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インドの警察

最初から読む→【アーグラの夜猿】1日目

6月27日〜7月4日出来事をお伝えしました。

長い文章なのに最後まで読んで頂いてありがとうございます。

たった1週間の出来事ですが、
みてお分かりのようにわたしにはあの国に半年いたような気さえします。

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「そろそろ時間だ。」

時間まで女の子とホテルのレストランで話していたがそろそろ時間だ。

「シール貼ってあげようか?」

仲良くなるため、コミュニケーションを取るきっかけとして女の子が持ち歩いてるシール。

ホテルの従業員にも選ばせては貼ってあげていた。

意外とみんな喜んでいる。
わたしはなるほどなぁとコミュニケーションのきっかけに感心していた。

「これとこれしかない。どっちにする?」

そこには日本と韓国の国旗のシールがある。

わたしは「こっち。」と、
韓国のそれを肩に貼ってもらった。

ウンチャオからもらった韓国のシール
ウンチャオからもらった韓国のシール

情けない話だが、
韓国の女の子との別れを惜しみ、込み上げる物があった。

部屋で荷づくりをしている時が一番ヤバかった。

「素敵」というと柄じゃないけど、
わたしはたくさんのそれに似たような類いの思い出をその子からもらった。

ホテルをチェックアウトする。

従業員一人一人握手をして別れを告げる。

前に停まってるリクシャーに僕一人乗り込みアーグラカント駅を目指す。

女の子は歩いて行くという。
ここでお別れ。
「シーユーアゲイン」
をわたしは初めて使用した。

そんな余韻関係なしにリクシャーは黙って行く。

今日もインド国中でクラクションが鳴っている。

人との『別れ』程辛い事はない。
わたしはその時「いつかまた会える」を希望にした。

じゃなければとっくに膝から落ちて、手をつき、
おいおいやっていただろう。

アーグラカント駅になんとか着いた。
アーグラカント駅
これから4時間近く掛けて列車に乗りニューデリーに帰る。

そしてニューデリーからガンジー国際空港に向かう。

ふとわたしは今どんな顔をしているんだろう?と思った。

うん。
たくましい顔になったのかただ汚くなったのかよく分からない。

日本に帰ったら髭を剃らなくてはいけない。

次へ

「彼らが『ボートに乗らない?』って聞いてるけどケンジはどうする?」

タージ・マハル内で写真を撮っていたら韓国の女の子に聞かれた。

タージ・マハルは朝早くから人々で賑わっていた。

金髪の熟年夫婦、
家族連れ、
みんな重そうなカメラを首からぶら下げている。
サリーを着た大家族は意外にもはしゃいでいる。
はしゃいでいる所からして初タージなのだろう。
僕は「インド人もやっぱり観に来るんだ。」とタージ・マハルの人気に圧倒されている。

アジア系も多い。
そんな中で先程
韓国の女の子が同じ韓国の男の子2人組に出会った。
お互い「あ、韓国人だ!」と思ったのだろう。
韓国語で何やら話した後で一緒に行動していた。

向こうの男の子達は日本人の僕の方を見て女の子に「誰なの?」と聞いているみたいだ。

そこら辺は女の子がどう言ったか分からない。
多分「同じホテルで出会った。」と適当に紹介したと思う。
男の子達は「あ、そうか。」とすぐに『この変なコンビ』の謎が解けると、
「よかったら一緒に回らない?」と誘ってきた。

インドで自国の人と出会えて安心したのだろう。

以後、
韓国人3人と日本人1人の4人でタージ・マハルを回る事になる。

昨晩レストランで女の子と食事をしている時も韓国人女性2人組と知り合う。
そして4人で食事をした。インドではよく韓国人と会う。
そういえば成田から乗ったエアインディアの隣の席も韓国人だった。
韓国ではインド旅行が流行っているのかもしれない。

歩いてると彼らは多分これを聞けば共通点として盛り上がるだろうという質問をしてきた。
「ドゥユノー『カシオペア』?」
「カシオペア?」
僕は夜空に浮かぶ星座だよね?と説明したが違うみたい。

「歌手」らしい。

「ソーリー、アイドンノー、」
女の子が何やら韓国語で男の子に言っていた。

なんとなく「日本人は知らないんじゃない?」と言っているようだ。

僕も負けじと「『嵐』は知ってる?」と聞いたら
「知らない。」という。

韓国では知られてないのかなぁ。
SMAPにしておけばよかった。

そしてある程度回った所で女の子が「彼らが『ボートに乗らない?』って聞いてるけどケンジはどうする?」と聞いてきた。

なんでもタージ・マハルを出て、
イーストゲートをぐるっと回って、
タージの後ろ側に行くとボートに乗れる所があると男の子は情報を掴んだらしかった。

昨日僕は1人でそこに行った。
タージ・マハルの後ろを流れているヤムール川に写真を取りに行った。

僕は「あそこの事だ。」と思う。

イメージは悪い。
あそこら辺は確かにボートがあったが一見路上生活者が多かった所だ。

僕は「もちろんオッケーだよ。」というと4人でイーストゲートに向かう。

僕はタージ・マハルを背にして出口に向かう途中、
何度も振り向いてタージ・マハルを観ては無意識に「凄いなぁ」と日本語でもらしていた。

自然と出てきてしまう。

韓国人3人が「?」になっていたので
僕は「ビューティフルだなぁ」とわざわざ分かるように意識的に感嘆した。

「だなぁ」が日本語だったからどうだろう。
でもビューティフルだけで通じるだろう。

通じなかったら知らない。
僕は何を気にしているんだろうと思う。

昨日行ったルートを今日もまた行く。

4人で歩いてると
12才ぐらいの子供が
「ボート?」と慣れた口調で聞いてきた。

韓国の男の子が
「ハウマッチ?」と聞く。
子供は「20ルピー、4人で80ルピーだ。」とそのボートが作られるずっと前から決まっていたみたいにさらっと言い放つ。

この子供との会話が後々また事件になる。

「オッケー。レッツゴー。」

僕は一番後ろからその様子を見ていて
「これは絶対だまされるな。」と思った。

『インド』はこれじゃ終わらない。

僕は歩きながら子供に聞いた。
「エクストラチャージないか?」
「ない。」
言い方を変えて、
「コミッションはないか?」
「ない。」
川をボートで向こう岸まで渡り、
さぁ帰ろうになった時、
向こう岸に帰るにはまたお金が必要だ!と言われたらたまったもんじゃない。

