【アーグラの夜猿】インド5日目①

ガンジス川

ガンジス川

ガンジス川

ガンジス川

「これ日本人みんな買うよ!これはガネーシャ!これはシヴァ! みんな買うよ!え?100ルピーだ!高い?高くないよ!みんな買うよ!」

「成る程そーゆーことか」とわたしはガンジス川を行くボートの上で思った。

その日朝5時のボートに乗る。

フロントの前の地面で寝るパパに「グッドモーニング」と声を掛け起こすと、
オーナーは自分のせいで太った体を自分の責任で立ち上がらせ「こっちに来い」と僕を促した。

「ガッガっ」と開きづらいホテルの扉を引くとパパはわたしを後ろに感じながら凸凹な道の前をゆく。

ホテルから50mもない目と鼻の先にガンジスはある。
朝早すぎてか地元のインド人は外にはいない。

わたしはどんよりする空を認めると「イズットクラウディトゥディ?」と聞いた。
「ノー」
ただ単に日の出前だという。
でも雲はある。
質問がまずかったのかもしれない。

川の畔に多数のボートが簡単な杭で繋がれていて朝に強い子供がいつもの調子で遊んでいる。

古いボートの前で止まる。
「これでいくのか?」とパパに確認すると「そうだ。」と案内する。

「それよりちょっと待ってくれ。お腹が痛いからホテルのトイレに行ってくる。」
わたしは昨日の夜からお腹を壊している。
ここに来てお腹の調子だけは気を付けていたが昨晩見事にやられてしまった。

マンゴーか、チーズか、鶏肉か、ホットチリスープか。

わたしは「水」がどれだけ食生活の基本的な問題であるかを知る。

「生水」だけは飲まないようにしてきた。

ただ「生水」を飲まないというのは「インドでは食事をしない。」「断食する。」という事とほぼ一緒。

マンゴーも洗って食べれないし食器に口をつけられない。
昨晩ピザを食べたが、
チーズは乳製品でその牛は水を飲み穀物を食べている。
穀物は水と大地で作られ、水はまた大地を作る。

