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フロントエンドエンジニア芸人/インド芸人/もりたけんじの武骨日記 ・NSC東京9期 東京湾に入港してくる貿易船の綱取りをしていた頃、先輩芸能人の運転手する。ビジネスホテルでフロントで英語ができなかった挫折を味わい、力を付けに1人でインドへ渡航した。帰国後世界から発信するためWeb技術をつけたくなり、専門学校へ通う。以後、プログラム言語JavaScriptの正直さに惹かれ 「フロントエンドエンジニア芸人」を極めるため日々奮闘中。現在はサイバーエージェントにジョイン

2041
カタカナ読み全く通じない。

格好なんて気にしていられない。

持っている用語集総動員でとにかく話しかけて上達しよう。

1633
「えーと・・・我想・・去旅店、旅店・・・在・・那里?」
「私日本語できますよ?」

中国語でどうにか伝えてたら近くまで送ってくれた。

ちょーいい人。

2045

台湾は日本に似てるっていうけど、

なんとなくこの建物なんかも昔の日本の造りだよね。

統治時代の面影。

facebook 森田賢二

2048
復興路の駅ビル「太平洋SOGO」の中にあるお店に長い行列が。

後に分かったけどここが台湾で知らない人がいないほどの小籠包の有名店「鼎泰豊(テイタイホウ)」らしかった。

後で食べにこよう。

2051
松山機場から文湖腺で忠孝復興へ行こうと思います。

台湾は手をつないでいるカップルが多い。

韓国2日目②
「あ。ジャガーだ。」
と思ったら

「ダイナスティー」だ。
韓国2日目②

何ダイナスティーって。
明洞(ミョンドン)辺りでは往来する車は全て新車なのではないかと見紛えるくらいピカピカな車が多い。

バスも新しいバスだし。

ここら辺の人々に最近何があったのだろう。

ただ日本車は少なくて多分だがどれも韓国産の車だ。
あれ?このヘッドライトの感じ「エスティマかな?」と思って近づくと「なんのこっちゃわからへん車種」だ。

あれ?これは明らかに「グロリア」だな。
と思って近づくと「なんのこっちゃわからへん車種」

本当申し訳ないけど車のデザイン寸借してますよね?が多い。

韓国の地下鉄の入り口。
韓国2日目②

韓国はとにかく人を下に下に行かす。
人を下に行かすという事は人はやがて地上に上がると言うことで、
これが上がらす時に(全てとは言わないが)階段で上がらす。

疲れてしょうがない。

わたしは何段階段を登っただろう。
わしゃキャンプ中の清原か。

韓国の地下鉄は綺麗だ。
韓国2日目②

ホームの所に大型液晶テレビが次の列車の案内をする。
日本は電光掲示板みたいな奴だけどね。

「綺麗さ」と「外国人観光客に優しい」という意味において日本の地下鉄は韓国に一歩前を行かれているなぁと感じる。

相当ボッコボコに工事しないと追い付かないだろう。
ホームと線路はこのようにガラス張りになっている。

韓国2日目②

最近できた日本の地下鉄は腰までの高さのそれができたけど。
部屋に入るみたいに電車に乗り込む。

ベトナム1
日目③
ベトナム1
日目③
レロイ通りのベンタインバスターミナルは多くの地元民でごったがえしている。
電車がないこの街はもちろん「ホンダ(バイク)」が足なのだけれども、
バスが長距離の足ようで案内所は「並ばない人」が我先に声を上げている。