僕は更に
「ラウンドトリップか?」と聞いた。
「そうだ。」

昨日のリクシャーとの大モメの件もある。

韓国の人達にしてみれば「入念に聞く日本人だなぁ」と思っただろう。

こんぐらいしてもまだ足りないくらいだ。

奴らは事前に言ってないことを付け足してくる。

向こう岸に行ったら『チャイ』を飲むのは当たり前だ!」
こんなことを言われ、
チャイ代も払わされるかもしれない。

そんな事は知らず、
かるーくオッケーして韓国の3人は前をいく。

タージ・マハルの外壁を沿って歩く。
砂利道になっていて右手側は草がボーボー。

そんな中で裸で生活をするインド人を何人も見る。

300メートル近く歩くとまた簡単な柵があって
難なく入って行くと
目の前に広がるのはヤムナー川。
昨日の朝僕は来た。

すぐ右手に石で作られたベンチがある。

インド人のおっさんがそこに手を背もたれに拡げて、片足をベンチに乗っけて、座っている。

子供が座っているおやじに話をする。

おっさんは4人の外国人を見た。
「あ、外国人だ。」と思っただろう。

韓国人の男の子が
「1人20ルピーだよね?」と子供が言っていた事をおっさんに確認する。

おっさんは
「4人で80ルピー?ノーノーノー。」と突っぱねるとそこにいる4人の外国人を1人ずつ指差して

40、

40、

40、

40。

160ルピーだ。と「当然顔」する。

韓国の男の子がこの「衝撃的告白」をされると

「え?この子供は『20』って言ったぞ?」とやり合う。

「はいきましたぁ。」と僕は思う。

予想が当たったという嬉しい反面、

はらわた煮えくり返ってくるのを確認できた。

韓国の女の子は
「安くならない?」
と値段交渉をしはじめる。
別の韓国の男の子は
「おい言えよ!」と子供を急かす。

子供はバツが悪いのを顔で訴え
「20ルピーにならない?」とおっさんに頼んだ。

子供の表情からして
子供は正規の値段を知らなかったのだろう。

もう1人の男の子は
「じゃぁ間とって30ルピーでっ!ねっ?30ルピー!」とおちゃらけて値切ろうとする。

まんまと騙された。
甘かった。

子供の値段を信用しないでとりあえず場所まで案内させて、
子供が提示した値段を最初にこちらから言わないで『おっさん価格』を先に聞けばよかった。

「値段を負けて」とかいう話ではない。
嘘をつかれたのだ。
絶対20はそのままにさせる。
店頭で280円だった牛丼が入ったら倍の560円だったんだ。
「負けてよ〜」はおかしい。

僕はおっさんに
「俺は乗らない。だからみんな20にしろ。」と伝える。
おっさんは「駄目だ40ルピーだ!」と折れない。

「子供は20ルピーと言ってたんだ!僕らは子供と約束している!」

おっさんは「駄目だ40ルピーだ。」と折れない。

僕は完全にスイッチが入った。
「あれは誰の子供だ?」
「サウスゲートの子供だ、うちとは関係ない。」

「関係なくはない!お前は誰にいくらのコミッションを払うんだ?」

「子供だ!」
「じゃぁ関係ある!お前らに属している子供だろ!」

女の子は「もういいよ、」と僕をなだめる。

「いや、よくないんだ。こいつらにこれからも騙される旅行者がいるんだ。」
と伝える。

とりあえず一人で言い合ってもなので、
一旦韓国の3人が向こうのボートに乗るまで休戦する。

「乗る?」

「ごめんね。俺は乗らない。3人で行ってきてくれ。」

僕はおっさんの横に座る。
端から見たら仲がいい2人に見えるだろう。

かなり近い。

ここを下りていった向こうの方で3人がボートに乗り込んだのを確認した。

3人の他にここまで連れてきた子供とボートを漕ぐ子供が乗り計5人。
ボートが岸を離れていく。

僕はおっさん向き合い先程の続きをする。

「おいどういう事だ?」

「お前は日本人か?コリアンか?」
「コリアンだ。今関係ないだろ。」
「俺等は1泊ホテルに泊まるのにいくら掛かると思う?」
「知るか!関係ない!」

「45ルピーだ、でも外国人はいくらで泊まる?我々とお前らでは値段が違うんだ!」

「そういう事じゃない!約束を破ったのはお前だ、
いいか?私達は1人20ルピーと子供と約束をした、来たら40になった。あなたは『子供はうちとは関係ない』と言った。じゃぁあの今3人が乗ってるボートは誰のだ?」

「私のだ。」

「他に乗ってる奴はだれだ?いいか?船を漕いでいる奴と連れてきた子供だ。連れてきた子供が乗ってるということはあの子供はお前に属している事になる。
お前に責任がある。
なぜ全てのインディアンはこうなんだ?」

「外国人は幾らでホテルに泊まる?」

「450で泊まった。それがどうした?」

「我々は20で泊まる。」

「今それは関係ない。
それなら最初から40ルピーだと言わせればいいだろ?いいか?旅行者は皆このインドを想像して期待して観光にくるんだ。
何でお前らはウソをつく?」

「あそこの小屋は何の宗教だか知ってるか?」

「知るかっ!」

「そうだ!シヴァ(神)だ!
よくわかったな!」

僕は余りに興奮して「知るか!」を日本語で言ってしまった。

向こうは早口の「知るか!」が「シヴァ!」と聞こえたらしく

「正解だ!よくわかったな!」と言われた。
僕は思わずふいてしまった。

ねぇおっさん!
あんだけ怒っていた日本人が「シヴァ!」て言うわけないでしょ?

韓国人3人がボートから帰って来た。

僕は3人が安全に戻って来たのを機に切り替える。

もうその話をおっさんとするのを止める事にした。

僕は韓国の男の子に
「キャンユーテイクアグッドピクチャー?」
と聞くと「イェイ!アイキャン」と嬉しそうに答えてくれた。

じゃぁよかったじゃん。
と思った。

ボートに乗った人が満足してるならそれでいい。

今朝の8時半だ。

子供も入れて4人でまた来た道を帰る。

子供の腕に女の子がシールを貼ってあげている。

出会う人出会う人にシールを貼ってあげているらしかった。

子供は嬉しそうに笑っていた。
僕はそもそもお前だぞ!
と思っている。
「こいつ。今度来る旅行者にはボートは『40』って最初からちゃんと言えよな!」と言ってやりたかった。
そんな子供に女の子はもう一枚別のシールをあげていた。
子供は嬉しそうだった。

4人で歩いてると別の子供が前からやって来た。

進行を妨げる。

そのインドの子供は
「ヘイ!ポストカード20ルピーでどう?僕の店はあっちだよ!来なよ!」

同じ手法に僕はさすがにふいてしまった。

次へ

韓国の女の子とタージマハルに向かう。
朝6時だ。
今日はしっかり門が開いていた。

観れる時間は3時間しかない。

女の子は時間に余裕があるし今日チェックアウトしないでもいいのだが一緒に来てくれる。

ゆっくり観光すればいいのだがそれを踏まえてわざわざ予定を合わせてくれる。

『タージマハル』のチケット売り場でチケットを買う。
細長い手提げ袋にはペットボトルが一本入っている。
ゲートで厳重なボディチェックの後タージマハルを拝める時が来た。

タージマハルの庭園は本当にここが『インド』かと疑うぐらい綺麗でゴミ一つ落ちていない。

オールドデリーのあの汚さを見た後ここを見たら同じ国にいるとは思えないだろう。

向こうの方にタージマハルが見えるが、
ここの目の前の門?も十分画になる。

わたしは未だかつてこんな美しい建物を見たことがない。
わたしは視線を送る度、
「すごいなぁ。」と言葉が漏れる。
何度も、何度も漏れる。

マハトーマガンディは「この世に天国があるとしたらそれはここ『インド』だ。」という言葉を残した。

今タージマハルを目の前にする。
タージマハル
わたしもそう思う。

タージマハル

タージマハル

タージマハル

次へ

ホテルを出て、ゲートを出るとすぐリクシャーが話掛けてきた。
「どこまで行くんだ?」
無視。
ヘイジャポン!
無視。

ただ無視するにしてもアーグラフォートまでの相場だけは知っておいた方がいい。

乗るつもりはさらさらないが参考までに聞いてみた。
「アーグラフォートまで幾らだ?」

リクシャーは彫りが深くて目が鳥みたいにまん丸い。
体はインド人に多い痩せ型で顔もしわくちゃ。

英語は話せる奴だった。
「10ルピー。」

10ルピー?20円?安いな。

「そうだ10ルピーだ!でもこの場所に帰ってくるなら往復で20ルピーだ、」

「ノーエクストラチャージ?」

「ノーエクストラチャージだ!」

アーグラフォートを回ってどこかのお店に行っても20だ!

