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フロントエンドエンジニア芸人/インド芸人/もりたけんじの武骨日記 ・NSC東京9期 東京湾に入港してくる貿易船の綱取りをしていた頃、先輩芸能人の運転手する。ビジネスホテルでフロントで英語ができなかった挫折を味わい、力を付けに1人でインドへ渡航した。帰国後世界から発信するためWeb技術をつけたくなり、専門学校へ通う。以後、プログラム言語JavaScriptの正直さに惹かれ 「フロントエンドエンジニア芸人」を極めるため日々奮闘中。現在はサイバーエージェントにジョイン

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「これは死ぬかもしれない。」

早朝5時ホテルを頃軽い気持ちでニューデリーを歩き始めた。
わたしは
「列車のチケットオフィスオープンまでに3時間あるし、コンノートプレイス(こちらでいうでっかい代々木公園をラゾーナ川崎のような商業施設が周りを囲んでいるような場所)まで行って帰ってきてメインバザーにある日本食でご飯食べて駅オフィスまでいこう」と安易に考えていた。

歩いていると声を掛けられる。

ニューデリーに着いて以来
全然関係ない所に下ろされる、
道を聞けば嘘を言われる、
ホテルの奴は金を巻き上げようとする、
寄って来る奴は騙そうとする、
信用できない国だ。

最大の防犯対策は自分の意志だけ。
寄って来た奴は「いけ!」「構うな!」「触るな!」
何言ってるか分からないヒンドゥー語で近づいて来る奴は
「なんでこちらを外人と分かりながら自国の言葉で寄ってくるんだ。」
というのもあり、
暑さと、苛立ちと、詐欺多さにこちらも日本語で返す場面も多々ある。

もちろん日本語は伝わらない。
ただ日本語で怒ると向こうの人は何言ってるか分からないためちょっと恐く感じるみたいだ。

これは効く。

あと声を掛けて来る奴の対策は、
目を合わせない、
もし合ったら
話を聞く意志がないことを伝える、
早歩きで歩く
しつこい奴は怒る

これは悪い虫が付かない、事件になる前段階の予防策。

ちょっとでも緩んだら終わり。

「そこまでしないでも」と思うかもしれないがそこまでしないとダメな国。

ツアーで行ってたり、ガイドさんがいたらまた違っただろう。
インドのいい所だけを回って
いい距離感で人と接する事ができるだろう。

ただ一人は狙われるし向こうはすぐ距離を縮めてくる。
ましてや「日本人」というのはいいカモとして定着している。
必ず「お前はどこから来た?」と聞かれる。

「日本人だ」というと話を進めてくる。

過去に日本人をぼったくった経験があるから聞いてくるのだ。

今後インドに来る日本人が被害に遭わないために、
「日本人は気が強くて恐い、一筋縄ではいかない」というイメージをこいつらに植え付けないといけない。

わたしはコンノートプレイスに行くのは止める事にしまた。
「コンノートプレイスはここからどのくらいある?」
「車で10分だ」
「車で10分?本当か?」
「本当だ」

とてもじゃないけど歩いて行ける距離じゃない。
また戻ってくるのも一苦労。

「メインバザーで日本食屋さんが空くまで待とう。」

ニューデリー駅正面にメインバザーという活気に溢れた通りがあるが
そこは道路も整備されていない所。
日本でいう「原宿竹下通り」だろう。

朝方のメインバザー
↓↓↓
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朝5時に行ったので店は閉まっていたが、
不潔極まりない所。
日本食の美味しいお店があるとガイドに書いてあったが
僕はオープン前のそこに行きましたがまぁ信用出来ない。

動物園の檻の中だろ!という匂いが辺りを支配していて
牛の糞、埃、蠅の量、

近くに露店商がありますがただ家の中が暑いから壁を打ち砕いて露わになっているだけだ。

生水もダメ、外も不衛生、
家の中のキッチンが綺麗な訳がない。

「これはやばいな、食べれないなぁ」

ただ昨日の機内食から何も食べていないわたしは
散歩がてら歩いたつもりが大きな目印がないインドで迷い、

朝方襲った砂嵐と暑さで体力を奪われ、
ジューススタンドも開いてない(インドでは自動販売機は防犯上からか1つも置いてない)

お店もやっていない、
やっていてるお店は生命の危機を店頭で感じる、
道路は臭い。
腹減った、喉カラカラ、
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この旅始まって初めて
「これは死ぬかもしれない。」と感じる。