通りには仕事中のバイク運転手が縁石の上に座りながら息抜きしてたり
フォアグラーオ通りやデタム通りのパブのオープンテラスにはお酒をたしなんでいる外国人がいる。

毎日食べに来ているんだろうと思わせる地元人が飾り気のない店内の大衆食堂で軽食を無心で入れていて、
大通りには痩せたカマキリのような鋭い形のバイク波が途絶えない。

タクシーは専ら外国人の交通手段のようで
バイク8、一般車1、タクシー1の割合で道を占めている。

「活気に溢れている」とか「アジアンパワー」等と新興国を表現するけれどわたしはいつもそれを「何かが多い」所に感じる。

ホーチミンではわたしはバイクの数にそれを感じていてて、

これがもし所得が上がって一人一人が車を持つようになったら、渋滞になり、渋滞になったら『上』に高速を作り、高速でさばききれなくなったら新たに下に道を作るだろう。

この容易に想像できちゃう状態なところがアジアンパワーだと思える。

この飽和状態の道路や、バスターミナルや、パブのテラス席を見ているとその機運が迫っているように感じることができる。

わたしはそれが社会主義だから遅れているのか
自国生産できる物がなくて儲けられないのか、 軍事費に回っているのかよく分からないけれど

このテンションが上がっているホーチミンが好きになった。

グランドホテルさながらの大きくて重い入り口の銀行に入りドルをベトナムドンに変え、日本人女性にお金を返しに一旦彼女達が滞在するゲストハウスへ向かう。
子守りをするフロントというよりはただのお母さんと暫く話した後置き手紙を渡してもらうように頼んで別れを告げる。

これからカンボジアに滞在していた際に調べておいたある先輩がホーチミンに来たら必ず訪れた方がいいというカフェと食堂に行こうと思う。

先日雨の中バイクを運転中

フルフェイスで声が外に漏れないのをいいことに尾崎豊の「僕が僕であるために」を熱唱していたのよ。

そしたら目の前がだんだん白く曇ってきてさ、

みるみる前が見えないくらいになるわけ、

あわてて外気を取り込もうとしてさ、

目の前のシールドを開けたら今度は雨が入ってくるじゃないですか!!

こんなことってある?

じゃあ何?

雨の日バイクで「僕が僕であるために」を熱唱しちゃいけないって言うの?

そんなのいやだ!!

僕は僕であるために僕は僕であるためにを僕は歌うよ!だって僕は僕だから!

11月30日15:12

Tシャツ、ロールアップジーンズ姿にパタヤで買った安サンダル。
頭皮は痒くて肌の色はベナン人の茶色より茶色い。

わたしは彼女達が「旅慣れてそう」と勘違いするには十分過ぎるぐらい汚かった。

バスから降りて
何の躊躇もなく、
道を知っているかのようにサクサク歩くわたしを迷いの無い人=知っていると勘違いして声掛けてくれたのかもしれない。

全くの誤解で、

わたしの心中は「こうなる事」を恐れてその場をすぐ離れようとしだけ。

サクサク歩くのはどこだか分からないんだから道とか方向は関係なく信頼できる人を早く探す為だった。

ホーチミンは活気に溢れている印象だ。

店にシャッターが無いのは防犯意識がないというよりは蒸し暑いから?

原付バイク同士を路肩に停めて
石段でたむろして
談笑する男性達がたまに通る外国人に気付くと「ハーイ」と挨拶する。

バイクに乗りたければ「ハーイ」と返せばいいし
乗りたくなければ口角をあげればいい。

歩道には低いテーブルとそれより低いお風呂の椅子みたいな椅子が大きな顔して置かれ
太い寸胴を細いおばあちゃんが番をする。

シャツを着た人達が簡単なお食事をする所だ。

何を食べているんだろう。
屋台というのはそれほど多くない。
声を掛けてくる人も少ない。

路上商のバケツに座っているオバサンに「ファングーラオ通りはどこか?」と聞く。
カタカナ発音に聞き取れないのか、
よく小さい子が履いている踏み出す度に「プープー」鳴るような音の「あー?」をもらう。

