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暑いから起きた。

どうやらまた停電になっているみたいだ。

時計は朝10時を指している。
寝覚めは良くはないが体はもうこれ以上の休息は望んでいない感じだ。

腹を下さなかったことから判断すると昨日食べたイーバカフェの全ての食材は「大丈夫だった。」ということだ。

ベランダから下の階のベランダを見る。

「あれ?なくなってる!代わりに椅子が置いてある!」

わたしは何が起きたか理解に努める。

話はさかのぼって昨日サッカーを観る前。

Tシャツとパンツとバスタオルをベランダの手摺に掛けて干しておいた。

わたしはサッカーが終わると「もう乾いただろう。」とそれを回収しに自分の部屋のベランダへ。
「あ!」
なくなっている。
すぐ下を見る。

暗くて分からない。

風で飛ばされた?

干す時ビチャビチャで干しておいたから手摺によくくっついていたが

サラサラに乾いたTシャツはそのまま飛んでいったのだろう。

運良くパンツとバスタオルはベランダ側に落ちている。

先程インドで初めて充実した時間を過ごした矢先だったので僕は妙にプラス思考になり
「これはこういう事かもしれない。」と哲学する。

「成田から昨日までの3日間、ずーと同じTシャツを着てきた。
そして昨日までわたしはインドでかなりの辛酸を嘗めてきた。
しかし先程3日目にして初めて幸福を感じた。
そしたらTシャツが無くなった。

『昨日までのインド=昨日まで着ていたTシャツ』
だとしたら、

無くなった事は
「昨日までのインドをもう忘れろ!」と表しているのかもしれない。

そのように解釈した。

ただ次の瞬間
「俺シャツ2枚しか持ってきてないし!やっぱ困るわ!」と我に返った。

わたしは部屋を飛び出し、
階段を2段飛ばしで降りていった。

何が昨日までのインドだ!Tシャツなくなったら今日からのインドどうするんだ!

ホテルに庭はなく
もしわたしのベランダからボールを下に落としたら落下地点はゴミ置き場だ。

ただ無くしたのはボールではなくTシャツで、
飛んでいっても半径10mだろう。

一番最悪なイメージは
落ちている「黄色いTシャツ」をインド人が「あらこれちょっといいわね。」と取っていっちゃうパターン。

売っちゃったりするかもしれない。

ただ辺りは真っ暗だしすぐには落ちている事も気付かないだろう。
僕はそんな事を想定しながら真っ暗なホテル周辺を「あれー?ないなぁ、」とうろうろしてた。

周りのインド人にしてみれば「こんな時間に何やってんだこいつ。」だっただろう。

わたしはこういうとき英語でなんて言うんだろう。
必死に文章を組み立てて「どうした?」と心配そうに追ってきたパパに伝えた。
「アイロストマイシャツ。」までは伝わったが、

手摺に干していたから風で飛んでいった。
が言えなくて
とにかく「Tシャツイズフライング」を連呼する羽目になった。

パパにしてみれば
「Tシャツは飛んでる?ん?飛んでる??ん?ここら辺を?ぐるぐる?Tシャツが勝手に?」
だっただろう。

「もう暗いから明日にするよありがとう。」

探してくれたパパに伝えた。
明日探せばいい。

寝よ。

「このホテルはなんで石鹸を置いてないんだ!」と思い、
腹いせにツインのベッドを斜めに、
両方使って寝てやった。

アラームが5時に鳴る。
ボートの時間だ。

過去の自分に叩き起こされ、
目も開けられない状態で
ベランダに出る。

初めての朝ガンジス。
えーと、写メ、写メ。
携帯、携帯。
あった。
はい。

バラナシのガンジス川
バラナシのガンジス川

えーと、Tシャツはどこかな、
あるかな?
ベランダの下を確認してみる。

「あった!」

黄色いTシャツは下の階のベランダに3ヶ月ぐらい前からあるような顔をして落ちていた。

「後で『下の階のベランダに落ちていた』とフロントに伝えよう。

ボートはどうしよう、
まっいっか。
今日じゃなくても。

ちょっと寝足りない。
「もうちょっとだけ寝させて。」
起きしなの太陽に許しをもらってベッドに沈む。

「Tシャツあってよかったよかった・・・」

それからわたしは何時間後に「暑いから」起きた。

どうやらまた停電になっているみたいだ。

時計は朝10時を指している。
寝覚めは良くはないが体はもうこれ以上の休息は望んでいない感じだ。

腹を下さなかったことから判断すると昨日食べたイーバカフェの全ての食材は「大丈夫だった。」ということだ。

ベランダから下の階のベランダを見る。

「あれ?なくなってる!代わりに椅子が置いてある!」

わたしはフロントが見つけてくれて預かっているのかと思ったが聞いたら
「あったのか?知らない」という。

「え!!??」

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バラナシのホテル
バラナシのホテル
バラナシのホテルで見た2010W杯
バラナシのホテルで見た2010W杯

わたしは「このまま1時間停電してたら後半まるまる見れないな。」と思いながら
レストランの窓を開けてここから見える景色を眺めている。

冷静に考えたら比べる物ではないがこの夜景だけ切り取ったら「成田山から見た街並み」や「横浜馬車道の夜景が見える丘公園」「隅田川花火大会」の方が綺麗だな。と思ってしまった。

バラナシには1日にかなりの数の停電がある。
今また停電したところだ。

ホテルの最上階のレストランから夜のガンジス川を眺める。

向こうの方で光っているのは『プージャー』(夜行われるガンガーへの礼拝)だろう。
「18時くらいになるとここら辺で儀式が始まる。」cokeを飲んでいたら出会ったホテルの少年が言ってた奴だ。

もやっとした暑さ。
停電が続いているともちろん施設内は暑いのだがこうやって窓を開けて顔を出していると涼しい。

わたしはイーバカフェを出た後ホテルに戻り、
唯一ホテル内でテレビがある場所、
5階の今は営業していないレストランで
オーナーの友人のインド人とここのホテルの従業員の3人で日本VSパラグアイを見ていた。

こいつら、
センタリング上がっただけで「ウォー!イェー!」
ゴールが入らないと
「あ゛ー!」
でもまぁ今のはナイスプレーだったと思うと
「ホンダイズグッドプレイヤー!」
わたしも
「Yaeh、ホンダイスグッドプレイヤー。」
と調子を合わせる。

すると「ワーオー!」

どうした?と思って画面を観たら遠藤が痛がってる。
インド人が遠藤を心配してる。

緑色の画面で音が流れない14インチのテレビで日本代表のW杯。

この旅は出発1ヶ月前から日本の出発日を決めた。

当然まだ開催前のW杯の日程とにらめっこして日本戦と被らない1週間を予定して決めた。

まさか決勝トーナメントに行けると思わなかったから今週にした。

そしてデンマークに勝利した時インドでは当然「観れないだろうと」と諦めていた。

日本ではテレビのチャンネルは10個ぐらい?新聞に乗ってるぐらいしかないが、
インドのテレビチャンネルはわたしが知る所で50以上あった。(「何個あるんだろう」と思い1チャンから押していったら50以上あり「もういいわ!」としびれを切らし調べるのを止めた。)

そのなかで『ESPN』という局がずっとワールドカップを放映している。

わたしはそれをニューデリーのホテルで確認すると夜は時間があれば観ていた。

家で消したくない番組を消去してHDDに何試合分予約してきたかしれないが、
「なんだ、観れるんだ、」と安心した。

このESPNのスタジオの司会をしている女性キャスターがかなりのグラマーな女性で「ヘイ!ホワッイズハーネーム?」と隣に聞いたら
オーナーの友達のおっさんは「分からない」とそっけない。

右手にいるホテルの従業員の少年に聞いてみたら「分からない。」と同様の答え。

なんだ興味ないのか、と思ったら
インド人はこーゆう女性興味ないのかなぁと思っていたら

少年がテレビに向かって
小刻みに6回、最後に長〜いのを1回の投げキッスをした。

めちゃくちゃ興味あるじゃん!
性に溺れてるじゃん!

その後照れたのか椅子をバタンバタンしながら笑ってた。

いやいや何が面白いんだよ!
しかも投げキッスって。

インドの人は性欲を抑えられているのかもしれない。
インドのテレビCMを見ていると綺麗な女性が突然目の前に現れて、
見とれて、
あ!この商品を買えばいいんだ!と考え、
買ったらあの綺麗な女性が寄ってきて恋人になる、
みたいなCMが多い。

今この少年がやった「投げキッス」は日本では見られない。
日本ではFC東京の平山しかやらない。
彼は投げキッスをして「気持ち悪いからやめろ」と世間に怒られてた。
大変貴重な投げキッスを見た。

岡崎がヘッドをして外したとき2人のインド人が
「サータクリナータ!サータクリナータ!」
と叫んでた。
なんて言ってるか分からない。
この瞬間はさすがに「帰りたい。」と思った。

あと、違う話だが、
パラグアイの監督はかなり怒っていた。

わたしが「ヒーイズベリーアングリー、ベリーアングリー」と言ったあと画面に岡田監督が映る「クール、ヒーイズクール。」と言った。

またパラグアイ監督が映る「ベリベリベーリーアングリー!」
と教えてあげると2人はゲラゲラ笑った。

以後、パラグアイの監督が映った瞬間「ヒーイズベリーアングリー!」と言ったら絶対笑うのでインド人が飽きるまで繰り返すゲームをした。

ホンダが大好きみたいで誰かが倒れると
おっさんが「ホンダ?(ホンダが倒れたのか?)」と心配していたが
実際は大久保で、
わたしが「ノーホンダ!」と伝える「セーフホンダ?」
と聞いてくるので
「ディスイズオークボ!」「ノーホンダ!」
と言う。
「オーケーオーケー!」と安心する。

オーケーじゃないだろ!
大久保痛がってるじゃねーか!
なんで大久保が怪我したら「オーケーオーケー!」なんだよ!

そしてそんな事してるとテレビの画面が岡田監督の心配そうな表現を映す。

わたしはすかさず「ヒーイズクール!」

そしてお約束なのか、
次に画面はパラグアイ監督を映す。
わたしは間髪いれず「ヒーイズベリベリベーリーアーーーングリー!」

インド人ゲラゲラ笑ってる。
こいつら言い方か?
あー面白い。

こーゆーのもあった。
インド人に日本の代表選手の名前を紹介する。

画面が松井を映す。
「ディスイズ、マツイ!」インド人頷く。

画面が遠藤を映す。
「ディスイズ、エンドウ!」
インド人頷く。

画面がパラグアイ選手を映す。
「アイドンノー!」

インド人が「そりゃそうだ!」みたいに笑う。

そして思いがけずパラグアイの監督が映る。
「ヒーイズベリベリベーリーアーーーングリー!」

ゲラゲラ笑う。

笑い過ぎて腸が絡まって明日からカレー食べれなくかもしれない!とこちらが心配するぐらい笑ってた。

そして前半が終わったら停電した。
「あ!」

わたしが今もし日本にいて、
例えば日本戦を観てる最中テレビが故障したとしたら
わたしはどうにかしてテレビの観れる場所までバイクを飛ばすだろう。

わたしは「あ。」と思ったが、意外とすんなり停電を受け入れ「まぁいっか。」と断念できた。

これもインドだ。

「これ1時間停電したら後半まるまる見れないな。」と思いながらレストランの窓を開けてここから見える景色を眺めてみた。

向こうでプージャーがやってる。
冷静に考えたら比べる物ではないがこの夜景は「成田山から見た街並み」や「横浜馬車道の夜景が見える丘公園」「隅田川花火大会」の方が綺麗だな。と思ってしまった。

向こうの方で真っ暗の中宗教の音楽が外で流れている。
夕方見た火葬場はまた黒い煙を吐いている。

本当にずーっと焼いてるんだな。
あそこでまた泣いている人がいる。

大人達が叫ぶ声が下から聞こえる。
辺りが見えないから声が大きくなっているのか、
もしくはもとからそういう人なのかもしれない。

ガイドブックに載っていた。
インドに持って行く持ち物に「懐中電灯」がある。
わたしは持ってこなかったが
「こういうことね。」
下の通りで小さい丸い光が辺りを走ってる。

モンキーが屋根と屋根を行き来してる。

停電してから数十分経った。

目が「暗順応」になってきた。

「ホンダ好きのおっさん」と投げ「キッス少年」が一旦どこか行ってしまった。
真っ暗なレストランに僕一人だ。

この停電はこれまでのインドの旅を思うのに十分な時間を与えてくれた。

騙されて騙されて来たけどそれでも旅をしなくちゃいけない。
誰かに助けてもらわないと旅ができない。
「インド人を嫌いにならないで?いい人もいるから。」となだめた少年。

さっきサッカーを一緒に観ていた「ホンダおっさん」は日本人の僕より悔しがったり興奮していた。

そしてゲラゲラ笑い
お前は「クリケットをやるか?」とインドの国民スポーツの話題をしてきた。

もしわたしが「やる。」と答えたらさらにおっさんは興奮してただろう。

おっさんは「ここに何日いるんだ?」と聞いてきた。
僕は分からない。まだ決めていない。と伝えた。

ひょっとしたら帰ってほしくないのかな?
と思った。

ガンジス川の目の前で、
外はプージャーの金物を鳴らす音が響き、
インド人2人に挟まれて日本代表の決勝トーナメントを観ることができる。

わたしはこの時
この旅始まって以来感じることなかった幸福感を覚えた。
もし僕が明日日本に帰る事になってもこの旅は「成功」だったし「幸せだった」と思える。

今まだ停電している。
この「停電」はインド国民全体の「一服の時間」のような気がする。

人々が停電で慌てている事はなく、
一回それまで考えていた思考をシャットアウトして想いにふける時間のような気がする。

まぁわたしはタバコ吸ったことないから分からないけど。

この時
わたしはガンジス川を見ながら何回「インドに来てよかった。」
「幸せな時間だなぁ。」と思ったのか分からない。

多分それは現地の人と「心が通った」からだ。

わたしはこの時「旅」ってなんだろう。と思い自分なりに考えてみた。

有名な建物を見たり美味しい伝統料理を味わう。

あーなるほどね。と文化の違いに頷く。

わたしの場合、今のところそれで感動はしていない。

初見のガンジス川も「川がやせてるなー!」
と思ったぐらいだ。

わたしは「見るのが旅ではない心が通うのが旅だ」
と思う。

現地の人の心を感じて自分の心を現地の人が感じてくれた時
全く宗教も言葉も違う国の人と暖かい気持ちが生まれる。
これは「ガンジス川を見た」という事実より感動することが分かった。

停電が終わると日本戦はPK戦になっていた。

わたしは日本が外しても入ってもどっちでもよかった。

多分それはインドにいる事でかなり日本との「距離」があったからだ。

わたしは今インドにいるので重要ではなかった。

わたしは日本がPKを外したとき全く悔しくなかったが
両サイドのインド人は僕にこーやってほしいんだろう思い
わたしはあえてオーバーリアクションで「あー!」といい椅子から落ち、頭を抱えてうずくまった。
両サイドは「この日本人!頭かかえてるよ!あははは!」みたいな事を言い合ってたと思う。

笑っていた。

その時は笑っていたけど本当に試合が負けた時は
両サイドのインド人はどうしていいかわからなかったのか
声のトーンが一気に下がり残念そうな表情をしてた。
わたしはこの空気は俺次第だなと感じると「グッドゲーム!」を明るく繰り返した。

向こうも「グッドゲーム」と明るく努めた。

この楽しかった空気を壊したくない。大事にしたいと思ってとった3人の行動だった。

心が確かに通っている。

画面に「カミングスーン、スペインVSポルトガル」と表示されると
「また12時にレストランに来るだろ?一緒に観るだろ?」と誘ってくれた。

わたしは当然だよ!
と言うと部屋に一回帰ってシャワーを浴びた。

さて「サッカーも観終わったし、オーナーとプランを立てるか!」とフロントに行く。
何かいい案を考えてくれてるかな?
取れるチケット見つけてくれるかな?
と思っていたら
フロントの人に

「オーナーはもう寝たよ」と言われた。

全然心が通ってないじゃん!
寝るかね!普通!
あいつが食事してサッカー見たら考えようって仰って!
寝るかね!
いい夢見れるのかね!

