。

皆さんはどう思うでしょうか。

何百といる芸人の中でこんな奴一人ぐらいいてもいいと思いませんか?笑

ウユニ塩湖のシーズンが7月~10月なんだってさ、

トマト祭りが8月の下旬だからどうしよね。

南米から回ると8月にはスペインについていないと

スペイン経由でボリビアだと・・でも急ぎの旅だね。

この二つを見て回った人いるんかね。

夏にヨーロッパ、冬に南半球回りたいな

2007
台北駅をね、がーっと歩いたところ15分ぐらい。

今日の宿見つけたわ。1泊700円ね。

やっぱりあるからね。妥協しないでよかったよ。

俺なんかこんなところでいいんよ。

ちょっとシャワー浴びて、今までのことノートにまとめて、

お金をじっと見る。

2005

小僧がせーので帽子投げてるよ☆

あと、

なんかここ、部屋にコンドームあるからね。

多分パコパコホテルだね。

だから安いのかね。

これホテルのショップカードね。

夜出かけるときこれ持っていかないと迷って帰れなくなっちゃうから必須ね。

最悪タクシーでここの場所を告げるっていうね。
1995

テレビつけるとね、

なんか占い師がゲストにあーだこうだいうっていう番組みたいね。

台湾の人占い好きだもんね。

2006

あ!チューヤン(左)だ!

1999

チューヤンじゃん!

あれ?本当にチューヤンか?

1998

笑うチューヤンじゃん!

ということで、

2002
チューヤンがテレビに出てきたら約束通り散歩行ってくるね☆

2007
台北駅をね、がーっと歩いたところ15分ぐらい。

今日の宿見つけたわ。1泊700円ね。

やっぱりあるからね。妥協しないでよかったよ。

俺なんかこんなところでいいんよ。

ちょっとシャワー浴びて、今までのことノートにまとめて、

お金をじっと見る。

2005

小僧がせーので帽子投げてるよ☆

あと、

なんかここ、部屋にコンドームあるからね。

多分パコパコホテルだね。

だから安いのかね。

これホテルのショップカードね。

夜出かけるときこれ持っていかないと迷って帰れなくなっちゃうから必須ね。

最悪タクシーでここの場所を告げるっていうね。
1995

テレビつけるとね、

なんか占い師がゲストにあーだこうだいうっていう番組みたいね。

台湾の人占い好きだもんね。

2006

あ!チューヤン(左)だ!

1999

チューヤンじゃん!

あれ?本当にチューヤンか?

1998

笑うチューヤンじゃん!

ということで、

2002
チューヤンがテレビに出てきたら約束通り散歩行ってくるね☆

facebook 森田賢二

2012
吉野家にお茶漬けなんてあるんだね。日本では見たことないけど。

2011

台北で有名らしい「台北牛乳大王」
2010

なんか「牛乳大王」のレジのところにあったんだけどね、

当店は「オッケーな水」を使用してますよって事みたいね。

いかに他がオッケーじゃないかって事よね。
2009
「日本であまり飲めないものを」ということでパパイヤ頼んだけど俺パパイヤ嫌いだった。

ちょっと一休みしたら宿探しだよ。宿探し。

どうでもいいけど台湾って!
2008

すぐ地べたで売るね☆

2012
吉野家にお茶漬けなんてあるんだね。日本では見たことないけど。

2011

台北で有名らしい「台北牛乳大王」
2010

なんか「牛乳大王」のレジのところにあったんだけどね、

当店は「オッケーな水」を使用してますよって事みたいね。

いかに他がオッケーじゃないかって事よね。
2009
「日本であまり飲めないものを」ということでパパイヤ頼んだけど俺パパイヤ嫌いだった。

ちょっと一休みしたら宿探しだよ。宿探し。

どうでもいいけど台湾って!
2008

すぐ地べたで売るね☆

facebook 森田賢二

2017_2
この鍋250円だからね。

なんも食べてないから自分にごほうびだよ。

自分の中国語が伝わらないから黙って歩く時間が多くなったけど、

お店に入ったら暇そうにしている店員捕まえて質問攻めだよ。

過去に自分が発した中国語は今の発音で一回で通じるか?検証。

あと、新たに発する言葉は伝えた後、正式な発音をもらうこと。

会話本を指差して「用中文怎公悦。(ヨンチョンウオンテェンモショ)(なんて発音するの?)」

って。

早くて聞き取れなかったら「清悦慢一些(チンシャオマンイーシェ)(ゆっくりしゃべってください)」って。

この繰り返し。

めんどくさがれても繰り返すからね。

覚えた言葉もいちいち使うよ。

「可以拍照嗎?(カアーイーパイチャオマ?)写真とっていいですか?」
「可以拿这个嗎(カアーイーナーリックマ?)いただいていいですか?」

「这是怎麽?(チョーシーチェンモ?)これは何ですか?」って。

でもね、
店員さんもこんなに熱心に中国語を覚えてくれて嬉しいみたいだよ?
料理にも興味示してくれて。

あと、
やっていて思ったんだけど、
普通鍋食べて「熱い!」っていうリアクションって反射的に出ちゃう言葉なんだけど、

ただ今勉強中の俺の場合は、
「熱い!」って思ったら、

まず会話本取り出して、

ページめくって、

「えーと・・・・熱すぎる・・・熱すぎる・・・『これは冷たいです』・・冷たいじゃなくて・・・
え~と・・・・熱い・・・熱い・・・あった!」

店員さんをちょっとちょっとして、

鍋指差して、

 「太熱的了(タイルータラ!!)(熱すぎる!!)」
だからね。

店員さん「そうですか・・それはそれは」みたいな。

苦笑いは万国共通だって知ったよ☆

あとさ、
「这是怎麽?(チョーシーチェンモ?)これは何ですか?」って聞いたらさ、
何っていわれたと思う?
2015_2

「猪の血の米」だって。

2013_2

すぐ吐いたよね☆

2020

2018
士林(シーリン)に宿ねーよ。1泊2000円たけーよ。

2021

床屋の名前が「第6感」ってよ。

誰がそんなよくわからん感覚で切ってもらいたいんだよ!

2019

長蛇の列作って★○▼☆”#&‘*@@!!!

1617

MRT淡水線で台北で最も大きな夜市がある士林観光夜市(シーリン グアングアンイエシー)へ。

宿見つけないとね。

2030
台北駅の向かい側。

かなり賑わっている。

「総統府」どこ?総統府。

「清問一下、総統府在那里?」