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フロントエンドエンジニア芸人/インド芸人/もりたけんじの武骨日記 ・NSC東京9期 東京湾に入港してくる貿易船の綱取りをしていた頃、先輩芸能人の運転手する。ビジネスホテルでフロントで英語ができなかった挫折を味わい、力を付けに1人でインドへ渡航した。帰国後世界から発信するためWeb技術をつけたくなり、専門学校へ通う。以後、プログラム言語JavaScriptの正直さに惹かれ 「フロントエンドエンジニア芸人」を極めるため日々奮闘中。現在はサイバーエージェントにジョイン

どうしよ。と思っています。 うちのマンションの管理人さんは高橋さんといいます。 僕は朝高橋さんがゴミ置き場や玄関を掃除していたら「おはようございます。」と挨拶を交わしている。 しかし大体の場合、 高橋さんは管理人室に『閉じ込められて』います。 管理人室の位置は 外からエントランスに入ったら左手側。 部屋から行くと エレベーターで下がって開いたら右側の 管理人窓口の向こう側にこちらを向いて座っています。 そこで目が合った場合はお互い「おはようございます。」とは口に出さず どちらも頭をペコリと下げるにとどめています。 ただそれが1日の始めの1回ならいいのです、 1日の間に何回もエレベーター前を行き来すると また「1日の始まり」のような挨拶とはいかない。 だんだん力を抜いて挨拶するようになる。 「ペコリ」具合が浅くなりお互い「うなずく」ぐらいになってくる。 エントランスを通る度に 管理人の方を向いて 目が合ったらうなずく。 それに対して向こうも僕の目を見てうなずく。 エレベーター来るまで待つ。 今のは何のうなずきだよ! それはまだお互い通じ合っているからいい。 「うなずき後」さらにエントランスを通り過ぎたりすると しまいにはお互い目を反らしたり、 『無視してあげる』ようになる。 ただそれはお互い「来た!」「いた!」と感じた時できる『気遣い』で、 僕だけが「いた!」と気付いてて 向こうが僕の存在に気付いない時は変な感じになる。 エレベーターを降りて、 エントランスへの扉が開く。 なんか管理人さんがこっちを向いている雰囲気を感じる。 見てるか分からないけど、 一応ペコリしておく。 ペコリ返しがない感じがするので ちょっと「本気で」チラッと見ると、 向こうの体はこちらを向いているが 何か作業していて全く気付いていない! そんな時は「あ!やべっ」と思い そのペコリをどうにかお辞儀じゃない事にして 下げた頭を戻さないで『お辞儀を完結』させず、 そのまま下を見て『お辞儀の途中』のまま歩いていく。 それを見た管理人さんにしてみれば 森田さん!『お辞儀の途中』のままどこに行くのよ! 前を見なさい!前を!だろう。 俺はエントランスで何をしているのだろうと思う。

先日、目黒区図書館の外のあるベンチで座っていると 小学生3人組が沢山並んでいる自動販売機の前で自分等の買ったジュースをみんなで飲み比べていた。 するとそこに 「聞こえてるなら返事ぐらいしろよ!」と怒りながら小柄なおっさんが現れた。 その勢いと突然の出来事に隣で携帯をいじっていた主婦も見入る程だ。 僕が時間帯と服装から「何かの少年スポーツクラブのコーチかな?」と思って見ていると 勢いそのまま おっさんは「無視した罰な?」とばかり ある1人の子供のジュースを取り上げて 顎を上げ ジュースをその上に位置させると 口を付けないように流し込んだ。 そして暴力的に取り上げたジュースを乱暴に子供に返すと 「ぶどうジュースうまいな!」とこれまた腹立つ感想を放った。 大の大人が 「ぶどうジュースうまいな!」って。 しかもその後 自分も買おうとして、 止めて、 別の子供のジュースを取り上げてまた口を付けないように飲んでる! そして買わない! 隣にいる主婦も「この人なんなの?」で見てる。 楽しい時間を引き裂かれて、 何かに犯された子供達の表情は暗く、 ジュースの量を気にして、 おっさんと目を合わせないようにしている。 するとおっさんは 「お前ら自転車か?!」 「気をつけて帰るんだぞ!」と何の因果か大人っぽい事をいう。 そして、 「ジュースを持ちながら自転車に乗るのか?」と子供達一人一人に確認し始めた。 僕はなぜあんなにも 「ジュースを持ちながら自転車に乗るのか」確認しているんだろう?と思ったがすぐに分かった。 当然「事故」の心配だ。 そしてその瞬間僕は「はっ!」とした。 僕は誤解をしていたようだ。 あのおっさんにしてみれば、 子供達がジュースを飲み比べている。 テンション上がっている。 やがてバイバイする。 自転車に股がる。 夕方一番事故が起こりやすい。 子供は興奮状態。 ペダルが必要以上に回る。 危ない。 一言いわなきゃ! 「おい!」 「おい!」 「聞いてんのか!」 そして輪に入ってきた訳だ。 その事をわざわざ伝えに来たのかもしれない。 「命あっての物種」 確かにジュース持ちながらの自転車はブレーキの際危ない。 僕はそのアプローチの仕方と伝え方に「あ、なるほどな」と逆に感心していた。 すると、 おっさんは最後の1人に 「ジュース持ちながら自転車に乗るのか?」 確認すると、 「ジュース持ちながら自転車運転は危ないぞ! ジュースがこぼれちゃうからな!」とジュースの心配をして去って行った。 お前はすぐそこの山手通りの交差点で毎日ぶどうジュース飲みながらずっと突っ立ってろ!

インドの警察

最初から読む→【アーグラの夜猿】1日目

6月27日〜7月4日出来事をお伝えしました。

長い文章なのに最後まで読んで頂いてありがとうございます。

たった1週間の出来事ですが、
みてお分かりのようにわたしにはあの国に半年いたような気さえします。

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カンボジア1日目② シュリムアップに着いたのは17時30分。 シソボンから2時間掛かった計算になる。 あの「タクシーと言えないタクシー」でシュリムアップに死なずに着くことができた。 シソボンではまずタイバーツをカンボジアリレルに換金したかった。 ある情報でタイバーツはカンボジアでも使用できると聞いていたが それは国境付近だけでシソボンのような田舎では全く使えない。 シソボンを歩いて回る事はなかったが 印象としては極度の貧しい町。 カンボジア1日目② シソボンは小学校の校庭くらいの広さにバスターミナルがあって その「校庭」で人々は商いをしていた。 多分ここが一番の繁華街だと思う。 ここら辺の商いは店舗を持たず 小学生くらいの子供が単体で何か分からない食べ物を売る。 1人でそのシソボンと呼ばれる「校庭」に入っていった僕はまだ目立たなかったが、 シュリムアップまでの長距離バスの乗り継ぎ?もしくは休憩所?に際して降り立った外国人は その余りにも分かりやすい格好の為、 生活が逼迫している売り子に囲まれていた。 その執拗さが貧しさを表している。 暫くして僕もシソボン人に見つかると 子供は「これ買って?」という訳でもなく ただザルの中を見せて こちらが歩くとおいていかれないようについてきて 止まったら目の前に立ち下から顔を見上げる。 彼らは決して目線を外さない。 英語で「銀行はどこか」と聞くと 「あ。英語だ。」 となり、親切心からか、恩を着せる為か、 どこかから英語が出来る中学生くらいの年の男の子を連れてきてくれる。 男の子に「今日は日曜日だからやっていない。」と告げられたので、 タイバーツを見せると 「ノー。」 ダメ元のドルを見せても 「ノー。」 これらはここでは何の役にも立たないらしい。 カンボジアに入った興奮でエクスチェンジの事はすっかり忘れてた。 また野宿? ずーっと突っ立っている日本人が ここの「校庭」で一番背丈がある。 次第に周りに人が集まりだした。 「この背の高い中国人は何をしたいの?」という周りの空気。 その疑問に英語の出来る「優等生」がカンボジア語で教えている。 腕を掴んで「こっちへ来い」とする奴がいる。 連れていかれた所は 土まみれに座っている白髪の汚いババアの所で そのババアは大量のカンボジアリレルを差し出して 「エクスチェンジできる」という。 いやいや!超怪しいな! タイバーツ幾らが何リレルか分からない。 ただお金がないのは困る。 銀行は休み。 正確にレートが分かったのはこの後シュリムアップの市中銀行で両替した時で カンボジアでは11月28日現在、 1ドルは3875リラ。 100円は4650リラ。 がレート。 その時シソボンのババアから両替したのは 完全にぼったくられそうなので とりあえず痛くも痒くもない20バーツにしといた。 日本円でいうと20バーツは60円で 2400リラをババアから貰った。 カンボジア1日目② こんなにお札貰えるの!? 後々分かったがこんなもんカンボジアでは全く使えない。 チップにもならない金額を恐る恐る交換してはお札の数になんだか「儲かったのでは?」と嬉々としてた。 別の男の子が 「シュリムアップに行きたいのかい? タクシーはどうだい?」 と声を掛けてくる。 オズの魔法使いの東の魔女みたいなババアから受け取ったボロボロの2400リレルを見せてこれで行けるか?と聞いたら 「冗談だろ?」で笑われた。 でもタイバーツしか持っていないんだ、 と吐くと 180バーツ(430円)で行ってくれるという。 タイバーツも使えるんかい! 「この車に乗れ!」 で乗せられたのは普通の白い乗用車。 カンボジア1日目② 外の奴がめっちゃこっち見てる。 この画。 潜入し過ぎたジャーナリストの画だぞ。 怖いな。 15分程待たされると 勝手に小僧達がタクシーの中に入って来る。 ちょっと待て待て! タクシーじゃないの? なんで入ってくるの? 相乗り? おかしいおかしい! 日本では普通乗用車はギュウギュウで5人乗りだが このタクシーには 「ちょっと詰めてもらえる?」をカンボジア語で指示され まさかの7人乗り。 うそでしょ!! おいおい! なんで「タクシー」なのにこんなギュウギュウにされるのよ! まてまて! お前ら自由行動か! しかもお前らお金払ってないだろ! 人のタクシー代をガソリン代にして! 「タクシー」って人の許可なしに相乗りできないもんなんだよ! 痛い痛い! 踏んでる踏んでる! え? 何? 何言ってるか分からねーよ! どうやらシソボン人は何処かに行く外国人にタクシーを勧めて、 商談成立したら、 出稼ぎや途中に家がある帰る奴を募って 一緒に乗っていくというクソ腹立つ習慣があるようだ。 渋谷駅から「玉川まで!」とタクシーの運転手に告げたら「ちょっと待ってくださいね。」と外に降りて、暫くしたら「あー、よかった。よかった。ちょっと詰めてもらえます。」 と言いながら普通乗用車のリヤシートに俺抜かしてプラス4人乗ってきたら おいコラふざけんなぼけ!と反応するのが日本人なら、 その後ギュウギュウ詰めの車内でお金を支払った人の膝の上に座りながら「あなたは何処から来たのですか?」と非日常の中で日常的な会話をし始めるのがシソボン人。 カンボジア1日目② めっちゃ笑ってるけど! 「楽しいですね!」じゃないよ! え? 何? 何言ってるか分からねーよ! あー。いやだ。 カンボジア1日目② 何時間このままなの? 快適さ求めてタクシー乗ったら 6人乗ってきたって。 ミスタービーンでしか観たことないぞ? カンボジア1日目② 笑ってるけど! 7人乗りのボロ乗用車は「危ない危ないの飛んでいけ〜」の100キロで農道をシュリムアップまで突っ走る。 助けてーーー!