そしてわたしはたまたま2、3人でたむろしていたインド人に
「この近くに水が売ってる所あるか?」と聞くと
「ここだ。」と言われる事になる。

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サヨナラダンス滝野元気くん
サヨナラダンス滝野元気くん

サヨナラダンス滝野元気くんが同居している後輩に寝床を取られて家に来ています。
彼は4人の芸人と住んでいるのですが5月6日の誕生日には一切誰からも祝ってもらえなかったと僕に訴えてきました。
他の同居人には誕生日パーティーをするのに俺の場合は忘れられてた。
と恨み節です。
先程顎下に剃刀敗けで出来物がある彼が寝ている間シェーバーを買ってきました。
これで彼の四角い顎に平和が訪れるといいですね。
遅くなりましたが誕生日おめでとう。

ニューデリー

歩いても歩いても予約していた「hotel LEGEND」に着かない。

日が暮れようとしている。

「地球の歩き方」を持ちながら歩いてると『カモ』にされる。

周りのインド人にしてみれば「あいつは旅行者だ!」「日本人だ!」「金を持っているはずだ!」と。

そう書いてあったがわたしは堂々と見ながら歩いた。
見ない余裕はない。

最初はインドのカルチャーショックを楽しんでいた
「うわ。黒く塗ってある所をまた塗ってる。」
「あんな所草むしってる。」

「なんだあのレモンのジュースの屋台。絶対危ないじゃん。」
ただ、
次々に目に飛び込んでくる物が私を不安にさせた。

日没で薄暗くなる辺り、
案内標識が一切ない交差点、
舗装されていない道路、
「Do you speak English?」が通じない。

何もないのに外でたっている人、
前髪を前で縛る人、
砂利道、
行き交う牛、
じめっとした暑さ、
不潔な人、
クラクション、
バイク、
人力車、
リクシャー(3輪車バイクタクシー。今後問題になるのでお見知り置きを。)
↓↓↓
インド1日目②

ハロージャポン!、
牛の糞、
山羊の糞、
人の糞、
アンモニア臭、
蠅、
ゴミの山、
瓦礫、
排気ガス、
砂ぼこり、
ポシェットをじろじろ見る奴
笑う奴、
全く目が合わない奴、
サリーの集団、

これら全てが一緒の画面として目に飛び込んでくる事を想像してみてほしい。

ニューデリー。
日本でいう「東京」がこんな感じ?

「これあと6日間どうしよう・・。」

サングラスを掛けると目の動きを読めなくて不安になるから客引きがあっさり諦めるらしいが
わたしのサングラスはしっかりフィットしないくて汗でずれ落ちてくる。
現地に行って気付いたが街頭もない所を道も知らない奴がサングラスを掛けたら視界を遮るような行為でますます迷う。
すぐにリュックに閉まった。

アラカシャン通りにあるhotel レジェンドに自力でたどり着くまでに数多くの人に道を尋ねたがかなりの確率で嘘をつかれる。

「アラカシャン通りはどこですか?」
「向こうだ。ここ真っ直ぐ行って左だ。」

だが真っ直ぐいっても
砂利道ともいえないほぼ砂の上の道に道路の案内板はなく、
「え?どこを曲がればいいの?」
別の奴に聞く。
「アラカシャン通りはどこ?」

「逆だ!逆!真っ直ぐいくとブリッジがあるから!そこを右だ!」

インドの人は道を訪ねられるとたとえ知らなくても「知らない」とは言わないらしい。と聞いたことがある。

わたしはここまでの失敗から道を聞くときの3つの自衛策を産み出した。

1つ目に、
まずインドでは聞く人を選ぶこと。
警察やターバンを巻いているような階級の高い人、
道を教えても全く利害が発生しない職業の人、
一回自分の目の前を声を掛けないで通りすぎていった人、

逆に
リクシャーやタクシー、話し掛けてくる奴や、ちょっとでも反応が遅れた奴は全くあてにしない方がいい。

お金が発生したり全く別の所に向かわされる。

2つ目は、
そいつが本当に信用なる奴か確認する。
確認方法は、
自分が知っている場所をあえて聞いて
方向と掛かる時間が正しかった場合、
次に本当に聞きたい場所を聞くということ、

3つ目は1人に聞いただけで判断しない。最低3人に聞いて判断するということ。
このように何重ものフィルターを通さないと信頼できる情報は得られず
自分の身は守れない事に気付いた。

