あとで日本に帰ったら韓国の人に聞いてみよう。
ちょっと駅前から離れると「もうここには外国人は来ないでしょ」という気持ちなのか途端にハングル文字一色になる。
ここは韓国だからいいのだが
僕はこの様なハングル文字の多い所に「この先もここは変わらないんじゃないか」と思うと同時に
外国に染まらない強い愛国心を感じる。
新村(シンチョン)に行けばリーズナブルで美味しい物が食べれると聞いて来た。
まだ朝9時でお店はどこも開いていない。
先程パジョン(チヂミ)の屋台でおばあさんを先に譲っている学生を見た。
儒教は年上を敬う教えなのでこうした風景をよくみる。
僕はサムゲタンの美味しいお店を探すことにした。
サムゲタンとは
鶏のお腹の中に高麗人参、もち米、漢方材と木の実を詰め込んで煮込んで作ったスープ。
日本では丑の日にうなぎを食べるが、
韓国では「三伏」といってその日から3日間のうちにサムゲタンを食べる習慣があるらしい。
夏場「サムゲタンを食べて体力つけて頑張って夏を乗りきろう」らしい。
今日がその日のようで店頭に「三伏」の暖簾が掛けられているお店を多く見掛ける。
僕は今までサムゲタンというものを聞いたことも見たこともなかったが、
ある人が「韓国に行ったらサムゲタンを食べなきゃ」というので食べてみたいと思っていた。
新村(シンチョン)駅前に戻り西江路(ソガンロ?)という大通りを延世大学の方に歩く。
あ。マクドナルドだ。
韓国に来ると何か違和感を感じる。
それは国が違うからそうなんだけど、
そういうのじゃなくて
「微妙に違う」という違和感だ。
僕はあくまで日本人なので日本が主流で韓国が亜流という視点での「微妙に違う」だが、
例えばこのマクドナルドの看板。
![韓国のマクドナルド](https://kenjimorita.jp/wp-content/uploads/2010/10/p1020533-225x300.jpg)
何で2回いうねん!と大阪の方なら突っ込みそうだ。
日本も2回いってる看板があるのだろうか。
これはマクドナルドが配達をしているらしくそのジャイロ。
あくまで予想だけども韓国は「儒教の国」「家族大事の国」
マクドナルドを家族みんなで囲んで食べたい!というのがあるのだろう。
それか日本のようになんでもかんでも
「駅前にはマクドナルド」みたいな国ではなく、
郊外にはファーストフードがないのかもしれない。
ちょっとした違和感。
なんとなくドコモショップにデザインが似てる。
でもよーく見たら
「ダイソー。」
入ったら100円ショップ。
似て非なるなんとなく違和感を感じる国だ。
もう結構歩いたのでここのお店に入ることにした。
そして結果からいうと僕は「サムゲタン」を食べたかったのに間違えて「ソルロンタン」をオーダーしてしまった。
ソルロンタンは牛の骨を煮込んだスープ。
具はない。
「鶏まるごと」は入っていない。
間違えている事を知らない僕は「あれ?あれ?」
と必死に金属の箸でかき混ぜて鶏を探す。
「あ。なーんだ。後から店員が鶏だけ持ってきて入れてくれるんだ。」
と思いスープだけ飲んでおく。
僕は「まだかな?」と店員を見る。
店員も僕を見る。
僕は「ん?まだかな?」と店員を見る。
店員も「ん?なに?」と見る。
来るはずのない鶏をひたすら待っている僕は「あまりせかしちゃいけない」と思いながらスープをゆっくり飲む。
オーダーも運ぶ物もない店員は余裕で突っ立っている。
僕は「いやいやキッチンの方見てろよ。俺の鶏ちゃんが出てくるだろ。」と見る。
余裕の店員は「ん?」と僕を見る。
それを4往復ぐらいした。
来ない鶏をひたすら待つ心境。
約束もしていないのに花束を持ってひたすら意中の人を待っているようなものだ。
「あれ?俺スープ飲み干しちゃうよ?」
いよいよスープがなくなりそうなその時
それまで突っ立っていた店員さんキッチンの方に入っていった。
「来た!」
やっと俺の鶏ちゃんが運ばれてくる。
いやー、待たせやがってー。
来た来た。
そうそう。こっちこっち。じゃぁここに置いてもらって・・・。
すみませんねぇ。
狭い所でって。
おーーと!そっちの客のかーーい!
違う席に運ばれた。
俺の鶏ちゃん。
あれだ・・・。僕が欲しかったもの・・・。
最初からヒタヒタに鶏が入ってるじゃん。
「あれ・・・俺今何を食べているの!?」
この後
目の前の「薄味の変なスープ」の味を濃くしようと塩を入れ過ぎた僕は「しょっぱっ!」となり食べれなくなる。