アイドンビリーブインディアン!インデイアンイズベリーライヤー

すまなかった、ルッキング。ルッキング。アイプロミスユー

本当か?

本当だ。

アイトラスチュー

オーケー乗りな、20ルピーだ。

(乗ろうとしたら違う運転手がいる)

ん?こいつは誰だ?

ドライバーだ、

俺はお前と約束してお前を信頼したんだ。なんでこいつと行くんだ?
俺も行く
当たり前だ!

(交渉していたそいつは助手席に、わたしは後ろ席に、誰だか分からない奴は運転手になる。3人でアーグラフォートまで行く)

信じてくれ20ルピーだけだ!分かった。
ルックルックルック!信じてくれ20ルピーだけだ!
分かったって!
アーグラフォートに行って、ショッピングして回って、帰ってきて20ルピーだ!

オーケーオーケー

お前がアーグラフォートに行った後ショッピングして・・・

分かった分かった、

他にどこか回りたいところはあるか?(地図を出されて)ここはいい所だぞ?
みんなここに行く、

ノーノーノー、アーグラフォートだけだ!

オーケーオーケー。分かった。信じてくれ。

アーグラフォートに行ってショッピングしても20ルピーだけだ、

ちょっと待ってくれ、さっきから『ショッピング』って何だ?私はショッピングはしない。

え!?ショッピングしない?
ちょっと停めてくれ!
(男は運転手にリクシャーを側道に寄せて停止するよう指示する)
ホワイドゥアイハフトゥーショッピング?
今日は金曜日だぞ?仕事がないんだ!

知るか!こっちの知ったことじゃない!なんで店に行かないといけないんだ!
金はないし買わないぞ?

リッスンリッスン!買わなくていい、見るだけだ、ただ見るだけでいい、

買わないのになんで見なくちゃいけないんだ!

リッスンリッスン!3つのお店に回って買わないで見るだけで私たちにはお金が入る、20ルピーだ、合わせて60ルピーだ、だから見るだけだ。

(成る程そういう事か・・・だからインドのリクシャーは違う場所で降ろすのか・・・)
そのお店はセーフティーか?そのお店に行ってもし私が危険に感じたらお前には何も払わないぞ?

オーケーオーケー、見るだけでいい、
見るだけだな、オーケー。

出してくれ。(男が運転手に指示を出し再びリクシャーを走らせる。アーグラフォートに着く。リクシャーの2人を待たせて見学しに行く)

(アーグラフォートはすごくよかった、
わたしはもうちょっと別の、「歩き」じゃいけないような遠いところに行きたくなった。
ただ違うオートリクシャーで回ろうかな?でもまた交渉したりするのが面倒だな、逃げようかな?でもここで逃げたら金払わないドロボーだな、よし、外に出ていなかったら帰ろう。1時間以上も炎天下で待っている訳ない。違うお客を引っ掛けて運んでるに違いない。)

しっかりいるじゃん。

ヘイジャポン!

オーケー、次は『イトマドフォード』まで行ってくれ、幾らだ?
80だ!
80?

いいかよく聞け、ここからイトマドフォードまで8キロある。本来はツーリスト料金で100ルピーだがインディアン料金で80にしてやる。なので180ルピーだ!

え?ちょっと待て、なんで180ルピーなんだ。

往復だ。80で行って80で帰ってくる。往復だ。

いや、それなら160だろ。
それに先程の20を足す。

あー、そうか。分かった。オーケー行ってくれ。あとそのお店はどんなお店だ?

サリーとタバコと宝石屋だ。

(なるほど。これはかなりヤバイな。確実に見るだけじゃ済まされない。何か手を打たないとダメだな。)あと、イトマドフォードまでどうやって行くつもりだ。地図を見せろ!

これが地図だ。

おいおい!近いじゃないか!タージマハルからアーグラフォートとアーグラフォートとイトマドフォートの距離は一緒じゃないか!

ルックルックルック、ここに鉄道があるだろ?ここはこうやってぐるっと回らないとイトマドフォードには行けないんだ!
(確かに地図上では鉄道があって線路がはしっている。)
分かった、行こう。

よし『お店』に行こう!

なんでだよ!

え?

え?じゃないよ!何でお店に行くんだよ!

アーグラフォートに行った後はお店だろ!

おいおい待て!俺の旅だ!お前の旅じゃない!お店はそれに行った後だ!

分かった。
(リクシャー動き出す。)

アーユーコリアン?

イエスアイアムコリアン。(ところでこの運転手は誰だ?)
フーイズヒム?

ヒーイスマイブラザー。

(『イトマドフォード』に着いた)

イトマドフォードの受付は半券をもぎった後、返してくれない。
わたしは後で「半券はどうした?なくしたなら金払え!」となるのが目に見えていたので「ハーフチケットプリーズ」と訴える。

ほらよ!と渡される。

センキュー。

半券はここのボックスに入れるんだぞ?

見ると黒い箱が置いてある。
ここか?と確認する。

するとおっさんは、
おいおい今じゃない!帰るときだ!

帰るとき必要なんじゃねーか!!

危うく騙されるところだった。

(イトマドフォードを満喫して)
さてどうしようかな。
ここでお店に行かない!って言って降ろされたらホテルまで帰れないな。
とりあえず店に行くとしてもパスポートとお金を奪われたら終わりだから隠すところないかな、今はサンダルだしな、困ったな、
よし!一旦ホテルまで戻ろう!
(リクシャーの所まで戻って男に言う。)
オーケー。お前のお店には行く。でも私はホテルでこのポシェットを部屋に置いてきたい。

オーケー。ノープロブレム。

ありがとう。行こう。

店とホテルとどっちに行くんだ?

ホテルだ!ホテルに帰れ!

(どうしようかな、ホテルに帰ったらそのままバックレようかな、でもそしたら俺が悪いなぁ、警察沙汰になったら嫌だしな、と考えてると)

見ろ!あれがタージマハルだ!
朝見たわ!ホテルからも見えるわ!

あれ?
今気づいたけど行きと帰り違う道で帰っていない?
うわー、こいつ鉄道があるから遠回りしなくちゃいけないって言ってたのに!
『陸橋』で越えられるじゃん!もう言っても無駄だからいいわ、

体の安全を確保したら今度お金だな、後はいかにお店に行かないかだ。

(ホテル近くウエストゲートに着いた。よし。)

私はちょっと疲れた。
これまでの交通費180ルピーは支払う、ちょっと待て、(ポケットには150ルピーしかなかった。)
あ、今150しかなくて30ショートしてる。とりあえず150ルピーもらっておけ!

いい!!後ででいい!

分かった。ところでお前らの『お店』はどこだ!

すぐそこだ!

すぐそこなら歩いていこう!
ノー!リクシャーだ!
(リクシャーで行ったら自分の意思で帰ってこれなくなる)
お店はここから1キロだ!

1キロなら歩きで行けるだろ!待ってろ!とりあえずホテルにこれを置いてくる!

(部屋に戻ってきた。どうしようかな、このままバックレれるな・・・ただそうしたら完全に俺が悪いな、金払ってないしな・・・・よし!話をつけにいこう!)
(男達は日陰で休んでいた。)

まずこれはさっきのペイメントだ!(180ルピー渡す。)そして俺は疲れた。もし『お店』に行かないならお前らにいくら払えばいいんだ?

200ルピーだ!100と100だ!
ちょっと待て!何でだ!

お前はお店に行くといった。

そうだ。確かに私は約束した。でも俺は疲れた。なぜ買い物をしなくて見るためだけに行かないといけない?
今日は金曜日で休日だ。私達は仕事がないんだ!