このような予防策でわたしは4時間近く歩るき
ようやくアラカシャンロードにある看板のないhotel レジェンドに着いた。

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【アーグラの夜猿】あらすじ

ニューデリー

私は長いフライトの所為で腰を痛めたみたいだ。

どこをどうひねれば元の腰になるのか入国審査までひねりながら歩いていた。

日本人はいないみたい。あれは韓国人だろう。

そういえば機内で席が隣だった韓国人はどこにいったのだろう。

むんっとした空気の空港内に響き渡るアナウンスに耳を傾ける奴はいなく英語のプラカードを持った奴が市内まで送るお客を探している。

空港でドルをルピーにした方がいいとガイドブックに書いてあったからその通りにした。

もし空港で太陽のポーズをした方がいいとガイドブックに書いてあったら私はそうしてたかもしれない。

ガンディー国際空港に着き、市バスに乗ってとりあえずニューデリー迄行かなくてはならない。

バスターミナルが見当たらないのでカタコトの英語で尋ねると「あそこだ」と教えてくれる。

汚いバスに乗り込むとインド人が乗り込んできた。

彼等は一様に驚いた表情で私を見て、暫くすると飽きて、黙って出発を待っていた。

どうやらこのような「市バス」で市街地に向かう外国人は珍しいらしい。

皆タクシーで向かうらしい。

私は遅れて徴収しに来たインド人に(バングラディッシュ人かもしれないしパキスタン人かもしれない。)訳も分からず何ルピーか払いバスに乗る権利を得た。

1000ルピーだ!といわれたら1000ルピー払っていたのかもしれない。

この150ルピーが高いのか安いのか私には分からない。

バスはやがて動き出した。

驚いたのは車のクラクションだ。
日本ではクラクションは「危ない!」の意味で鳴らしすが、
インドでは「おい!来てるぞ!」の意味で鳴らす。

インドには車線がない。

だから走っている車の横を通り過ぎる時「おい来てるぞ!」と鳴らす。

皆が皆隙間を縫って走行するから皆が皆クラクションを鳴らす。

それも1回につき何回も鳴らす。「プーップーップップププ」これで1回分。
これを何回も、
車の横を通りすぎる度に鳴らす。

あなたが住んでいる近くにある一番大きい道路を想像してほしい。
他の車を通りすぎる度、対向車が来る時、全ての車が何回もクラクションを鳴らして行き交ってる所をだ。

つまりは秩序がないのだ。
危なくないのに鳴らす。

外から見える景色は私にとって新鮮で異常だった。

広い道路の路肩でレンガを積む小さい子供

どこからかリヤカーで石材を運ぶ少年

空港から歩いて市街地に向かう家族の集団。

タクシーはバスを抜かし、

リキシャー(3輪自動車)はその間をかいくぐり

荷台を取り付けた自転車は堂々と道の真ん中を走る。

信号がないこと、ガードレールがないこと、路肩がないこと、

横断歩道も中央線も見当たらなかった。

早くも混沌を目の当たりにした私を悩ませたのはこのローカルバスには次はどこのストップか、案内が全くないことだった。

日本のように電子案内板もなければ、路線地図もない。

驚くことにバスストップもない。

たまにバスのスピードが下がり、徐行速度になると

皆いっせいに降りる。入ってくる。

案内アナウンスもない。

今どこを走っているのかわからないのだ。

私は「ニューデリーに行きたい。次はニューデリー駅近くのバス停?」と近くのインディアンにたまらず聞くと、

彼は「ニューデリー?今の所がニューデリーだったんだぞ?降りろ!降りろ!」
と促す。

その騒ぎを聞いた運転手が気を利かせバスは急遽停まった。

私は「センキュー!」と感謝を表して「ぽんっ」と降りた。

「なんていい奴なんだろう、助かった、」
と。

ただ後々分かったのだが降りた場所は
『オールドデリー』で『ニューデリー』とは8キロ離れた場所に位置していた。

私はそうとは知らずクラクションが鳴り続ける道路を歩き始めた。

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【アーグラの夜猿】30手前の芸人が1人バックパックでインドへ行った話

