リクシャーが行き交うサナリプラロードを「ノー」と断りながら歩く。

牛使いが集団から遅れた牛を叩く。
あんなに思いっきり叩いているのに牛のお尻はでかい。
全く痛くなさそうだ。

これからハリスチャンドラガートに行きヒンドゥー式火葬を見物した後ホテルを探す。

そして明日から7日目までのスケジュールを立てなければならない。

インドを歩くのはただ暑いから疲れるのだけではない。
交通事情や勧誘、悪環境に体力を奪われる。

ましてや知らない街となると地図を見たり人に聞いたりして歩く。

喉が渇いたらジューススタンドを見つないといけない。

自動販売機がないインドではなかなかジュースは飲めないし
お釣りを騙すジューススタンドもいるのでこちらの目利きが必要だ。

ダーシュワーメイドガートで日本語が上手い少年と出会った。
なんでもかんでも話し掛けてきたインド人は防犯の為突っぱねていたが

今なら少しだけ受け入れる用意がある。
ほんの少しなら話を聞ける。
ニューデリーの時とは心持ちが違う。
インド人に対しての扱いに少し余裕を持てるようになった。

また断る時のバリエーションもただ強く言うだけじゃなく、

ホテルを紹介する奴に「オーケー覚えとく。覚えとく。」
と名刺は貰わないでも覚えとくから去ってくれパターンや
初見なのに「アイノーアイノー」の私は(君の店を)知ってるパターン。
今まで無視してた「ヘイジャポン!」に「ナマステー」と返すパターンもできた。
(これはたまに無視されたけど。)

乗らないか?と営業するリクシャーに何も言わず笑って首を振ると意外とあっさり去ってくれる。

リクシャーにぎゅうぎゅうで乗ってるインド人の「ハロージャポン」に「ノー。アイムコリアン」と
うそぶく。

「こっちもインド人を上手く利用してやろう。」と思うようになった。

歩いていたら
店頭を暖簾で閉めきって
いるお店があった。

このような商業施設付近ではない田舎の道路で暖簾は見たことがない。
暖簾は外の喧騒と悪環境を嫌がっているってことだ。

わたしはひょっとしたら「インドを受け入れていないのではないか?お店の人はインドが嫌いなのではないか?」と思い

「だとしたら一緒だ。」と思いそこで道を聞くことにした。

後々そこはインターネットカフェだった事に気付く。
奥の方にひとがいる。
「エクスキューズミー、パリスチャンドラガートはあとどのくらい?」

ガタイのいいおっさんが答える。
「歩いて2分、真っ直ぐ行って左だ。」
どうやらインド人ではなさそうだ。
わたしは砂漠には行ったことがないが「オアシス」に辿り着いた感覚でこの店のベンチに座っていた。

外に出ると猛暑と臭い匂い、
客引き、
排気ガス、
動物園の匂い、
砂埃のインド。

ちょっとしたジューススタンドがオアシスに感じられる。

ニューデリーの2日目に見つけたレストランとここのジューススタンドは「なんとか死なないで大丈夫だ」という保証がもらえる。

人が嘘つかない、値段が適性、腹を下す事がないからだ。

インドで1人で旅をしてこの3つの信頼がある一軒を見つける事がどんだけ難しいことか。

わたしは「あ、よかった。バラナシでも生きて行ける。」
と思ったぐらいだ。

わたしはすぐこの店がどこに立地しているかメモり、
写真を撮り、
マップにマーキングした。

道を聞くと一休みする事にした。
少年と別れて30分ぐらい歩いたと思う。
「オーケーサンキュー、cokeプリーズ」
インドに来てからcoke、ペプシ、ミネラルウォーターばかり飲んでる。

後々気付いたのだが「ペプシ」はインドのバラナシに工場を持っている。
今大企業の多くは中国の次は新興国インドに自社工場を持つ事を狙っているというのを聞いたことがある。

それは中国→インド→ブラジル→南アフリカの順らしい。

「7UP」というサイダーもインドでは主流。
あとあったのはマンゴージュース。
これは後々飲むことになるが美味しかった。
90円位で350mlペットボトル。
こっちでいうアップルジュースぐらいでっかい顔をして店頭に置かれている。

マンゴーは路上でも売ってるしとにかくマンゴーを目にする機会が多い。

りんごは目にしなかった。
停電が1日に6回ぐらい起こるバラナシは冷蔵保存出来ないものはすぐ傷むし、
売らないし、
好まないのだろう。

その証拠に路上で売ってるマンゴーは緑色の物が多い。
マンゴーはたとえ売れなくても日持ちがいいし、
日に当てると熟れてくるからインドの季候に丁度いいフルーツなのだろう。