結局は生水を使っている。
キッチンがどれだけ清潔かもコックが手を洗ってるかも分からないが、
その手を洗うのも結局は生水ではないか。

わたしは「生水」というものがいかに生きる上で絶対的に必要で食生活の根底に密着しているかを知る。

よくインドで腹を壊したか、壊さなかったかを問われる。
『インド』と距離が近かった人は壊すし
『インド』とある程度距離を取った人は壊さない。

わたしはこの腹を下したことをこのように結論づけた。

インドは前から裸だった。僕は初めそれを拒否した。そしてわたしはわたしの方から裸になった瞬間お腹をやられた。
多分こんなとこだ。

ホテルにもらった外国人用のトイレットペーパーもどんどん痩せていき芯だけになった。

わたしは急いで待たせている川辺にベルトをしめながら向かう。

大人が5人乗ったら沈むような木製のボート。
乗るのは14歳ぐらいの少年とわたしだけだ。

少年は足で杭を蹴ってボートを岸から離す。
水面が斜めを描きボートが離れてゆく。

少年は慣れた手つきで水を切り、漕ぎ始める。
それは次第に岸から離れて行った。

なんの救命道具も積んでいない木製ボートは今ガンジス川の真ん中をゆく。

「どこから来たんだ?」
「フロムコリア」

お約束の挨拶を終えるとわたしは聞きたいことを聞いた。
どこまでいくんだ?
「向こうの方まで、行って帰ってくる」

何分くらいだ?
「1時間くらいだ。」

あれはなんだ?
「お祈りだ」

この流れている声と歌はなんだ?
「近くの寺で歌っているものがスピーカーされている。」

向こう岸にはいけないのか?
「いけない」

なんで?
「いけない。」

沢山のガートがあるこちら側は沐浴などで賑やかだがその向こう岸は何もない砂漠が広がっていた。

木も建物もない本当の砂漠。
どのボートも川の真ん中を平行に流れて元に戻るのみで向こう岸に着こうとはしない。

後で知ったのだが向こう岸は「不浄」、汚い所と古くから伝えられているらしく誰も行かない場所だという。

わたしは「あっちに行きたい」という質問がどれだけ無知な質問だったかその時は知らなかった。

暫くするとボートが沢山行き交う。
ヨーロッパの団体がガイドを乗せ写真を撮っているボート。

アジア人。50代、60代の夫婦が乗っているボートとすれ違う。

みんな団体で僕1人が1人で乗っている。

みんなが川から見たガート、朝の沐浴風景を写真におさめていた。

ボートに乗ってわいわいしているインド人はいなく、外国人のみがボートに乗っていた。

するとそこにインド人が乗るボートがわたしの乗るボートに横付けしてきた。

そして何故か少年はボートを漕ぐのを止める。

「ヘイ!ジャポン!」
わたしは無視をする。
「これ買わないか?」

みると木製の像。置物。
ボートが露店と化している。

「これ日本人みんな買うよ!これはガネーシャ!これはシヴァ! みんな買うよ!」

こちらのボートを漕ぐ少年は一向に「おっさん邪魔だよ!あっちいけよ!」とは言わない。
疲れた腕を休ませて無言を貫いている。

こいつら「グル」だ。

「いくらだ」

「20ルピー」

とりあえず「高い。」と言っておく。
高く吹っ掛けてきてるに決まっているからだ。

「え?高い?高くないよ!みんな買うよ!」

「みんな買うかは知らない。俺には高い。」

「日本人みんな買うよ!」「俺は買わない。」

わたしは少年に早くボートを出せという。
少年は無視する。

「これならどうだ。こっちはガネーシャ。こっちはシヴァ。」

わたしは『夢を叶えるゾウ』を愛読書としているので一瞬ガネーシャに反応した。

「いくらだ。」
「100ルピー。」
「高い。」

少年は全くボートを出す気配を見せない。

「成る程そーゆーことか」
旅行客をボートに乗せて身動きが取れない水上で粗品を買わせる。
5時に来い!というのは言い換えると「インド人も朝の稼ぎをするからその時間に合わせてこい!」ということだ。

神聖なはずのガンジス、みんなが輪廻を信じて還るガンジスで外国人から金をふんだくる。

「これはみんな買うよ?この中にガンジスの水を入れて持って帰るんだ。お土産に喜ばれるよ?それでこうやって頭に水を掛ける。」
あ。でもこれはいいかもな。
と思ったが「高い。」で通した。実際100円で払ってもいいが
こいつらのこのやり方が今後、旅行客の朝ガンジスで高揚した気分を一旦削ぎ、
買うまでボートは動かないとするならこれは「戦い」だ。
どんなに安くても、どんなに買いたくても払っちゃだめだ。

わたしはだんだん腹立ってきて何故お前らから買わないか理詰めで説明した後ボートを出すように求めた。

「ゴーゴー」と言われた少年は露店商とヒンドゥー語で二言目三言交わして漕ぎ始めた。

少年は「こいつは買わないよ。」と言っている様だった。

わたしはその後30分ぐらいボートの上で拘束される。

次々と露店商が横付けしては売ろうとするがわたしは目を合わすことなくカメラで風景をおさめていた。

「あの『ガンジス川の水を汲んで持って帰れる奴』欲しかったなぁ」と何度も思った。

アラジンの魔法のランプの様な入れ物で100円だった。
あれはお土産にはたまらないぞ。
ガンジス川の水入ってるし。
あれは「買い」だろ。

もう一度戻って今度俺等がボートを「横付け」したらどっちがインド人か分からなくなるぞ。

さっき告って来た女にボロカス言って振ったのに10分後「すみません付き合ってください。」とは言えないしな、
実は好きでしたはおかしいしな、
あーでも欲しいなぁ。

わたしはなんとも変な感じでボートの旅を終える。

「着いたぞ。」
ボートが着いたすぐそこでは今朝も死体を焼いている。
わたしは昨日の巻き戻しを観ているような風景に早送りの様な足取りでホテルに帰る。

すると後ろで「ヘイ!マネー!」と少年が追ってきた。
マネー?なんで?
「マネーマネー!」
なぜだと聞くと漕いだから200ルピー払え!という。
「いやいや!お前には払わない。ホテルに払うんだ。しかも50ルピーだ!」
というとそれ以上のやり取りは無視してホテルに向かった。

するとやはり追って来なかった。
その事からすると「それとは別で貰おうとしたな、」と察した。

パパに50ルピーを払うとパパは「100ルピーだ」という。
「なんでだ。50と言ったじゃないか」というと
「それはボートに2人以上で乗った場合だ。」

という。
わたしは1人でホテルにチェックインして1人でホテル内を行き来してパパともソファーで「暑いねー、」やら「停電はいつまでなの?」やら話をしている経緯がある。
その僕が「ボートはいくら?」と聞いたとき「50だ。」と2人で乗った場合の金額を言うのはおかしい。

パパは「そこに書いてある。」とフロント横に貼ってある紙切れを指差してみせた。

いやいや文字小さ!

「オーケーオーケー。私は払う、でも今度からそういうのは先に言わないとダメだ。私が1人で乗る事は知っていたはず。そしたらその値段を言わないといけないし、あなたは説明しなければならない。」

向こうも納得したようなので「よし!もうこの話しはなし!」といい握手をすると緑色をした階段を上がっていった。

これから飛行機に乗る為のタクシーがホテルにくる9時45分までにサリーを買いに行かなければならない。

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