わたしは明日は移動しないで

1日バラナシを回ってまたこのホテルに泊まる事にした。

次へ

ホテル『サンモニー』
に決めたのは「ガンジス川はよく見える」「プラグ変換器がある」「テレビがある」「列車の予約ができる」というのを満たしたからだった。
サンモニーはハリスチャンドラガート内の一番ガンジス川に近いホテルだ。

部屋から見えるガンジス川。

ホテルから望めるガンジス
ホテルから望めるガンジス

値段はガイドブックにはシングル1泊8〜15ルピーと載っていた。
日本円で30円。
オーナーが示した金額は500ルピー。
1000円。

わたしはこの『ツーリスト価格』を別に揉める事もなく受け入れた。

「1000円で眺めが最高でサービスがいい所に泊まれるなら、」という日本の金銭感覚が残っていたためだ。
これからわたしがまずやるべき事はインド人ともめる事じゃない。
少なくなった携帯電話を海外用のプラグで充電して、

お風呂に入る。
そしてオーナーに列車の予約をしてもらう。
夜は日本代表VSパラグアイ。
テレビで観戦したあとはゆっくり休もう。
ずっと歩きっぱなしだ。
そして明日の朝ガンジス川に行き日の出の時間にボートに乗ろう。

部屋にあるお風呂に入る。インド最初のホテル「レジェンド」で入って以来だ。
僕は荷物を極力減らすため着替えは今着ているの合わせてTシャツ2枚とパンツ2枚。ズボンは今はいている奴のみ。
こっちで洗って干せばいいと思った。
ここ2日間の汗と砂が染み込んだTシャツとズボンを脱ぐ。
シャワーを浴びようとひねると最初は何やら水が汚れてた。
多分ガンジス川の水が混ざっていたのかもしれない。わたしは思わぬ所で「沐浴」をした。
シャワーをしていて気づいたが石鹸もシャンプーもない。
インドに来て買おうと思っててすっかり忘れてた。
今日は仕方ない。
水で流すだけた。
髭も延びてきた。
この旅行で剃るつもりはない。

出たらバスタオルとTシャツをベランダに干して新しいシャツとパンツに着替える。
「あーすっきりした、」
部屋のベッドにどっぷり大の字になりシーリングファンを眺める。

目の錯覚で眉間に皺を寄せるぐらい睨んでいるとシーリングファンのプロペラ一枚一枚がくっきり見えた。

もう夕方だ。
日本は夜19時間のはずだ。

携帯の画面にインドの時間と日本の時間が表示される。
せっかくインドにいて日本の時間は「常に」表示しないでいいよ、と思った。
時差は−3h30m。
計算できるし。
どう設定しても消えない。
これから夜20時のサッカーまでに
列車の予約。
飯。
を済ませよう。

わたしはミネラルウォーターを飲み干すと部屋をロックする南京錠に四苦八苦し、やっとのおもいで鍵が掛かると階段をおりていった。

オーナーはどこかインド人っぽくない顔をしている。
事務所にネパールのポスターがやたら貼ってあったのでひょっとしたら「ネパール人?」と聞くと。
ただ「ネパールにしょっちゅう行く」だけらしい。

事務所机には日本人が撮ったプリクラがディスプレイしてあった、

「イズデイスジャパニーズ?」
「イェー」

他には日本人女性のの履歴証用の「証明写真」もあった。
その女性と一緒に仕事をしたのかスナップ写真もある。

日本人と交流がある所からして騙したりはしないだろう、思う。

四ッ谷に店があるニューデリーのレストランに入った時オーナーは頼んでもいない美味しい料理をどんどん無料で運んできた。

このように分かりやすい親日家はいる。

ここのオーナーもそうじゃないか?
じゃないと日本人がオーナーと一緒に写真を撮らないし思い出にプリクラを置いていかない。
そしてここのオーナーはそれを大切にこのようにディスプレイしている。

ガイドブックにここのオーナーは頼まれた事はしっかりやる。と口コミがあった事も信頼を寄せた理由だ。

ここのホテルの人とはうまくやっていかないといけない。

列車の予約とスケジュール相談はこの旅の後半を大きく左右する。

わたしのこれからの希望のスケジュールは
明日6/30夕方〜アーグラに10時間近く掛けて列車移動する。
夜アーグラ泊。

7/1。
タージ・マハルを夕方まで見学してリシュケーシュへ。

「リシュケーシュ」はヨガ発祥の地。
かつてはビートルズも訪れて本場のヨガを体験したという。

7/1はリシュケーシュ泊。

7/2はリシュケーシュに滞在、そのまま泊まる。

7/3は夜までにニューデリーに戻り同日20時の便で帰国する。

これは可能か?とオーナーに聞くと「やってみる」という。

事務所のインターネットで列車の予約をしている。

オーナーはたまに画面に向かって「シット!」と罵声を浴びせてる。

「どうしたんだ?」と聞くと「お前が乗りたい列車がもう予約で埋まってる。明日夕方からアーグラに行きたいと言ったが、
アーグラに行く列車は朝8時にバラナシを出ないといけない。それしかない。」
という。

「明日朝8時?!ガンジス川のボートが朝5時からだから・・・いや、ちょっと厳しいなぁ、」

わたしはどうしようか迷った上「国内線はどうだ?」と聞いてみた。

ニューデリーからアーグラまで列車で3時間だ。

ニューデリーからバラナシまで列車で15時間掛かった。その日は夕方から1日潰れた。

わたしは折角のインド滅多にこれないインドで時間を大事にしたいと思い、
バラナシ空港からニューデリーのガンジー国際空港まで飛行機で帰りニューデリーからアーグラまで列車で行こうと考えた。

列車では15時間掛かる所、バラナシからニューデリーまで飛行機で1時間半。

「国内線を予約できるか?」と尋ねると「ジャスウェイト」と言い調べ始めた。

キングフィッシャー社のエアラインが16時バラナシからある。
席は残り僅か。
値段は7500ルピー。
大体1万5千円。

15000円か、、、。

わたしは一回冷静になって何が一番大事か考えてみた。
わたしが本当にしたい事。

「タージ・マハルは絶対見たい。」わたしがしたいことは考えてみたらそれだけだ。

「シット!」
オーナーが叫ぶ。
「どうした?」と聞くと
「明日は仮に飛行機でニューデリーに着いたとしてもその日中にアーグラは行けない。列車に空きがない。」

なのでニューデリーに泊まることになり、
朝イチでアーグラに行くことになる。

それだと話は別だ。結局バラナシから列車で15時間かけてまた戻るのと一緒だ。

確実に今日の夜アーグラに着かないと国内線を乗る意味が無い。

試行錯誤したスケジュール。

スケジュール
スケジュール

ニューデリーだけはもう勘弁だった。
あそこには極力いたくない。

あの環境の悪さ。
悪い奴の多さ。
イメージが悪い。

一回考えて、落ち着こう。

わたしは「ちょっとご飯食べてくる。」というと
オーナーは「よし!ご飯食べてフットボールを見終わったらまた考えよう!」と提案してくれた。

ここのオーナーは自分のスケジュールに添えないとPC画面に向かって「シット!」と罵声を浴びせてくれる。

わたしの意に沿いたい一心で気持ちが入っている。

「インド人を嫌いにならないで?インド人でもいい人はいるから。」

と少年に言われたが、本当に目の前にいい人がいた。

喉渇いていないか?コーク飲むか?

お金はいいよ!

わたしは夜また練り直すことにした。

「この辺に美味しい日本食はあるか?」とオーナーの親父っぽい巨漢に聞くと「『イーバカフェ』がすぐそこにある。」と教えてくれた。

日本人がバラナシに来たら多分通うお店だ。

道路に「イーバカフェはこちら!」と日本語で書かれている垂れ幕があるくらいだ。

インド7日間の旅だとしたらバラナシに来る日本人はカルカタから入国しない限りニューデリー〜アーグラ〜バラナシの順で来る。
その場合バラナシでは旅も終盤に差し掛かる。
そして終盤には日本食が恋しくなる。
わたしは違ったルートニューデリー〜バラナシの順で来た。
旅は終盤ではない。
中盤だ。
だが日本食は恋しい。
わたしは最初から日本食が恋しい。
インドのカレー、「タリー」なんて食べたくもない。
インドの食事は食べたくもない。
蠅がたかって、洗ってない食器で煮込んで、何触っているか分からない手で、
埃まみれの場所で、
ウンコの匂いしかしない道路の近くで、

美味しいインドの料理を食べるにはそれなりにお金を払わないと食べれない事が分かった。

ただそれでも怖い。
腹を下して残りの3日は病院で寝込む。
これだけは避けなくてはいけない。

わたしは日本食を食べたい。
インド料理は食べないでいい。

話は変わるがバラナシは1日6回ぐらい停電する。
もっとかもしれない。

ただでさえ街頭がない地区で停電が起こると何も見えない。
夜は真っ暗になる。
しかも暑い。
エアコンは停まるしファンも止まる。
真っ暗。
インド人は毎日の事だから慌てない。

これには考えさせられる。
しかも停電が5〜10分とかではない。
40分〜1時間以上も戻らない事もある。

最低でも40分は復旧しない。

話しは戻って、

わたしは日本食のお店イーバカフェに向かった。
ここら辺なんだけどなー、おかしいなぁ、
見逃したかな、
3つめを右だろ?
これはちょっと行きすぎてるよな、
この地図だとこんな歩く距離じゃないもんな、
などと迷っていたら
8歳ぐらいのガリガリで上半身裸の子供が(珍しくはないが、)
「イーバカフェだろ?あっちだよ?」と教えてくれる。
わたしは「センキュー」と別れを告げると子供は離れない。

「連れて行ってやる!」と何かが化けた親切心を見せてくる。
わたしは「自分で見つけられる」というと「こっちだよ!」と勝手にエスコートする。
ちょっと前の僕なら気にせず無視して違う道を行っていたが、
「まぁじゃぁ連れて行ってもらおうかな。」と楽な気持ちになる。

「ここを曲がって、、ほらあった。」
子供の目線の先、店頭には「ジャパニーズフード・イーバカフェ」とある。

わたしは「ありがとう」というと予め用意してあった2ルピー硬貨を渡した。

子供はありがとう!と言って去るだろうと予想してたら「少ない!」と言いやがった。

チップに少ないも何もあるか!気持ちだろこんなもの!
道を教えてくれた奴にあげるチップの相場なんて知らないし

少なかったかもしれないが俺にしてみれば「初めてのチップ」だぞ。

こっちはずいぶん前からポケットの中を漁って「あ、このお兄ちゃんチップくれるんだ!」ってバレないようにお金を確認して「着いたよ?」と同時にあげるという演出まで考えたのに「少ない!」はないだろ。

日本でちょっと道教えただけで「お金!」なんて言ったら削られるぞ?

その子供はあろう事か店まで入って来てチップを要求してきた。

店員に外に追い出されてた。

店内は薄暗くて低いソファーと低いテーブルがありゆったりと時間が流れている雰囲気があった。

日本人の女性2人組が入り口に、
ヨーロピアン?の女性3人組が奥に位置している。

日本人の女性は当たり前だが日本語で話していた。

わたしはちょっと恥ずかしくなった。
海外で日本人に会うと恥ずかしくなるのはわたしだけだろうか?

あんまり話したくない。

わたしはメニューを開くと
「マンゴーラッシー」と「ラーメン」と「鳥と茄子の揚げ出し」を頼んだ。

出てきたそれを見てわたしは「失敗したー!」と思った。
というのもこれ全部「生水使ってるじゃん!」と今にして気付いたからだ。

うわー、怖いなー、
ラッシー。
牛乳だしなー、

うわー、普通の味。
不味くないけど、
ラーメン、ちょっと美味しいな!日本の不味いラーメンより美味しいぞ、

バラナシの日本食堂ラーメン
バラナシの日本食堂ラーメン

なんだこれ?
ラーメンにキャベツの千切り?え?何これ、人参の千切り?
コールスロー?

煮玉子かぁ!これはあぶねーな!この玉子はインドを棒に振るぞ!

うわ!これ鳥と茄子の丼、どんぶりか!
うわ、なにこれ!まずい!
この米、くそまじー!
うわ、残そ!

ラッシー怖いなー!
ラーメンちょっと旨いなー。
なんでキャベツなんだよ!
ちょっと最後に食べてみよ、
うわー、やっぱ米まじーな!鳥なんか本当に怖いわ!絶対食べれないわ!