「ちょっと待ってね、ここ、ここ!」と
懇切丁寧に地図を渡して指差しても
取り上げたはいいけど遠目のご様子で、
その道がどこに表記されているかというよりは

おばあちゃん自身
地図上の何処のバケツの上に座っているのか確定できないでいるみたいだ。

スタートとゴールの2つの点が見つけ出せないんだから線は一向に引かれない。

わたし達もここが地球上の何処に位置するのか分からない。

おばあちゃんも地球上の何処のバケツの上に座っているのか分からない。

途方に暮れているわたし達に人が人を呼び、大所帯になるとようやく何かがわかったらしい。

「歩いては無理」

折り畳みの地図を渡したのだがそこには表記されていない場所にいるらしく
そりゃどこにいるか分からないわな!
ごめんごめん!だ。

人が人を繋いだ「ベナン検索」は諦めの色が濃かったがようやく遅い下り速度で「歩いては無理」を与えてくれた。

長距離バスで座らされていた経緯からわたしはちょっと歩いて、
安宿が連なっているという「デタム通り」「ファングーラオ通り」まで行こうとしたが
彼女らはタクシーを好んだ。

まぁ普通はタクシーだろう。

普通にタクシーにしよう。

わたしは停めるタクシーが「マイリンタクシー」、「ビナタクシー」か「ビナサンタクシー」か確認して「マイリンタクシー」を停めるとメーターが作動するか運転手に確認した。

上記の3つは安心なタクシーらしい。

ベトナムでも外国人を狙ったボッタクリタクシーが横行しているらしく入国するまでにネットで色々調べておいた。

今の時代、
国から国へ旅をするバックパッカーにとってPCは必需品で
観光情報やホテル予約等を検索して計画しながら移動するみたいだ。

タイで2週間終えるつもりで来た旅初心者のわたしは
人づての噂でカンボジアに渡り、流浪な旅を余儀なくされたが
カンボジアのゲストハウスでネットを駆使する旅巧者達に「なるほど!そりゃそうだよな!」と手を打った。

チェックアウトしたにも関わらずネットの中のベトナム情報を漁って、
ちょっと怒られるんじゃないかと思うぐらい居座った。

それによるベトナム情報は、

100円は23000ドン
1ドル=19500ドン
1円=250ドン
(2010年11月)

タクシーの初乗りはだいたい
12000〜15000ドン
およそ60円

セオムと呼ばれるバイクタクシーはフアングラー界隈〜ドンコイ通りまでで
1ドル(15000ドン。)
ぐらいが相場らしい。

またベトナムでは30000ドンを持って「1時間乗せて!」という交渉も成り立つという。

この情報を持っていたわたしは
タクシーの運転手が遠回りしないように地図を確認しながら
「何度もホーチミンに来たことがあるんだ。いや〜、やっぱりいい所だね〜。」と釘を刺しておいた。

日本人女性2人組は大学生で世界一周している最中らしい。

一周している最中とは思えない程綺麗な身なりをしている。

ヨーロッパの国々をトルコ経由でインド等を旅してカンボジアに入って来たという。

車中わたし達はインドの話をしながら大いに笑い、心を通わせ、
やはり一悶着あったタクシーを降りる。

3人で15000ドンだと思っていた料金は1人15000ドンらしい。

どっちが悪いのか分からない。
わたし一人だったら
明日の朝まで話し合いするところだ。
なぜならこの話し合いが面白い所だからだ。

タクシー代を持ち合わせていなかった私は彼女らにベトナムドンを借りる。

彼女達は道々ATMで換金すると難なくベトナムドンを手に入れスマートに旅を進める。

無計画のわたしはどれが銀行だか分からない建物に首を折り曲げ見つけなくてはいけない。

彼女らはホテル一軒一軒回っては
「2パーソン」と言えばいいものを「3パーソン」と要求し、
2部屋より1部屋に泊まる方が安いとかお財布を気遣ってくれた。

わたしは自分が彼女達と一緒に行動するうちは彼女らは「3パーソン」としか言えないのかもしれないと思い、
わたしはわたしで「ちょっと探してて」と別行動すると彼女達の為に「2パーソン」のワンルームを探す。