『ご報告』

突然ですが
わたくしもりたけんじは
6月27日成田12:00の便で7月4日までの7日間インドに1人で行ってきます。

実は1ヶ月前から動いていてパスポートを取り航空券を取り本日ビザも取得しました。

もともとは「銀座のママ学」みたいな名前の本を立ち読みした事がきっかけでした。

その本の銀座のママがいうには『1人暮らしと1人で海外旅行をした事がある男は一目で分かる。』ということでした。

最近僕の中で流行っている考えがあります。
それは「これは何を僕に教えてくれているんだろう」という考えです。

この本と出逢った事は何を僕に教えてるんだろう。

なんでもそう思うとちょっとした「運命」を感じ、ちょっとした出逢いやアクシデントを大事にして変われそうです。

このようなきっかけや考えのもと僕は20代最後の年にもう一度地獄を見に行く事にしました。
地獄は人を成長させる事は過去に実感していますし

僕には合っているみたいです。

なのでいい噂を聞かない「人間の森」インドです。

僕の人生のターニングポイントは
27で先輩の運転手をしたことでした。
多分それは80歳になっても「あの時だったなぁ」と思えます。

そしてまた日に日に「成長したい」「昨日の自分よりちょっとでも成長したい」「大きい奴になりたい」という欲が出てきました。

少しの期間ではありますがいろんな価値観に触れて将来の芸の糧になるようなものを探して身につけてこようと思います。

成田に帰って来たとき何か変わってる自分に期待し、
10年後の将来に先行投資したいと思います。

ニューデリー(コンノートプレイス)→アーグラ(タージ・マハル)→バラナシ(ガンジス)をツアーを組まず一人で歩く旅です。

本日ビザ取得したこれを機会に明るい色の報告をさせていただきました。

因みにそのきっかけとなった本に
全てが決まったので報告しに行ったらもうどこにもありませんでした。。。

いろいろご批判はあるのは承知ですが僕は僕の価値判断で動きます。

死んだら笑ってください。

インド1日目①へ

ABロードで2.9万で航空券あるんよ。事務手数料なし。オープンジョー。訪問可能都市1都市。5月末までに購入すれば別支払いの燃料サーチャージ上がらず。

バングラディッシュのダッカから帰国してもいいし、ネパールのカトマンズからでもいいし、コルカタでも、インドネシアのテンバザールでもいいんだって!

上海乗り継ぎで5000円でストップオーバーもできるらしい!

インドはネタの宝庫だから行きたいんだけど、

中国行って中国語を会得したいし。

これ迷いどころ。

5/20までに結論出すわ。

小便しているときは同時に屁こいちゃいけないって自制してたけどクソしてるときは構わずするよ!だってそれより臭い奴出してるからね!じゃぁおならしている時何出していいかって?おなら出しているときはおならに集中しないとね!だってバレちゃうからね☆

っていうカメラ好きにはたまらない奴を買いたいんだよ、ボディだけで30万以上、レンズつけると50万以上。

今携帯でバシバシやっているけどやっぱり同じ風景には二度と出会えないわけだしSNSが流行っている時代だからこそ30年後見ても生きている写真にしたいんだよね。

もちろんデジカメは持っているけどチベット行くなら一眼レフ持って行きたい。

一眼レフ買うとチベット行けない。

じゃあインド行くか?って考えてるけどそれもそれで一眼レフ持って行きたいわ。

10万くらいの一眼レフ買うならいっそ来年まで待ってもっとスペックがいい奴買った方がいいよね。

ニコンD800
ニコンD800

八方塞ですわ。こんなに旅したいのに。

今僕は本当に怖いです。

劇的な変化がなければ日本での生活が残り1年とちょいになりそうだからです。

やがてくるその日を迎えるのが怖くて仕方ありません。

先日よしもとの社員さんと飲む機会がありお話を伺いました。

その方が仰る「今の時代、いかに人と違うことをやるかですね。僕なら中国行きますね。」という言葉は今の自分の考えを加速させてくれるものでした。

そして再確認したのは自分がこれから向かう方向はそんなに間違っていないんだなということでした。

これはそう思うより他無いし、先駆者がいないという意味で本当に怖いですが

一方で信じているのは、

コンテンツが多様化するなかで表現の仕方も変わり、時代に合わせてこちらも変化しなくてはならないんだろうなという愚かな先見であります。

皆さんはどう思うでしょうか。

何百といる芸人の中でこんな奴一人ぐらいいてもいいと思いませんか?笑

僕は都内に住んでいるのですが先日敷き布団を買いに川崎のニトリまで(バイクで40分)行きました。
僕がセミダブルにしようかシングルにしようか、
余裕をもって迷っていると店内に 「本日午後3時20分より計画停電が実施されます。
尚、当店は3時20分で閉店となります。 お早めにお買い物を済ませますようお願い申し上げます。」 と流れました。
あと2分しかありません。
計画停電初めての僕は近くの店員に
「絶対停電になるのですか?!」 と聞くと
「絶対停電になります!」と焦らせます。
これで買わずに帰ったらバイクで40分も飛ばして、 何しに来たか分かりません。

僕はシングルを現金で買う予定が、
間違えてダブルをカードで買ってしまいました。

自分がもうすぐ死ぬと理解することが大きな決断をする手助けとなる。

人生は有限です。

自分らしくない生き方をして時間を浪費せず自分の心と直感に従う勇気を持ってください。

貪欲であれ。愚直であれ。

スティーブ・ジョブズ

~スタンフォード大学名誉博士号を授与された際の文壇で学生たちに~

ウユニ塩湖のシーズンが7月~10月なんだってさ、

トマト祭りが8月の下旬だからどうしよね。

南米から回ると8月にはスペインについていないと

スペイン経由でボリビアだと・・でも急ぎの旅だね。

この二つを見て回った人いるんかね。

夏にヨーロッパ、冬に南半球回りたいな