わたしはこんな事を思いながら残した言い訳を
「アイムソーリー、アイアムビジー、アイハブノータイム。ソーリー。」とお店の人に言いながら席を立った。

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リクシャーが行き交うサナリプラロードを「ノー」と断りながら歩く。

牛使いが集団から遅れた牛を叩く。
あんなに思いっきり叩いているのに牛のお尻はでかい。
全く痛くなさそうだ。

これからハリスチャンドラガートに行きヒンドゥー式火葬を見物した後ホテルを探す。

そして明日から7日目までのスケジュールを立てなければならない。

インドを歩くのはただ暑いから疲れるのだけではない。
交通事情や勧誘、悪環境に体力を奪われる。

ましてや知らない街となると地図を見たり人に聞いたりして歩く。

喉が渇いたらジューススタンドを見つないといけない。

自動販売機がないインドではなかなかジュースは飲めないし
お釣りを騙すジューススタンドもいるのでこちらの目利きが必要だ。

ダーシュワーメイドガートで日本語が上手い少年と出会った。
なんでもかんでも話し掛けてきたインド人は防犯の為突っぱねていたが

今なら少しだけ受け入れる用意がある。
ほんの少しなら話を聞ける。
ニューデリーの時とは心持ちが違う。
インド人に対しての扱いに少し余裕を持てるようになった。

また断る時のバリエーションもただ強く言うだけじゃなく、

ホテルを紹介する奴に「オーケー覚えとく。覚えとく。」
と名刺は貰わないでも覚えとくから去ってくれパターンや
初見なのに「アイノーアイノー」の私は(君の店を)知ってるパターン。
今まで無視してた「ヘイジャポン!」に「ナマステー」と返すパターンもできた。
(これはたまに無視されたけど。)

乗らないか?と営業するリクシャーに何も言わず笑って首を振ると意外とあっさり去ってくれる。

リクシャーにぎゅうぎゅうで乗ってるインド人の「ハロージャポン」に「ノー。アイムコリアン」と
うそぶく。

「こっちもインド人を上手く利用してやろう。」と思うようになった。

歩いていたら
店頭を暖簾で閉めきって
いるお店があった。

このような商業施設付近ではない田舎の道路で暖簾は見たことがない。
暖簾は外の喧騒と悪環境を嫌がっているってことだ。

わたしはひょっとしたら「インドを受け入れていないのではないか?お店の人はインドが嫌いなのではないか?」と思い

「だとしたら一緒だ。」と思いそこで道を聞くことにした。

後々そこはインターネットカフェだった事に気付く。
奥の方にひとがいる。
「エクスキューズミー、パリスチャンドラガートはあとどのくらい?」

ガタイのいいおっさんが答える。
「歩いて2分、真っ直ぐ行って左だ。」
どうやらインド人ではなさそうだ。
わたしは砂漠には行ったことがないが「オアシス」に辿り着いた感覚でこの店のベンチに座っていた。

外に出ると猛暑と臭い匂い、
客引き、
排気ガス、
動物園の匂い、
砂埃のインド。

ちょっとしたジューススタンドがオアシスに感じられる。

ニューデリーの2日目に見つけたレストランとここのジューススタンドは「なんとか死なないで大丈夫だ」という保証がもらえる。

人が嘘つかない、値段が適性、腹を下す事がないからだ。

インドで1人で旅をしてこの3つの信頼がある一軒を見つける事がどんだけ難しいことか。

わたしは「あ、よかった。バラナシでも生きて行ける。」
と思ったぐらいだ。

わたしはすぐこの店がどこに立地しているかメモり、
写真を撮り、
マップにマーキングした。

道を聞くと一休みする事にした。
少年と別れて30分ぐらい歩いたと思う。
「オーケーサンキュー、cokeプリーズ」
インドに来てからcoke、ペプシ、ミネラルウォーターばかり飲んでる。

後々気付いたのだが「ペプシ」はインドのバラナシに工場を持っている。
今大企業の多くは中国の次は新興国インドに自社工場を持つ事を狙っているというのを聞いたことがある。

それは中国→インド→ブラジル→南アフリカの順らしい。

「7UP」というサイダーもインドでは主流。
あとあったのはマンゴージュース。
これは後々飲むことになるが美味しかった。
90円位で350mlペットボトル。
こっちでいうアップルジュースぐらいでっかい顔をして店頭に置かれている。

マンゴーは路上でも売ってるしとにかくマンゴーを目にする機会が多い。

りんごは目にしなかった。
停電が1日に6回ぐらい起こるバラナシは冷蔵保存出来ないものはすぐ傷むし、
売らないし、
好まないのだろう。

その証拠に路上で売ってるマンゴーは緑色の物が多い。
マンゴーはたとえ売れなくても日持ちがいいし、
日に当てると熟れてくるからインドの季候に丁度いいフルーツなのだろう。

おっさんが出てきて、
「何でハリスチャンドラなんかに行きたいんだ?」
と聞かれた。

「葬儀が見たいんだ。」
わたしはおっさんの発言の真意を探った。

「なぜ?」
前々から気になっていたのだろう。
外国人はみんなあそこにいく。
おっさんは理解に苦しむといった感じだ。

なぜ?と聞かれると困る。
率直に言うと死体を焼く所を見たいだけだ。

珍しいから。
日本では見れない風習だから。

多分それを言った所でまた「なぜ?」と聞かれてただろう。

お店のおっさんは不可解な顔をして店の奥に引っ込んだ。

わたしは「センキュー」を「長居しちゃってごめんね」という意味でおっさんに告げ、
最近見ないcoke瓶を所定の位置に入れると
暖簾をめくり表に出た。

店の名前。
『OM CYBER CAFE』
覚えておこう。
コーラの看板に、緑の暖簾。
よし覚えた。

相変わらずクラクションがうるさい。

出てすぐのクラクションの音はハリスチャンドラまでの「よーいドン」の合図だ。

おっさんが教えてくれた通りの道を歩き
緑色のマンゴーが並んでいるお店を左に曲がる。

急にでけぼこ道になり次の一歩を見つけながら歩く。

この辺り一帯は道というよりは「何かの敷地内」もしくは小さい「集落」のような場所だった。

今までの2つのガートとは性格が違うのが直ぐに分かる。
こっちは人が静かだ。

こちらが外国人でも「ちらっ」と見ることはするが決して深追いしない。

客引き行為もない。

火葬が行われているガートだからかもしれない。

薪を割っている小学1、2ぐらいの2人の子供がいる。

それを瓦礫の家の軒先から何やら言いながら眺めている7人ぐらいの大人がいる。

嘘だろ?と驚くぐらいの薪の量を頭の上に乗せてバランスよく運ぶ劇的に痩せたマッチョの少年。

路地裏で寝ている牛。

薪を割っている少年だが僕らが従来イメージにある薪割りじゃない。

デッカイ釘。
見たことないような1mぐらいの釘を木材の側面に差して子供が「どうにか」してる。

ジャパニーズ「斧でパッカーン」ではない。

「さけるチーズ」で例えると縦から割かないで横から割こうとしてる。

大変な方を選んでる気がする。

「斧が一本でもあればいいのになぁ。」

わたしはハリスチャンドラガートに着いた。

背中から何やら軽快な掛け声が聞こえる。

「あ。死体だ。」
直ぐにわかった。

木材で作られた担架に白い布でぐるぐる巻きにされた死体が僕と同世代ぐらいの男達6、7人によって運ばれてる。

叫んでいるのは「故人の名前」だろう。

同じ単語ばかりを合わせて叫んでいる。

「男性が亡くなったんだ。」
男性は白い布で、
女性はその姿を隠すようにペルシャ絨毯のような物を被されて運ばれてくる。

男達の先頭で導くのは多分宗教のお偉いさんなのだろう。
ターバンを頭に巻き右手には大量のお線香のような物を持ち煙で周囲を包みながら歩いていた。

これは多分、
死者の腐敗した匂いに蝿等がたからないようにする為だ。

担架の後ろから歩いているのは親族だろう。

何かを叫びながら泣いている女性。
泣いている女性の顔を自分の胸に落とし込むおばあさん。

後に続く人々。8人ぐらい連なっていた。

わたしは泣いている女性を見たらつらいんだろうなぁ、

俺もおばあちゃん亡くなった時辛かったもんなぁ、
一緒だよなぁ、
と思い出すとなんだかいたたまれなくなってきた。

全く関係ない子供が走りまくっていた。

列は細い道を通るとその先の階段を降りて下のちょっとした浜辺に向かう。

そこには人1人が横たわれる分の広さの薪が何段にも四角に作られていて炎が上がっていた。

それが距離を置いて2つ用意されていた。

わたしは列の最後が階段を降りてゆくと
生前にこの方にお世話になった訳でも
話をした事も、
顔も見たこともないのに
全くの部外者が申し訳ないと思いながら拝見する為に降りて行った。
わたし以外外国人はそのガートにいないけど「ここからはダメだ。」とも言われなかったのでわたしは「このインド人ただの傍観者だな。」と明らかに全く関係ないだろう人の隣で見学した。

さっきの女性がずっと泣いている。

インド人は死者になるとまた違うのに生まれ変わるという。
なので悪い事(業)をすると来世に差し支える。
罪を浄めてもらう為に、死んだ時にヒマーラヤに帰って行くことを願いガンジス側で沐浴をする。

担架がそこに到着したら女性が泣き崩れて死者に頬をあてる。

ジューススタンドのおっさんが「なぜそんな所に行きたいんだ?」と言ってのを思い出す。

確かにこれは沈痛な気持ちになる。

ここのガートのインド人は見慣れているはずなのにみんなこの様子を眺めている。

それもすごく静かに。

クラクションあんなに鳴らすのに。

前方右の岸辺には女性の死者だろう。
もう既に「先客」がいる。
担架のまま川に沈める為に石をそれにくくりつけて重りを作っている

前方左の方は今から女性の親族のとは別の死者が焼かれる為に準備がされている。
先客がいる。

インドの各方面から信者の死体が運ばれてくる。

何で運ばれてくるの?と聞いたらトラックだそうだ。
毎日火が消えることはないそうだ。

火葬が始まる様子を見てると
上半身裸の真っ黒の少年が近づいてくる。

売り子?と思っていたら
少年は「ここは自分達の仕事場だ写真は撮るなよ?」と注意してきた。

わたしは撮らないよ。というと少年は元の場所に戻っていった。

撮る外国人がいるのだろう。

左の方で死者が焼かれ
右の方で川に浮かばせているのを見たとき

わたしは「俺は何してるんだろう。ホテル探そう。」と我に返る。

あの死者に頬を擦り寄せながら号泣して

死者に顔を埋め過ぎておでこの中心にある「ティカ」が布に付いちゃったあの女性の最愛の夫が焼かれる所は見れない。

ヒンドゥーは「輪廻」「来世」「ガンガーに還る」など続きがあるみたいにいうが、
やっぱりヒンドゥーでも「死」は受け入れたくないんだと思った。

現世で生きたいんだと思った。

もしそうじゃないとあんなに悲しそうに静かに見守る人は多くないしあんなに泣かないのではないかと思った。

「写真撮るのか?」
さっきと違う子供がまた来た。
「帰るよ。」
というと

ネットカフェのおっさんが言ってた事をまた思い出した。
「何であんな所に行きたいんだ?」

これからわたしはガンガーの眺めがいいホテルを探しにいく。

次へ

バラナシで会った日本語を話せる少年
バラナシで会った日本語を話せる少年

目が合うインド人は大抵客引きだ。

合わないインド人はこちらが合わそうとじっと見ても合わない。

わたしは話し掛けて来た少年も「また客引きか、、」とうんざりしたが、
ただ余りにも日本語が上手くてわたしは自然と張っていた緊張がゆるんだ。

イントネーション、発音も笑ってしまうぐらいうまかった。

「日本語うまいね!」と褒めると嬉しそうだった。

以後少年と日本語でのやりとり。

「日本のマンガに僕のお兄ちゃん出てるからね。」

「そうなの?」

「そうだよ。」

わたしはそこはあんまり掘り下げないようにした。

「お兄ちゃんちょっと疲れてるね?」

「わかる?」

「分かるよ、ここにくる日本人はみんな疲れてるよ、」

「そうなんだ、」

「そうだよ、ニューデリー、アーグラ、でみんな騙されてここに来るからね。」
「アーグラ?」

アーグラはニューデリーから電車で約4時間。
世界遺産『タージ・マハル』がある所だ。

本来北インドを1週間で回る旅行は
ニューデリー、
アーグラ、
バラナシ、
ガーヤ(時間があったら)
コルカタを回り
コルカタから日本に帰国するが時間的に見て回れる。

多くの旅行者はそうする。

ただわたしが見たいのは

ガンジス川とタージマハルだけだ。

わたしは余裕をもってニューデリー→アーグラ→バラナシ→ニューデリーの旅を計画していた。

3大都市を回るだけの旅。
ただ以前ここで書いたがインドの列車は遅れる。
10分、20分ではない。
8時間や12時間も遅れるという。

最終日にバラナシからニューデリーに15時間掛けて戻る際、
もし列車が遅れたら飛行機に乗れない!と思い
非常事態を想定して
ニューデリー→アーグラ→バラナシ→ニューデリーを止めて、

ニューデリー→最初に一番離れたバラナシに向かいアーグラ→ニューデリーとニューデリーに上ってゆくルートを選んだ。

分かりやすくいうと
東京→名古屋→大阪→東京を変更して、
東京→大阪→名古屋→東京。
最終日の東京行きの時間と距離を計算しやすくした。
日本ならそんなことする必要がないがインドは上記の理由や社会情勢で何が起こるか分からない。

話がそれたが、
今少年が言った「アーグラも騙す奴が多い。」という発言がわたしを驚かせた。

バラナシの次に行く都市。
ニューデリーと変わらない治安の悪さなのか・・・。
少年は
「日本人みんなニューデリー、アーグラで騙されてバラナシに来るからインド人の事を嫌いな人が多いんだ、」と続ける。

「そうなんだ、」
分かる気がする。

「ただインド人を嫌いにならないで?インド人でもいい人はいるから。。。」

わたしはこの言葉に胸を打たれた。

なぜならわたしがその「インド人が嫌いな人」の先頭集団を走っているからだ。

わたしはその「インド人を嫌いにならないで?」と頼んでくるような、こんな悲しい言葉をこの少年に言わせてしまった事に強く悲しい気持ちになった。

日本語で言われたから心に刺さったのかもしれない。
「お前は何をそんなに怒ってるんだ?」とバラナシの駅前で言われた。

これも考えさせられた。
今の言葉もつらい。

わたしは常に戦闘態勢だったがこの言葉を聞いて戦う気を失せてしまった。

少年と座って話していると客引きが来る。

客引きにしてみれば「おっ!あいつ日本人と仲よさそうに話してるじゃん!しめしめ。」
だったのだろう。

少年が客引きに「あっちへいけ」とヒンドゥー語で追っ払う。
わたしは「あの人なんだって?」
と今来たインド人の事を聞く。
やっぱり「客引き。」らしい。

少年に以前から疑問に思っていた事を聞いてみた。

こんなに暑いのにインド人はみんな汗をかかない。

わたしは不思議に思っていた。
「インド人が暑いと感じる気温は何度なの?」と聞いてみた。

「ん?」

「インド人が暑いと感じる気温は何度なの?」

「ちょっとよく分からない。」
この少年は日本語でもまだまだ分からない言葉があるんだと思い、

「インディアン、フィールホット、フォワット・・・えーと・・『気温』・・・『気温』って英語で何て言うんだっけな・・・」

わたしはポシェットから和英を取り出し「ジャストモーメント・・えーと・・。」
と急遽調べる。
「あっ!」

見つけた!
「テンパーチャー!」
と叫んだ。

少年もこちらの聞きたい事が分かったのか
「あー!」と叫んだ後、
はいはいみたいに頷き

「分からない。」と軽く告げた。

分からないんかっ!

「あー!」って叫んだから。

そんな事より!みたいに少年は「『大沢たかお』
を知っているか?」と聞いてきた。

わたしはなんとか持ちこたえて、

「知ってるよ?」
と返した。

「僕のお店に来たんだぞ?」

「そうなの?」

「友達だ。」

「そうなんだ、連絡先知ってるの?」

「知らない。」

知らないんじゃねーか。

「長澤まさみも来たんだぞ?」

「すごいね、」

「君の家は何屋さんなの?」

「サリーを売ってるんだ。」

「そうなんだ。長澤まさみとも友達なの?」

「友達だ。」

「連絡先知ってるの?」

「知らない。」

知らねーんじゃねーか。

「大沢たかおは『僕のお兄ちゃん』と仲がいいんだ。」

「そうなんだ。お兄ちゃんどこにいるの?」

「日本。」

「日本にいるの!?」

「大沢たかおと友達なの?」

「友達だよ。」

「お兄ちゃんは番号知ってるの?」

「知らない。」

知らねーんじゃねーか!