カンボジア1日目① ポイペト。 タイ側の国境の町アランヤプラテートから カンボジア側の国境の町ポイペトへ。 カンボジアに入ると一気に活気がなくなるのを実感する。 舗装もされていないので砂ぼこりが舞う。 暑い。 賑わっているのは国境付近だけで1キロも歩くと両サイドは果てしない草原が広がる。 ポイペトから目指すのはシュリムアップ。 シュリムアップはカンボジア第二の都市とされている所で 世界遺産アンコールワットがある所だ。 ここら辺を歩いていると 「シュリムアップ?オーケーオーケー!乗りな!」おじさんがいる。 国境越えで疲れた外国人は目の前にある豪華な長距離バスに乗り込む。 長距離バスは何台も小さな店先に番長停めされていて 「シュリムアップに行くにはバスに乗るのが常識」と暗に知らしめているようだ。 イグミネーションで見かけた外国人は散り散りにどこかのツアー会社にバスの手配をお願いして 気付くと自分1人だけが歩いてシュリムアップまで行こうとしていた。 歩き過ぎてもう付近にはツアー会社もバスも駐車されていない。 つまりここまで歩く奴はカンボジア人にしてみれば 「だからシュリムアップは遠いんだって!勝手にしろ!知らないからな!」と突き放したという事だろう。 目の前にはただ一本の真っ直ぐな道があるだけだ。 シュリムアップまでは車で5時間は掛かるという情報を得たのは歩き初めてだいぶたった頃で その時にはもう外国人相手に交通商売するような奴はいない。 後方も今さら戻れない距離。 暫く目の前の「不安」と後方の「敗北」の狭間で 途方にくれて 「どうしよっかなー。」 ともらしていた。 「どうしたんだ?」 最初モトサーだと思ったが違うらしい。 カンボジアで最初のヒッチハイクは言葉も通じないおじさんで 「乗りな乗りな」でお金も要求しなかった。 カンボジア1日目① 10分ぐらい走ってくれ、 握手をして別れる。 「よかった・・。」 歩くと体力を使う。 「どんどんヒッチハイクしてやろ。」 という考えになっていた。 降ろされた所でまた親指を立てて後ろから走ってくる車を停める。 シュリムアップまで行きたい。 あ・・。あ〜。 「途中まで」って英語で何て言うんだ? すぐ単語帳で調べてそのまま使う。 「アイウォントゥゴーシュリムアップ、プリーズテイクミーハーフウェイ、ノーマネーオーケー?」 車をヒッチハイクしたのは初めてだ。 カンボジア1日目① お父さんらしき人と娘3人と外国人を乗せた車はシュリムアップを目指し国境からの1本しかない道をどこにも曲がらない。 真っ直ぐ行く。 車に乗り込んでも 何も質問してこないのが却ってよかった。 この道を歩こうとしていたのか・・。 ラジオからカンボジア語が流れてくる。 車内でもそのやり取りがある。 タイ語は耳に慣れていたがカンボジア語はまたなんともな感じだ。 舌をトゥリントゥリン使う?言葉が回るような?印象を受けた。 1時間ぐらい寝ていた。 上下する車に 「ちょっとちょっとちょっと!」となりながら目覚めた。 わざと溝にはまって走ってるでしょ!と思ったが 隣の少女は「何か?」と実に涼しい顔をしていたのでこちらも「別に?平坦な道路ですわね。」で抑えた。 看板にはシュリムアップの文字が出てきたので 「着いた?」と聞いたら ここは違うらしい。 何やら現地の人とお父さんが話をつけてくれている。 「ここからは彼が連れていってくれるよ!」と紹介されて「センキュー」 握手をして別れると 今度は違う男がバイクに乗せてくれた。 カンボジア1日目① 畦道を5分。 着いた先は「シソボン」という小さな町だった。 カンボジア1日目① シソボンはちょっと怖かった。

「そろそろ時間だ。」

時間まで女の子とホテルのレストランで話していたがそろそろ時間だ。

「シール貼ってあげようか?」

仲良くなるため、コミュニケーションを取るきっかけとして女の子が持ち歩いてるシール。

ホテルの従業員にも選ばせては貼ってあげていた。

意外とみんな喜んでいる。
わたしはなるほどなぁとコミュニケーションのきっかけに感心していた。

「これとこれしかない。どっちにする?」

そこには日本と韓国の国旗のシールがある。

わたしは「こっち。」と、
韓国のそれを肩に貼ってもらった。

ウンチャオからもらった韓国のシール
ウンチャオからもらった韓国のシール

情けない話だが、
韓国の女の子との別れを惜しみ、込み上げる物があった。

部屋で荷づくりをしている時が一番ヤバかった。

「素敵」というと柄じゃないけど、
わたしはたくさんのそれに似たような類いの思い出をその子からもらった。

ホテルをチェックアウトする。

従業員一人一人握手をして別れを告げる。

前に停まってるリクシャーに僕一人乗り込みアーグラカント駅を目指す。

女の子は歩いて行くという。
ここでお別れ。
「シーユーアゲイン」
をわたしは初めて使用した。

そんな余韻関係なしにリクシャーは黙って行く。

今日もインド国中でクラクションが鳴っている。

人との『別れ』程辛い事はない。
わたしはその時「いつかまた会える」を希望にした。

じゃなければとっくに膝から落ちて、手をつき、
おいおいやっていただろう。

アーグラカント駅になんとか着いた。
アーグラカント駅
これから4時間近く掛けて列車に乗りニューデリーに帰る。

そしてニューデリーからガンジー国際空港に向かう。

ふとわたしは今どんな顔をしているんだろう?と思った。

うん。
たくましい顔になったのかただ汚くなったのかよく分からない。

日本に帰ったら髭を剃らなくてはいけない。

次へ

「彼らが『ボートに乗らない?』って聞いてるけどケンジはどうする?」

タージ・マハル内で写真を撮っていたら韓国の女の子に聞かれた。

タージ・マハルは朝早くから人々で賑わっていた。

金髪の熟年夫婦、
家族連れ、
みんな重そうなカメラを首からぶら下げている。
サリーを着た大家族は意外にもはしゃいでいる。
はしゃいでいる所からして初タージなのだろう。
僕は「インド人もやっぱり観に来るんだ。」とタージ・マハルの人気に圧倒されている。

アジア系も多い。
そんな中で先程
韓国の女の子が同じ韓国の男の子2人組に出会った。
お互い「あ、韓国人だ!」と思ったのだろう。
韓国語で何やら話した後で一緒に行動していた。

向こうの男の子達は日本人の僕の方を見て女の子に「誰なの?」と聞いているみたいだ。

そこら辺は女の子がどう言ったか分からない。
多分「同じホテルで出会った。」と適当に紹介したと思う。
男の子達は「あ、そうか。」とすぐに『この変なコンビ』の謎が解けると、
「よかったら一緒に回らない?」と誘ってきた。

インドで自国の人と出会えて安心したのだろう。

以後、
韓国人3人と日本人1人の4人でタージ・マハルを回る事になる。

昨晩レストランで女の子と食事をしている時も韓国人女性2人組と知り合う。
そして4人で食事をした。インドではよく韓国人と会う。
そういえば成田から乗ったエアインディアの隣の席も韓国人だった。
韓国ではインド旅行が流行っているのかもしれない。

歩いてると彼らは多分これを聞けば共通点として盛り上がるだろうという質問をしてきた。
「ドゥユノー『カシオペア』?」
「カシオペア?」
僕は夜空に浮かぶ星座だよね?と説明したが違うみたい。

「歌手」らしい。

「ソーリー、アイドンノー、」
女の子が何やら韓国語で男の子に言っていた。

なんとなく「日本人は知らないんじゃない?」と言っているようだ。

僕も負けじと「『嵐』は知ってる?」と聞いたら
「知らない。」という。

韓国では知られてないのかなぁ。
SMAPにしておけばよかった。

そしてある程度回った所で女の子が「彼らが『ボートに乗らない?』って聞いてるけどケンジはどうする?」と聞いてきた。

なんでもタージ・マハルを出て、
イーストゲートをぐるっと回って、
タージの後ろ側に行くとボートに乗れる所があると男の子は情報を掴んだらしかった。

昨日僕は1人でそこに行った。
タージ・マハルの後ろを流れているヤムール川に写真を取りに行った。

僕は「あそこの事だ。」と思う。

イメージは悪い。
あそこら辺は確かにボートがあったが一見路上生活者が多かった所だ。

僕は「もちろんオッケーだよ。」というと4人でイーストゲートに向かう。

僕はタージ・マハルを背にして出口に向かう途中、
何度も振り向いてタージ・マハルを観ては無意識に「凄いなぁ」と日本語でもらしていた。

自然と出てきてしまう。

韓国人3人が「?」になっていたので
僕は「ビューティフルだなぁ」とわざわざ分かるように意識的に感嘆した。

「だなぁ」が日本語だったからどうだろう。
でもビューティフルだけで通じるだろう。

通じなかったら知らない。
僕は何を気にしているんだろうと思う。

昨日行ったルートを今日もまた行く。

4人で歩いてると
12才ぐらいの子供が
「ボート?」と慣れた口調で聞いてきた。

韓国の男の子が
「ハウマッチ?」と聞く。
子供は「20ルピー、4人で80ルピーだ。」とそのボートが作られるずっと前から決まっていたみたいにさらっと言い放つ。

この子供との会話が後々また事件になる。

「オッケー。レッツゴー。」

僕は一番後ろからその様子を見ていて
「これは絶対だまされるな。」と思った。

『インド』はこれじゃ終わらない。

僕は歩きながら子供に聞いた。
「エクストラチャージないか?」
「ない。」
言い方を変えて、
「コミッションはないか?」
「ない。」
川をボートで向こう岸まで渡り、
さぁ帰ろうになった時、
向こう岸に帰るにはまたお金が必要だ!と言われたらたまったもんじゃない。

僕は更に
「ラウンドトリップか?」と聞いた。
「そうだ。」

昨日のリクシャーとの大モメの件もある。

韓国の人達にしてみれば「入念に聞く日本人だなぁ」と思っただろう。

こんぐらいしてもまだ足りないくらいだ。

奴らは事前に言ってないことを付け足してくる。

向こう岸に行ったら『チャイ』を飲むのは当たり前だ!」
こんなことを言われ、
チャイ代も払わされるかもしれない。

そんな事は知らず、
かるーくオッケーして韓国の3人は前をいく。

タージ・マハルの外壁を沿って歩く。
砂利道になっていて右手側は草がボーボー。

そんな中で裸で生活をするインド人を何人も見る。

300メートル近く歩くとまた簡単な柵があって
難なく入って行くと
目の前に広がるのはヤムナー川。
昨日の朝僕は来た。

すぐ右手に石で作られたベンチがある。

インド人のおっさんがそこに手を背もたれに拡げて、片足をベンチに乗っけて、座っている。

子供が座っているおやじに話をする。

おっさんは4人の外国人を見た。
「あ、外国人だ。」と思っただろう。

韓国人の男の子が
「1人20ルピーだよね?」と子供が言っていた事をおっさんに確認する。

おっさんは
「4人で80ルピー?ノーノーノー。」と突っぱねるとそこにいる4人の外国人を1人ずつ指差して

40、

40、

40、

40。

160ルピーだ。と「当然顔」する。

韓国の男の子がこの「衝撃的告白」をされると

「え?この子供は『20』って言ったぞ?」とやり合う。

「はいきましたぁ。」と僕は思う。

予想が当たったという嬉しい反面、

はらわた煮えくり返ってくるのを確認できた。

韓国の女の子は
「安くならない?」
と値段交渉をしはじめる。
別の韓国の男の子は
「おい言えよ!」と子供を急かす。

子供はバツが悪いのを顔で訴え
「20ルピーにならない?」とおっさんに頼んだ。

子供の表情からして
子供は正規の値段を知らなかったのだろう。

もう1人の男の子は
「じゃぁ間とって30ルピーでっ!ねっ?30ルピー!」とおちゃらけて値切ろうとする。

まんまと騙された。
甘かった。

子供の値段を信用しないでとりあえず場所まで案内させて、
子供が提示した値段を最初にこちらから言わないで『おっさん価格』を先に聞けばよかった。

「値段を負けて」とかいう話ではない。
嘘をつかれたのだ。
絶対20はそのままにさせる。
店頭で280円だった牛丼が入ったら倍の560円だったんだ。
「負けてよ〜」はおかしい。

