【アーグラの夜猿】インド2日目②

「どこから来たのですか
?」

隣の中国人男性が朝食を食べながら話しかけてきた。

新聞を広げ、ビジネスマンのような装いで、インドに慣れた感じが見て取れた。

わたしは簡単な英語で答えると妙に同じアジア人(インドもアジアだけど)ということに共感を覚え、

圧倒的ストレスを感じている今までの苦悩を共感してもらいたかったし、

インドについてのいろいろな事を聞きたかったが急いでいるようなので止めといた。

彼はわたしのテーブルの上に並べられた食事の量とバックパッカー丸出しの姿を見て話しかけずにはいられなかったのだろう。

アラカシャン通りを3分ぐらい入っていったミルク販売店の隣「アジェンタホテル」のレストランは250ルピーでビュッフェだった。

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わたしが沢山ある料理の中からベジタリアンカリーを何杯もおかわりしていると
興味を持ったのかお店のオーナーがいろいろ話しかけてきてくれた。

「わたしの兄弟が四ッ谷いるよ」

「四谷に?」

「お店を出しているんだ。」

あつあつのナンのような物を運んできてくれる。

「このナンはエクストラチャージ?」

笑って首を振ってた。

「これは何だ?美味しい。」と聞くと

「アールブラータ」だという。

ナンの中にポテトが入っている。

今思い出しても「アールブラータ」がインド料理で一番美味しかった。

喉が乾いていたわたしは
マンゴージュースを何の抵抗もなく流し込んでる途中「しまった!これ生水使ってるかもな、腹下るかも。」と気付く。

ただそんな事いったら先程から飲んでいるベジタリアンカリーも水で作られているはずだ。

わたしの不安を打ち消してくれたのは向こう側で座っているヨーロッパのカップルの存在だった。

彼らはもう毎日、何時間もここにいるような雰囲気で場に馴染んでいた。

多分何かのガイドを見てここに来たのかそれともここのホテルに泊まっているだろう。

他にも先程の隣の中国人がむしゃむしゃ。

わたしはここは
「大丈夫なレストランだ。」と思った。

もしこれが今いる店内のお客さん全てインド人だったらわたしはマンゴージュースを吐き出さなくちゃいけない。

なぜなら地元人が来るようなお店はわたしと『同じ種類の胃』ではないからだ。

「大丈夫なレストラン」を見つけるとその街で何とか過ごしてゆける。

なんとか「生きて行ける」と思う。
お腹が空いたらまた戻ってくればいいからだ。

インドでエコノミーな旅をしていると信用できるレストランを見つけ出すのは難しい。

日本なら旨いお店か不味いかの違いだが、

インドでは『大丈夫なお店』か『ヤバイお店』かしかない。

しかも圧倒的にヤバイお店が多い。

それはある程度高いお金を出したら全て大丈夫なお店だろう。

わたしはエコノミーな旅での「大丈夫なレストラン」を見極めるポイントを3つ発見した。

ひとつは、

『店内に外国人のお客がいる事』、

店内に外国人がいるということは料理に対する価値観が先進国に認められたお店であることを示している。

なので対外的においしい・大丈夫という評価をもらっているお店ということになる。

2つめは『値段がしっかり書いてあるメニュー表がある事』だ

インドの物価はしばしば外国人価格と自国民価格を設定している。

同じ商品でもどっちが買い手かで値段が違うのだ。(これによって多くの旅行者が被害を受ける)

向こうにしてみれば貧乏人(インド)が旅行者(金持ち)からあらゆる手段を使ってふんだくってやろうという考えなのだろう。

なので、この国で物の値段を買い手にはっきり表示するという事は(日本では当たり前だが)「この物の値段は外国人でもインド人でも同じ値段ですよ」と潔く提示していることになり、

ある種の「信用」なのである。

そういったお店はお会計の際にぼられる心配もないし、言っていた値段とちがうじゃないか!という心配もないのだ。

これはその店がしっかりとした先進国の価値観を備えているお店ということになり「大丈夫なお店」ということだ。

最後は「ピカピカのタクシーが入り口前に停まっているお店はサービスがいい。」だ。

タクシーを使うのは外国人か、ネオインディア(急成長するインドの中でのし上がっていったインド人)しかいないからだ。

なので「この人達を満足させることができるお店」、「信用できるお店」という判断ができる。

多分この3つをクリアーしてる所は食中毒やぼったくりのケースは少ないと思う。

このような自衛の為の偏見をわたしはこの2日間で学んだ。

蓋が空いてないミネラルウォーターを蓄えにしてそれをポシェットにぶち込むとニューデリー駅に歩いた。

わたしはインドでなんとか生きてゆけそうだ。

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