もういいわ!

なんでもいけるじゃねーか!
そもそも『大沢たかお』と言っておけば日本人は食いつくだろう。

話がうまく出来すぎている。

少年は「ここら辺に泊まってるの?」
と聞いてきた。

わたしはここまでの話しで「まさかこの少年も客引きか?」と思い始めた。

試しに僕は言ってみた。

「俺何も買わないよ?」

「いいよ?別に。」

「ガイド料とかも払わないよ?」

「いいよ別に。ホテルあるの?」

わたしは嘘をついた。

「ホテルはあるよ。泊まってる。」

「絶対嘘!」

「本当だよ。」

「絶対嘘!名前は?」

「忘れた。」

「住所は?」

「いちいち住所覚えていない。」

「バラナシに今来たんでしょ?」

「そうだよ。」

「じゃぁ嘘だね!リュック持ってるじゃん!泊まってたら置いてくるじゃん!」

変な空気が流れた。

向こうにしてみれば
「まだ僕の事信用してないんだ。」と思ったのだろう。

どうにか空気を戻したかったのか少年は話題を変えようとした。

『地球の歩き方』と言いたかったのだろう、
言い間違えて
「『チカンの歩き方』持ってる?」と聞いてきた。

『チカンの歩き方』て。

チカンの教科書!?

「チカンの歩き方」を俺はインドで真似するのか。

痴漢も普通の人も歩き方一緒でしょ!
「こうかな?違うな・・・こうかな?チカンはこう歩くのかな?」って真似するのか。

わたしは「キャナイテイクアピクチャー?」と許可をもらうと初めてインド人の写真を撮った。

その後僕は少年に別れを告げた。そしてマニカルニカガートを目指した。

少年は最後まで日本人に「何かを売ろう」とはしなかった。

インドに来て初めてだ。
わたしが客引きに疲れていたから売らなかったのか、

もしかしたら本当に仲良くなりたいだけだったのかもしれない。

「少年は本当に大沢たかおと友達なのかもしれない。」と思った。

次へ

「何を書いているの?」
ダシャーシュワメードガートでガンジスを眺めながらわたしは書き物をしていた。

すると14歳ぐらいの子供が『日本語』で話しかけてきた。

今から約一時間前にわたしは当初泊まる予定のホテルの階段を急いで降りるとオーナーの騒ぐ声に構わず外に出た。

5階の吹き抜けからオーナーの声と1階フロントにいるここまで連れてきた「男」のヒンドゥー語が飛び交う。

構わず降りて外に出た。
「ヘイヘイ!ジャポン!」
男が追ってくる。

わたしは黙って先を急ぐ。
メインストリートはどっちだろう?

しっかり帰り道を覚えてたつもりが迷った。

察して男が叫ぶ。
「そっちじゃない!」

「どっちだ?」

「そっちだ!どうしたんだ?何が起きた?」

余りにしつこい為教えてやる。

「お前とオーナーの言ってる事が違う。お前は250ルピーで最上階だと言った。あのオーナーは250でエアコンなしの下層階だった。
言ってる事が違う奴等と話しはしない。」

「じゃぁ別のホテルならどうだ?」

わたしの足取りが早いのと目線を二度と合わせなかった事で男は諦め
最後に去って行く僕の背中にヒンドゥー語で何か汚い言葉を吐き捨てた。

それはちらっとみた表情から分かった。
それが全てだろう。

気にしない。

交渉が決裂する事はよくあるだろう。

妥協案を探して譲れればいいが、
前提がひっくり返るような嘘だったり筋違いな事をしてくるのは納得がいかない。

わたしとあの捨て台詞を吐いた男は信頼関係を少しずつだが築いていた。

ただあのホテルのオーナーの態度を見ればわたしの足元を見ている事ぐらいすぐ分かる。

「ファッキンジャップぐらい分かるよバカヤロー!」だ。

あそこにはルピーは落とせない。

これからハリスチャンドラガートに向かい葬儀を見て
その周辺で今日泊まるホテルを探す。

まだ昼だがこのくらいの時間から探しておいてもいいだろう。

道は広いが瓦礫が多い。
バラナシはインドでも田舎の方なのだろう。

相変わらずクラクションの音が耳に通う。
相変わらずリクシャーが目と眉毛で商売してくる。
相変わらず喉が渇く国だ。

ダシャーシュワメードガート。
人の流れに従順にしていたら自然と着いた。

時間もあるしちょっと寄って行く。
一番大きくて有名なガートだ。
まず沐浴する人の数が多い。
そして家族が岸辺にパラソルの様なものを立てて順々に入水する。
これはジャパニーズ「海水浴場」だ。

「さてはただ暑いから入ってるだけだな?」

周りを見渡しても僕意外外国人がいない。

座っていたらヒンドゥー語で話しかけてくるインド人。
何を言ってるか分からない。
「いいから構わずどこかいけ。」という仕草をしてあげる。
じゃないとずっと話し掛けてくるだろう。

買う気や乗る気がないなら直ぐに追っ払った方がお互いの為だ。

わたしは今初めて一人でガンジスと対峙してセンチな気分になっている。

ヒンドゥーが続々と汚い川に入って行く。

「インドに来たんだなぁ」とふと思う。

たまに日本時間を気にする。
今昼12時だから日本は朝9時半か。

今腰を下ろし
スピーカーから聞こえてくる宗教の歌を聞きながら
ここまでの道のりに想いを馳せる。

ニューデリーより全然いいなぁ。

さっき「事件」にわざと片足を突っ込んだ。

成る程あんなもんか。

最大の『防犯』は
「相手がこうしたら絶対NOという」とか
「これだけは曲げられない」
というこちら側のルールだな。

それを周りの空気や相手によって変えない。

ポシェットからメモ帳を取り出す。
バラナシに来てから今まで感じたことやちょっとした事件をノートする。

その時
「何を書いているの?」
ダシャーシュワメードガートでこのような経緯で書き物をしていると14歳ぐらいの子供が『日本語』で話しかけてきた。

また「事件」の方からノックしてきた。

バラナシで会った日本語を話せる少年
バラナシで会った日本語を話せる少年

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ガンジス川は思ったより幅がなかった。

ヒマーラヤ山からベンガル湾を流れるガンジス川は全長2500キロ。
この距離は北海道から沖縄までだ。

北海道から沖縄までの長い川をわたしは想像する。

聞くとこによると岸辺から向こう岸まで500mぐらいらしい。

男は「あそこを見てみろ」とわたしの背後に立つ建物を指差す。

仰ぎ見る建物の3、4階の高さの位置にペンキで線が引っ張ってある。

ヒンドゥー語で何やら書かれている。

「ガンジス川はあの位置まで増水するんだ」

今立ってる自分の位地の遥か頭上に河が増水した水面の跡が残っている。

わたしは線の位置まで増水した時の景色を想像する。

ヒンドゥー教徒がガンジスを崇める理由。

日本人にとって富士山は日本の象徴だ。
その理由が日本一「高い」だからだとして
皆が山頂を目指し「登る」のだとしたら

ヒンドゥーが何故ガンジス川に敬虔なのか?の答えは「大きい」から「浴びる」のだろう。

日本人がガートに来たと知るやいなや
既にそこら辺にいた奴等が「ボートに乗るか?」「これ買わないか?」とゾロゾロ近づいてくる。

※ガート。岸辺から階段になって河水に没している堤。

男が「俺の客だ」と言ったのかすぐに諦めて散らばる。

ガンジス川の人々
ガンジス川の人々

みんな沐浴をしている。
もっと神妙な面持ちで入水しているのかなと思ったが子供達ははしゃいでいた。
ただの水遊び?と思うぐらいだ。

水はさすがに掛け合ってはいなかった。

そんな中でも
掌をあわせて目を閉じて
何か言いながら
真っ直ぐ沈んでいく。
上がったら合わせた掌を頭の上に持っていき
また胸に位置して沈む。

それを何回もやっている人を見た。

ガンジス川の岸辺は汚い。色々なゴミが浮遊して集まっている。

「ボートで向こう岸に行けるのか?」と聞くと「今は太陽が照っていて暑いから高いぞ?」と言われた。

「18時くらいになるとここら辺で儀式が行われる。」

「毎日?」

「毎日だ。その時に乗るといいだろう。」

あれは何だろう。
別のガート200mぐらい先の方で煙が上がっている。

「マニカルニカーガートだ」

「マニカルニカガート?」

「火葬場だ。」

あれが火葬場か。

ヒンドゥーは皆最後はガンガーに還るという。
死んだら焼かれて灰になりガンガーにまかれる。

輪廻。

子供と出家遊行者は火葬ができないらしく石にくくりつけてガンガーに沈めるらしい。

「あそこには行かない方がいい。汚いから。行った外国人はみんな吐いている。あと死体を焼く蒔き代を取られる。行かない方がいい。」
という。

わたしはマニカルニカガートの火葬場には行かないが、これからホテルに荷物を置いたらパリシュチャンドラガートという火葬場に行く予定だ。

そこのほうがゆっくり見れるらしい。

わたしは正直ガンジス川を見てそこまで感動はしなかった。

ましてや「入りたい」とはちっとも思わない。

ガンジス川で沐浴をしたい。と確かに思っていたがそこまでわたしはインドにのめり込んでいなかった。
率直に言えば「ヒンドゥーに引いていた」のだと思う。

どうせまた入ったら入ったでお金を要求されるのだろう。
服や荷物を自分の身から離したくない。

「オーケー。」
一通り眺めてみて男に切り出した。まだ午前中だ。

違うガートから見たいしパリシュチャンドラガートにも行く。

また違う景色からみたら違うかもしれない。

「向こうのガートに他のガートを通りながら行けるか?」

「行けない。」

「オーケー。違うガートに行きたい。」

ガートの説明をもうちょっと分かりやすく言う為に
「体育館の壇上」を想像してもらいたい。

今わたしがいるのは壇上。

整列している生徒(ガンジス川)を見ている。

両サイドにちょっとした階段がある。
壇上から降りたらすぐガンジス川だ。

波が押し寄せたり今より水位が上がってもいいように
壇上の上にさらに壇上がある。

なので一番低い壇上の一歩先はガンジス川。

そしてわたしは一番高い壇上から低いここに来た。
写真の通りだ。

ここのすべての壇上の一画を「ガート」という。

なので僕は隣の壇上をつたって向こうの学校の壇上(パリシュチャンドラガート)まで行けないか?と質問した。

行けない。という。

ガート同士お互い「島意識」があって、
禁止されているのだろう。
なのでわたしはまた一回壇上の裏手に引っ込んで
出演者出口から外に出て
ぐるっとメインストリートに出て
また違う学校の壇上の裏からガートに入って
違う風景の「生徒達(ガンガー)」を見ないといけない。

「裏手」からメインストリートまでが複雑で暗いし臭いし、
どこかの遊園地の迷路みたいな作りをしている。

なのでこの男は最短のガンガーへの道を通らないで「自分の学校の体育館」に連れて来たわけだ。

違う学校の体育館に行かれたら自分の「島」じゃない為働けない。

同じガートにあるホテルからのマージンも貰えない。

なるほど。

「オーケー。ホテルに行こう。」

約束は約束だ。
そもそもわたしはここのホテルに泊まろうとしてたし、

「ハウマッチ?」

「250ルピーで一番いい最上階の部屋。」

「ガンガーは望める?」

「望める。」

「オーケー。行こう。」

なんでこのホテルに最初から決めていたかというとオーナーが「親日家」だからだ。
ガイドブックに書いてあった。

ただそれだけのこと。

一通り写真を撮り終えてまた狭い道を案内されついて行く。

どうやってホテルまで行くのかしっかり覚えていないといけない。

いざというときは逃げるからだ。

2分ぐらい歩くとそれはあった。

「ここだ。」

薄暗くていかにも危なそうなだだっ広いエントランス。

事件が起きるような予感のフロント。

電気はつけないのか。

男がオーナーに話をしている。
それを聞いたオーナーは「オーケーオーケー。」
何やら全て解ったみたいだ。
ついてこい。という。

ホテルにエレベーターなんて勿論なく、
階段で部屋を案内される。

3階の一番端っこの扉が開く。

「この部屋はどうだ?」

ペンキで塗っただけの何の模様も演出もないつまらない部屋だ。

「ハウマッチ?」

「250ルピーだ。」

「ん?250ルピー?」

「そうだ。」

「最上階か?」

「違う。」

なんで違うんだよ!

「ガンガーは見えるのか?」
「見える。ほら。」
窓を開けるとそこには柵があった。
確かに柵越しにガンジス川が見える。

「なんだこれは。」

「モンキーだ。」

「モンキー?」

「猿が入ってくるから柵があるんだ。」

窓を開くと柵が真ん前にあってオーナーはその柵の小窓を開ける。

「ほら。こうするともっとよく見えるだろ。」

いやいや、見えるけど!カメラにフレームインするし!

気分台無し!
これじゃぁ「牢屋からガンジス川見てる人」じゃん。

「ここにするか?」

するかボケ。

「ウェイトウェイト!」

こいつナメてる。
今気付いたのだが
オーナーは何故だか知らないが
「水」を口の中いっぱいに含みながらわたしに対応している。

ほっぺたがパンパンだ。

どこのホテルに水を含みながら客室を案内する奴がいるんだ。

まぁいい。

「次の部屋を見せろ。」
「こっちだ。」

階段を上っている最中に僕は「決める」という英語が分からなかったので持ってきたポケット辞典で調べてみた。

「デクレイト。」
「メイクアップマイマインド。」

オーケー。いってやろう。

もう一階高い4階に着く。
「ここだ。」

確かに柵はさっきより上階の為猿は登ってこないのかなかったが、、
「いくらだ?」
「350ルピーだ」
「クーラーは?」
「ない。」
「ない?」

この暑いのに?
「決めたか?」

決めるか!なにが決め手で「よしここにする!」と言うと思ったんだろう。
「アイキャンットディクレイド、キャナイシーアナザルーム」
さらにエアコン付きの部屋を見せろ。あと最上階の部屋を見せろ。と要求した。

「オーケー。ついてこい。」という。
それにしても気になる。
余りに量を入れすぎたのかわたしと話す時は顎を前にだして水がこぼれないようにしてる。

「インドのホテルでこのホテルマンなめてるな、どんなとき?」

「口の中に水をパンパンに含みながら部屋を案内する。」

5階に案内される。

「この部屋はどうだ?」

確かにクーラーもある。
テレビはない。

ハウマッチ?

「550ルピー」

その瞬間。
そのオーナーは冷蔵庫を開けた。
冷蔵庫を開けるとペットボトルを取りだした。

わたしは「あ、暑いから俺に一本くれるのかな」と思った。

するとオーナーは今含んでいる水を「ごっくん」すると
キャップを開け、水をまた口に含んで

「決まったか?」

なんでだよ!