僕はおっさんに
「俺は乗らない。だからみんな20にしろ。」と伝える。
おっさんは「駄目だ40ルピーだ!」と折れない。

「子供は20ルピーと言ってたんだ!僕らは子供と約束している!」

おっさんは「駄目だ40ルピーだ。」と折れない。

僕は完全にスイッチが入った。
「あれは誰の子供だ?」
「サウスゲートの子供だ、うちとは関係ない。」

「関係なくはない!お前は誰にいくらのコミッションを払うんだ?」

「子供だ!」
「じゃぁ関係ある!お前らに属している子供だろ!」

女の子は「もういいよ、」と僕をなだめる。

「いや、よくないんだ。こいつらにこれからも騙される旅行者がいるんだ。」
と伝える。

とりあえず一人で言い合ってもなので、
一旦韓国の3人が向こうのボートに乗るまで休戦する。

「乗る?」

「ごめんね。俺は乗らない。3人で行ってきてくれ。」

僕はおっさんの横に座る。
端から見たら仲がいい2人に見えるだろう。

かなり近い。

ここを下りていった向こうの方で3人がボートに乗り込んだのを確認した。

3人の他にここまで連れてきた子供とボートを漕ぐ子供が乗り計5人。
ボートが岸を離れていく。

僕はおっさん向き合い先程の続きをする。

「おいどういう事だ?」

「お前は日本人か?コリアンか?」
「コリアンだ。今関係ないだろ。」
「俺等は1泊ホテルに泊まるのにいくら掛かると思う?」
「知るか!関係ない!」

「45ルピーだ、でも外国人はいくらで泊まる?我々とお前らでは値段が違うんだ!」

「そういう事じゃない!約束を破ったのはお前だ、
いいか?私達は1人20ルピーと子供と約束をした、来たら40になった。あなたは『子供はうちとは関係ない』と言った。じゃぁあの今3人が乗ってるボートは誰のだ?」

「私のだ。」

「他に乗ってる奴はだれだ?いいか?船を漕いでいる奴と連れてきた子供だ。連れてきた子供が乗ってるということはあの子供はお前に属している事になる。
お前に責任がある。
なぜ全てのインディアンはこうなんだ?」

「外国人は幾らでホテルに泊まる?」

「450で泊まった。それがどうした?」

「我々は20で泊まる。」

「今それは関係ない。
それなら最初から40ルピーだと言わせればいいだろ?いいか?旅行者は皆このインドを想像して期待して観光にくるんだ。
何でお前らはウソをつく?」

「あそこの小屋は何の宗教だか知ってるか?」

「知るかっ!」

「そうだ!シヴァ(神)だ!
よくわかったな!」

僕は余りに興奮して「知るか!」を日本語で言ってしまった。

向こうは早口の「知るか!」が「シヴァ!」と聞こえたらしく

「正解だ!よくわかったな!」と言われた。
僕は思わずふいてしまった。

ねぇおっさん!
あんだけ怒っていた日本人が「シヴァ!」て言うわけないでしょ?

韓国人3人がボートから帰って来た。

僕は3人が安全に戻って来たのを機に切り替える。

もうその話をおっさんとするのを止める事にした。

僕は韓国の男の子に
「キャンユーテイクアグッドピクチャー?」
と聞くと「イェイ!アイキャン」と嬉しそうに答えてくれた。

じゃぁよかったじゃん。
と思った。

ボートに乗った人が満足してるならそれでいい。

今朝の8時半だ。

子供も入れて4人でまた来た道を帰る。

子供の腕に女の子がシールを貼ってあげている。

出会う人出会う人にシールを貼ってあげているらしかった。

子供は嬉しそうに笑っていた。
僕はそもそもお前だぞ!
と思っている。
「こいつ。今度来る旅行者にはボートは『40』って最初からちゃんと言えよな!」と言ってやりたかった。
そんな子供に女の子はもう一枚別のシールをあげていた。
子供は嬉しそうだった。

4人で歩いてると別の子供が前からやって来た。

進行を妨げる。

そのインドの子供は
「ヘイ!ポストカード20ルピーでどう?僕の店はあっちだよ!来なよ!」

同じ手法に僕はさすがにふいてしまった。

次へ

ツーリストがどこに行きたいか地元の人はよく知っている。 アランヤプラテートに着いてバスを降りると 「ヘイ!ボーダーライン?」 日に当たり過ぎた男が呼び込んでくる。 そんなにしつこくないしそれ以上何かを言うわけでもない。 笑顔だけで「ハーイ」という者もいる。 タイとカンボジアの国境の町アランヤプラテートに着いた。 国境まではトゥクトゥク(電動3輪車)で3分ぐらいの所に位置していて 多くのツーリストで賑わっている。 歩いたら大体20分ぐらい掛かっただろう。 タイ4日目② この途方もない景色と日の照りは僕にトゥクトゥクを乗らせた。 タイ4日目② ボーダーラインまで行ってくれと頼んだのに近くの事務所のような所で停まった。 トゥクトゥクの運転手が案内する所でビザ申請の手続きをしろということらしい。 「いいからまず国境へ行ってくれ。」 何が順序か分からない。 適正価格も分からない。 何が正しいか分からない時は同じ外国人がやっている行動を真似する。 「まずは外国人がいる国境に行ってくれ。」 事務所から出てきた男と運転手が「この外国人をどうしようか」話しているので 構わず金だけ渡して賑わっている方に歩いた。 『追ってこない』という事は『よくある事』なのだろう。 小さい女の子とその弟?が外国人を見つけては勝手に頭の上に傘をかざして日陰を作る。 日陰売りの子供等は「大丈夫。」と断って早歩きをする外国人にどうにか合わせようと小走りする。 無視を続ける外国人に「あ、こりゃだめだ」と思ったら来た方向を振り向いて、 宝の山のように歩いてくる白人に あっち行ったりこっち行ったりして日陰を作ろうとして断られている。 あっちの方には リアカー一杯に牡丹のような黄色の花を積めて砂ぼこりの中を行く細い女性がいる。 女性達は外国人には目もくれずカンボジア方面を目指す。 貿易。 その向こうには 荷台に人だかりを載せて走るボロい車が見える。 こっちには 長細いパンパンのリュックを背負いサングラスを掛けている白人の団体がいる。 国境は 校舎と体育館を結ぶ通路みたいな所にみなさん外国人と自国民と2列で並んでいて みんな屋根のある先の方まで行列が進まないか気を揉んでいる。 タイ4日目② 小屋の中では出国審査が行われていて 牛歩で40分程掛かった。 中国人だと思って話しかけた人は日本人で どうやらビザはここでは発行していなく、 別の場所で取らなくてはいけないらしい。 僕はこの旅で初めて日本人と会った。 40分並んだ列を離れて玄関で呼び込みをしているここら辺で一番ウルサイ背の小さいキャップを被ったおじさんに黙らせる意味もあって聞いてみた。 「ビザはどこで取るの?」 待ってましたとばかり 「フォローミー」で連れていかれる。 外で並んでいる外国人はさっきより長い列を作っている。 「ここだ。」 タイ4日目② こんな事なら日本で取っておけばよかった。 事務所ではインド人のような目元に深い掘りがあり、黒くて鼻が尖っていて、 髪の毛が黒すぎる奴等が6人ぐらい談笑している。 「おー、きたきた」ってなもんでこちらの不安を払拭しようとやけにフレンドリーだが逆に不安になった。 アランヤプラテート〜国境のトゥクトゥク(30バーツ) ビザ申請(1200バーツ) タイ4日目② 日本でビザ申請をして置くべきだった。 事務所では後から入ってきたフランス人?とタイ人が卑猥な話で盛り上がっていた。 先程の場所に戻り 列に並ぶ。 この外国人の数。 タイとカンボジアの越境はバックパッカーに人気なんだな。と思う。 手荷物検査もない。 パスポートと同じ顔の人間か特殊なカメラで照合したら終わり。 出国スタンプを押してもらう。 タイとカンボジアの狭間を通り 入管で長蛇の列に暫くやきもきして さっきビザ申請事務所にいたフランス人の「ちょっと急いでいるから前いいかな?」 に何を急いでいるんだろうと感じたら終わり。 タイ4日目② 11月28日13時52分 カンボジアに入国した。

韓国の女の子とタージマハルに向かう。
朝6時だ。
今日はしっかり門が開いていた。

観れる時間は3時間しかない。

女の子は時間に余裕があるし今日チェックアウトしないでもいいのだが一緒に来てくれる。

ゆっくり観光すればいいのだがそれを踏まえてわざわざ予定を合わせてくれる。

『タージマハル』のチケット売り場でチケットを買う。
細長い手提げ袋にはペットボトルが一本入っている。
ゲートで厳重なボディチェックの後タージマハルを拝める時が来た。

タージマハルの庭園は本当にここが『インド』かと疑うぐらい綺麗でゴミ一つ落ちていない。

オールドデリーのあの汚さを見た後ここを見たら同じ国にいるとは思えないだろう。

向こうの方にタージマハルが見えるが、
ここの目の前の門?も十分画になる。

わたしは未だかつてこんな美しい建物を見たことがない。
わたしは視線を送る度、
「すごいなぁ。」と言葉が漏れる。
何度も、何度も漏れる。

マハトーマガンディは「この世に天国があるとしたらそれはここ『インド』だ。」という言葉を残した。

今タージマハルを目の前にする。
タージマハル
わたしもそう思う。

タージマハル

タージマハル

タージマハル

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6月21日渋谷チャレンジ 渋谷シアターD 19時開演 500円 チケットありますのでご希望の方はこちらに書き込みもしくは私の携帯にご連絡ください。 よろしくお願いいたします。

