今日しなければいけない事。
明日から最終日までの全ての交通機関のチケット取得。
「その前にご飯食べにいくか。」
Tシャツが朝5時には下のベランダにあったのに10時にはなくなってた。
フロントも「知らない。」という。
わたしはホテルの従業員や下の階のお客さんが取っていたという風に考えず「消えた!」「幻?」等とミステリアスな方に捉えていた。
そしてフロントの「お客さんは泊まってない知らない」発言はますます僕の心臓の脈を速くさせた。
一階に降りていき
「みんなに聞いて調べておいてくれないか?」
と投げるとパパが「わかった」と受け取る。
一旦Tシャツの件は置いておく。
インドに来て以来食事は主にキャップ付きの「ペプシ」か「ミネラルウォーター」
他は全て「実験」をした上でお腹の調子、経過を診た後食べれる物を判断しなくてはならない。
食べ物に関して、
インド1日目は、
とにかく食べ物は絶対口にしない。
という意識だった。
そして
インド2日目は高級レストラン、もしくは袋入りなら食べる。
インド3日目は信用できるインド人が薦めたお店なら食べる。
このように徐々にではあるが僕の「食べ物への信用」のハードルが低くなってきた。
そして今まで人に対しても食べ物に対してもインドを全く信じていなかったが「信じてみようかな」という心境の変化があった。
両方ともここバラナシに来てからだ。
「今日はちょっとだけ新しい食べ物にチャレンジしよう。」
『信用がなかったものを信用するようになる』という心境変化は環境に適応する能力が働いたのかもしれない。
「ここインドで生きなくてはならない」という問題に直面した時こちらが一方的にインドを信じるしかない。
なぜなら何も分からないから。
どんなに騙されても信じるしかない。
もしインドの料理でお腹を下して
病院に担ぎ込まれ入院しても出されたものを信じて食べるしかない。
全く価値観や文化が違う所に放り込まれた時
人は人を信じなくては生きられないんだと実感する。
そこの国の人を信じる事でしか生きる方法がない事を目の当たりにする。
例えば考えが合わない奴が「インド」だとして、
「最初はお前の事嫌いだったけど今は〜だ。」みたいなのは最初受け入れられなかった行動、信じられない発言があっても一緒に団体生活をしていく(生きていく、信用し続ける)上でこちら側のその人に対する信用のキャパが増えて、こちらが譲歩して仲良くなることがある。
だめな奴の中にも信用が芽生える。
わたしは最近人と人が別れたり疎遠になる時は「お互いの信用がなくなった時、振られた側の何かの信頼がなくなって回復できる見込みがないと判断された状態」だと思っている。
だから信用がない初めましての時期はすぐに「あれが嫌」だけで別れがくる。
逆に積み上げて来たお互いの信用はなかなか崩れない。
また新しい人と関係を築くのは信用を重ねるしかない。
わたしは日本の国の価値観を信用してきて
インドという異国で衝突して何度も腹が立って別れたかった。
ただわたしはインドでは何も知らない弱い立場で、
あと3日目間別れられないし付き合っていかなくてはならない。
わたしが重ねてきたインドへの信用(これだったらインドでも大丈夫という)の範囲内で行動しなくてはいけないし、
インドに対する信用を築く為に僕の方がリスクを背負って、冒険して、新しいアプローチをしないといけない。
それが「今日はちょっと新しい物を食べてみよう。」なのだと思う。
もし腹を下してもそれは多分階段を4段飛ばしぐらいで積み上げようとした結果で、
1歩づつ慣れないといけない。
インド人がよく口にする蝿が舞った料理を食べてもお腹が痛くならなくなるにはインド料理という階段のかなり上の方まで信用を積み上げた結果なのだろう。
今日は移動しない。
という事もインドに来て初めてだ。
今までなにかと時間に急かされていたがホテルも決まっているしじっくりバラナシと向き合える。
「どうしようかな。」
わたしはリュックをホテルの部屋に置いていくべきか否か考える。
従業員が勝手に入ってバックの中をあさらないかな。