やがて合流し内見すると
内装が女の子向けでファンがある所が気に入ったらしい彼女達の部屋が決まる。

当初同じホテルで泊まろうと気遣って提案してくれたが色々気を遣わせてしまうので違う所を見つけることにする。

一旦お別れ。

また一人になるとゆるんだ帯を締め直すような気分になる。
何かと闘っているみたいだ。
ファングーラオ通りやデタム通りら辺のホテルの相場は2人で10ドルらしかったが私は「いや必ずもっとあるはず」と妄信的になり他の場所を探し歩いた。

この際ドミトリーでもいいのだが。

大通りに面しているというよりは
ビルとビルの間の細い道、フロントというには余りにも緊張感が無さすぎる
民家、『ホテル』がある。

フロントというより『玄関』で、
サイケな服を着て子守をするおばあちゃんが「空き?あるよ?1人?」等とフロントマンをする。

そんな中、
わたしはデタム通りとファングーラオ通りがぶつかる角に位置する『264』というゲストハウスに泊まる事に決めた。

1泊5ドル。

何よりこの重いリュックをフロントに預けてここら辺を見て回れる事に一先ず安堵する。

その日泊まれる場所が決まるというのは本当に安心するものだ。

シャワーも浴びれるから歩きまくれる!
走ったっていい!
なぜならシャワーがあるからだ!

全てに力強くなれる。

荷物をレジスターの裏に置かせてもらい
もし誰かが盗ったとしてももめない物だけを残しゲストハウスを出る。

わたしはこれから銀行に行き宿泊費を払い、
タクシー代を返しに彼女等のホテルに行ったら
「ドンコイ通り」にあると言われている「kito(キト)」という陶器や小物などが揃っているお土産屋さんに向かわないといけない。

なぜならそこには日本人御用達の「ドンコイ通りを歩こうMAP」という有名なマップがあるらしかったからだ。

今日は美味しい物を食べよう。

バスはそれまでの退屈な農道に別れを告げ4車線の道路へ。
暫くして適当な所を曲がると市街地に入る。

ここにいる乗客全員がホーチミンが近い事を感じている。
皆表情が緊張している。

いつ停まってもいいように腰をちょっと浮かせているみたいだ。
既に荷物はまとめられていて手元に用意されている。

明るい色彩の看板やベトナム語や英語が視界を埋める。
開けられた窓から入り込む風は市街地でも容赦ない時速を感じさせ
人々の喧騒も運んでくる。
ひょっとしたらもうホーチミンに入っているのかもしれない。

環状線を走っている時にポツポツいたバイクが
市街地に入ると道路を所狭しと埋める。
国民1人につき1台か!と疑うバイクの数だ。

これはすごい。
例えるなら初詣の参拝客だろう。
なかなか前に進まない状態。

あれぐらいの数のバイク(原付)が信号待ちをして、
青になったら動く。
大群は大群を引き連れそこに車間距離が生まれる事はない。

話しには聞いていたがここまでとは思わなかった。

バスの横をどんどんすり抜けてゆく。
バスもいちいち気にしない。
当たりそうになろうがブレーキは踏まない。

この光景は世界のどこに行っても見ることはできないだろう。

こうしてみると自転車は一台も見かけない。
中型、大型バイクも見かけない。
また皆色や模様は違えど大抵同じ型のバイクだ。

日本のそれのように横に太くなくもっと痩せている。
椅子の下にメットインできるように作られていないようで
自転車の様な格好をしている。
運転中ヘルメット着用義務のないベトナムではバイクにそれを収納する必要がなくその分細身になったようだ。

これは後から知ったがこちらでは「バイク」の事を「ホンダ」と言うらしい。
「お前最近ホンダ買ったらしいなぁ。」
「そうだよ。前のホンダはボロかったから新しいホンダを買ったのさ。」
等という会話になるみたい。

この終わらないバイク集団は一体どこに行くのだろう?
ツーリストバスから街並みや道路交通状態を眺めながら
私は他の外国人のようにこの光景に慣れる事はなかった。

この群集。

ひょっとしたら俺たち外人を驚かせようと
同じ奴が何度も何度もぐるぐる回ってるんじゃないだろうな?
現れては通りすぎ、
現れては通りすぎ・・。

だってそうじゃなくちゃ数が合わないでしょ!
こんなにバイク乗りがいる?!