インド記の途中ですがご報告させていただきます。

この度もりたはWEBディレクターの技術習得時間(独特な言い回しですみません)を終えました。
自分に近い周りの方には伝えていたのですが

去年の12月21日~6月20日からの6ヶ月間平日毎日訓練していました。

具体的にはHTML,CSS,photoshop,Ilustlater,Flash,JQuary等を学んでいました。

協力してくれた方々には大変感謝をしています。

ありがとうございました。

今後はもうちょっと勉強して身に付けた技術で世界の国々へ行き、

芸人としていいネタを仕入れて独自に発信しようと思っています。

~~~追記~~

クラスのみんなにはちゃんと「バイバイ」言えなかったけど

バイバイじゃないからバイバイ言わなかっただけなので

またどこかで会いましょう☆

『みんなの面白いところ』

刺されたほうの阿部さん→ズボンがお尻に食い込んでいるところ。菊ちゃんはすぐ学校休むのに阿部さんは刺されてもくるところ

阿部さん→服装がどんどんチャラくなっていったところ。

松岡さん→声がこもって何言ってるかわからないところ。変なカードゲームするところ。

植木さん→傘と布が好き過ぎるところ。とにかくデキスタイルなところ。

はくさん→髪の毛伸びるの早いところ。いろんな人が集まってきて処理が追いつかないところ。

三輪さん→自分に正直なところ。とにかくじゃかしーところ。

村上さん→笑ってるのか困っているのかよくわからない笑顔

中原さん→いつ終わってもいい会話を延々できるところ

中村さん→会話中目がでかくなるところ。森本レオみたいな声なところ

鈴木さん→コンタクトにする気がないところ。ここ6ヶ月で顔がふけたところ。

海野さん→そんな動いてないのにアクエリアスを飲むところ。

澤田さん→昼休みのチャイムが鳴る前にカップ麺のビニール破るところ。ストパー掛けたことを植木さんに報告するところ。

雨宮さん→本当はキリンが大嫌いなところ。平成生まれで昭和の歌が好きなところ

木本さん→しっかりできるのにしっかりしないところ。2人の少女にFlashで結構な距離走らせるところ。

工藤さん→必ず大回りするところ。デザインに対してヤンキーなところ。

菊田さん→実写版20世紀少年みたいなところ

太田さん→全てのノリがスナックなところ。変なゴムを両手にするところ。

金指さん→なんか温まるところ。アイラインがオレンジなところ。

一条さん→長身が似合うところ。音が好きだけど寝てるときは勘弁なところ。

村上さん→いろいろ学校で勉強してきたけど結局ビデオが撮りたいところ。教育テレビに出てそうなところ。

丸山さん→渋谷を掃除してもし落ちたら責任を取ってほしいところ。リュックがかわいいところ。

田村さん→見えないのに後ろの席がいいところ。なんでもかんでもみきぷる~んなところ。

内藤さん→普段静かなのに本当はおしゃべりなところ

髙田さん→安い昼飯にケチつけるところ。ヒール履いてもっと背が高くなりたいと思っているところ。

滝沢さん→自身の卒業サイトの残り時間(タイムアップ)を待たずしてレーシングカーのように帰ってったところ

永井さん→髪の毛が日ごとに伸びてるところ。本当は生徒をしたかったと思っている節があるところ

平林さん→仕事がないのに仕事をしているフリをするのが上手なところ。イベント好きなところ。

飯沢さん→WEB業界あるあるをひとりで言ってひとりで笑っているところ。

ホテルを出て、ゲートを出るとすぐリクシャーが話掛けてきた。
「どこまで行くんだ?」
無視。
ヘイジャポン!
無視。

ただ無視するにしてもアーグラフォートまでの相場だけは知っておいた方がいい。

乗るつもりはさらさらないが参考までに聞いてみた。
「アーグラフォートまで幾らだ?」

リクシャーは彫りが深くて目が鳥みたいにまん丸い。
体はインド人に多い痩せ型で顔もしわくちゃ。

英語は話せる奴だった。
「10ルピー。」

10ルピー?20円?安いな。

「そうだ10ルピーだ!でもこの場所に帰ってくるなら往復で20ルピーだ、」

「ノーエクストラチャージ?」

「ノーエクストラチャージだ!」

アーグラフォートを回ってどこかのお店に行っても20だ!

アイドンビリーブインディアン!インデイアンイズベリーライヤー

すまなかった、ルッキング。ルッキング。アイプロミスユー

本当か?

本当だ。

アイトラスチュー

オーケー乗りな、20ルピーだ。

(乗ろうとしたら違う運転手がいる)

ん?こいつは誰だ?

ドライバーだ、

俺はお前と約束してお前を信頼したんだ。なんでこいつと行くんだ?
俺も行く
当たり前だ!

(交渉していたそいつは助手席に、わたしは後ろ席に、誰だか分からない奴は運転手になる。3人でアーグラフォートまで行く)

信じてくれ20ルピーだけだ!分かった。
ルックルックルック!信じてくれ20ルピーだけだ!
分かったって!
アーグラフォートに行って、ショッピングして回って、帰ってきて20ルピーだ!

オーケーオーケー

お前がアーグラフォートに行った後ショッピングして・・・

分かった分かった、

他にどこか回りたいところはあるか?(地図を出されて)ここはいい所だぞ?
みんなここに行く、

ノーノーノー、アーグラフォートだけだ!

オーケーオーケー。分かった。信じてくれ。

アーグラフォートに行ってショッピングしても20ルピーだけだ、

ちょっと待ってくれ、さっきから『ショッピング』って何だ?私はショッピングはしない。

え!?ショッピングしない?
ちょっと停めてくれ!
(男は運転手にリクシャーを側道に寄せて停止するよう指示する)
ホワイドゥアイハフトゥーショッピング?
今日は金曜日だぞ?仕事がないんだ!

知るか!こっちの知ったことじゃない!なんで店に行かないといけないんだ!
金はないし買わないぞ?

リッスンリッスン!買わなくていい、見るだけだ、ただ見るだけでいい、

買わないのになんで見なくちゃいけないんだ!

リッスンリッスン!3つのお店に回って買わないで見るだけで私たちにはお金が入る、20ルピーだ、合わせて60ルピーだ、だから見るだけだ。

(成る程そういう事か・・・だからインドのリクシャーは違う場所で降ろすのか・・・)
そのお店はセーフティーか?そのお店に行ってもし私が危険に感じたらお前には何も払わないぞ?

オーケーオーケー、見るだけでいい、
見るだけだな、オーケー。

出してくれ。(男が運転手に指示を出し再びリクシャーを走らせる。アーグラフォートに着く。リクシャーの2人を待たせて見学しに行く)

(アーグラフォートはすごくよかった、
わたしはもうちょっと別の、「歩き」じゃいけないような遠いところに行きたくなった。
ただ違うオートリクシャーで回ろうかな?でもまた交渉したりするのが面倒だな、逃げようかな?でもここで逃げたら金払わないドロボーだな、よし、外に出ていなかったら帰ろう。1時間以上も炎天下で待っている訳ない。違うお客を引っ掛けて運んでるに違いない。)

しっかりいるじゃん。

ヘイジャポン!

オーケー、次は『イトマドフォード』まで行ってくれ、幾らだ?
80だ!
80?

いいかよく聞け、ここからイトマドフォードまで8キロある。本来はツーリスト料金で100ルピーだがインディアン料金で80にしてやる。なので180ルピーだ!

え?ちょっと待て、なんで180ルピーなんだ。

往復だ。80で行って80で帰ってくる。往復だ。

いや、それなら160だろ。
それに先程の20を足す。

あー、そうか。分かった。オーケー行ってくれ。あとそのお店はどんなお店だ?

サリーとタバコと宝石屋だ。

(なるほど。これはかなりヤバイな。確実に見るだけじゃ済まされない。何か手を打たないとダメだな。)あと、イトマドフォードまでどうやって行くつもりだ。地図を見せろ!

これが地図だ。

おいおい!近いじゃないか!タージマハルからアーグラフォートとアーグラフォートとイトマドフォートの距離は一緒じゃないか!

ルックルックルック、ここに鉄道があるだろ?ここはこうやってぐるっと回らないとイトマドフォードには行けないんだ!
(確かに地図上では鉄道があって線路がはしっている。)
分かった、行こう。

よし『お店』に行こう!

なんでだよ!

え?

え?じゃないよ!何でお店に行くんだよ!

アーグラフォートに行った後はお店だろ!

おいおい待て!俺の旅だ!お前の旅じゃない!お店はそれに行った後だ!

分かった。
(リクシャー動き出す。)

アーユーコリアン?

イエスアイアムコリアン。(ところでこの運転手は誰だ?)
フーイズヒム?

ヒーイスマイブラザー。

(『イトマドフォード』に着いた)

イトマドフォードの受付は半券をもぎった後、返してくれない。
わたしは後で「半券はどうした?なくしたなら金払え!」となるのが目に見えていたので「ハーフチケットプリーズ」と訴える。

ほらよ!と渡される。

センキュー。

半券はここのボックスに入れるんだぞ?

見ると黒い箱が置いてある。
ここか?と確認する。

するとおっさんは、
おいおい今じゃない!帰るときだ!

帰るとき必要なんじゃねーか!!

危うく騙されるところだった。

(イトマドフォードを満喫して)
さてどうしようかな。
ここでお店に行かない!って言って降ろされたらホテルまで帰れないな。
とりあえず店に行くとしてもパスポートとお金を奪われたら終わりだから隠すところないかな、今はサンダルだしな、困ったな、
よし!一旦ホテルまで戻ろう!
(リクシャーの所まで戻って男に言う。)
オーケー。お前のお店には行く。でも私はホテルでこのポシェットを部屋に置いてきたい。

オーケー。ノープロブレム。

ありがとう。行こう。

店とホテルとどっちに行くんだ?

ホテルだ!ホテルに帰れ!

(どうしようかな、ホテルに帰ったらそのままバックレようかな、でもそしたら俺が悪いなぁ、警察沙汰になったら嫌だしな、と考えてると)

見ろ!あれがタージマハルだ!
朝見たわ!ホテルからも見えるわ!

あれ?
今気づいたけど行きと帰り違う道で帰っていない?
うわー、こいつ鉄道があるから遠回りしなくちゃいけないって言ってたのに!
『陸橋』で越えられるじゃん!もう言っても無駄だからいいわ、

体の安全を確保したら今度お金だな、後はいかにお店に行かないかだ。

(ホテル近くウエストゲートに着いた。よし。)

私はちょっと疲れた。
これまでの交通費180ルピーは支払う、ちょっと待て、(ポケットには150ルピーしかなかった。)
あ、今150しかなくて30ショートしてる。とりあえず150ルピーもらっておけ!

いい!!後ででいい!

分かった。ところでお前らの『お店』はどこだ!

すぐそこだ!

すぐそこなら歩いていこう!
ノー!リクシャーだ!
(リクシャーで行ったら自分の意思で帰ってこれなくなる)
お店はここから1キロだ!

1キロなら歩きで行けるだろ!待ってろ!とりあえずホテルにこれを置いてくる!

(部屋に戻ってきた。どうしようかな、このままバックレれるな・・・ただそうしたら完全に俺が悪いな、金払ってないしな・・・・よし!話をつけにいこう!)
(男達は日陰で休んでいた。)

まずこれはさっきのペイメントだ!(180ルピー渡す。)そして俺は疲れた。もし『お店』に行かないならお前らにいくら払えばいいんだ?

200ルピーだ!100と100だ!
ちょっと待て!何でだ!

お前はお店に行くといった。

そうだ。確かに私は約束した。でも俺は疲れた。なぜ買い物をしなくて見るためだけに行かないといけない?