こういう危ないことがインドでは考えられる。
もし持ち物がなくなって
「部屋にあった〜が無くなってる!」と騒いでも「知らない。」で終わるだろうし警察にも「管理してなかったお前が悪い」と言われて終わりだろう。
ただずっとリュックサックを背負ってるのもホテルに滞在している意味がない。
わたしはポシェットだけを腰に巻いて軽装で出歩くことにした。
そして出先で万が一身ぐるみを剥がされ、
無一文になった時の為
リュックサックのちょっと探しただけじゃ分からない場所にトラベラーズチェックと日本円とクレジットカード。
そのリュックサック自体をベッドの下に、
そしてさらに見にくい所に隠す。
途中「わたしは何やってるんだろう」と思うぐらい誰かの為に防犯をした。
引き続きウンコ臭い道を通り
ガイドブックに載っている美味しいと評判のお店「ケサリ」に向かう。
ダシャーシュワメードロードから少し入った所にある。
老舗のベジタリアンレストランらしい。
途中ティーポイントカードに似たお店。
「お客さんが来ないから寝る」のか「寝てるからお客さんが来ない」のか。
とにかくインド人は布団を掛けないで寝るのが大好きだ。
写真が大好きなインドの子供。
これはかわいい。
「ケサリ」に着いた。
え?ここが美味しいの?って思うぐらい清潔感なくて看板を確認してしまう。
従業員が「またガイドブック見てきた日本人が来たぞ!」みたいなニヤニヤした顔で出迎える。
分かりやすい表情をする奴らだ。
こっちは言葉が通じない分表情を読むことをする。
それに気付いていないのかな。
相手の待ってました!に応えるにはちょっと癪だったけど、「しょうがない他に裏取れている所ないし」という思いで入る。
写真もない、
何が書いてあるか分からないメニュー表に戸惑っていたら店員が「今はランチメニューは終わってこれならある。」みたいな事を言ってるので「それにする」と告げる。
「何とかタリー」を食べる。
斜め右のボックス席ではインド人の家族がタリーを器用に右手だけで食べている。
彼らは蝿が来ても決して払おうとしない。
写真の奴。
味は全く美味しくなく
揚げパンの皮、油っこい部分に全くスパイスが効いていないカレーを付けて食べている感じ。
ちぎって、乗せて、つけて放り込むが上手くできなくてえらい苦労した割には
全く満足できない。
「びっくりドンキーのハンバーグ食べたい。」
会計の際また最初言ってた値段と違う。
「彼は最初『80ルピー』と言った。」と伝えたらおっさんは従業員と話して渋々値段を変えた。
このやり取りはこの国にいる限り、
わたしが顔を整形してインド人にならない限りずーっと繰り返されるのだろう。
「あ、そうだ!」
インドに来て以来今までわたしは歯磨きをしていない。
ホテルにあるものだと思ってたしすぐに買えるものだと思っていた。
そういえば石鹸も買わなければいけない。
インドでは歯みがき粉と歯ブラシを買うのに2時間掛かる。
2時間。
コンビニという全ての生活用品が一堂に会してる所がなく全て専門的なお店だ。
なので歩き回って、
聞きまくってようやく買ったお店はインド人も敬遠しそうな汚いお店。
何百年ぶりのお客さんに驚いたのか幸せそうな顔をしていた。
わたしもわたしでやっと買えた歯ブラシに満足して店の人と握手をしたぐらい買うのに苦労した。
大人2人が歯ブラシを買えてよかったという握手。
二人ガッチリ交わす。
何してんだろ。
それらはポシェットに入らないので暫く手に持って歩いていたらインド人が好奇の目で見ていた。
子供が近づいて来たので
「これかい?これは歯ブラシと歯みがき粉さ、」
と説明すると
笑いながらどっか行ってしまった。
確かに
わたしも日本のどこかの田舎道で外国人が前から歯ブラシと歯みがき粉だけ手に持ってぐんぐん歩いていたら笑う。
そしてその外人が
「これかい?これは歯ブラシと歯みがき粉さ、」と聞いてないのに説明してきたら急いで逃げるだろう。
わたしは歯ブラシと歯みがき粉を焼けた左手に持ちぐんぐん歩く。
これからインドの民族衣装「サリー」を買わなくてはいけない。