「最上階か?」

「違う。」

なんでだよ!なんで最上階案内しないんだよ!

「決まったか?」

「もういいわ!」

わたしは今すぐここを出て違うホテルを見つけなければならない。

ガンジス川付近の街バラナシ
ガンジス川付近の街バラナシ

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「お前は何をそんなに怒ってるんだ?」

今朝バラナシ駅で乗り込んだタクシー運転手にわたしは質問された。

この言葉は後々まで飲んでも飲んでも喉元で引っ掛かっているトゲのように残ることになる。

「(そんなに殺気立って)お前は何しにインドに来たんだ?」と言われている気がしたからだ。

確かにわたしは何で怒ってるんだろう。

インドに来て以来ずーっと怒ってる。

「事件を楽しむ」予定でいたがいつしか事件に本気になっていた。

さっき店頭に腰を下ろしcokeを飲んでいる時に話掛けてきたこいつは
「こっちだ。こっち。」
とわたしの前を歩く。

「事件を楽しむ」ということ。

今からわたしはこいつについて行きどこまで騙されたら危なくてどこまでが大丈夫なのか?という境界線を調べに行く。

男は164位の真っ黒な青年。24位だろう。

さすがに一日中「キャッチ」をやっているとしんどいのかタオルを頭から巻いて顎下で結んでいる。

顎下が「ガンジス川に連れていってやる。こい。」と先導する。

また騙されるかもしれない。
ただ今回は
自分から事件に片足を突っ込みにゆく。

ただ一方で信じていた。

その理由は
前を行くこいつはかねてからわたしがバラナシに来たら「ここに泊まろう」と決めていたホテルの従業員だったからだ。

「エクスキューズミー。ホワッハプン?」

先程店頭でcokeを飲んでる僕に話掛けてきたこいつに「ガンジス川まであとどのくらいか」聞いた。

聞いただけ。
信じない。
参考にする程度だった。

連れていってやるよ。
と言う。

わたしは「自分でいける。」と突っぱねる。

いや連れていってやる。
と聞かない。

わたしはそもそもお前は誰だ!と聞く。
「フーアーユー」

男から名刺を渡された時、もし違う国に来ていたら「今日ここのホテルに泊まろうと思ってたんだよ!!丁度よかった!ホテルにいこう!」と握手していただろう。

ただここはインドだ。

興奮したらスキが生まれる。
わたしは内心びっくりしながらも「ふーん。」と冷静を演じていた。

バラナシは海外からの旅行者がよく来る観光地だ。

ガンジス川を見たいというのが主な理由だが
ホテルの数は大小合わせると300近くあるという。

決して大きくないこの町で自分が探していたホテルが「ホテル」の方から来た。

以上の2つの理由で今まさにこいつの背中を追っている。

「ガンジス川に行ったあと僕のホテルを見るだけ見たらいい。」と男は言った。

「見るだけなら」と了承した。

クラクションと人混み。
お前は慣れてるからいいけど。
それにしても歩く。

「まだ歩くのか?」

「こっちだ。」

「どのくらいだ?」

「ヰ♀▽●」

何言ってるかクラクションで分からない。
伝える気もないのだろう。

暑い。
一体今気温は何度だ。
何でインド人は汗をかかないんだ。

誰一人一滴もかいていない。

不意に路駐してるリクシャーインド人と目が合う。

わたしと目が合うインド人は眉毛を上下させるだけで「乗ってくか?」と誘う。

よく人の目を見てる。

合った瞬間上下させる。

こうやって男についていってる最中もリクシャーに声をかけられる。

ガンガーまでエスコートする男がヒンドゥー語で何やら言うとリクシャーは去って行く。「俺の客だ」とでも言っているかもしれない。これはこれで悪い虫がつかない。心なしかこいつの歩き方を後ろから見ていると「俺は日本人と一緒に歩いているんだぞ!インド人どけどけ!」と言っている気がする。
自慢気な気がする。

「危ない危ない。」
車が来ているのに男は道路を平気で横切って行く。

手で車を制して横切ってく。

しかしこいつはどんどん歩いていく。

なんでこいつは後ろにいるわたしの事を気にしないでどんどん歩いて行くのだろう?

「こいつのペースになってるな、」と思ったわたしは試しに「まく」事にした。

狭い路地に入っていくあいつのスキをついてわたしはわざと違う方向に歩く。

わざとはぐれる。

「今だ。」

あー、せいせいした。

ホテルは後で探せばいいし
大体ここまで来ればガンガーは目と鼻の先だ。

こういう風に案内させといて、
大体の所まで来たら「まく」のも今後使えるかもしれない。

「ヘイ!ヘイ!」

追ってきた。無視。

「ヘイヘイ!」

捕まった。

「ヘイ!」
なんだうるさい。

男は「なんでどっか行っちゃうんだ!ちゃんとついてこい!」と烈火のごとくだ。

腹立って言い返した。

「これは誰のツアーだ!
俺のツアーだ!
お前のツアーじゃない!
どんどん行くな!」

小道ばっかり行きやがって、メインストリート、もっと安全そうな所から行けるはずだ。

人が一人通れるか否かぐらいの、同世代の方に分かりやすくいうと
こいつは藤子不二夫?先生の作品に出てくる
「ラーメンこいけさん」がいるような場所、
人と人の部屋の間のような道ばかりすり抜けていく。これじゃぁわたしは道を知らない忍者ハットリくんじゃないか。

その道は普段から空気が通らない為生臭い匂いが立ち込めてる。

これは明らかに人の糞尿だろってのをギリギリで踏まないように進む。

このインド旅行で後にも先にもこのガンガー近くの狭い路地(ガート周辺の路地商)の匂いが一番ヤバい匂いだった。

こんな細い地元の奴しか知らないような道で

着いたその先が袋小路だったらどうするのだろう。

そして男達が待っていてわたしを囲み、身ぐるみ剥がし持ってかれたらアウトだ。

これはまずい。

こんだけ不穏な旅を続けているといつも最悪な結末が容易に想像できるような頭になる。

なので怒っていい。

「自分はこのような道を歩くのは怖い。もっと大通りを歩け。」
と要求する。

「ここからガンガーに行くしかない」

続けて奴は「僕のホテルが近いけど、荷物重いだろ?ホテルで荷物を置いてからガンガーを見に行ったらどうだ?」と提案してくる。

わたしは「デイスイズマイツアー。ユーアンダスタン?」

お前が決めるな。
まずガンジスに行きたいんだ。と言う。

日本語ではきつく聞こえるかもしれないが
話を反らしてくる奴は危ない。
こちらを気遣ってるフリして自分のペース誘い込む。
わたしは書き忘れたが
男の背中を追って歩きつつ、通りすがりのインド人に「ガンガーはこっちか?(男が行く方向で合ってるか?)」と聞きながらついていってた。

まずガンガー、ホテルは次!を
「オーケーオーケー」
と前を歩きながら背中で言う男に「本当にわかったんか!」と日本語が出る。

相変わらず狭くて蝿が舞う道を通るのが好きな奴だ。

男が「ここはテンプルだ。」と歩きながら指で示す。

橙色のサリー?を来た女性が大人数で歌っている。

女性達とすれ違っても僕と目があわない。

いや、目線が合っているのに合っていない。

一心に祈りを捧げて歌っている為見えていない。
こっちだ。と急かされる。「こっちだこっちだ」うるさい奴だ。またウンコが落ちてるし。「こっちだこっちだ」で来てみたらウンコ落ちてる。まるで俺がウンコを探してるでっかいハエみたいじゃないか。わたしは形のいいウンコを探しに日本から来たのか?

やがて暗い背の低いトンネルに入る。

かがんで歩く必要はないが頭スレスレだ。

トンネルで響く歌声。

何かの宗教なのだろう。

金物をチーンチーンと鳴らす音。

何かの宗教なのだろう。

トンネルを行き交う人の両サイドで座って喜捨(お金)を乞う老婆。

何かの宗教なのだろう。

わたしには分からない。

何かの宗教なのだろう。

日本にあるアジアン系の雑貨屋さんで嗅いだことのある匂い。

真っ暗のトンネルというよりマンホールを抜ける。

目の前に光が戻る。

当たり前のように男が伝える。

「みろ。ガンジス川だ。」

ガンジス川
ガンジス川

次へ

列車がバラナシ駅に着くとどっちに歩いたら出口なのか分からない。
人の波についていけば出口があるのだろう。

今日もまた暑い。

駅前にはリクシャーがずらっと並んでいる。

「ヘイ!ジャポン!」
「ホェアーユーゴーイング?」
「ヘイ!」
「≦●%#▽♀ヰ?」
「20ルピー!」

色んなアプローチで僕に「乗らないか?」と誘ってくる。

よくテレビでマスコミに揉みくちゃにされている「時の人」を目にするが極端に言うとそんな感じ。

日本人を見るやいなや寄ってくる。

もしこのような状況でバラナシ駅前でわたしがキョロキョロしていたらすぐに囲まれるだろう。

ここでガイドブック開くのはまずい。

列車の中で簡単な地図を自分なりに作ってみたが実際の道がわたしの想像していた道ではない。
そもそもインドは舗装されていない道路が多い。

砂埃が舞う。

道が「道ではない」ので分からない。

わたしはどっちの方向に歩けばいいのか全く分からないのに
バラナシには何十回も来てるかのような「確かな足取り」で歩きだした。

車が沢山流れる方。

巡礼に訪れたのであろうサリーの集団が目指す方。

活気がある通りの方。

多分そっちに向かえばガンガー(ガンジス)なのだろう。

勘だ。

そんな中でも徒歩だと何分ぐらい掛かるのかだけは一応把握しておかないといけない。

わたしは次に話掛けてきたリクシャーに聞いてみた。
「エクスキューズミー」
「ヤ」
「ハウファーイズイット〜?」
「ワンナワー」
「リアリー?」
「フォエアユーフロム」
「コリアン」
「コリアン?」
「ヤ、アイウォントゥゴーガンガー、ハウマッチ」
「50ルピー」
「50ルピー?」

50ルピーなら乗ってしまおうかな。と思い運転手に釘をさす。

「ノーエクストラチャージ?」
「ノー」
「オーケアイムトラストユー」

駐車場に連れていかれ車に乗り込む。
そいつはリクシャーではなくタクシーの運転手だった。
エンジンを掛けた瞬間そいつが言ってきた。

「ドュユハブァホテルトゥナイト?」
「ソーリー?」
「ドュユハブァホテルトゥナイト?」
「ナンオブヨービジネス、ゴーゴー」

「ホワイ」

わたしは話が反れてきたと思い車から降りた。

必ず話が反れてくる。
必ずホテルを紹介してくる。
乗ったら最後。ホテルに向かうつもりだ。
たとえ向かわなくても話が反れてくる奴は金額面でも変えてくる。
また変えれるように仕組む。
話掛けてきた奴に聞いたのが不味かった。
ニューデリー1日目の「人に道を聞く時」の教訓を忘れてた。
もう信じない。
歩く。

後ろで「ヘイヘイ!」聞こえるが無視。

歩く。

「ヘイジャポン!」
砂ぼこり。
ずっと鳴ってるクラクション。
緑色のマンゴー。
道路真ん中を闊歩する牛。

終始ウンコの臭い。
ブルベリーの山。

歩く。

汗が尋常じゃないくらい流れる。
話掛けて来る奴無視。

もの珍しそうに「外人」を見るしわくちゃの老人無視。
サンダルが靴擦れ起こして痛いけど無視。

朝9時無視。

歩く。

歩く。

瓦礫の山。

瓦礫で暮らす人。

通りすぎるサイクルリクシャー。

通りすがりに見てくる奴。
全員無視。

歩く。

ここの交差点はどっちに曲がればいいんだ?
どっちの方向も賑やかだ。

これは人に聞かないと。

オーケー。センキュー。
こっちだ。

歩く。

疲れた。
ジューススタンドだ。
良さそうなおっさんに清潔そうな店先だ。
cokeプリーズ。
25ルピー?
ヤ。

冷えてない。
coke冷えてない。
まいいか。

ちょっと取り敢えずここで休もう。

ここならゆっくりガイドブックを見ることができる。

今ここら辺のはずだ。

シャッターが下りている店先のちょっとした階段にわたしは腰を下ろしていた。

cokeを飲みながら暫く休み、ガイドブックで道を確認していた。

すると「エクスキューズミー?」と話掛けてきた奴がいた。

こいつは誰だ?

次へ

ラージガードからニューデリー駅まで歩いて1時間以上掛かる。

思えば今朝のビュッフェ以来物を口にしていない。

喉が乾いたらミネラルウォーター。
腹が減ったらペプシ。

ペプシは口に残るので本当に喉が渇いている時に飲むとまた水分が欲しくなる。

インドに来て以来わたしは「ペプシが大好きみたいな人」になっている。

歩いているうちにリクシャーが捕まればと思っていたが
東京でいう「皇居前」のような幅が大きくて往来が激しい道路に歩いている人はわたしだけ。

通り過ぎるリクシャーはお客を乗せている。

ニューデリーまで腹をくくって歩く事にした。

こうして見ると「ディスイズインド」の風景も様々だ。

列の先頭で信号待ちする馬。

インドの馬車
インドの馬車

インドに行けば必ず見ることになる「レモン水スタンド」
インドのジューススタンド
インドのジューススタンド

こんな感じ。
生水は危ない。

インドのレモン水
インドのレモン水

なぜかインド人みんな乗ってるHONDAのバイク。
インド人全員何故かこのタイプでこの車種だ。
インドのバイク
インドのバイク

やっぱりインドはたまにどこ歩いているか分からなくなる。
そんな時地球の歩き方に目を落とす。
汗が「地球の歩き方」に垂れる。
汗で濡れたページを捲って解ったらポシェットに雑に入れる。
ボロボロになってきた。

歩きながらも防犯にも気を付ける。
どうにかして旅行者に見えない工夫をしてみる。

ポシェットを後ろにしてみるが自分の見える範囲、
目の前にないと誰かに強引に盗られそうで怖い。

ポシェットをリュックに入れてしまおうか考えたが取り出しに不便だし
そもそも大事な物が一緒にまとまっているのはよくない。

クレジットカードと日本円がリュックの中に。
これは非常事態用。

トラベラーズチェックが100ドルリュックの分かりにくい所。

ポシェットにはパスポート、
高額紙幣のルピー、
トラベラーズチェック50ドル、
地球の〜、
列車のEチケット、
デジカメ、
携帯、

ポケットには少額紙幣のルピーと小銭。

このポケットに少額ルピーを入れるのには理由があって、
例えば20ルピーのミネラルウォーターを買うときに
ポケットから1000ルピー札が一瞬覗かせたら
多分インド人は色めきたって「あ、こいつ金持ってるな。騙してやろ。」と思うかもしれないし
「1000ルピー!?ちくしょー、日本人は金持ちだな、」と自分を哀れに思うかもしれない。

その証拠に小さなお店では1000ルピーで支払った際のお釣りを持ち合わせていない。

日本円でいうと
1万円のお釣りが50円玉でしか返せない。

50円玉もそんなに大量にないので「使わないでくれ」となる。

100ルピー(200円)のお札ですら、
それで支払いをしただけで店主は近くにいる子供に「おい、ちょっと隣に行って10ルピー札持ってこい」となる。

変な感情を抱かせない為にポケットには少額しか入れないで少額でやり取りをする。
ポシェットに入れないのはチャックを開けた時パスポート類が見えてしまうからだ。

パスポートのありかを知らせるのはちょっと怖い。

ちょっと話しはそれるが、
インドのお札はちょっとでも破れていたら価値をなくす。

日本のようにお札の3分の2以上残っていたら云々ではない。

これまでも
この破れているお札、
ババ抜きの「ババ」をどうにかお釣りに混ぜてきて何気ない顔をしている店主を見た。

ドルからルピーに変える際に銀行員が破れている「ババ」を混ぜてくるぐらいだ。
変えろ!というとバレたか。という顔をするか
「問題ない!」と押してくる、
「問題ないなら違う札に変えろ」とこっちも引かない。

こんな場面が多々ある。

ニューデリーの駅付近
ニューデリーの駅付近

ニューデリー駅に着き寝台列車に乗り込む前に
駅ホームの売店で「袋に入ったお菓子」を買った。

この「袋に入ったお菓子」なら安全だと思ったから買ったのだが、

こちらはこのお菓子3つが全部で何ルピーか分からない。
日本のように表示もされていないし
店の親父が人を見てその場で価格を決めているフシがある。

こちらは言われた額を払うしかない。

「60ルピーだ」
「本当か?」
「本当だ。」

わたしは100ルピー札で払う。

店主はその100ルピー札をじっくり太陽の光に透かしながら偽札じゃないか確認する。

いつもの光景だ。

そしてお釣りをこちらに渡す。

こちらはお釣りがちゃんとあるか数える。
破れているお札は無いが、
20ルピーしか渡されていない。
「お釣りをちゃんとよこせ!」と言うと渋々10ルピー札をよこす。

「あと10ルピーだ!よこせ!」と言うと

ワケわからない言葉で相手にしないといった感じだ。
もういいわ!ボケ!くれてやる!