今日は金曜日で休日だ。私達は仕事がないんだ!

知るか!200ルピーの内訳はなんだ!

ガソリン代だ!

ガソリン代をなぜ払わないといけないんだ!歩きで行くって言ってるだろ!

歩きじゃだめなんだ!リクシャーで連れて行かなきゃ彼は私達に払ってくれないんだ!

なんでだ!

彼のお店は人が来ない。
だからツーリストを入れさせればお金は支払われないんだ!
さっき行ったイトマドフォードの方が距離的に遠かったのになんでガソリン代がそんなに高くなるんだ!

行こう!行けばお前が200を払うことはない!見るだけだ!

行かねーよ!

チャイ代だ!チャイ代を払え!

チャイ代?なんだそれ!

お店に行ったら彼ら達が私たちにチャイを出してくれる!そのお金だ!

なんでお前らのチャイ代も俺が払わないといけないんだ!

じゃぁお店に行かない分お前は私達に幾ら払うんだ!
100だ!

100?だめだ200だ!

いいや100だ!私は約束した、でもキャンセルした、その分だ!お前はキャンセルしたら200と言ってないし、俺はお店3つ分。20、20、20で60払えば行った事になると考えてた!それプラスキャンセル代40払うから100だ!

だめだ『俺ら』の分200だ!

ちょっと待て『俺ら』ってこいつは誰だ!

俺の弟だ!

なんで私は弟の分まで払わないといけないんだ!

弟の分払わないならお前は幾ら私に払うんだ!

何度も言ってるだろ!100だ!

じゃぁ150だ!

だめだ!そもそもお前は運転できないのか?

運転できる!

じゃぁなんで私はお前の弟まで連れて3人でいろいろ回らないといけなかったんだ!なぜお前の弟のチャイ代もガス代も払わないといけないんだ!100だ!

だめだ!150だ!

よし分かった!そこのウエストゲートに警察がいるから3者で話し合ってどっちが正しいか決めてもらおう!

(『ポリス』と聞いてビビったのか)
分かった!100にしよう!
(早っ。)
わたしは100ルピーを払うとホテルに帰った。

ベッドの上で仰向けになり考えてみる。

シーリングファンが回っている。

なんであいつらが勝手に決めた『3つのお店を回るコース』をキャンセルしただけで100ルピーを払わないといけなかったのか、

冷静に考えたら変だ。

ここではこういった『値札がない料金』は交渉次第で高くもなるし安くもなる。

向こうが途中から勝手に話に入れてきた『チャイ代』みたいにどうにか料金に加算させようとする。
そしたらツーリスト側も「聞いてない。」「それをお前は最初言ってない。」等、向こうのミスをつき、理屈や筋でいかに不当な料金を加算してるか解るまで話す。

お互いの「折り合い」を見つける。

わたしは結局計280ルピー払った。

一回のリクシャー乗車で100ルピーを越えるのはぼったくりだと知ったのはその後になってから。

なぜならインディアガンディー国際空港からニューデリーまでバスで40分以上掛かるが『50ルピー』だからだ。

ファンが回る中、
わたしは停電でエアコンが止まり、
部屋が暑くなるまで眠ってしまった。

次へ

女性はウンチャオという名前で1人でインドを回っている。
そして今後2ヶ月掛けて回るらしい。
昨晩アーグラに着きこのホテルにチェックインしたという。

『バックパッカー』

あんまりずっといてこの子の今日のスケジュールを崩してしまうのは悪い。

ウンチャオとは今夜夕食を一緒することを約束して一旦バイバイした。

日本人だったらこうも仲良くなっていなかったかもしれない。
多分わたしの場合照れて変に敬語でよそよそしくなって終わり。

韓国の女の子とはコミュニケーションは英語で、
わたしはそれを少ししか喋れないのでそれがかえってよかった。
お互い「こういう事いいたいの?」みたいに助け合うから優しいと感じる。

また必死で言葉を伝えようとしている姿は胸を打つ。

わたしの英語は会話をするには不安定でともすれば「ソーリー、アイドンノーワッアイセイ」を多用する。

分からない単語があれば「ジャストウェイト」と言って部屋に戻り和英辞典を取ってきてページをめくりながら会話した。

聞き取れない単語があれば「ソーリー?」で聞き返す。
そしてもう一回言ってもらう。
もう一回言ってもらっても分からない時は単語を紙に書いてもらう。

書いてもらえば大体解る。「オー!オー!アイシー!アイシー!」
単語一個伝わっただけでとても喜んだ。

それでも何を言っているか分からない事が頻繁にある。

そんな時はわたしが「ソーリー?」と聞き返す事で話の腰を折るような場合だったら解ったフリして流すようにする。

どっちも英語が母国語ではないので手を取り足を取り「せーの、いっちに!いっちに!」で会話する。

ウンチャオは22歳で幼稚園か、保育園か、小学生低学年か、ちょっと定かではないが「ティーチャー」をしているという。

「昨晩はモンキーがホテルに沢山うろついていたから寝れなかった。寝れた?」と聞いてきた。

また女の子は「昨日チェックインして明日バラナシに行く予定」だという。
わたしは「バラナシ!?」と思い、
調子こいてあーだこうだ情報を教えようとしたが止めといた。

多分ウンチャオはわたしなんかよりも旅慣れていて自分で決めていける。

危うく「バラナシに先に行っただけ」で調子こく所だった。
ウンチャオは
デリー→ウダイプル→ジャイプル→リシュケーシュ→ジョードプル→アーグラ。と回って来たという。

そして明日から
バラナシ→ネパールに向かい、2ヶ月後インドに再入国してブッダガヤ→コルカタで帰国する予定だという。

開いた口がふさがらない。

見た目は強そうな女の子ではない。
体は小さくて細い。

ウンチャオはウェイトレスが持ってきたベイクドエッグを何の躊躇もなく食べている。
「インドの食事でお腹壊さない?」と聞くと「壊さないよ?」という。

わたしはどこで食事しても怖いからとにかく食事は「ペプシ!ペプシ!ペプシ!」
とインドで食事をする大変さを語ったら笑ってる。

「インドに来て今まで騙されなかった?」
と聞くと「あー。」と反応し、
「分かる分かる」とうなずく。
わたしはやっと『インドあるある』を言おうとする。
そしたら
「騙されてない。」という。

ないんかーい。

「なぜならニューデリーにいた期間が短かったからだ」という。

なるほどー。

自分のベイクドエッグが運ばれて来た。

ウンチャオが食べていたので安心だと思い、頼んだ奴が来た。
わたしは一口口にいれ、
「大丈夫。食べれる。」と伝えると
「そりゃそうだ」みたいに笑ってる。

写真撮っていい?と聞かれる。
もちろんと答える。

デジカメはその人の旅路が垣間見れる。

今まで撮ってきたデジカメ写真を見せてもらう。
「これは何?」
「これは?」
「うわ!すごいな!」
自分の知らないインドの景色やインドを楽しんでいるような数々の写真にいちいち感嘆してた。

ウンチャオの写真にはインド人が沢山登場する。
そしてそれらは笑っている。
わたしの写真といえばカルチャーショックを受けた時に撮った写真や風景。

心の触れ合いを楽しみに旅をしているのが写真を見て分かる。

わたしはわたしの撮った写真を見せれなかった。
あまりにもインドとの距離があるような写真ばかりだったからだ。

写真を見ればなるほどインドに溶け込んでいる写真と日本の価値観を持ってインドに来てシャッターを押してる、つまり「距離がある写真」がある事が分かる。

ウンチャオの写真は「砂漠で座り、砂で足を埋もれさせ、親指だけ外に出す。
ふとそこに目を落とすとカニさんが爪の所を通った!」みたいな写真がある。

一方、
わたしの写真といえば「うわっ!道路に人のウンコが落ちてる!この国ヤバいな!」みたいな写真。

女の子の写真といえば、
たまたまゲストハウスで一緒だった韓国人の女の子と仲良くなって別れるときそのゲストハウスを運営するインド人と3人一緒にはいピース!みたいな写真。

一方わたしの写真は
「うわ!こんな大通りで、しかもこんな人が行き交う所で、
あのおっさんタッションしてる!インドヤバいな!」の写真。

ウンチャオのは
アラビアンナイトに出てくる女王様が寝るようなベットルームでインド人とパシャリ!

一方わたしのは、
「うわ!このインド人!道路で寝てる!あれ?
死んでるのかな?一応撮っておくか!パシャリ!

わたしはわたし自身どのような目線でインドと向き合っているのかよく分かった。

その「距離の取り方」がいいのか悪いのかは分からないし、
人それぞれの旅の楽しみ方なのだがわたしは女の子の写真を見た時とても心が温かくなるような旅をしてるなぁ。と、
自分にはできない旅を羨ましく思った。

デリーからアーグラまでわたしは電車で来たが、
女の子はボロボロのバスで何時間も掛けて来ていた。

写真にはバスで隣に居合わせたインド人と笑顔で写っている。

わたしにはできないからすごいなぁと思う。

ありがと、といいデジカメを返すと、
韓国語をちょっと教えてもらう。
「アナジョセヨ」と「ポポ」の発音を教えてもらう。「ゲップタ!」と「キヨプタ!」の違いを教わる。

お返しにジャパニーズ「こんにゃろー!」の使い方をと発音を教えてあげる。

どうしても「コニャロ!」になってしまう。

わたしは同じ異国の地で1人で旅している人と今までどれだけここの国について話したかったか知れない。

気付いたら3時間以上話しちゃったので何か予定があったりしたらまずいと思い、
ただこんなに会話したのにこれでサヨナラは悲しすぎる。
韓国ではこういう時どうするのだろう。
男らしさが試されているのだろうか。
わたしはかなりの勇気を持って「トゥナイ、アイウドゥライクトゥディナーウィズユー、オーケー?」と聞いた。
「オーケ。」とこたえてくれた。

結果オーケーもらったけど、
『今夜、私はあなたとディナーがしたい。』なんて、こんな事日本で言ったら笑われるぞ。

柄にもない。

『今夜、私はあなたとディナーがしたい。』って。

指輪渡す人しか使っちゃいけないセリフだぞ。

恥ずかしかったー。

まだ昼間だ。
これから部屋に戻って
用意して
『アーグラフォート』というタージ・マハルを作った王子シャジャハーンが自分の実の子供に幽閉された名所に行こうと思う。

そしてリクシャーとこの旅一番のモメ事が起こる。

次へ

朝5時40分。

タージ・マハルを早く見たい。

デジカメは昨夜充電した。
ガイドブックをポーチに入れて少しのルピーをポケットにしまう。

部屋に鍵を掛けて1階フロントまで階段で降りて行く。
階段の勾配が急だからか、焦る気持ちからか、
前のめりで降りて行く。

ホテルの出口は動物園の檻の様にドシャーン!と閉められている。

え?出られないってこと?

フロントの扉も鍵が掛かっている。

エクスキューズミー!
ドンドンドン。

叫んでも、戸を叩いても手応えがない。

朝の太陽はホテルにうるさいぐらい日差しを浴びせる。

シーンと静まりかえっていて「もぬけの殻」

誰もいない?

フロントマンは帰った?ってこと?

わたしは「朝タージ」を諦めるしかないようだ。

部屋に帰るしかない。

折角着替えた服を乱暴に脱いでまたベッドに沈む。

何時になったらフロントは開くのだろう?

とりあえず9時ぐらい迄寝てもう一回行ってみるか。

それから夢を見たかもしれないし見なかったかもしれない。

携帯のアラームは暴力的に9時に起こしてくれる。

わたしはもし扉が開いていた時そのまま行けるように着替えて、用意して、鍵掛けて、白い階段を降りる。

空いている。

フロントも開いている。

相変わらずのインド人もいる。