国を挙げて、
なんかベトナム名物作らなきゃいけねーってんで、
国民1人1人にバイクをプレゼントして
「よーしお前ら!外国人がよく現れる道をとにかく通りすぎて、また現れて、朝から晩まで無目的に走れ!」って刷り込まされてるんじゃないだろうな!

私は同じ奴がバイクで物凄いスピードで地球を何周もして私の前に現れていないか確認しなくてはいけない。

バイク乗り一人一人、
顔は確かに似てるけど違う奴のようだ。

皆無表情の無言で停まっては走る。

皆が皆排気ガスを極力吸わないようマスクをして乗車しているのだが
様々な種類のそれで
カラフルな、
目立つ模様や
質感(レザーだったり)、
各々マスクでお洒落を楽しんだり自己主張したりしている。

バスは「ここは一体どこ!」というような雑多な場所で停まり今すぐ出て行く様に促される。

今日の宿探しとかそういうんじゃなくて
うまいご飯を食える所とかでもなくて、

私はここがホーチミンのどこだかを誰でもいい、
先ず聞かなくてはいけない。

どちらに向かえば何があるか分からないくせに
勢いよく歩き出すと

「すみません。」
後ろから呼び止める声がした。
それまでシュリムアップから同行していた日本人の女性2人組だった。

※kenjimoritata@yahoo.co.jp

カンボジアとベトナムの国境は全てバスで越えるのだろうか。
人が歩いていない。

国境の町というよりはサービスエリアのような場所がぽつんと在るだけだ。

人の往来がない事が隣町まで歩いて行ける距離じゃない事がうかがえる。

バスの中からの眺めといえば沼地や湿地帯ばかり。

インフラ整備がされていない一本道を駆け抜けてきた。
周りに何もない平野を見ると「ここが大都市になることはないのかなぁ」と余計なお世話が浮かぶ。

そういえば
先ほどのじゃがいもチキンを食べさせて頂いたのは「スワイリン」という地名らしい。
カンボジア3
日目②
ここが地図上でどこに位置していたのか後で確認してみようと思い聞いてみた。

そして「うわっ。ホーチミンまでこんなにあったんだ。まだまだだったんだ。」等とここがホーチミンだと勘違いした過去の自分をバカにしてやろうと思う。

余りにも退屈なバスでの移動はツーリストから会話を奪った。
昨日の夜から次の日になっても着かないのだから仕方がない。

皆、リュックサックと同じくらい喋らない。

全く誰も喋らない。

喋らないともはやどっちが「荷物」か判別つかない。

次の停留所で足がついたリュックが乗ってきても私は驚かないだろう。

どっちが本当にバスにとって「荷物」だろうという感覚はここまでの旅で時折考えさせられる。

タイのチャンブリ〜アランヤプラテートだったり
カンボジアのシソボン〜シュリムアップだったり
こういうツーリストバスには大抵お前金払ってないだろ!って奴が乗ってくる。
そして段ボールに何か詰めた物を積んで
熱い熱気を身体に纏い
涼しい顔して座ってる。

