ブルドッグの口元

近所を歩いていると、
母親と小さい子供(やっと立って歩けるぐらいの年頃)が小さなブルドッグとその飼い主(ひょっとしたらそれらが一つの家族かもしれない。)となにやらわちゃわちゃしていた。

母親が幼児の手をブルドッグの口元にあてていて、ブルドッグはそれをペロペロ舐めている。

わたしは「危なくないのかな、怖くないのかな」と思いながら通り過ぎた。

その先の信号で向こう側に渡るのを待っていたところ、
後ろで声のような音を聞いた。
振り返ると先ほどの幼児が転んでいる。

幼児は幼稚園ぐらいの兄(さっきは目に入っていなかった)に抱えられて立とうとしている。
立ち上がった幼児の手を母親が診る。

わたしが驚いたのは幼児が泣かなかったことだ。
泣いて、お母さんに抱えられて、「あ〜どれどれ、よしよし」
当然それが期待されていた。

信号が変わる。

わたしはわたし自身どのように育てられたのだろうと思う。
今のように転んで、母親に「泣かなかったのね。強いね」と褒められて、頭をぐしゃぐしゃに撫でられていたら
「痛くても我慢する男」になるだろうし、
ブルドッグの口元に手を差し伸べるような「挑戦」をさせられていたら
「得体の知れないものに向かっていく男」になっているはずだ。

怖いものを怖い痛いのを痛い、思いっきり泣けたらどんなに気持ちいいだろう

今の自分より向こう側でまた歩き出している幼児の方が強い気がしている