開いている玄関の門を
「結局いつ開いたんだ?」としげしげと見つめる。

門はこのホテルが建った時からずっと開いていたぞ!どこみてたんだ?みたいな顔してる。

「こいつが今朝開かなかったんだよな、」と今一度確かめる。

この事実を僕はどう落とし込んでいいか分からず『ミステリー』にしてやろうかなと思う。

フロントには「そんなにいた?」と思うぐらいインド人が沢山いる。

みんな私服だから誰が「仕事中」だか分からない。

またそれが笑顔でじゃれあっているから
誰が遊びに来ている友達か分からない。

みんなフロントマンかもしれないし、
みんな近所の子供達かもしれない。

もういいや。聞きたい気持ちを抑える。とりあえず門は開いている。

「自由に外出できる」という宿泊者として当然の権利を我は今3時間越しに享受する。

16世紀のフランス市民みたいになった

わたしは朝9時過ぎにホテルを出る。

次へ

こうなることは分かっていた。

「ウエストゲートに行け。」と伝えたにもかかわらず「イーストゲート」で降ろされた。

降ろされたというか勝手に降りた。

「間違えてウエストゲートに来てしまった。」と告げられたからだ。
本当に間違ったのか、わざ間違ったのかは分からない。

もうそれ以上何も聞きたくないし、この男を信用はできない。
多分「近くにホテルがあるからそこに行こう」などと目的地を変えさせられるのだろう。

当然プリペイドシートは渡さない。

「待て待て!」
と追いかけて来る運転手。

「あなたは約束を破った。これは渡さない。」
とだけ告げる。

この街は停電でもしているのかもしれない。

辺りは暗くてリクシャーのヘッドライトと家屋の光だけを頼りに歩く。

暗い中だとさすがに「ヘイジャポン!」と声を掛けてこない。

『インド』には僕が何人なのか全く見えないみたいだ。
イーストゲートとウエストゲートは歩いて4分ぐらいの所にあった。

道行く人に尋ねてそれはあった。

大きな門は空いている。
そのすぐ近くに警察が3人程椅子に座っている。

椅子はパイプ椅子で警備をしているというか談笑している。

リラックスしているみたいだった。
わたしが「このホテルはどこだ?」と聞くと「すぐそこだ」と指を指す。

「センキュー」の発音も良くなって来た。

相変わらずの砂利道を少し行くとそのホテルはあった。

「ホテルの予約はしていない。部屋は空いている?」

するとそこの小さいおっさんが「ホントニー?」と笑いながら日本語で返してくる。

どうやら覚えたての日本語が流行っているらしい。

わたしが部屋は空いている?ともう一度聞いても
「ホントニー?」

語尾を少し上げる。

あまりにも明るいウェルカムな対応に少し前までキリキリしていたわたしは却ってぎこちない笑顔になっていた。

わたしは恐る恐る「幾ら?」
と聞いた。

小さいおっさんはこちらを試すように「250ルピー」と仕掛ける。

おっさんの目線は「250ルピーで通るかな?」と実験的な目線だった。

わたしが「テレビはある?」「シャワーは出る?」「クーラーはある?」「石鹸は?」等と事細かに聞くと「お前はどんなホテルに泊まっていたんだ?」と言わんばかりに笑われた。

わたしは「部屋を見せてくれ。」と要求する。

バラナシではこの事前に部屋を事細かにチェックしなかった。

結果、
石鹸はないわ、シャワーは出なくなるわ、南京錠は内側から掛けられないわ、
妥協する事が多かった。

小さいおっさんとフロント左側の階段を登ってすぐの部屋に行く。

ホテルの形は2階建ての筒状になっていてその真ん中は吹き抜けの中庭。
そこはガーデンレストランといった感じ。

金髪の外国人がオレンジ色のライトの中ディナーをしている。

「ここのレストランは『安全』なんだ。」と外国人がディナーをしていると事で判断できた。

オーナーが暗い部屋の電気をつける。

電気をつけるというか部屋ごとにあるブレーカーを上げる。

部屋はこんな感じ。

タージマハル付近オホテル
タージマハル付近オホテル
" /> 水周り[/caption]

小さいがテレビはある。
ここのホテルでもワールドカップが観れる。

写真では分からないが窓はモンキーが入り込まないように開かない。
外の光は大きなクーラーファンが窓のところに備え付けられていて遮られている。

ベッドは固くて薄いマットにシーツを敷いただけ。

いわゆる煎餅布団。

お世辞でも心地いいとは言えない。

トイレはこんな感じ。

まあまあ綺麗な方だ。

水周り
水周り

毛布や掛け布団は当然ない。
暑いインドでそれらを要求したら笑われるだろう。

この前の所より設備面はしっかりしているし何より小さいおっさん、オーナーが陽気だった。

何かと「ホントニー?」を連発してきてわたしが鍵をもらう時にはなぜか日本語で「モウカリマッカー!」と叫んでいた。

わたしは余りにもふざけているオーナーに「こーゆーインド人もいるんだ。」と驚いた。
ガイドブックには確か一泊シングル150ルピーと書いてあったと思う。
わたしは250ルピーを請求されたが、
「私は明日もここに泊まる。2泊するから1泊目を200ルピーにしてくれ。なので450ルピーだ。」
と交渉するとあっさりオーケーを貰った。

ここのホテルに決めた理由はガイドブックの口コミだった。
その口コミには「オーナーの気遣いがいい。何かと『何か困ったことはありませんか?』と聞いてくる。」と書いてある。

同一人物かは分からない。

このように覚えたての日本語で接してくれる所が『ディスイズインド』で疲れた日本人の緊張の糸を緩める。

前のホテルが一泊550ルピー。
なので250ルピーで泊まれるお財布にも優しいホテルだ。

部屋でライブなのか再放送だか分からないワールドカップ、
アルゼンチン戦をしばらく見る。
そして一旦シャワーを浴びて今日の事をノートしたらちょっと外に出掛ける。

フロントに立ち寄ると「ヘイヘイ!」と呼び止められ

「ちょっと見てくれ」といわれる。

何かなと思っていると独学で学んだ日本語とヒンドゥー語のノートだった。

宿泊する日本人に「いらっしゃいませ」「こんばんわ」「ありがとう」等数々の日本語の発音を確かめるのだろう。

「この発音は?こうか?『アリガトー!』当たっているか?」

等付き合わされた。

しばらく僕が『日本語教師』になってオーナーが『生徒』になって教える。

ユニークなオーナーだ。

外に出る。

警察が警備する門の所で先程道を間違えたリクシャー運転手がいた。

ゲート近くに座っている警察ともめていて、僕を見つけると「いたー!」と言わんばかりだ。

「駅からここまでこいつを乗っけてきたのにプリペイドシートを貰っていない」と警察に抗議していた。
わたしは確かに送って貰ったが「所定の場所まで、シートに書かれた場所で降ろしてもらっていない。」と警察に訴えた。

いずれにしても異国で面倒になるのは嫌だ。
どこに入れたかも分からなくなったシートを探してぐちゃぐちゃのまま渡した。
わたしはこの日いつ寝たか記憶がない。
このあとホテルすぐ隣のインターネットカフェでしばらくインターネットで最近の日本を調べて「あー、キングオブコント始まったんだぁ、、」なんて耽っていた。
そこのインターネットカフェを経営しているインド人と仲良くなる。
「俺のお兄ちゃんは神奈川県の川崎の高校で英語の先生をしているんだ!」
「本当に?私は川崎に住んでいたよ!川崎のどこ?」なんて会話をして
エイティーンとエイティンの発音がわからなくて家族の笑い者にされていた。

「また明日も来るでしよ?」なんて15才ぐらいの女の子に約束させられた。

ここアーグラでまたも心が繋がった瞬間だった。

ホテルの従業員と
ホテルの従業員と

こうしてインド5日目はこうして終わった。

そして旅は6日目、7日目と続く。

次へ

わたしは1人ホテルのレストランで瓶のペプシを飲んでいた。

『飲んでいた』というのはちょっと間違えかもしれない。
昨日から何も食べていない。
インドの食に対する衛生面を信じられないわたしはペプシを『食べて』いた。

わたしにとってペプシは『朝食』になっていた。

喉が渇いたらミネラルウォーター。
お腹が減ったらペプシ。

不思議とこれまでの6日間あんだけ飲料水を飲んだのに小便は1回も出なかった。
多分全て汗になっているんだと思う。

時計は9時40分をさしている。

先程タージ・マハルを見てきた。

中には入れなかったけど。
外から。
頭だけ見えた。

朝、
わたしはやっと開いたホテルの門を右に行く。

バラナシで泊まったホテルのオーナーは休みでもタージ・マハルの庭には入れる。

そこから写真が撮れる。と教えてくれた。

わたしはそれを頼りに足を運ばせる。

昨晩から泊まっているホテル『スイッダールタ』
を右に行くと後は100mも無いところに入り口はある。

簡易的なゲートが設けられていて通常ならここから入るらしかった。
外壁が10m以上もあってその中がどうなっているかも分からない。
右に丸い円柱の形をした扉がある。

あれが入り口だろう。

インド軍がパイプ椅子に座って警備にあたっている。

おうど色で、綺麗な制服を着て、談笑している。

彼らは日本人を認めると
「何しに来たんだ?
休館日なのに間違えてきちゃったパターンか?」みたいな顔を一律する。

何かヒンドゥー語で目線だけをこちらに据えて話してる。

「はい。そのパターンです。」

わたしは知ってるなら話しは早いと
「エクスキューズミー、キャナイカムイン?」
中に入っていいか聞いてみる。

インド軍は黙って首を振る。
4人いる中の英語ができる人が
「トゥモローモーニング。」
明日の朝6時に入れるという。

わたしは庭までなら入れるんじゃないの?と聞く。

「ノー」

入れないんかーい!

するとそのうちの1人が「今日は中には入れないけどイーストゲートの河のほとりに行ったら外からのタージ・マハルが観れるよ。」と身振り手振りで教えてくれた。

わたしは「そこでみんな写真撮ってるよ」というのを聞くと「センキュー」といい向かってみる事にした。

タージ・マハル横の草むらは瓦礫の山。
誰も片付けられないで何百年と放置されている。

瓦礫一枚はかなり大きくて1畳分ぐらいの大きい瓦礫が折れていたり、そのままだったりして積まれていた。
多分この城壁に使った石だろう。

頭の中でよくニュースで特集されている「片付けられない人」を思い出す。

ここら辺の草は鬱蒼と茂っていて誰も刈る気はないのだろう。

昨日は暗かった街並みをわたしは悠々通ってイーストゲート迄来た。

昨日リクシャーに降ろされた所だ。

イーストゲートの方が賑やかで右手の方にはジューススタンドやカフェなんかも立ち並んでいる。

人の往来も多いし
相変わらずリクシャーが話しかけてくる。

イーストゲートにも同じく軍がいる。
先程のウェストゲートのような楽々な感じではない。

タージ・マハルの外壁に沿っていくと辺りは別の集落が望める。

そこではちょっとした公園になっているのか
裸で住んでいる人が多い。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!ジュースいらない?うちあそこだからさ!」

わたしはわかったわかった。覚えておく。帰りに寄る。

と適当な事いってあしらった。

「帰り寄ってね!」
と言われた。

左手には城壁。
その壁は高くてウェストゲートと同じく中は見えない。

草むらの道を真っ直ぐ行くと河にぶつかる。

ヤムナー河。
ちょっと今居る位置から低い所にあって川としては向こう岸まで30mぐらい。