やはりこちらが100ルピー札で払ったのが間違いだった。
丁度の金額を払うべきだった。

お菓子の値段を一個一個確認すべきだった。

あー腹立つ。

全部で60ルピーの商品を100ルピー札渡してお釣30しか返ってこなかった。
あー腹立つ。

「ここにちゃんと書いてあったんだ。」と
初めてお菓子の袋の隅っこに値段が書いてあるのに気付いた。

あれ?

15、15、10。

あいつ!
全部で60ルピーって言ってたけど!
そもそも合計40ルピーじゃねーか!

騙された!
しかもこのお菓子まずいし!

インドのスナック菓子
インドのスナック菓子

今気付いたがこの頃からわたしは金銭感覚がインド人に近づいていたのかもしれない。

何故なら20ルピー(約40円)で本気で怒っていたからだ。
今でこそ40円で!?だが、

それは値切ったり騙されないようにした
ちょっとした努力の20ルピーだからだと思う。

インドで働いて稼いだお金ならもっと怒れたし感覚は近づいただろう。

それは無理だとして、
「騙された」というのはたとえ幾らでも頭を沸点に到達させる。

その時は気づいていなかったが
多分インドと自分の距離が近づいた瞬間だったのだろう。

寝台列車の僕と同じバースにはたまたま日本人男性2人とインド人のガイドが乗り合わせていた。

インドでアジア人、
さらに日本人は珍しい。

日本語を久しぶりに聞いた。

その人は「日本人ですよね?HISのツアーで大阪から来たんですよ、一人ですか?どこ回ってたんですか?空港から送迎なしでニューデリーですか!?大丈夫だったんですか?リクシャーに乗ったんですか?値段交渉して?大丈夫だったんですか?航空券いくら位でしたか??ホテル代はどの位でした?」と

ガイドさんが困りそうな質問に及んで来た事を感じたわたしは申し訳ないが以後適当な返事をした。

わたしはピリピリしていたが向こうはリラックスした感じだった。

多分いい所を見て
いいご飯を食べているのだろう。

ガイドさんがいて安全を確保されているツアー。

わたしはガイドさんに色々聞きたかったが
わたしのガイドさんではないしその日本人はそこにお金を払っている。

一緒の場所にいて全く違う境遇。

彼らはお互いバックをケアしながら、
わたしは自分の荷物を枕にする事で防犯しながら
肌触りの悪いタオルケットを被ると
列車の中で夕方18時には就寝した。
日本との時差は?3時間半。

これから15時間掛けて列車はバラナシに向かう。

次へ

この頃からわたしは「アイアムコリアン」と言うようになった。

日本人はインドではなめられやすい。

お金を持っているし、騙しやすいし、意見がないからだろう。

インドではコリアンは気が強いというイメージなのだろうか。

先程話し掛けて来た客引きも「ホエアユーフロム?」と聞いてきた。
「フロムコリアン」と突き放した。

客引きは「ニーハオ!アイムインディアン!」と調子を合わせてきた。

それチャイニーズだし!知っとるわ!
思わず日本語が出てしまった。

インドに来てリクシャーには乗らないと決めていたがコンノートプレイスからラージガードまでの距離は乗らざるを得ない。

わたしは初めて自分の意思でリクシャーを停めた。

「アイウォントゥゴラージガード、ハウマッチ」
「70ルピー」

「70」といわれわたしは高いか安いか知らなかったが
高く吹っ掛けてるに決まっている。
「20にしろ」と言って強気に出た。
運転手は首を振って過ぎ去った。

わたしは「そんなに無理難題か?」と思いもう一台停めた。
「ハウマッチ?」と聞くと
「50!」という、
わたしはだめだ「20だ」という。
首を振って走り去った。

1台目と2台目が吹っ掛けてきた額が違う。
「ってことは1台目のヤローはかなり強気にきたってことだ。」

リクシャーは何台か停めてその距離の相場を知った方がいいと思った。

商品に料金が表示されていない国。
表示されていても「外国人料金だ!」と増してくる国。

僕の「20」という数字も向こうにしてみれば「いやいや!お客さん!」の額なのだろう。

僕は結局次に来たリクシャーで「50」で乗り込みラージガードに行ってもらった。

初めてのリクシャーだった。

インドのリキシャー
インドのリキシャー

風を感じて気持ちいい。
常に徒歩で移動していたので凄く涼しい。

クラクションをすぐに鳴らすし鳴らされる。
走っていてもガタガタ部品が取れそうだ。
「この距離は歩けないな」と思う。

インドに来てリクシャーに乗らないで色々回るのは無理な事が分かった。

そうなると付き合い方だ。

リクシャーでのよく聞くトラブルは最初に料金を決めておかないとあとでトラブルになるという事。
また間違えた所にわざと連れていかれ「あと30払ってくれないと行けない。」と無茶苦茶言われる事だ。

「こいつはどこに連れていくんだろう。」

やはりわたしの心が休む事はない。

わたしは逐一「ここはどこだ?次をどっちに曲がるんだ?あと何分掛かる?」

と時折マップと答え合わせをしながら相手を牽制をする。

「俺は知ってるぞ」とアピールする。

このリクシャーは確かに最短ルートを通っていた。

ラージガードに着いた。

「あ。本当に着いた。」
と感動したぐらいだ。

わたしは「ユーアーグッドドライバー、アイウィルペイサムチップ」というと

それまで黙っていた運転手はすごく照れ臭そうに笑って受け取った。

リクシャーに騙されるとよく聞く、
それは多分わたしの方も悪いのかも知れない。

ある程度場所までの道を頭に入れて確認しながら行くこと。
任せっきりにしないこと。
運転手の気分を乗せること。
おとなしそうだったり身なりが綺麗な運転手を選ぶこと。

多分これがインドでリクシャーを快適に乗りこなすコツだと思った。

わたしは無事ラージガードに着いた。
わたしはインドに行く前に映画「ガンジー」を観ていて、
「あ、ここがガンジーのお墓かぁ、」という思いに耽る。
思えばインドに来てこんなに綺麗に管理されている所は初めてだ。

ウンコが一つも落ちていない。
腐った臭いもしない場所。
客引きがいない。

クラクションの音が聞こえない。
初めてニューデリーでこんな綺麗な所を見て珍しいので写真を撮ってしまった。

ガンジー記念公園
ガンジー記念公園

ラージガードは入り口でパンフレットを配っているおっさんがいる。
「靴を脱げ。」という。

宗教上の理由か
「どうせお前らニューデリーでウンコ踏んできたんだろ?」か、

どっちかの理由だろう。

わたしはサンダルを預けてノーマネー?と聞く
「ノーマネーだ」という。
中に入る。
中に入るというというよりは先程歩いてきた続きで
公園が目の前にあるといった感じだ。

ゲートを通過すると四角く回れる順路になっていて

真ん中に黒い背の低い平たい大きな墓というか記念碑みたいのがある。

みんなそこで拝んでいる。
わたしはヒンドゥではないので拝まない代わりに写真も自粛したが、

それより何より地面が熱くて熱くて素足にはこたえる。
ぴったり足の裏で立っていられない。

僕は爪先立ちしながらマハートマー・ガンジーさんを想う。

だんだん爪先も熱くなってくる。

重心を変えてかかと立ちしてマハートマー・ガンジーさんを想う。

だんだんかかとも「あちっ」になる。

ならばと土踏まずでマハートマー・ガンジーさんを想う。

「あつっ。」となる。

今度はその間に冷やしといたおいた爪先でマハートマー、

もういい。

マハ・ガン。
やめだ!やめだ!

ただの「これができたら100万円」じゃないか。

非暴力が化けた暴力じゃないか。

照りつける太陽の光を吸っている石畳は本当に熱くて素足では無理だ。

拝んでいるインド人にしてみれば「プールサイドか!」と突っ込まれそうになりながら帰っていく東アジア人。
「あいつ何しに来たんだ?」だろう。

わたしは「靴を返して」と入り口で言うとおっさんは乱暴に靴を台の上に出され「引換券をよこせ」と言う。
「もらってない!」と言うと「100ルピーよこせ!」と言う。
わたしはその瞬間
「あ。こいつ、わざと渡さなかったな。」と確信し
無視してサンダルを履いて帰った。

本当に向こうが正当で必要なお金ら「お客さんちょっと!」と追ってくるはずだ。
だが走って追ってこない。
それが『答え』だ。

多分集団の外国人にはやらないのだろう。

一人で来ている日本人だからなめられた。

わたしはまたインド人にショックを受けた。

ちゃんと目的地で降ろすリクシャーもいればこういう奴もいる。

わたしはラージガードに隣接するガンジーが撃たれた場所「ガンジー博物館」に行くことにした。

ガンジー記念公園
ガンジー記念公園

ただ博物館に入ってみるがどこを探してもモニュメントはない。

後に聞くとニューデリーには
「ガンジー博物館」と「ガンジー記念博物館」があり
撃たれたモニュメントがあるのは「ガンジー記念博物館」だそうだ。
両者はとても離れている。

わたしは芥川龍之介が好きだが、
もし東京の同じ田端に
「芥川龍之介博物館」と「芥川龍之介記念博物館」があって
館長の僕が外国人に「こっちが博物館であなたが仰っているのは記念博物館です。博物館と記念博物館は違います。そして場所はかなり離れています。残念でした。」と説明したら
「紛らわしいんだよ!」と怒られそうだ。

「あー、喉乾いた、」と入った食堂でわたしは蝿のローリング族にブンブンおちょくられながらミネラルウォーターを飲みほすと「そろそろ時間か」と立ち上がる。

次へ

バラナシ行きのチケットはあっさり取れた。
バラナシ行きのチケット

当初の予定通り夕方から15時間掛けて寝台列車でバラナシへ行ける。

そして朝のガンジス川が望める。

日本でこのチケットを取るためにメールアドレスを変えて
クレジットカードを作ったり
インターネットカフェに通いつめたりもした

しかし取れず、
ホテルでぼったくられそうになり、
ようやく取れたチケットだ。

「よしコンノートプレイスにいこう。」

夕方までの空き時間をこのインドという国を知る時間にしようと思う。
「コンノートプレイス」という商業公園施設はイギリス領だったインドの面影を残している所だ。
コンノートプレイス広場

ニューデリーにあってメインバザールのような不潔で雑多な感じではないし
主に外国人旅行者がお土産を買ったりできる所だ。
なので例によって
騙そうとする輩が何人も声を掛けてくる。
そいつらに一瞥も与えず歩いていると見覚えのある看板に出会った。

「あっ。マクドナルドだ。」
インドにマクドナルドがある安心感。
マクドナルドがあるだけでどんなに心が安らぐか想像してみて欲しい。

世界共通はサービスの保証で、わたしは他の外国人がそうするように当たり前にいざなわれた。

インドのマクドナルドには入り口に「ドアマン」がいる。
それだけ庶民には高級な食べ物なのだろう。

銀座にある「なんとかガッパーナ?」とかでしか観たことない。

ここインドには「アデダス」にもドアマンがいる。

インド人にしてみれば「うわ、あいつアデダスに入ってったぞ!所得あるなぁ・・・。」だろう。

インドはヒンドゥー教が主な宗教な為牛肉を食べない。
またイスラム教も多い為豚肉も置いてない。

こうした事でマックでは「ベジタリアンバーガー」などが置いてあった。

菜食主義は厳格なヒンドゥー教徒で今ではヒンドゥー教でも肉を食べる人もいるらしい。
ただ厳格なヒンドゥーは他のイスラム、スィク、ジャイナ、キリスト、仏教などの人達と同席して食べる事もしないという。

わたしはベジタリアンバーガーは
不味そうだったので食べなかった。

そういえばエアーインディアの機内食も不味そうだったので食べなかった。

折角インド来たんだし、
ちょっと文化に触れてみては?
無理して食べてみては?と思うかもしれないが、
わたしはマックさえも信用できないショックをインドで既に受けていた。

そして「不味そう」というのはわたしが日本人を感じる瞬間でもある。

気付いたのは、
違う国に行くと自分は日本だという事を強く感じる事がある。
わたしの場合「不味そう」はわたしが日本人を感じる瞬間の一つだった。

わたしはコーラだけ飲んでいた。

コンノートプレイスのマクドナルド
コンノートプレイスのマクドナルド

隣のインド人カップルに
「映画館は何時からか」聞く。
思えば朝5時にホテルを出て8時にチケットを取って、まだ10時だ。

インドではカップルを見る機会がほとんどない。

多分伝統的な宗教を崇めている家庭で育った子供はおおっぴらにカップルでデートはしないのだろう。

ほとんど見ないカップルの中でも大体目にするカップルは18歳らへんの高校生でTシャツを着ている。

以降、
インド最終日まで街を歩いていてカップルを見るのはほとんどない。

年間300本も産み出されるインド映画を観に映画館へ。
ただ行って気付いたがインドの映画を観る気は起きない。
インドじゃない違う映画を観る。
260ルピー。

日本円で500円ぐらいだ。
インドの映画館はセキュリティチェックが厳しくて
入り口で持ち物検査をされ、係員のボディチェックに万歳の体勢から金属探知機でチェックをされる。
「映画観るだけなんだけどなぁ」と思いながら、係員にデジカメを預け札を受けとる。

「しかも爆発や銃撃戦の映画なら多少納得だけど俺が観るの『トイストーリー3』なんだけどなぁ。」

マフィア映画じゃないんだけどなぁ。

トイストーリー3は終始英語だったので何言ってるか分からない。

映画を観ていてある場面でインド人は全員笑っているのにわたしは全然笑っていない。
なぜならわたしには3Dのこいつらが何を言ってるか分からないからだ。

周りのインド人は笑っていない僕を見てさぞ「何か身内に不幸でもあったのかなぁ」と思っただろう。

わたしの身内はピンピンだ。

わたしはただ「この帽子のおっさんは何を言ってるんだろう」と思ってただけだけど。

インドの映画は途中休憩時間がある。

みんな当たり前のようにどこかにポップコーンやペプシを買いに行く。
慣れていないわたしはずっと席に座ってた。

周りのインド人にしてみれば「あの日本人マジかっ!そんなに後半が待ち遠しいかっ!」だったろう。

映画が終わったらすぐ外に出る。
ただインドの映画館は出口が決まっている。
スクリーンのある前の方の扉が開きみんなそこから並んで出る。
暫く細い通路を歩いて外に出たと思ったらゴミの山に出た。

ん?なんで?