知るか!200ルピーの内訳はなんだ!

ガソリン代だ!

ガソリン代をなぜ払わないといけないんだ!歩きで行くって言ってるだろ!

歩きじゃだめなんだ!リクシャーで連れて行かなきゃ彼は私達に払ってくれないんだ!

なんでだ!

彼のお店は人が来ない。
だからツーリストを入れさせればお金は支払われないんだ!
さっき行ったイトマドフォードの方が距離的に遠かったのになんでガソリン代がそんなに高くなるんだ!

行こう!行けばお前が200を払うことはない!見るだけだ!

行かねーよ!

チャイ代だ!チャイ代を払え!

チャイ代?なんだそれ!

お店に行ったら彼ら達が私たちにチャイを出してくれる!そのお金だ!

なんでお前らのチャイ代も俺が払わないといけないんだ!

じゃぁお店に行かない分お前は私達に幾ら払うんだ!
100だ!

100?だめだ200だ!

いいや100だ!私は約束した、でもキャンセルした、その分だ!お前はキャンセルしたら200と言ってないし、俺はお店3つ分。20、20、20で60払えば行った事になると考えてた!それプラスキャンセル代40払うから100だ!

だめだ『俺ら』の分200だ!

ちょっと待て『俺ら』ってこいつは誰だ!

俺の弟だ!

なんで私は弟の分まで払わないといけないんだ!

弟の分払わないならお前は幾ら私に払うんだ!

何度も言ってるだろ!100だ!

じゃぁ150だ!

だめだ!そもそもお前は運転できないのか?

運転できる!

じゃぁなんで私はお前の弟まで連れて3人でいろいろ回らないといけなかったんだ!なぜお前の弟のチャイ代もガス代も払わないといけないんだ!100だ!

だめだ!150だ!

よし分かった!そこのウエストゲートに警察がいるから3者で話し合ってどっちが正しいか決めてもらおう!

(『ポリス』と聞いてビビったのか)
分かった!100にしよう!
(早っ。)
わたしは100ルピーを払うとホテルに帰った。

ベッドの上で仰向けになり考えてみる。

シーリングファンが回っている。

なんであいつらが勝手に決めた『3つのお店を回るコース』をキャンセルしただけで100ルピーを払わないといけなかったのか、

冷静に考えたら変だ。

ここではこういった『値札がない料金』は交渉次第で高くもなるし安くもなる。

向こうが途中から勝手に話に入れてきた『チャイ代』みたいにどうにか料金に加算させようとする。
そしたらツーリスト側も「聞いてない。」「それをお前は最初言ってない。」等、向こうのミスをつき、理屈や筋でいかに不当な料金を加算してるか解るまで話す。

お互いの「折り合い」を見つける。

わたしは結局計280ルピー払った。

一回のリクシャー乗車で100ルピーを越えるのはぼったくりだと知ったのはその後になってから。

なぜならインディアガンディー国際空港からニューデリーまでバスで40分以上掛かるが『50ルピー』だからだ。

ファンが回る中、
わたしは停電でエアコンが止まり、
部屋が暑くなるまで眠ってしまった。

次へ

女性はウンチャオという名前で1人でインドを回っている。
そして今後2ヶ月掛けて回るらしい。
昨晩アーグラに着きこのホテルにチェックインしたという。

『バックパッカー』

あんまりずっといてこの子の今日のスケジュールを崩してしまうのは悪い。

ウンチャオとは今夜夕食を一緒することを約束して一旦バイバイした。

日本人だったらこうも仲良くなっていなかったかもしれない。
多分わたしの場合照れて変に敬語でよそよそしくなって終わり。

韓国の女の子とはコミュニケーションは英語で、
わたしはそれを少ししか喋れないのでそれがかえってよかった。
お互い「こういう事いいたいの?」みたいに助け合うから優しいと感じる。

また必死で言葉を伝えようとしている姿は胸を打つ。

わたしの英語は会話をするには不安定でともすれば「ソーリー、アイドンノーワッアイセイ」を多用する。

分からない単語があれば「ジャストウェイト」と言って部屋に戻り和英辞典を取ってきてページをめくりながら会話した。

聞き取れない単語があれば「ソーリー?」で聞き返す。
そしてもう一回言ってもらう。
もう一回言ってもらっても分からない時は単語を紙に書いてもらう。

書いてもらえば大体解る。「オー!オー!アイシー!アイシー!」
単語一個伝わっただけでとても喜んだ。

それでも何を言っているか分からない事が頻繁にある。

そんな時はわたしが「ソーリー?」と聞き返す事で話の腰を折るような場合だったら解ったフリして流すようにする。

どっちも英語が母国語ではないので手を取り足を取り「せーの、いっちに!いっちに!」で会話する。

ウンチャオは22歳で幼稚園か、保育園か、小学生低学年か、ちょっと定かではないが「ティーチャー」をしているという。

「昨晩はモンキーがホテルに沢山うろついていたから寝れなかった。寝れた?」と聞いてきた。

また女の子は「昨日チェックインして明日バラナシに行く予定」だという。
わたしは「バラナシ!?」と思い、
調子こいてあーだこうだ情報を教えようとしたが止めといた。

多分ウンチャオはわたしなんかよりも旅慣れていて自分で決めていける。

危うく「バラナシに先に行っただけ」で調子こく所だった。
ウンチャオは
デリー→ウダイプル→ジャイプル→リシュケーシュ→ジョードプル→アーグラ。と回って来たという。

そして明日から
バラナシ→ネパールに向かい、2ヶ月後インドに再入国してブッダガヤ→コルカタで帰国する予定だという。

開いた口がふさがらない。

見た目は強そうな女の子ではない。
体は小さくて細い。

ウンチャオはウェイトレスが持ってきたベイクドエッグを何の躊躇もなく食べている。
「インドの食事でお腹壊さない?」と聞くと「壊さないよ?」という。

わたしはどこで食事しても怖いからとにかく食事は「ペプシ!ペプシ!ペプシ!」
とインドで食事をする大変さを語ったら笑ってる。

「インドに来て今まで騙されなかった?」
と聞くと「あー。」と反応し、
「分かる分かる」とうなずく。
わたしはやっと『インドあるある』を言おうとする。
そしたら
「騙されてない。」という。

ないんかーい。

「なぜならニューデリーにいた期間が短かったからだ」という。

なるほどー。

自分のベイクドエッグが運ばれて来た。

ウンチャオが食べていたので安心だと思い、頼んだ奴が来た。
わたしは一口口にいれ、
「大丈夫。食べれる。」と伝えると
「そりゃそうだ」みたいに笑ってる。

写真撮っていい?と聞かれる。
もちろんと答える。

デジカメはその人の旅路が垣間見れる。

今まで撮ってきたデジカメ写真を見せてもらう。
「これは何?」
「これは?」
「うわ!すごいな!」
自分の知らないインドの景色やインドを楽しんでいるような数々の写真にいちいち感嘆してた。

ウンチャオの写真にはインド人が沢山登場する。
そしてそれらは笑っている。
わたしの写真といえばカルチャーショックを受けた時に撮った写真や風景。

心の触れ合いを楽しみに旅をしているのが写真を見て分かる。

わたしはわたしの撮った写真を見せれなかった。
あまりにもインドとの距離があるような写真ばかりだったからだ。

写真を見ればなるほどインドに溶け込んでいる写真と日本の価値観を持ってインドに来てシャッターを押してる、つまり「距離がある写真」がある事が分かる。

ウンチャオの写真は「砂漠で座り、砂で足を埋もれさせ、親指だけ外に出す。
ふとそこに目を落とすとカニさんが爪の所を通った!」みたいな写真がある。

一方、
わたしの写真といえば「うわっ!道路に人のウンコが落ちてる!この国ヤバいな!」みたいな写真。

女の子の写真といえば、
たまたまゲストハウスで一緒だった韓国人の女の子と仲良くなって別れるときそのゲストハウスを運営するインド人と3人一緒にはいピース!みたいな写真。

一方わたしの写真は
「うわ!こんな大通りで、しかもこんな人が行き交う所で、
あのおっさんタッションしてる!インドヤバいな!」の写真。

ウンチャオのは
アラビアンナイトに出てくる女王様が寝るようなベットルームでインド人とパシャリ!