おっさんが出てきて、
「何でハリスチャンドラなんかに行きたいんだ?」
と聞かれた。

「葬儀が見たいんだ。」
わたしはおっさんの発言の真意を探った。

「なぜ?」
前々から気になっていたのだろう。
外国人はみんなあそこにいく。
おっさんは理解に苦しむといった感じだ。

なぜ?と聞かれると困る。
率直に言うと死体を焼く所を見たいだけだ。

珍しいから。
日本では見れない風習だから。

多分それを言った所でまた「なぜ?」と聞かれてただろう。

お店のおっさんは不可解な顔をして店の奥に引っ込んだ。

わたしは「センキュー」を「長居しちゃってごめんね」という意味でおっさんに告げ、
最近見ないcoke瓶を所定の位置に入れると
暖簾をめくり表に出た。

店の名前。
『OM CYBER CAFE』
覚えておこう。
コーラの看板に、緑の暖簾。
よし覚えた。

相変わらずクラクションがうるさい。

出てすぐのクラクションの音はハリスチャンドラまでの「よーいドン」の合図だ。

おっさんが教えてくれた通りの道を歩き
緑色のマンゴーが並んでいるお店を左に曲がる。

急にでけぼこ道になり次の一歩を見つけながら歩く。

この辺り一帯は道というよりは「何かの敷地内」もしくは小さい「集落」のような場所だった。

今までの2つのガートとは性格が違うのが直ぐに分かる。
こっちは人が静かだ。

こちらが外国人でも「ちらっ」と見ることはするが決して深追いしない。

客引き行為もない。

火葬が行われているガートだからかもしれない。

薪を割っている小学1、2ぐらいの2人の子供がいる。

それを瓦礫の家の軒先から何やら言いながら眺めている7人ぐらいの大人がいる。

嘘だろ?と驚くぐらいの薪の量を頭の上に乗せてバランスよく運ぶ劇的に痩せたマッチョの少年。

路地裏で寝ている牛。

薪を割っている少年だが僕らが従来イメージにある薪割りじゃない。

デッカイ釘。
見たことないような1mぐらいの釘を木材の側面に差して子供が「どうにか」してる。

ジャパニーズ「斧でパッカーン」ではない。

「さけるチーズ」で例えると縦から割かないで横から割こうとしてる。

大変な方を選んでる気がする。

「斧が一本でもあればいいのになぁ。」

わたしはハリスチャンドラガートに着いた。

背中から何やら軽快な掛け声が聞こえる。

「あ。死体だ。」
直ぐにわかった。

木材で作られた担架に白い布でぐるぐる巻きにされた死体が僕と同世代ぐらいの男達6、7人によって運ばれてる。

叫んでいるのは「故人の名前」だろう。

同じ単語ばかりを合わせて叫んでいる。

「男性が亡くなったんだ。」
男性は白い布で、
女性はその姿を隠すようにペルシャ絨毯のような物を被されて運ばれてくる。

男達の先頭で導くのは多分宗教のお偉いさんなのだろう。
ターバンを頭に巻き右手には大量のお線香のような物を持ち煙で周囲を包みながら歩いていた。

これは多分、
死者の腐敗した匂いに蝿等がたからないようにする為だ。

担架の後ろから歩いているのは親族だろう。

何かを叫びながら泣いている女性。
泣いている女性の顔を自分の胸に落とし込むおばあさん。

後に続く人々。8人ぐらい連なっていた。

わたしは泣いている女性を見たらつらいんだろうなぁ、

俺もおばあちゃん亡くなった時辛かったもんなぁ、
一緒だよなぁ、
と思い出すとなんだかいたたまれなくなってきた。

全く関係ない子供が走りまくっていた。

列は細い道を通るとその先の階段を降りて下のちょっとした浜辺に向かう。

そこには人1人が横たわれる分の広さの薪が何段にも四角に作られていて炎が上がっていた。

それが距離を置いて2つ用意されていた。

わたしは列の最後が階段を降りてゆくと
生前にこの方にお世話になった訳でも
話をした事も、
顔も見たこともないのに
全くの部外者が申し訳ないと思いながら拝見する為に降りて行った。
わたし以外外国人はそのガートにいないけど「ここからはダメだ。」とも言われなかったのでわたしは「このインド人ただの傍観者だな。」と明らかに全く関係ないだろう人の隣で見学した。

さっきの女性がずっと泣いている。

インド人は死者になるとまた違うのに生まれ変わるという。
なので悪い事(業)をすると来世に差し支える。
罪を浄めてもらう為に、死んだ時にヒマーラヤに帰って行くことを願いガンジス側で沐浴をする。

担架がそこに到着したら女性が泣き崩れて死者に頬をあてる。

ジューススタンドのおっさんが「なぜそんな所に行きたいんだ?」と言ってのを思い出す。

確かにこれは沈痛な気持ちになる。

ここのガートのインド人は見慣れているはずなのにみんなこの様子を眺めている。

それもすごく静かに。

クラクションあんなに鳴らすのに。

前方右の岸辺には女性の死者だろう。
もう既に「先客」がいる。
担架のまま川に沈める為に石をそれにくくりつけて重りを作っている

前方左の方は今から女性の親族のとは別の死者が焼かれる為に準備がされている。
先客がいる。

インドの各方面から信者の死体が運ばれてくる。

何で運ばれてくるの?と聞いたらトラックだそうだ。
毎日火が消えることはないそうだ。

火葬が始まる様子を見てると
上半身裸の真っ黒の少年が近づいてくる。

売り子?と思っていたら
少年は「ここは自分達の仕事場だ写真は撮るなよ?」と注意してきた。

わたしは撮らないよ。というと少年は元の場所に戻っていった。

撮る外国人がいるのだろう。

左の方で死者が焼かれ
右の方で川に浮かばせているのを見たとき

わたしは「俺は何してるんだろう。ホテル探そう。」と我に返る。

あの死者に頬を擦り寄せながら号泣して

死者に顔を埋め過ぎておでこの中心にある「ティカ」が布に付いちゃったあの女性の最愛の夫が焼かれる所は見れない。

ヒンドゥーは「輪廻」「来世」「ガンガーに還る」など続きがあるみたいにいうが、
やっぱりヒンドゥーでも「死」は受け入れたくないんだと思った。

現世で生きたいんだと思った。

もしそうじゃないとあんなに悲しそうに静かに見守る人は多くないしあんなに泣かないのではないかと思った。

「写真撮るのか?」
さっきと違う子供がまた来た。
「帰るよ。」
というと

ネットカフェのおっさんが言ってた事をまた思い出した。
「何であんな所に行きたいんだ?」

これからわたしはガンガーの眺めがいいホテルを探しにいく。

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