映画館の裏手から出された。

NHK7時のニュースの環境資料映像みたいなゴミ山に出た。

なんでトイストーリー3を観終わったらゴミの山に案内されるのよ。

『ディスイズインド』めっ!

「あ。デジカメ。」

わたしは映画館の裏手に出てぐるっと廻って歩きます。

なんでなんだよ!
と腹立って映画館の入り口まで5分ぐらい歩いて
やっと着いてセキュリティチェックやってるインド人に札を渡したら
変なリュックを渡されました。
いや違うわ。カメラだよ。
カメラ渡されました。

人の預かったもの間違えるって!

じゃぁこの札何の意味があるんだよ!

あーインド腹立つ。

その後コンノートプレイスを歩いていると人だかりを見つけます。

何やらおっさんが座っています。
蝿が何十匹も舞う中
ビニールから乳製品を取り出して
変なアルミから豆を取り出して混ぜています。

コンノート広場で売る男
コンノート広場で売る男

わたしはその臭さと汚さで
「おぇ」っとなる。

周りのインド人5、6人もさすがのこれには
「このおっさん何作ってんだ?」と思っているのか眉間に皺を寄せている。

わたしは「あ、やっぱりインド人もこれには距離を置くんだ」と思ったら、

一人のインド人がお金を払っている。
おっさんが腐った物を渡します。

そしたら今まで見ていた周りの人が次々とお金を払う。

おっさんはみんなに腐った物を渡す。

そう。
「そんな汚い物作って!なにしてんだ!」と周りが軽蔑してしかめっ面になっていると思っていたそれは、

実は周りのインド人は
外の気温が余りにも暑くて眉間に皺が集まっていただけ。

そして買うために並んでいただけだった。

並んでたんかーい。

コンノートプレイスもういいわ!

わたしは寝台列車が出発する夕方迄の間

オールドデリーの遥か向こうラージガード(ガンジーが撃たれた場所)を目指すのでした。

次へ

「どこから来たのですか
?」

隣の中国人男性が朝食を食べながら話しかけてきた。

新聞を広げ、ビジネスマンのような装いで、インドに慣れた感じが見て取れた。

わたしは簡単な英語で答えると妙に同じアジア人(インドもアジアだけど)ということに共感を覚え、

圧倒的ストレスを感じている今までの苦悩を共感してもらいたかったし、

インドについてのいろいろな事を聞きたかったが急いでいるようなので止めといた。

彼はわたしのテーブルの上に並べられた食事の量とバックパッカー丸出しの姿を見て話しかけずにはいられなかったのだろう。

アラカシャン通りを3分ぐらい入っていったミルク販売店の隣「アジェンタホテル」のレストランは250ルピーでビュッフェだった。

2010062811220000

わたしが沢山ある料理の中からベジタリアンカリーを何杯もおかわりしていると
興味を持ったのかお店のオーナーがいろいろ話しかけてきてくれた。

「わたしの兄弟が四ッ谷いるよ」

「四谷に?」

「お店を出しているんだ。」

あつあつのナンのような物を運んできてくれる。

「このナンはエクストラチャージ?」

笑って首を振ってた。

「これは何だ?美味しい。」と聞くと

「アールブラータ」だという。

ナンの中にポテトが入っている。

今思い出しても「アールブラータ」がインド料理で一番美味しかった。

喉が乾いていたわたしは
マンゴージュースを何の抵抗もなく流し込んでる途中「しまった!これ生水使ってるかもな、腹下るかも。」と気付く。

ただそんな事いったら先程から飲んでいるベジタリアンカリーも水で作られているはずだ。

わたしの不安を打ち消してくれたのは向こう側で座っているヨーロッパのカップルの存在だった。

彼らはもう毎日、何時間もここにいるような雰囲気で場に馴染んでいた。

多分何かのガイドを見てここに来たのかそれともここのホテルに泊まっているだろう。

他にも先程の隣の中国人がむしゃむしゃ。

わたしはここは
「大丈夫なレストランだ。」と思った。

もしこれが今いる店内のお客さん全てインド人だったらわたしはマンゴージュースを吐き出さなくちゃいけない。

なぜなら地元人が来るようなお店はわたしと『同じ種類の胃』ではないからだ。

「大丈夫なレストラン」を見つけるとその街で何とか過ごしてゆける。

なんとか「生きて行ける」と思う。
お腹が空いたらまた戻ってくればいいからだ。

インドでエコノミーな旅をしていると信用できるレストランを見つけ出すのは難しい。

日本なら旨いお店か不味いかの違いだが、

インドでは『大丈夫なお店』か『ヤバイお店』かしかない。

しかも圧倒的にヤバイお店が多い。

それはある程度高いお金を出したら全て大丈夫なお店だろう。

わたしはエコノミーな旅での「大丈夫なレストラン」を見極めるポイントを3つ発見した。

ひとつは、

『店内に外国人のお客がいる事』、

店内に外国人がいるということは料理に対する価値観が先進国に認められたお店であることを示している。

なので対外的においしい・大丈夫という評価をもらっているお店ということになる。

2つめは『値段がしっかり書いてあるメニュー表がある事』だ

インドの物価はしばしば外国人価格と自国民価格を設定している。

同じ商品でもどっちが買い手かで値段が違うのだ。(これによって多くの旅行者が被害を受ける)

向こうにしてみれば貧乏人(インド)が旅行者(金持ち)からあらゆる手段を使ってふんだくってやろうという考えなのだろう。

なので、この国で物の値段を買い手にはっきり表示するという事は(日本では当たり前だが)「この物の値段は外国人でもインド人でも同じ値段ですよ」と潔く提示していることになり、

ある種の「信用」なのである。

そういったお店はお会計の際にぼられる心配もないし、言っていた値段とちがうじゃないか!という心配もないのだ。

これはその店がしっかりとした先進国の価値観を備えているお店ということになり「大丈夫なお店」ということだ。

最後は「ピカピカのタクシーが入り口前に停まっているお店はサービスがいい。」だ。

タクシーを使うのは外国人か、ネオインディア(急成長するインドの中でのし上がっていったインド人)しかいないからだ。

なので「この人達を満足させることができるお店」、「信用できるお店」という判断ができる。

多分この3つをクリアーしてる所は食中毒やぼったくりのケースは少ないと思う。

このような自衛の為の偏見をわたしはこの2日間で学んだ。

蓋が空いてないミネラルウォーターを蓄えにしてそれをポシェットにぶち込むとニューデリー駅に歩いた。

わたしはインドでなんとか生きてゆけそうだ。

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2010062809040002
「これは死ぬかもしれない。」

早朝5時ホテルを頃軽い気持ちでニューデリーを歩き始めた。
わたしは
「列車のチケットオフィスオープンまでに3時間あるし、コンノートプレイス(こちらでいうでっかい代々木公園をラゾーナ川崎のような商業施設が周りを囲んでいるような場所)まで行って帰ってきてメインバザーにある日本食でご飯食べて駅オフィスまでいこう」と安易に考えていた。

歩いていると声を掛けられる。

ニューデリーに着いて以来
全然関係ない所に下ろされる、
道を聞けば嘘を言われる、
ホテルの奴は金を巻き上げようとする、
寄って来る奴は騙そうとする、
信用できない国だ。

最大の防犯対策は自分の意志だけ。
寄って来た奴は「いけ!」「構うな!」「触るな!」
何言ってるか分からないヒンドゥー語で近づいて来る奴は
「なんでこちらを外人と分かりながら自国の言葉で寄ってくるんだ。」
というのもあり、
暑さと、苛立ちと、詐欺多さにこちらも日本語で返す場面も多々ある。

もちろん日本語は伝わらない。
ただ日本語で怒ると向こうの人は何言ってるか分からないためちょっと恐く感じるみたいだ。

これは効く。

あと声を掛けて来る奴の対策は、
目を合わせない、
もし合ったら
話を聞く意志がないことを伝える、
早歩きで歩く
しつこい奴は怒る

これは悪い虫が付かない、事件になる前段階の予防策。

ちょっとでも緩んだら終わり。

「そこまでしないでも」と思うかもしれないがそこまでしないとダメな国。

ツアーで行ってたり、ガイドさんがいたらまた違っただろう。
インドのいい所だけを回って
いい距離感で人と接する事ができるだろう。

ただ一人は狙われるし向こうはすぐ距離を縮めてくる。
ましてや「日本人」というのはいいカモとして定着している。
必ず「お前はどこから来た?」と聞かれる。

「日本人だ」というと話を進めてくる。

過去に日本人をぼったくった経験があるから聞いてくるのだ。

今後インドに来る日本人が被害に遭わないために、
「日本人は気が強くて恐い、一筋縄ではいかない」というイメージをこいつらに植え付けないといけない。

わたしはコンノートプレイスに行くのは止める事にしまた。
「コンノートプレイスはここからどのくらいある?」
「車で10分だ」
「車で10分?本当か?」
「本当だ」

とてもじゃないけど歩いて行ける距離じゃない。
また戻ってくるのも一苦労。

「メインバザーで日本食屋さんが空くまで待とう。」

ニューデリー駅正面にメインバザーという活気に溢れた通りがあるが
そこは道路も整備されていない所。
日本でいう「原宿竹下通り」だろう。

朝方のメインバザー
↓↓↓
2010062809040001

朝5時に行ったので店は閉まっていたが、
不潔極まりない所。
日本食の美味しいお店があるとガイドに書いてあったが
僕はオープン前のそこに行きましたがまぁ信用出来ない。

動物園の檻の中だろ!という匂いが辺りを支配していて
牛の糞、埃、蠅の量、

近くに露店商がありますがただ家の中が暑いから壁を打ち砕いて露わになっているだけだ。

生水もダメ、外も不衛生、
家の中のキッチンが綺麗な訳がない。

「これはやばいな、食べれないなぁ」

ただ昨日の機内食から何も食べていないわたしは
散歩がてら歩いたつもりが大きな目印がないインドで迷い、

朝方襲った砂嵐と暑さで体力を奪われ、
ジューススタンドも開いてない(インドでは自動販売機は防犯上からか1つも置いてない)

お店もやっていない、
やっていてるお店は生命の危機を店頭で感じる、
道路は臭い。
腹減った、喉カラカラ、
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この旅始まって初めて
「これは死ぬかもしれない。」と感じる。

そしてわたしはたまたま2、3人でたむろしていたインド人に
「この近くに水が売ってる所あるか?」と聞くと
「ここだ。」と言われる事になる。

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ニューデリー

歩いても歩いても予約していた「hotel LEGEND」に着かない。

日が暮れようとしている。

「地球の歩き方」を持ちながら歩いてると『カモ』にされる。

周りのインド人にしてみれば「あいつは旅行者だ!」「日本人だ!」「金を持っているはずだ!」と。

そう書いてあったがわたしは堂々と見ながら歩いた。
見ない余裕はない。

最初はインドのカルチャーショックを楽しんでいた
「うわ。黒く塗ってある所をまた塗ってる。」
「あんな所草むしってる。」

「なんだあのレモンのジュースの屋台。絶対危ないじゃん。」
ただ、
次々に目に飛び込んでくる物が私を不安にさせた。

日没で薄暗くなる辺り、
案内標識が一切ない交差点、
舗装されていない道路、
「Do you speak English?」が通じない。

何もないのに外でたっている人、
前髪を前で縛る人、
砂利道、
行き交う牛、
じめっとした暑さ、
不潔な人、
クラクション、
バイク、
人力車、
リクシャー(3輪車バイクタクシー。今後問題になるのでお見知り置きを。)
↓↓↓
インド1日目②

ハロージャポン!、
牛の糞、
山羊の糞、
人の糞、
アンモニア臭、
蠅、
ゴミの山、
瓦礫、
排気ガス、
砂ぼこり、
ポシェットをじろじろ見る奴
笑う奴、
全く目が合わない奴、
サリーの集団、

これら全てが一緒の画面として目に飛び込んでくる事を想像してみてほしい。

ニューデリー。
日本でいう「東京」がこんな感じ?