一方わたしのは、
「うわ!このインド人!道路で寝てる!あれ?
死んでるのかな?一応撮っておくか!パシャリ!

わたしはわたし自身どのような目線でインドと向き合っているのかよく分かった。

その「距離の取り方」がいいのか悪いのかは分からないし、
人それぞれの旅の楽しみ方なのだがわたしは女の子の写真を見た時とても心が温かくなるような旅をしてるなぁ。と、
自分にはできない旅を羨ましく思った。

デリーからアーグラまでわたしは電車で来たが、
女の子はボロボロのバスで何時間も掛けて来ていた。

写真にはバスで隣に居合わせたインド人と笑顔で写っている。

わたしにはできないからすごいなぁと思う。

ありがと、といいデジカメを返すと、
韓国語をちょっと教えてもらう。
「アナジョセヨ」と「ポポ」の発音を教えてもらう。「ゲップタ!」と「キヨプタ!」の違いを教わる。

お返しにジャパニーズ「こんにゃろー!」の使い方をと発音を教えてあげる。

どうしても「コニャロ!」になってしまう。

わたしは同じ異国の地で1人で旅している人と今までどれだけここの国について話したかったか知れない。

気付いたら3時間以上話しちゃったので何か予定があったりしたらまずいと思い、
ただこんなに会話したのにこれでサヨナラは悲しすぎる。
韓国ではこういう時どうするのだろう。
男らしさが試されているのだろうか。
わたしはかなりの勇気を持って「トゥナイ、アイウドゥライクトゥディナーウィズユー、オーケー?」と聞いた。
「オーケ。」とこたえてくれた。

結果オーケーもらったけど、
『今夜、私はあなたとディナーがしたい。』なんて、こんな事日本で言ったら笑われるぞ。

柄にもない。

『今夜、私はあなたとディナーがしたい。』って。

指輪渡す人しか使っちゃいけないセリフだぞ。

恥ずかしかったー。

まだ昼間だ。
これから部屋に戻って
用意して
『アーグラフォート』というタージ・マハルを作った王子シャジャハーンが自分の実の子供に幽閉された名所に行こうと思う。

そしてリクシャーとこの旅一番のモメ事が起こる。

次へ

朝5時40分。

タージ・マハルを早く見たい。

デジカメは昨夜充電した。
ガイドブックをポーチに入れて少しのルピーをポケットにしまう。

部屋に鍵を掛けて1階フロントまで階段で降りて行く。
階段の勾配が急だからか、焦る気持ちからか、
前のめりで降りて行く。

ホテルの出口は動物園の檻の様にドシャーン!と閉められている。

え?出られないってこと?

フロントの扉も鍵が掛かっている。

エクスキューズミー!
ドンドンドン。

叫んでも、戸を叩いても手応えがない。

朝の太陽はホテルにうるさいぐらい日差しを浴びせる。

シーンと静まりかえっていて「もぬけの殻」

誰もいない?

フロントマンは帰った?ってこと?

わたしは「朝タージ」を諦めるしかないようだ。

部屋に帰るしかない。

折角着替えた服を乱暴に脱いでまたベッドに沈む。

何時になったらフロントは開くのだろう?

とりあえず9時ぐらい迄寝てもう一回行ってみるか。

それから夢を見たかもしれないし見なかったかもしれない。

携帯のアラームは暴力的に9時に起こしてくれる。

わたしはもし扉が開いていた時そのまま行けるように着替えて、用意して、鍵掛けて、白い階段を降りる。

空いている。

フロントも開いている。

相変わらずのインド人もいる。

開いている玄関の門を
「結局いつ開いたんだ?」としげしげと見つめる。

門はこのホテルが建った時からずっと開いていたぞ!どこみてたんだ?みたいな顔してる。

「こいつが今朝開かなかったんだよな、」と今一度確かめる。

この事実を僕はどう落とし込んでいいか分からず『ミステリー』にしてやろうかなと思う。

フロントには「そんなにいた?」と思うぐらいインド人が沢山いる。

みんな私服だから誰が「仕事中」だか分からない。

またそれが笑顔でじゃれあっているから
誰が遊びに来ている友達か分からない。

みんなフロントマンかもしれないし、
みんな近所の子供達かもしれない。

もういいや。聞きたい気持ちを抑える。とりあえず門は開いている。

「自由に外出できる」という宿泊者として当然の権利を我は今3時間越しに享受する。

16世紀のフランス市民みたいになった

わたしは朝9時過ぎにホテルを出る。

次へ

わたしは1人ホテルのレストランで瓶のペプシを飲んでいた。

『飲んでいた』というのはちょっと間違えかもしれない。
昨日から何も食べていない。
インドの食に対する衛生面を信じられないわたしはペプシを『食べて』いた。

わたしにとってペプシは『朝食』になっていた。

喉が渇いたらミネラルウォーター。
お腹が減ったらペプシ。

不思議とこれまでの6日間あんだけ飲料水を飲んだのに小便は1回も出なかった。
多分全て汗になっているんだと思う。

時計は9時40分をさしている。

先程タージ・マハルを見てきた。

中には入れなかったけど。
外から。
頭だけ見えた。

朝、
わたしはやっと開いたホテルの門を右に行く。

バラナシで泊まったホテルのオーナーは休みでもタージ・マハルの庭には入れる。

そこから写真が撮れる。と教えてくれた。

わたしはそれを頼りに足を運ばせる。

昨晩から泊まっているホテル『スイッダールタ』
を右に行くと後は100mも無いところに入り口はある。

簡易的なゲートが設けられていて通常ならここから入るらしかった。
外壁が10m以上もあってその中がどうなっているかも分からない。
右に丸い円柱の形をした扉がある。

あれが入り口だろう。

インド軍がパイプ椅子に座って警備にあたっている。

おうど色で、綺麗な制服を着て、談笑している。

彼らは日本人を認めると
「何しに来たんだ?
休館日なのに間違えてきちゃったパターンか?」みたいな顔を一律する。

何かヒンドゥー語で目線だけをこちらに据えて話してる。

「はい。そのパターンです。」

わたしは知ってるなら話しは早いと
「エクスキューズミー、キャナイカムイン?」
中に入っていいか聞いてみる。

インド軍は黙って首を振る。
4人いる中の英語ができる人が
「トゥモローモーニング。」
明日の朝6時に入れるという。

わたしは庭までなら入れるんじゃないの?と聞く。

「ノー」

入れないんかーい!