川辺にはボートがある。

そこの川辺まで草むらが支配していてある決められた道を行く感じだ。

ここから見える景色は広くて向こう岸は何もない。
また草が広がるだけ。

川上も川下もどこで始まりどこで終わりか分からない。
長いのだろう。

わたしの右斜め後ろに簡易的な家というより小学校にあった大きなウサギ小屋みたいのが3つぐらい並んでいる。
インド人が座ってる。

住んでいるのだろう。

左手の方には外国人観光客が10人ぐらいいる。

インド人も多い。

インド人の集団が何かヒンドゥー語で話し掛けてきた。
10人ぐらいに囲まれた。

「アイドンノー」
とお断りを入れると集団に笑われた。

何がおもろいんだよ。
お前らだよ。

他の外国人は大きな一眼レフカメラを相棒にしている。
休館日で入れない恨みからか、
川辺の方、
手入れされていない草むらを掻き分けて、
ベストショットが撮れる位置を探していた。

外国人がカメラを向ける。
腰を下ろす。

カメラに「カシャカシャ」いわせる。

そのカメラの向く方向に目線を送ると「それ」はあった。

タージ・マハルだ!
うわーすげー!

外壁で上半身しか見えなかったが確かにすごかった。

ヤヌール川から見たタージマハル
ヤヌール川から見たタージマハル

すげー!すげー!

今日は休館日だが、
明日タージ・マハルは朝6時から入れる。

「明日必ず行こう!」

それからわたしはホテルに帰る。
来るとき「帰りに寄る」と約束した子供が遠距離から「お兄ちゃん!」と呼んでいた。

ホテルに着くと荷物を部屋に置いてホテル内のレストランに行く。

そしてわたしは昨日から何も食べていない事を思いだしペプシを『食べて』いた。

時計は9時40分をさしている。
「今日これからどこに行こう?」

すると、
向こうの入り口からアジア系の女の子が通った。

女性というよりは「女の子」といった感じだ。

女の子はこちらに気付くとまるで知り合いに会ったようなテンションと笑顔で

「アーユージャパニーズ?」と聞いてきた。

わたしは「イエス」と答える。
「リアリー?」となぜか嬉しそうだ。

わたしはまさか!と思い聞いた。
「アユージャパニーズ?」
もし日本人なら英語はやめようよ、
と思った。

女の子は
「ノー。アイムコリアン。」とこたえた。

次へ

アーグラカント駅に着く頃には辺りは真っ暗で時刻は20時過ぎを指していた。

アーグラカント
アーグラカント

暗い中駅からタージ・マハル近くまで行き、ホテルを探さなくてはいけない。

電車は「予定通り」遅れた。

インドでは電車に乗るまでも大変。

駅構内を歩いていると小さい子供に金をせびられる。
一人は長い髪の毛を三つ編みにして頭を上下、縦横に振る。
一人は側転を歩きながら繰り返す。

こちらが歩く横で平行してやった後「お金ちょうだい」と銀色の受け皿を差し出す。
さすがにこういう人には強く言えない。
こちらが無言で首を振ると「見たでしょ?」と引かない。
こちらに言わせれば勝手に視界に入ってきて勝手にやってたのに。

地元のインド人もこれには無視をして手でしっし!とやる。

こういう場面は電車が途中駅に停まった時にも出くわす。

ニューデリーからバラナシに向かう途中の駅でわたしは電車の入り口から外の風景を眺めていた。

するとホームから小さい子供が小さい赤ちゃんを抱いて「この子にあげるミルク代がないの。お金ちょうだい。」
とジェスチャーだけで訴えてくる。

口に何回も手を当て
広げた手をこちらに差し出す。

これを繰り返す。

ジェスチャーでも十分に分かる。

わたしはなぜこの子にお金をあげれないか自分でも分からない。
ちょっとでもあげればいいのだろうけどそれができない。
理由は分からないが「あげちゃいけない」と思う。

わたしもあなたも十分に運命を呪うしかない。

車内の自分の席に戻ると
子供も外から車内の僕の視線に入る場所に移動する。
とにかくしつこい。

向こうにしてみれば「しつこい」だけでお金が貰えるならどこまででもついて来るのだろう。

コンノートプレイスの映画館近くにいた子供はさらにしつこかった。

蝿が舞う黒いヘドロの中に何か食べれる物を探し
口に入れる。
わたしが見るとゆっくりとついてくる。
身に着けている服は原形をとどめていなく、体は真っ黒。

黒が日焼けや生まれつきの黒ではなく灰のススのような黒。
喋る事もジェスチャーもできない。
とにかく静かに追ってくる。

インドを歩いていると色々な「そういう人」にも違いがある事に気付く。
宗教上そうなっている人。

輪廻という考え方から現世でそうなっている人。
戦争や紛争がそうさせてそうなっている人。
病気でそうなっている人。
ただ単にそうなっている人。
そういう人達の中にも差がある事に気付く。

アーグラカント駅まで電車の中は変な感じだった。

インドでは電車に乗る際に予め自分のシートが指定されている。

なので切符を通す必要がなく電車が出発してからスーツを着たお偉いさんが予約者名簿一覧の紙をボードに挟んで一人ずつ巡回チェックしていく。

そこでEチケットを確認する。
外国人はパスポートも見せなければならない。

わたしのバースの前の席は3人掛け。
一人は女性で左端に座っているがあとの2つのシートに何故か別のインド人が立ち代わり座る。

そしてわたしを見ては「なんだい?ここは僕の席だよ?」といった顔をする。

暫くして巡回が来る気配を感じるといなくなる。

巡回がどこか行くとまたどこからか戻ってきて「なんだい?俺の席だよ?」と我が物顔。

わたしは「こいつチケットを持っていないでただ乗りをしてるな。」と勘繰る。

男が立ち代わりして巡回から逃れている。

それが前のシートだけで女性が許してるならそれでいいがわたしの隣まで及んできた。

写真はその時の物。

深夜の列車
深夜の列車

警戒しないといけないのでゆっくり休めない。

この少年は周りの様子を伺っては行ったり戻ったりしている。

わたしは全くいらないストレスを抱える。
意を決して言おう!と思い、「すみません。もしあなたがこのシートのチケットを持っていなかったらあなたはここからでていかなければならない」と指摘すると「何言ってるんだこの外国人」という顔をする。

前の女性も「気にしないでいいわよ」
みたいな事を少年にいう。
インドはインドの味方だ。
ひょっとしたらこの「自分の席以外はみんなの席」という考え方、適当な感じはインドでは常識なのかもしれない。

インドでは自分で買った新聞をちょっと座席に置いていると勝手に読み始めるらしい。
「今読んでいないなら読んでいいだろ。」という感覚。
つまりこの場合も「空いてるならどこに座ってもいいだろ。」なのかもしれない。
ただこれは日本でいうグリーン席で一般席ではない。
こんな事を説明しても無理だろう。

「グリーン車だって空いてるなら座ってもいいだろ。」となるだろう。

アーグラカントまで僕はこの「変な感じ」を我慢しなければならなかった。

「次はアーグラカント?」
「イエス。」

4時間以上列車は進みアーグラカント駅に着く。

わたしはひょっとしたら列車からタージ・マハルが見れるかなと思い窓の外を眺める。
自分の顔がうっすら見える先は絵の具というよりペンキで塗った様な黒だった。

窓の外は終始灯りがなく日本の真っ暗より真っ暗。
真っ暗より真っ暗なので全くどこを走ってるかも分からない。

わたしはこの旅の最終目的地アーグラに着く。

そしてアーグラでタージ・マハルを拝める。

実は最近までわたしはタージマハルの存在を全く知らなかった。
わたしがインドに行くと知った知り合いが当然の様に「じゃぁタージ・マハル行くの?」と聞いてきて初めてその存在を知る。

その時写真で見て以来これは絶対外せない箇所になった。

世界一美しい墓。
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが王妃が亡くなった時に22年の歳月を掛けて建てた墓。

もしわたしが王妃で愛する王様が自分が亡くなった時にこのような墓を作ってくれて「君の墓を造ったよ。これだよ。」と見せられたらどれだけの愛情を感じるだろうと思う。

びっくりして生き返っちゃうかもしれない。

「なぜ私が生きている時このようなサプライズしてくれなかったの!」と怒るかもしれない。

アーグラカントに列車はそのホーム
アーグラカントに列車はそのホーム

アーグラカント駅に降りると駅前にはタクシーやリクシャーに乗せようとする輩が外国人を見るや寄ってくる。
わたしは料金交渉が面倒臭いのでプリペイドタクシーを使う。
ただ真っ暗でどこに行けば手続き出来るのか分からない。
迷っていると「どうしたんだ?」「タクシーか?」「いくらだ?」と余計なインドに捕まる。

わたしは警察官を見つけるとプリペイドタクシーの手続き場所を尋ねる。

警察官は長い銃を持っているおおど色の制服を着ていて痩せているから分かりやすい。

何か聞きたい事がある時警察官に聞くと信用度の高い情報が得られる。

警察官は「ついてこい」と言う。
警察官と僕と複数のインド人がついてきて
インド人は「俺にこの日本人を送らせてくれ!」「仕事をくれ!」みたいな事を警察官に訴える。
警察官は「お前らうるさい!ちょっと待て!」と制する。

負けじと野次が飛ぶなか「どこに行きたいんだ?」と僕の目指す場所を聞いてくる。
「タージ・マハルのウエストゲート。」

世界遺産タージ・マハル近くに評判のいいホテルが結構ある事を情報で掴んでいる。

とりあえずそこら辺に行けばホテルがある。

わたしがそう告げると
警察官自ら用紙に書き込み手続きをした。

「タクシー?」
「ノータクシー。」
「ハウキャナイゲットディスプレイス?」
「リクシャー。」

タクシーはこの時間もうやっていないという。
悪夢のリクシャーに乗らなければ着けない。

プリペイドリクシャー。

夕方コンノートプレイス近郊でリクシャーを拾い旅行会社に連れて行かれた事がまだ消えない過去になっている。

あとにも先にもあの出来事が一番腹が立った。

警察官の横で「俺に仕事をくれ!」とうるさい奴に警察官が使命した。

どういう基準でその運転手にしたかは分からないがこいつに決まった。

わたしはその運転手に着いて行くと
ラージガードの時やったように
乗る前に
「あなたを信じる。」
「あなたを信用している。」
とまずやる気を起こさせ、
「もし違う場所に連れて行ったらこのシートは渡さない。」
「もし安全にタージ・マハルのウエストゲートに着いたらチップをあげる。」
と伝えた。
運転手は「オーケーオーケー。」と分かった風だ。

「どのくらい時間掛かる?」と聞くと「20分ぐらい。」だと言う。

暗くて見えないが後部座席から撮った運転手。

世界遺産タージ・マハルがある駅、アーグラカントに列車はそのホームをうめた。

タージマハルまでのリキシャー
タージマハルまでのリキシャー

駅前の大通りを右に曲がると戦車でも通るのかと思うような太い道路に出た。

街灯が等間隔で道路を照らしさっきまでの真っ暗闇が嘘のような明るさになる。
「これは歩きでは無理だ。」
「こいつはわたしをどこに連れて行くのだろう。」

こうしてわたしはもう一度『インド』を信じる事にした。

次へ

ガンジー空港からニューデリーに出るにはバスかタクシーかリクシャーに乗らなければならない。

初日インドに着いてすぐそうしたように僕はニューデリー行きのバスに乗ろうとした。

国内線のバス乗り場は国際線のそれとは違い空港から少し離れた場所にある。