「これあと6日間どうしよう・・。」

サングラスを掛けると目の動きを読めなくて不安になるから客引きがあっさり諦めるらしいが
わたしのサングラスはしっかりフィットしないくて汗でずれ落ちてくる。
現地に行って気付いたが街頭もない所を道も知らない奴がサングラスを掛けたら視界を遮るような行為でますます迷う。
すぐにリュックに閉まった。

アラカシャン通りにあるhotel レジェンドに自力でたどり着くまでに数多くの人に道を尋ねたがかなりの確率で嘘をつかれる。

「アラカシャン通りはどこですか?」
「向こうだ。ここ真っ直ぐ行って左だ。」

だが真っ直ぐいっても
砂利道ともいえないほぼ砂の上の道に道路の案内板はなく、
「え?どこを曲がればいいの?」
別の奴に聞く。
「アラカシャン通りはどこ?」

「逆だ!逆!真っ直ぐいくとブリッジがあるから!そこを右だ!」

インドの人は道を訪ねられるとたとえ知らなくても「知らない」とは言わないらしい。と聞いたことがある。

わたしはここまでの失敗から道を聞くときの3つの自衛策を産み出した。

1つ目に、
まずインドでは聞く人を選ぶこと。
警察やターバンを巻いているような階級の高い人、
道を教えても全く利害が発生しない職業の人、
一回自分の目の前を声を掛けないで通りすぎていった人、

逆に
リクシャーやタクシー、話し掛けてくる奴や、ちょっとでも反応が遅れた奴は全くあてにしない方がいい。

お金が発生したり全く別の所に向かわされる。

2つ目は、
そいつが本当に信用なる奴か確認する。
確認方法は、
自分が知っている場所をあえて聞いて
方向と掛かる時間が正しかった場合、
次に本当に聞きたい場所を聞くということ、

3つ目は1人に聞いただけで判断しない。最低3人に聞いて判断するということ。
このように何重ものフィルターを通さないと信頼できる情報は得られず
自分の身は守れない事に気付いた。

このような予防策でわたしは4時間近く歩るき
ようやくアラカシャンロードにある看板のないhotel レジェンドに着いた。

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【アーグラの夜猿】あらすじ

ニューデリー

私は長いフライトの所為で腰を痛めたみたいだ。

どこをどうひねれば元の腰になるのか入国審査までひねりながら歩いていた。

日本人はいないみたい。あれは韓国人だろう。

そういえば機内で席が隣だった韓国人はどこにいったのだろう。

むんっとした空気の空港内に響き渡るアナウンスに耳を傾ける奴はいなく英語のプラカードを持った奴が市内まで送るお客を探している。

空港でドルをルピーにした方がいいとガイドブックに書いてあったからその通りにした。

もし空港で太陽のポーズをした方がいいとガイドブックに書いてあったら私はそうしてたかもしれない。

ガンディー国際空港に着き、市バスに乗ってとりあえずニューデリー迄行かなくてはならない。

バスターミナルが見当たらないのでカタコトの英語で尋ねると「あそこだ」と教えてくれる。

汚いバスに乗り込むとインド人が乗り込んできた。

彼等は一様に驚いた表情で私を見て、暫くすると飽きて、黙って出発を待っていた。

どうやらこのような「市バス」で市街地に向かう外国人は珍しいらしい。

皆タクシーで向かうらしい。

私は遅れて徴収しに来たインド人に(バングラディッシュ人かもしれないしパキスタン人かもしれない。)訳も分からず何ルピーか払いバスに乗る権利を得た。

1000ルピーだ!といわれたら1000ルピー払っていたのかもしれない。

この150ルピーが高いのか安いのか私には分からない。

バスはやがて動き出した。

驚いたのは車のクラクションだ。
日本ではクラクションは「危ない!」の意味で鳴らしすが、
インドでは「おい!来てるぞ!」の意味で鳴らす。

インドには車線がない。

だから走っている車の横を通り過ぎる時「おい来てるぞ!」と鳴らす。

皆が皆隙間を縫って走行するから皆が皆クラクションを鳴らす。

それも1回につき何回も鳴らす。「プーップーップップププ」これで1回分。
これを何回も、
車の横を通りすぎる度に鳴らす。

あなたが住んでいる近くにある一番大きい道路を想像してほしい。
他の車を通りすぎる度、対向車が来る時、全ての車が何回もクラクションを鳴らして行き交ってる所をだ。

つまりは秩序がないのだ。
危なくないのに鳴らす。

外から見える景色は私にとって新鮮で異常だった。

広い道路の路肩でレンガを積む小さい子供

どこからかリヤカーで石材を運ぶ少年

空港から歩いて市街地に向かう家族の集団。

タクシーはバスを抜かし、

リキシャー(3輪自動車)はその間をかいくぐり

荷台を取り付けた自転車は堂々と道の真ん中を走る。

信号がないこと、ガードレールがないこと、路肩がないこと、

横断歩道も中央線も見当たらなかった。

早くも混沌を目の当たりにした私を悩ませたのはこのローカルバスには次はどこのストップか、案内が全くないことだった。

日本のように電子案内板もなければ、路線地図もない。

驚くことにバスストップもない。

たまにバスのスピードが下がり、徐行速度になると

皆いっせいに降りる。入ってくる。

案内アナウンスもない。

今どこを走っているのかわからないのだ。

私は「ニューデリーに行きたい。次はニューデリー駅近くのバス停?」と近くのインディアンにたまらず聞くと、

彼は「ニューデリー?今の所がニューデリーだったんだぞ?降りろ!降りろ!」
と促す。

その騒ぎを聞いた運転手が気を利かせバスは急遽停まった。

私は「センキュー!」と感謝を表して「ぽんっ」と降りた。

「なんていい奴なんだろう、助かった、」
と。

ただ後々分かったのだが降りた場所は
『オールドデリー』で『ニューデリー』とは8キロ離れた場所に位置していた。

私はそうとは知らずクラクションが鳴り続ける道路を歩き始めた。

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【アーグラの夜猿】30手前の芸人が1人バックパックでインドへ行った話

『ご報告』

突然ですが
わたくしもりたけんじは
6月27日成田12:00の便で7月4日までの7日間インドに1人で行ってきます。

実は1ヶ月前から動いていてパスポートを取り航空券を取り本日ビザも取得しました。

もともとは「銀座のママ学」みたいな名前の本を立ち読みした事がきっかけでした。

その本の銀座のママがいうには『1人暮らしと1人で海外旅行をした事がある男は一目で分かる。』ということでした。

最近僕の中で流行っている考えがあります。
それは「これは何を僕に教えてくれているんだろう」という考えです。

この本と出逢った事は何を僕に教えてるんだろう。

なんでもそう思うとちょっとした「運命」を感じ、ちょっとした出逢いやアクシデントを大事にして変われそうです。

このようなきっかけや考えのもと僕は20代最後の年にもう一度地獄を見に行く事にしました。
地獄は人を成長させる事は過去に実感していますし

僕には合っているみたいです。

なのでいい噂を聞かない「人間の森」インドです。

僕の人生のターニングポイントは
27で先輩の運転手をしたことでした。
多分それは80歳になっても「あの時だったなぁ」と思えます。

そしてまた日に日に「成長したい」「昨日の自分よりちょっとでも成長したい」「大きい奴になりたい」という欲が出てきました。

少しの期間ではありますがいろんな価値観に触れて将来の芸の糧になるようなものを探して身につけてこようと思います。

成田に帰って来たとき何か変わってる自分に期待し、
10年後の将来に先行投資したいと思います。

ニューデリー(コンノートプレイス)→アーグラ(タージ・マハル)→バラナシ(ガンジス)をツアーを組まず一人で歩く旅です。

本日ビザ取得したこれを機会に明るい色の報告をさせていただきました。

因みにそのきっかけとなった本に
全てが決まったので報告しに行ったらもうどこにもありませんでした。。。

いろいろご批判はあるのは承知ですが僕は僕の価値判断で動きます。

死んだら笑ってください。

インド1日目①へ

ABロードで2.9万で航空券あるんよ。事務手数料なし。オープンジョー。訪問可能都市1都市。5月末までに購入すれば別支払いの燃料サーチャージ上がらず。

バングラディッシュのダッカから帰国してもいいし、ネパールのカトマンズからでもいいし、コルカタでも、インドネシアのテンバザールでもいいんだって!

上海乗り継ぎで5000円でストップオーバーもできるらしい!

インドはネタの宝庫だから行きたいんだけど、

中国行って中国語を会得したいし。

これ迷いどころ。

5/20までに結論出すわ。

5日目の今日は移動日。

朝9時45分にホテル前に来るタクシーに乗りバラナシ空港に向かう。
バラナシ空港から国内線で2時間掛けてニューデリーへ戻る。
ニューデリー発夕方の列車でアーグラへ。
夜アーグラに着いたらとりあえず『タージ・マハル』近くに行き今日寝るところを探す。
これが今日の旅程。

わたしはオーナーにタクシーが9時45分にホテルの前に来ることを確認すると「アイアムゴーイングトゥショッピング」と告げる。
オーナーは何故か「何を買うんだ?」と聞いてきた。わたしは「アイウォントゥバイサリー」とやっつける。
すると「サリーをいくらで買うつもりだ。」とオーナーの興味は尽きない。

わたしは「800だ。」と適当に答えるとオーナーは「オーケー。
わたしの友達にサリーを売っている奴がいる。
600ルピーのサリーがある。」と教えてくれる。

「そうか。」

これがインドの外国人旅行客に対する商売の仕方だ。
紹介してホテルがコミッションを店からもらう。

「見るだけ見るといい」
という何度も過去辛酸を舐めた言葉をオーナーは使った。

門戸は広くあけといてとりあえず来てもらう。
行ったら大抵の場合話が違う。
違う奴が出てきて紹介した奴の言っていた金額と違ったりする。

「見るだけ」という『いつでも帰れる』意味を含んでいる言葉をインド人はよく使う。
この「見るだけ」で相手は自分のホームに持っていき、
じっくり時間をかけ「落とす」。
出口を塞がれ、
強引な商売と場の空気を操作され、
高額な商品を買わされた日本人が過去どれくらいいただろう。

インド人は日本人がこの「見るだけ。」という黄門様の印籠で「行かない」の刀を一旦鞘に収める事を知っている。

ただわたしはオーナーと信頼関係を築いていてきた。
オーナーが騙そうとしているとは思えない。

わたしは念を押す。
「600以外のは買わないぞ?」
「わかった。」
「あと時間がない。5分だ。わたしは他のお店を回る。そのお店は見るだけだ。」

「わかった。」

あらかじめこちら側のルールを教えてあげて自分の方も「こうなったら帰る。」というルールを決めないと違反をした時素早くレッドカードが出ないでファールを流す結果になる。

なので具体的な数字で念を押す。

「ここから近いのか?」
「近い。」
「何分ぐらい?」
「5分だ。」
「わかった」

オーナーもわたしの意向を汲んでくれて「サリー屋を営んでいるという男」に伝えてくれる。

オーナーは男に「この日本人は見るだけだ。5分。600ルピーのサリーを買うと言っている。それ以上のサリーは買わない。オーケー?」としっかり伝えてくれた。

自称サリー屋は
「オーケー。付いてこい。」と僕を促す。

わたしは何かあってはいけない、
この場合は「軟禁状態」になったらまずいのでパスポートと必要以上のお金はホテルの部屋に置いてくる。
男は今気づいたが一昨日一緒にワールドカップを観た男だった。

わたしは男に「わたしには時間がない。サリーを600ルピーで買いたい。」と口頭で伝える。

インドではこれだけ伝えても足りないぐらいだ。

男とわたしはホテルを出て男が経営しているサリー屋に向かう。

サリー屋に連れて行かれる
サリー屋に連れて行かれる

それはメインストリート「バハダニロード」を横断しわざとか!と勘繰りたくなるような狭い路地を行く。
暫くして男は立ち止まり
「これがサリー工場だ」
とわたしに珍しいだろみたいな顔をする。
わたしは「時間がない。」と一蹴する。

今本来わたしが行きたいお店と真逆に歩いてる。

ここからだとよほど急がないと間に合わない。

道を覚えておかないといけない。

昨日のうちに買いたいサリーは決めておいたが一切の時間の「遊び」はない。

男はわかった。わかった。と笑いながら歩き出した。
もしまた頼んでいない工場見学をさせようとしたら
二度とチャイが飲めない体にしてやるぞ!

「ここだ。」
狭い路地の臭い所にそれはあった。
看板もない、表にサリーを出していない所からすると一般のインド人には売っていないのだろう。
つまりツーリスト価格のお店だ。
わたしは「ここはお店ではない。」と判断した。
多分お店に運ぶ前の問屋だろう。
入り口からだけではまさかサリーが置いてあるとは思えない。
「人の家」だった。

1人しか通れない玄関を男の背中を頼りに5、6歩行くと
先には8畳ぐらいの部屋にピンク色のカーペット。

まだ裁断前の色々なサリーが立て掛けてある。
大きな鏡が置いてありその場で試着できるようになっている。
そこにはメガネのおっさんがいて突然の来客に状況を男から聞くと
「ようこそ!ようこそ!まぁ座りなさい。」
と商売顔になった。

わたしは立ったまま自分の求める物を伝える。

メガネのおっさんは「オーケー。まぁまぁ座りなさい。」ととにかく座らせたがる。

わたしは長時間いるつもりは無いが結構歩かされたので座る。
周りを見ると入り口付近の壁に「ビザカード」と「マスターカード」の加盟店であるシールが貼ってある。
これが意味する所は
お客が「これは高い。私は今お金がない。」となった時店側が「カードでも支払える」とその場で即決させれるという事。
その前例がある事。

インドでカード加盟店のシールが貼ってあるお店は当然外国人向けのお店だ。

このサリー屋さんはインド人御用達ではない事がここからも分かる。

メガネのおっさんは「まずこれはどうだ。」綺麗なサリーを出す。

「その前に、わたしは600ルピーのしか買わないぞ?」
と直接メガネに念を押す。
メガネは「オーケーオーケー。」と同意する。

「これはどうだ?」
多分日本ではかなりの値段になるだろう。

ここからはわたしとメガネのおっさんの会話。
わたし「素晴らしい。」

「どうだ。」

わたし「白い色のが欲しい。」

「そうか。これなんかどうだ?」

「おーいいねー。」

「こっちはどうだ。」

「こっちもいいね。」

「これなんかどうだ?」

「いやわたしは白がいい。」

「オーケーわかった。」

「どうやって着るんだ?」
「着付けはこうだ。立ってくれ。こうやって、こうやって、こう。」

「うわすごいな!!カメラ撮っていい?」
「いいとも。」

サリーを着てみた
サリーを着てみた

初サリー。

「ちょっとわたしにも着付けを教えてくれ。」

「いいとも。まずこうやってここに持ってきてを縛る。」

「こうか?」

「そうだ。」

「でここを折る。ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ、シックス、セブン、エイト、ナイン、」

「ナイン。」

「そうだ」

「それでこの中に入れる。」

「こうか。」

「そうだ。」

「それで後ろに回して、こう」

「こう。」

「そうだ。」

「どうだ?」

「できた!」

「すごい!似合ってる!カメラ撮っていい?」
「もちろん。」

店員サリーを着る
店員サリーを着る

「で、これは何ルピーだ?」
わたしは当然600ルピーだと思い浮かれてる。
最初にそう言ってあるしね。

「1200ルピー。」

「なんでだよ!」

「1200ルピーだ。」

「だからなんでだよ!」

「これは1200ルピーなんだ。」

「いやいや。最初から600ルピーのしか買わないって言ったろ!」

「1200ルピーだ。600のサリーなんてない!」

「このインド人が『あるっ』て聞いたから来たんだ!お前もインド人だけど!」

「なぜ600ルピーしか払えないんだ?一生に一度だろ!」

「帰る帰る。」

完全にレッドカード。
それまでの和やかな雰囲気だったがわたしは一切気にせず靴を履く。

会うインド人会うインド人みんな『インド人』だ!

どいつもこいつも『インド人』!

一生1200ルピーで売ってろ!

ずーっと「1200ルピー」って叫んでろ。

あー腹立つ。
無駄な時間過ごした。
やっぱり紹介した奴と売る奴の話しは違ってくる。

入り口で「ヘイ!ヘイ!ウエイト!ウエイト!」と連れてきた男が他のインド人が見る中叫んでいる。

わたしは一度だけ振り返ると「バイバイ!」と『ディスイズインド』にさようならした。

後々ガイドブックを見て知ったが、
インドで「1000ルピー」を越える値札の付いていない商品はぼったくりと考えていいらしい。

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