するとそのうちの1人が「今日は中には入れないけどイーストゲートの河のほとりに行ったら外からのタージ・マハルが観れるよ。」と身振り手振りで教えてくれた。

わたしは「そこでみんな写真撮ってるよ」というのを聞くと「センキュー」といい向かってみる事にした。

タージ・マハル横の草むらは瓦礫の山。
誰も片付けられないで何百年と放置されている。

瓦礫一枚はかなり大きくて1畳分ぐらいの大きい瓦礫が折れていたり、そのままだったりして積まれていた。
多分この城壁に使った石だろう。

頭の中でよくニュースで特集されている「片付けられない人」を思い出す。

ここら辺の草は鬱蒼と茂っていて誰も刈る気はないのだろう。

昨日は暗かった街並みをわたしは悠々通ってイーストゲート迄来た。

昨日リクシャーに降ろされた所だ。

イーストゲートの方が賑やかで右手の方にはジューススタンドやカフェなんかも立ち並んでいる。

人の往来も多いし
相変わらずリクシャーが話しかけてくる。

イーストゲートにも同じく軍がいる。
先程のウェストゲートのような楽々な感じではない。

タージ・マハルの外壁に沿っていくと辺りは別の集落が望める。

そこではちょっとした公園になっているのか
裸で住んでいる人が多い。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!ジュースいらない?うちあそこだからさ!」

わたしはわかったわかった。覚えておく。帰りに寄る。

と適当な事いってあしらった。

「帰り寄ってね!」
と言われた。

左手には城壁。
その壁は高くてウェストゲートと同じく中は見えない。

草むらの道を真っ直ぐ行くと河にぶつかる。

ヤムナー河。
ちょっと今居る位置から低い所にあって川としては向こう岸まで30mぐらい。

川辺にはボートがある。

そこの川辺まで草むらが支配していてある決められた道を行く感じだ。

ここから見える景色は広くて向こう岸は何もない。
また草が広がるだけ。

川上も川下もどこで始まりどこで終わりか分からない。
長いのだろう。

わたしの右斜め後ろに簡易的な家というより小学校にあった大きなウサギ小屋みたいのが3つぐらい並んでいる。
インド人が座ってる。

住んでいるのだろう。

左手の方には外国人観光客が10人ぐらいいる。

インド人も多い。

インド人の集団が何かヒンドゥー語で話し掛けてきた。
10人ぐらいに囲まれた。

「アイドンノー」
とお断りを入れると集団に笑われた。

何がおもろいんだよ。
お前らだよ。

他の外国人は大きな一眼レフカメラを相棒にしている。
休館日で入れない恨みからか、
川辺の方、
手入れされていない草むらを掻き分けて、
ベストショットが撮れる位置を探していた。

外国人がカメラを向ける。
腰を下ろす。

カメラに「カシャカシャ」いわせる。

そのカメラの向く方向に目線を送ると「それ」はあった。

タージ・マハルだ!
うわーすげー!

外壁で上半身しか見えなかったが確かにすごかった。

ヤヌール川から見たタージマハル
ヤヌール川から見たタージマハル

すげー!すげー!

今日は休館日だが、
明日タージ・マハルは朝6時から入れる。

「明日必ず行こう!」

それからわたしはホテルに帰る。
来るとき「帰りに寄る」と約束した子供が遠距離から「お兄ちゃん!」と呼んでいた。

ホテルに着くと荷物を部屋に置いてホテル内のレストランに行く。

そしてわたしは昨日から何も食べていない事を思いだしペプシを『食べて』いた。

時計は9時40分をさしている。
「今日これからどこに行こう?」

すると、
向こうの入り口からアジア系の女の子が通った。

女性というよりは「女の子」といった感じだ。

女の子はこちらに気付くとまるで知り合いに会ったようなテンションと笑顔で

「アーユージャパニーズ?」と聞いてきた。

わたしは「イエス」と答える。
「リアリー?」となぜか嬉しそうだ。

わたしはまさか!と思い聞いた。
「アユージャパニーズ?」
もし日本人なら英語はやめようよ、
と思った。

女の子は
「ノー。アイムコリアン。」とこたえた。

次へ

アーグラカント駅に着く頃には辺りは真っ暗で時刻は20時過ぎを指していた。

アーグラカント
アーグラカント

暗い中駅からタージ・マハル近くまで行き、ホテルを探さなくてはいけない。

電車は「予定通り」遅れた。

インドでは電車に乗るまでも大変。

駅構内を歩いていると小さい子供に金をせびられる。
一人は長い髪の毛を三つ編みにして頭を上下、縦横に振る。
一人は側転を歩きながら繰り返す。

こちらが歩く横で平行してやった後「お金ちょうだい」と銀色の受け皿を差し出す。
さすがにこういう人には強く言えない。
こちらが無言で首を振ると「見たでしょ?」と引かない。
こちらに言わせれば勝手に視界に入ってきて勝手にやってたのに。

地元のインド人もこれには無視をして手でしっし!とやる。

こういう場面は電車が途中駅に停まった時にも出くわす。

ニューデリーからバラナシに向かう途中の駅でわたしは電車の入り口から外の風景を眺めていた。

するとホームから小さい子供が小さい赤ちゃんを抱いて「この子にあげるミルク代がないの。お金ちょうだい。」
とジェスチャーだけで訴えてくる。

口に何回も手を当て
広げた手をこちらに差し出す。

これを繰り返す。

ジェスチャーでも十分に分かる。

わたしはなぜこの子にお金をあげれないか自分でも分からない。
ちょっとでもあげればいいのだろうけどそれができない。
理由は分からないが「あげちゃいけない」と思う。

わたしもあなたも十分に運命を呪うしかない。

車内の自分の席に戻ると
子供も外から車内の僕の視線に入る場所に移動する。
とにかくしつこい。

向こうにしてみれば「しつこい」だけでお金が貰えるならどこまででもついて来るのだろう。

コンノートプレイスの映画館近くにいた子供はさらにしつこかった。

蝿が舞う黒いヘドロの中に何か食べれる物を探し
口に入れる。
わたしが見るとゆっくりとついてくる。
身に着けている服は原形をとどめていなく、体は真っ黒。

黒が日焼けや生まれつきの黒ではなく灰のススのような黒。
喋る事もジェスチャーもできない。
とにかく静かに追ってくる。

インドを歩いていると色々な「そういう人」にも違いがある事に気付く。
宗教上そうなっている人。

輪廻という考え方から現世でそうなっている人。
戦争や紛争がそうさせてそうなっている人。
病気でそうなっている人。
ただ単にそうなっている人。
そういう人達の中にも差がある事に気付く。

アーグラカント駅まで電車の中は変な感じだった。

インドでは電車に乗る際に予め自分のシートが指定されている。

なので切符を通す必要がなく電車が出発してからスーツを着たお偉いさんが予約者名簿一覧の紙をボードに挟んで一人ずつ巡回チェックしていく。

そこでEチケットを確認する。
外国人はパスポートも見せなければならない。

わたしのバースの前の席は3人掛け。
一人は女性で左端に座っているがあとの2つのシートに何故か別のインド人が立ち代わり座る。

そしてわたしを見ては「なんだい?ここは僕の席だよ?」といった顔をする。

暫くして巡回が来る気配を感じるといなくなる。

巡回がどこか行くとまたどこからか戻ってきて「なんだい?俺の席だよ?」と我が物顔。

わたしは「こいつチケットを持っていないでただ乗りをしてるな。」と勘繰る。

男が立ち代わりして巡回から逃れている。

それが前のシートだけで女性が許してるならそれでいいがわたしの隣まで及んできた。

写真はその時の物。

深夜の列車
深夜の列車

警戒しないといけないのでゆっくり休めない。

この少年は周りの様子を伺っては行ったり戻ったりしている。

わたしは全くいらないストレスを抱える。
意を決して言おう!と思い、「すみません。もしあなたがこのシートのチケットを持っていなかったらあなたはここからでていかなければならない」と指摘すると「何言ってるんだこの外国人」という顔をする。