そして30分に1本の運行。ただ待てども一向に来る気配がない。
炎天下の中で待っているにはこたえる。

わたしが道路で待っているとリクシャーがやって来ては「いくらだ?」と聞いてくる。
要は「お前はいくらでニューデリーまで行きたいんだ?」略して「いくらだ?」だ。
わたしはトラブルは避けたいのでできるだけ流しのリクシャーは使わない。

地元のインド人はわたしが拒否したリクシャーと交渉して話がついたのか乗り込んでゆく。

わたしは30分待っても来ないバスを諦めてプリペイドタクシーを利用する事にした。
プリペイドタクシーはその名の通り料金先払いの定額制のタクシーで料金は公共機関に払う。

宝くじナンバーズを売ってるような箱詰めの中の人に行き先を行ってお金を払う。
2枚綴りのレシートが貰えて書かれた番号のタクシーを探す。
運転手にそれを見せて確認してもらい乗る。
目的地についたら綴りの1枚を渡してお互いちゃんと「送りましたよ。」「着きましたよ。」の証明になる。

もし目的地に着かなかったら綴りを渡さなければ良い。

多分運転手は公共機関にそれを渡しお給料を得るのだろう。

インドではよくタクシーやリクシャーに違う場所に連れて行かれたり、着いてから料金でもめたりするのでこのような「プリペイド」があるのだろう。

地元のインド人は流しのタクシーを利用する人が多いが、外国人はプリペイドタクシーを使うのが大半でそのチケット購入に長い列が作られていた。

180ルピーを払って、タクシーの運転手を探し、
コンノートプレイスの『ゴール・マーケット』に行くようにを伝える。

初日インド人でごった返す空港からの市バスが50ルピーだった事を考えるとかなり高い値段だ。

ニューデリー発アーグラカント行きの列車に乗る前の2時間でマンゴーティーを買うことにする。

世界の歩き方
世界の歩き方

ゴールマーケットというのはそこら辺周辺の地帯の事でお店の名前は「プレミア」。

タクシーの運転手は15才ぐらいの少年だった。

リキシャー
リキシャー

空港から市内のタクシーに乗ると階級社会を垣間見ることができる。

バスはタクシーや乗用車にクラクションを鳴らし、
タクシーや乗用車はリクシャーにクラクションを鳴らし、リクシャーはバイクやサイクルリクシャーに鳴らす。

道路を歩いている奴には全員でクラクションを鳴らす。

このタクシーの運転手もそうだが鳴らす事や鳴らされる事に何の感情もない。

日本ならそんなに鳴らしたら前でハザードたかれて降りてくるぞ!なのに。
鳴らされた方も鳴らした方も怒っていない。

黒いタクシーは「ここが『ゴールマーケット』だ」と車を一旦停めて言い張る。
マーケットと言うからにはお店群があるはずだがフロントガラス越しに見えるそれらは廃墟と化してる店とも言えないものだった。

「ここが?」
「そうだ。」
「わかった。」

わたしが降りると運転手は降りた場所にたまたまいたインド人を乗せてまた走り出した。

ここはコンノートプレイスからも郊外で車がどんどん行き交う場所でインドでは珍しく『信号』がある場所だ。

今のところインドで『信号』があったのはラージガード付近に1つと『ゴールマーケット』の2つだけだ。
わたしは歩き始め
ボロボロのお店で何かをしているインド人にガイドブックを指差し「ここに行きたい」と伝えた。

すると向こう側の道路沿いだという。

わたしは車が行き交う大通りをインディアンスタイル(車がビュンビュン行きかう道路を平気で横切る)で渡って歩き始める。

暫く歩いても一向にそれらしい風景が与えられないのでわたしは真面目そうなインド人に道を聞いてみるが分からないといった表情をされる。

すると「どうしたんだ?」とリクシャーの運転手が降りてきて「地図を見せろ」という。

ここら辺に詳しい奴なんだろうと見せると
「分からない。ただ地図がある所を知っている。まず地図をもらいに行こう。」という。
わたしは「この地図じゃ分かりづらいのだろう」と思い乗る前に「いくらだ?」と値段を求める。
「100ルピー。」この短い距離で100は破格だがしょうがないと思い乗る。

汚いボロボロのリクシャーが走る。

「その周辺に地図が置いてある所がある。連れていってやる。」
「お前はそこで待っていてくれるのか?」
「待ってる。」
「分かった。」

暫くして先ほどタクシーで降ろされた場所付近、
ちょっと奥ばった砂利道に入ってゆくとリクシャーは停まる。
「ここだ」と指摘され100を渡すとリクシャーは去っていった。
「あれ?待っていてくれるんじゃないの?」と思ったが「まぁいいや」と思い
狭い入り口をカランコロンカランを鳴らしながら入ると涼しい。
部屋周りを見ると個別に話を聞くような仕切りが何列かにされていて『塾の個別部屋』のような印象を受けた。

地図だけもらいたい旨を男に伝えると、
「奥まで行け!座れ!座れ!」と何かこちらがやったかのような語気で指示する。
奥まで来たが「座れ!早く!」とさらに怒られる。
言い方に頭にきた僕は何も言わず帰ろうと出口に向かって歩いた。

屈強な男が「どうしたんだ?」と聞いてくる。
「お前の言い方が気にくわない」と伝えても「イイカタ?」と反応するだけで通じないのか「いいから座れ、何があった?」と聞いてくる。
怒って帰る外国人に「どうしましたか?」とここだけ日本語だった。

腹立ってそれ以上は無視をする。
外に出るまで無視をして
砂利道を大通りを目指し歩き始めると後ろから物が飛んできた。
見ると男が笑いながらかなりバカにしたような言葉を浴びせていた。

何を言っていたか分からないが多分屈辱的な言葉だったはずだ。

これにわたしは腹が立ち何度暴言を吐いたか知れない。
ここには書けないような暴言を浴びせる事でしか解消されなかった。

こうしてまたインドが嫌いになった。

あのリクシャーは鼻っからここが旅行会社だと知っていて
外国人が迷いやすいここら辺でそれをピックアップして「とりあえず地図を手に入れよう!」という誘い水で乗せるとここで降ろし旅行会社からいくらか貰うのだろう。

旅行会社は来た外国人に対し高額なツアーを組ませる。
わたしはその対応や怪しい個室部屋からすぐに出たが、

この流れるような早い展開から騙される旅行者は多いと思った。

多分座ったら最後、入り口を塞がれ、全く関係ない話をされるのだろう。

わたしはバラナシで平和ボケになってた。
ここはニューデリーで観光客相手にいかに金を盗るか考えている猛者がいる街。
「日本人か?」と聞いてきたらもう怪しい。
「Sit down」と座ることを勧めてくるのはただじゃ帰らせない証拠。
人に道をたずねている時、間に入ってくる奴にはついていってはダメ。

わたしはこれらを教訓にまた土産物屋さんを探す。

暫くして僕が人が良さそうなインド人に道を聞いているとまた輩が間に入ってきて「連れて行ってやる。」という。

さっきのこともありもううんざりで無視をする。

最初道を聞いた人は「知ってるならこの人についていきなさい。」みたいになっているがわたしが許さない。

無視して「あなたに聞いています。」という。

するとクソ男は「俺が案内する!」とうるさい。
たまりかねて
「お前には聞いていない!どっか行け!」と強く当たる。
男は「何でだ、俺はその店の者だ!」と分からない様子。
わたしは「いいから消えろ!」とクソ男を相手にしない。
初めに道を聞かれたインド人は「どうしたんだこの二人は、」みたいになっている。

そいつは本当に店の従業員かもしれない。
ただ人と人が話している時に間に入ってきて「知っている」はインドでは完全に騙す輩だ。

またさっきの二の舞だ。

わたしは隣にあった名前も分からないファーストフードに入り店の従業員に道をたずねる。
すると男も入ってきて「俺がその店の従業員だ」とファーストフードの従業員にいう。

もうしっちゃかめっちゃか。

ファーストフードの従業員にしてみれば
「ここの店に行きたいんだけどどこにある?」という日本人と「俺がそこの店の従業員だ。」という奴が2人同時に入ってきてケンカしている。

なんのこっちゃわからないだろう。

「俺は店員さんに聞いているんだ、消えろ!」
と伝えても去ろうとしない。
こんな奴が紅茶を売っている訳がない。
状況が分かったファーストフードの店員はその男から名刺をもらうと退店してもらっていた。

わたしにその名刺を見せてくれる。

偽者の名刺
偽者の名刺

この名刺。
名前の所が◯◯になっている。
店の名前を本家と似せて、重要な箇所は伏せてある偽物。
セブンイレブンに行きたい人にこの『セブ◯◯レブン』という名刺を見せて「俺はここの従業員だ」と信じさせる。
それだけで作った名刺。
こういう手の込んだ事をする奴が本当に多い。

よく見ると行きたかったお店の名前「プレミアム」が小さい住所のようなところに書かれている。

男はそこを指差してお店の名前がここに書いてあると伝えた。

わたしは店員に「これは偽物だ。」と伝える。

インドでは日本で売られているガイドブックに出てくる店の名前は既に知られていて
それの名前に似せた店が乱立し、偽名刺まで作られている。

これはバラナシで見たサリー屋さんの写真。

日本語で書かれている
日本語で書かれている

暖簾にはガイドブックの名前が書いてあり「203ページに載っています。」と書かれている。

日本語で書かれている所がもう既に日本人向けのお店、高額な品物が置いてあるという証。

わたしは多くの日本人がガイドブックを頼りに来ている事をインドが既に知っている現実を
ただの広告や宣伝といった生ぬるいものではなく、
『ぼったくりのアイデア』になっている事を実感した。
この写真を見た時、
「ぼったくりに遭わない事は不可能だ」と思った。

その証拠に昨日まで泊まっていたバラナシの「サンモーニ」もよくよくガイドブックを見たら『一泊50ルピー』とうたっている。
100円。
だか言われた金額は550ルピー。1100円。

インドでは「言っていた事と違う!」と思う事が何度もある。

現地でたまたま会った少年に「うちのホテルは100ルピーだ」と言われてついていくと別の奴が200ルピーだ。と跳ね返す。

この「ガイドブック掲載金額」と「行った先で言われた金額」が違う事がまさにこのガイドブックは現地の少年と同じ事をしている事にはならないだろうか。

つまりこの旅のわたしはガイドブックを信用し過ぎたんだと思う。

ファーストフードの店員さんが改めて地図を書いて丁寧に教えてくれる。

書いてもらった地図
書いてもらった地図

ここら辺は地図の通り丸い大きなロータリーのような場所に位置する為、今どこにいてどの道がどこに位置しているのか分かりづらい。

必然的に道案内に化けたインド人が寄ってくる。

わたしは貰った地図頼りに修羅場のファーストフードでコーラを飲んだ後出ると
また歩き始めた。

すると「ヘイヘイ!困っている事はない?」と言ったような男が話掛けてきた。
続けて「持ってるよ?ほら!」と見せられたのは

お馴染みのガイドブック
「地球の歩き方」だった。

まさかインド人が日本で売られているガイドブックを持っているとは思わなかった。
わたしは手の込んだやり方に「そこまでするか!」と静かに驚くと無視してぐんぐん歩いた。

紅茶1つ買うのにこんなに疲れるとは思わなかった。
もうインドでお土産を買うことはないだろう。

コンノートプレイス郊外からニューデリー駅迄、
わたしは暑い日差しの中「タクシーに直接ニューデリー駅まで行ってもらえばよかった、」と後悔しながら歩く。

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