バスは何の合図もなく停まりそれらを乗せる。

停留所があるの?と思って窓越しから外を見ると何もない。

お前らは重い荷物を運んでいる奴が道端にいると停まるのか!と突っ込みたくなる。

そういった意味で私は
ツーリストバスに「バスが人を運んでいる。」というよりは
「荷物を運ぶついでに人を乗せている。」
印象を持った。

鉄道が走っていないカンボジアでは唯一の輸送手段がツーリストバスで
その輸送費の一端を私たちが担っているのかもしれない。

こっちの窓、向かって左から見る景色と
向こうの席の方、右手側と風景が違う事に気付く。

ある道では左手側に住居があり右手は原っぱ

ある道ではその逆だったりする。

こんな奴がいた。
エレメッカという所でバスに乗車して出発待ちをしていたら
おばさんが外から大量にサングラスを売ってくる。

私が構わず座席の前方を見ているとまだこちらを見ている。

「買わないっ」っていう事で無視しているのに
向こうは「こちらに気付いていないだけだ!」
と勘違いしてる。

まだ見ている。
頭に来たからずっと冷たい目で見てやった。

すると向こうも百戦錬磨。
「このサングラスを買え!」とばかり見てくる。

この2人の様子を他が見たら愛し合ってる2人みたいだろうが、
私たちは決して何かが芽生えた訳ではない。

このサングラスを買え!
いるかボケ!
のカンボジアVS日本の無制限一本勝負をしているのだ。

決して琴線が触れ合って
番号交換した後
別れを惜しんでじっと見つめ合っている訳ではない。

私はこちらをずっと見て離れないサングラス売りに「なんでまばたきもできないんだよ!」と段々頭にきてついには変顔をしてやった。

するとその大量のサングラス売りは急な変顔に腹立ったのか
持っていたサングラスでバスの窓を叩いた。
そして諦めてどこか行った。
「商品で叩いたらダメだろ!」と降りていって説教してやろうか思ったが

確かに変顔はルール違反だったなと反省する。

しばらくしてバスは動きだし勝手に川を渡る。

バスが大きい船に乗り入れて船が川を渡り
向こう岸に着いたらバスが降りる。

勝手に。
こいつらは本当、
勝手に停まって変な奴乗せるし
勝手に停まってまずいチキンスープ飲ませるし
勝手に川にバスごと入る。
全く、
お前ら一々アナウンスしろ!
カンボジア3
日目②

「はい、道端に荷物重そうな人がいるので乗せまーす!」
とか
「はい、私がハマっている美味しいチキンスープがあるレストランに停まりまーす!」
とか
「はい、バスは川に入りまーす!」
とか
一々アナウンスしろ!

やっぱアナウンスいいや!
うるさいから!

しばらくしてバスが停まったと思ったら男が乗り込んできた。

なんだか軽装の痩型が現れたから最初バスジャックかと思ったわ。

何やら前方に座ってる人が男にパスポートを預けている。

『バスジャック犯男』は「パスポート預けたら降りろ」という。

あれ?荷物は持って降りるのかな?

そうではないらしい。
バスも越境するみたいだ。カンボジア3
日目②

そこら辺にある資料館のようなセキュリティの甘い場所でカンボジア側から出国する為審査を受ける

顔も見てはくれずとにかくここに着いたという事で
スタンプラリーのように判子を押してくれる。

みんなパスポートを得体の知れない『バスジャック犯男』に預けたものだから自分のパスポートを貰うまで心配そうだ。

カンボジア3
日目②

入国審査も終えまたバスに戻ると隣のおばあちゃんが美味しそうな物を食べている。
発泡スチロールの入れ物にご飯、その上に照り焼きチキンがのっかっているだけなのだがなんか旨そうだ。
先ほど買ったらしい。

あまりにも美味しそうに発泡スチロール上のご飯と照り焼きチキンを食べるので一応何かあった時の為に
おばあちゃんと写真を撮った。
カンボジア3
日目②

私はようやくベトナムに入国した。

ベトナム側からカンボジア側をパシャリ。

バスは国境からさらに4時間掛けてホーチミンに着く。

首都プノンペンに着いたのはまだ日も上がらない早朝。
カンボジア3
日目①
同じバスで終点まで向かうのかと思っていたがそうではないらしい。
国境を越えるには越える為のバスと運転手が必要で
プノンペンはそのターミナル駅みたいだ。