前の女性も「気にしないでいいわよ」
みたいな事を少年にいう。
インドはインドの味方だ。
ひょっとしたらこの「自分の席以外はみんなの席」という考え方、適当な感じはインドでは常識なのかもしれない。

インドでは自分で買った新聞をちょっと座席に置いていると勝手に読み始めるらしい。
「今読んでいないなら読んでいいだろ。」という感覚。
つまりこの場合も「空いてるならどこに座ってもいいだろ。」なのかもしれない。
ただこれは日本でいうグリーン席で一般席ではない。
こんな事を説明しても無理だろう。

「グリーン車だって空いてるなら座ってもいいだろ。」となるだろう。

アーグラカントまで僕はこの「変な感じ」を我慢しなければならなかった。

「次はアーグラカント?」
「イエス。」

4時間以上列車は進みアーグラカント駅に着く。

わたしはひょっとしたら列車からタージ・マハルが見れるかなと思い窓の外を眺める。
自分の顔がうっすら見える先は絵の具というよりペンキで塗った様な黒だった。

窓の外は終始灯りがなく日本の真っ暗より真っ暗。
真っ暗より真っ暗なので全くどこを走ってるかも分からない。

わたしはこの旅の最終目的地アーグラに着く。

そしてアーグラでタージ・マハルを拝める。

実は最近までわたしはタージマハルの存在を全く知らなかった。
わたしがインドに行くと知った知り合いが当然の様に「じゃぁタージ・マハル行くの?」と聞いてきて初めてその存在を知る。

その時写真で見て以来これは絶対外せない箇所になった。

世界一美しい墓。
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが王妃が亡くなった時に22年の歳月を掛けて建てた墓。

もしわたしが王妃で愛する王様が自分が亡くなった時にこのような墓を作ってくれて「君の墓を造ったよ。これだよ。」と見せられたらどれだけの愛情を感じるだろうと思う。

びっくりして生き返っちゃうかもしれない。

「なぜ私が生きている時このようなサプライズしてくれなかったの!」と怒るかもしれない。

アーグラカントに列車はそのホーム
アーグラカントに列車はそのホーム

アーグラカント駅に降りると駅前にはタクシーやリクシャーに乗せようとする輩が外国人を見るや寄ってくる。
わたしは料金交渉が面倒臭いのでプリペイドタクシーを使う。
ただ真っ暗でどこに行けば手続き出来るのか分からない。
迷っていると「どうしたんだ?」「タクシーか?」「いくらだ?」と余計なインドに捕まる。

わたしは警察官を見つけるとプリペイドタクシーの手続き場所を尋ねる。

警察官は長い銃を持っているおおど色の制服を着ていて痩せているから分かりやすい。

何か聞きたい事がある時警察官に聞くと信用度の高い情報が得られる。

警察官は「ついてこい」と言う。
警察官と僕と複数のインド人がついてきて
インド人は「俺にこの日本人を送らせてくれ!」「仕事をくれ!」みたいな事を警察官に訴える。
警察官は「お前らうるさい!ちょっと待て!」と制する。

負けじと野次が飛ぶなか「どこに行きたいんだ?」と僕の目指す場所を聞いてくる。
「タージ・マハルのウエストゲート。」

世界遺産タージ・マハル近くに評判のいいホテルが結構ある事を情報で掴んでいる。

とりあえずそこら辺に行けばホテルがある。

わたしがそう告げると
警察官自ら用紙に書き込み手続きをした。

「タクシー?」
「ノータクシー。」
「ハウキャナイゲットディスプレイス?」
「リクシャー。」

タクシーはこの時間もうやっていないという。
悪夢のリクシャーに乗らなければ着けない。

プリペイドリクシャー。

夕方コンノートプレイス近郊でリクシャーを拾い旅行会社に連れて行かれた事がまだ消えない過去になっている。

あとにも先にもあの出来事が一番腹が立った。

警察官の横で「俺に仕事をくれ!」とうるさい奴に警察官が使命した。

どういう基準でその運転手にしたかは分からないがこいつに決まった。

わたしはその運転手に着いて行くと
ラージガードの時やったように
乗る前に
「あなたを信じる。」
「あなたを信用している。」
とまずやる気を起こさせ、
「もし違う場所に連れて行ったらこのシートは渡さない。」
「もし安全にタージ・マハルのウエストゲートに着いたらチップをあげる。」
と伝えた。
運転手は「オーケーオーケー。」と分かった風だ。

「どのくらい時間掛かる?」と聞くと「20分ぐらい。」だと言う。

暗くて見えないが後部座席から撮った運転手。

世界遺産タージ・マハルがある駅、アーグラカントに列車はそのホームをうめた。

タージマハルまでのリキシャー
タージマハルまでのリキシャー

駅前の大通りを右に曲がると戦車でも通るのかと思うような太い道路に出た。

街灯が等間隔で道路を照らしさっきまでの真っ暗闇が嘘のような明るさになる。
「これは歩きでは無理だ。」
「こいつはわたしをどこに連れて行くのだろう。」

こうしてわたしはもう一度『インド』を信じる事にした。

次へ

ガンジー空港からニューデリーに出るにはバスかタクシーかリクシャーに乗らなければならない。

初日インドに着いてすぐそうしたように僕はニューデリー行きのバスに乗ろうとした。

国内線のバス乗り場は国際線のそれとは違い空港から少し離れた場所にある。

そして30分に1本の運行。ただ待てども一向に来る気配がない。
炎天下の中で待っているにはこたえる。

わたしが道路で待っているとリクシャーがやって来ては「いくらだ?」と聞いてくる。
要は「お前はいくらでニューデリーまで行きたいんだ?」略して「いくらだ?」だ。
わたしはトラブルは避けたいのでできるだけ流しのリクシャーは使わない。

地元のインド人はわたしが拒否したリクシャーと交渉して話がついたのか乗り込んでゆく。

わたしは30分待っても来ないバスを諦めてプリペイドタクシーを利用する事にした。
プリペイドタクシーはその名の通り料金先払いの定額制のタクシーで料金は公共機関に払う。

宝くじナンバーズを売ってるような箱詰めの中の人に行き先を行ってお金を払う。
2枚綴りのレシートが貰えて書かれた番号のタクシーを探す。
運転手にそれを見せて確認してもらい乗る。
目的地についたら綴りの1枚を渡してお互いちゃんと「送りましたよ。」「着きましたよ。」の証明になる。

もし目的地に着かなかったら綴りを渡さなければ良い。

多分運転手は公共機関にそれを渡しお給料を得るのだろう。

インドではよくタクシーやリクシャーに違う場所に連れて行かれたり、着いてから料金でもめたりするのでこのような「プリペイド」があるのだろう。

地元のインド人は流しのタクシーを利用する人が多いが、外国人はプリペイドタクシーを使うのが大半でそのチケット購入に長い列が作られていた。

180ルピーを払って、タクシーの運転手を探し、
コンノートプレイスの『ゴール・マーケット』に行くようにを伝える。

初日インド人でごった返す空港からの市バスが50ルピーだった事を考えるとかなり高い値段だ。

ニューデリー発アーグラカント行きの列車に乗る前の2時間でマンゴーティーを買うことにする。

世界の歩き方
世界の歩き方

ゴールマーケットというのはそこら辺周辺の地帯の事でお店の名前は「プレミア」。

タクシーの運転手は15才ぐらいの少年だった。

リキシャー
リキシャー

空港から市内のタクシーに乗ると階級社会を垣間見ることができる。

バスはタクシーや乗用車にクラクションを鳴らし、
タクシーや乗用車はリクシャーにクラクションを鳴らし、リクシャーはバイクやサイクルリクシャーに鳴らす。

道路を歩いている奴には全員でクラクションを鳴らす。

このタクシーの運転手もそうだが鳴らす事や鳴らされる事に何の感情もない。

日本ならそんなに鳴らしたら前でハザードたかれて降りてくるぞ!なのに。
鳴らされた方も鳴らした方も怒っていない。

黒いタクシーは「ここが『ゴールマーケット』だ」と車を一旦停めて言い張る。
マーケットと言うからにはお店群があるはずだがフロントガラス越しに見えるそれらは廃墟と化してる店とも言えないものだった。