バスの中で無くし物をした外国がいたので
一緒になって探してあげようと地べたに顔をつけて隅々を調べた。
するとバスが車庫に入る為動く。
「おいおい!今無くしもの探してるから!」
運転手も状況が分かったのかサイドブレーキを引く。
「ないなぁ。諦めてもらうしかないな、」と思い
ふと顔をあげると当の本人がいない。
バスの中はわたし1人。

あれ?と思いバスを降りると道路渡って向こうを友達と歩き出している。

え?あったの?諦めたの?何なの?

どうやら私は突っ込みよろしくの使い捨てコントをふっかけられたみたいだ。

プノンペンは背が高い建物が多い。

歩いてこの町の骨子を掴みたいのだが時間はあるだろうか。

露店を構えている胡散臭いおっさん達にバスチケットを提示するとホーチミンと書かれたチケットを渡された。
カンボジア3
日目①

「何時出発?」

「わからない。」

おっさんのいう「分からない」の意味するのは
ホーチミン行きのバスの点検や準備が出来ていないのか
まだそもそもここにバスが到着していないのか
どこかの都市からの外国人を乗せたバスも待っているのか
ちょっとよく分からなかったが
チケット売り場でおっさん6人が日の出前から談笑する姿に自分がそれ以上好奇心旺盛になるのを止めた。

そこに座っている金髪の外国人が友達に促されて立ち上がったら出発なのだろう。

昨日からの付き合いのこの集団を注視して散策しなければならない。

「お前は水祭りの事故現場を見たいか?」
「5分でいける。すぐそこだ。」

トゥクトゥクのおっさんが笑いながら提案してくる。

わたしは見たい衝動に駆られたが
いつ出発するか分からない国境バスに後ろ髪引かれて行く訳にはいかない
またおっさんの5分が本当に5分かどうかも分からない。
そのくらい簡単に行けるぞという意味の5分かもしれない。
やはりここを離れる訳にはいかない。

しかしほんの1週間前の自国の不幸を商売にしてしまうおっさんに面食らう。
カンボジア3
日目①
旅行会社の人らしくわたしが持っていたノートを乱暴に取り上げて雑に番号を書いてくれた。

そうこうしていると
ホーチミン行きのバスはなんの合図もなくやってきた。

私はここプノンペンからホーチミンまでがまさか「8時間」も掛かるとは思わなかった。
カンボジア3
日目①
沼地が続く。

カンボジア3
日目①
時折通る検問みたいな所で「ここは国境か?」と乗り合わせた隣のカンボジア人に聞く。
「私は分からない」らしい。
よく行き来しているんだろうと思い聞いてみたのだがファーストタイムらしい。

日本なら「道の駅」などの分かりやすい休憩地点があるが
このバスはなんの看板も無いところに急に停まる。

あれ?なんで停まったの?と戸惑っていると
後ろの方に座っていた外国人が「しかたねーな」みたいな顔をしながら前方の昇降口に向かっていきバスを降りる。

みんな降りるもんだからわたしもしかたなしに降りる。

じゃぁ降りなきゃいいじゃん!と思うのだが
とりあえず外の空気を吸いたいのだろう。

下ろされた所は「小屋」。

「小屋」が「レストラン」だと分かったのは不潔なコールドショーケースがあり、
砂まみれの席とテーブルがあり
簡易的な厨房があったからだ。
カンボジア3
日目①

「マトン?」
マトンは食べれない。
「チキン?」
あ、じゃぁチキンください。
なんだかチキンにポテトが入ったスープを頂く事にする。

あー!
なるほど!
温かくて!
よくダシが効いていて!

クソまずいな!