「ここが?」
「そうだ。」
「わかった。」

わたしが降りると運転手は降りた場所にたまたまいたインド人を乗せてまた走り出した。

ここはコンノートプレイスからも郊外で車がどんどん行き交う場所でインドでは珍しく『信号』がある場所だ。

今のところインドで『信号』があったのはラージガード付近に1つと『ゴールマーケット』の2つだけだ。
わたしは歩き始め
ボロボロのお店で何かをしているインド人にガイドブックを指差し「ここに行きたい」と伝えた。

すると向こう側の道路沿いだという。

わたしは車が行き交う大通りをインディアンスタイル(車がビュンビュン行きかう道路を平気で横切る)で渡って歩き始める。

暫く歩いても一向にそれらしい風景が与えられないのでわたしは真面目そうなインド人に道を聞いてみるが分からないといった表情をされる。

すると「どうしたんだ?」とリクシャーの運転手が降りてきて「地図を見せろ」という。

ここら辺に詳しい奴なんだろうと見せると
「分からない。ただ地図がある所を知っている。まず地図をもらいに行こう。」という。
わたしは「この地図じゃ分かりづらいのだろう」と思い乗る前に「いくらだ?」と値段を求める。
「100ルピー。」この短い距離で100は破格だがしょうがないと思い乗る。

汚いボロボロのリクシャーが走る。

「その周辺に地図が置いてある所がある。連れていってやる。」
「お前はそこで待っていてくれるのか?」
「待ってる。」
「分かった。」

暫くして先ほどタクシーで降ろされた場所付近、
ちょっと奥ばった砂利道に入ってゆくとリクシャーは停まる。
「ここだ」と指摘され100を渡すとリクシャーは去っていった。
「あれ?待っていてくれるんじゃないの?」と思ったが「まぁいいや」と思い
狭い入り口をカランコロンカランを鳴らしながら入ると涼しい。
部屋周りを見ると個別に話を聞くような仕切りが何列かにされていて『塾の個別部屋』のような印象を受けた。

地図だけもらいたい旨を男に伝えると、
「奥まで行け!座れ!座れ!」と何かこちらがやったかのような語気で指示する。
奥まで来たが「座れ!早く!」とさらに怒られる。
言い方に頭にきた僕は何も言わず帰ろうと出口に向かって歩いた。

屈強な男が「どうしたんだ?」と聞いてくる。
「お前の言い方が気にくわない」と伝えても「イイカタ?」と反応するだけで通じないのか「いいから座れ、何があった?」と聞いてくる。
怒って帰る外国人に「どうしましたか?」とここだけ日本語だった。

腹立ってそれ以上は無視をする。
外に出るまで無視をして
砂利道を大通りを目指し歩き始めると後ろから物が飛んできた。
見ると男が笑いながらかなりバカにしたような言葉を浴びせていた。

何を言っていたか分からないが多分屈辱的な言葉だったはずだ。

これにわたしは腹が立ち何度暴言を吐いたか知れない。
ここには書けないような暴言を浴びせる事でしか解消されなかった。

こうしてまたインドが嫌いになった。

あのリクシャーは鼻っからここが旅行会社だと知っていて
外国人が迷いやすいここら辺でそれをピックアップして「とりあえず地図を手に入れよう!」という誘い水で乗せるとここで降ろし旅行会社からいくらか貰うのだろう。

旅行会社は来た外国人に対し高額なツアーを組ませる。
わたしはその対応や怪しい個室部屋からすぐに出たが、

この流れるような早い展開から騙される旅行者は多いと思った。

多分座ったら最後、入り口を塞がれ、全く関係ない話をされるのだろう。

わたしはバラナシで平和ボケになってた。
ここはニューデリーで観光客相手にいかに金を盗るか考えている猛者がいる街。
「日本人か?」と聞いてきたらもう怪しい。
「Sit down」と座ることを勧めてくるのはただじゃ帰らせない証拠。
人に道をたずねている時、間に入ってくる奴にはついていってはダメ。

わたしはこれらを教訓にまた土産物屋さんを探す。

暫くして僕が人が良さそうなインド人に道を聞いているとまた輩が間に入ってきて「連れて行ってやる。」という。

さっきのこともありもううんざりで無視をする。

最初道を聞いた人は「知ってるならこの人についていきなさい。」みたいになっているがわたしが許さない。

無視して「あなたに聞いています。」という。

するとクソ男は「俺が案内する!」とうるさい。
たまりかねて
「お前には聞いていない!どっか行け!」と強く当たる。
男は「何でだ、俺はその店の者だ!」と分からない様子。
わたしは「いいから消えろ!」とクソ男を相手にしない。
初めに道を聞かれたインド人は「どうしたんだこの二人は、」みたいになっている。

そいつは本当に店の従業員かもしれない。
ただ人と人が話している時に間に入ってきて「知っている」はインドでは完全に騙す輩だ。

またさっきの二の舞だ。

わたしは隣にあった名前も分からないファーストフードに入り店の従業員に道をたずねる。
すると男も入ってきて「俺がその店の従業員だ」とファーストフードの従業員にいう。

もうしっちゃかめっちゃか。

ファーストフードの従業員にしてみれば
「ここの店に行きたいんだけどどこにある?」という日本人と「俺がそこの店の従業員だ。」という奴が2人同時に入ってきてケンカしている。

なんのこっちゃわからないだろう。

「俺は店員さんに聞いているんだ、消えろ!」
と伝えても去ろうとしない。
こんな奴が紅茶を売っている訳がない。
状況が分かったファーストフードの店員はその男から名刺をもらうと退店してもらっていた。

わたしにその名刺を見せてくれる。

偽者の名刺
偽者の名刺

この名刺。
名前の所が◯◯になっている。
店の名前を本家と似せて、重要な箇所は伏せてある偽物。
セブンイレブンに行きたい人にこの『セブ◯◯レブン』という名刺を見せて「俺はここの従業員だ」と信じさせる。
それだけで作った名刺。
こういう手の込んだ事をする奴が本当に多い。

よく見ると行きたかったお店の名前「プレミアム」が小さい住所のようなところに書かれている。

男はそこを指差してお店の名前がここに書いてあると伝えた。

わたしは店員に「これは偽物だ。」と伝える。

インドでは日本で売られているガイドブックに出てくる店の名前は既に知られていて
それの名前に似せた店が乱立し、偽名刺まで作られている。

これはバラナシで見たサリー屋さんの写真。

日本語で書かれている
日本語で書かれている

暖簾にはガイドブックの名前が書いてあり「203ページに載っています。」と書かれている。

日本語で書かれている所がもう既に日本人向けのお店、高額な品物が置いてあるという証。

わたしは多くの日本人がガイドブックを頼りに来ている事をインドが既に知っている現実を
ただの広告や宣伝といった生ぬるいものではなく、
『ぼったくりのアイデア』になっている事を実感した。
この写真を見た時、
「ぼったくりに遭わない事は不可能だ」と思った。

その証拠に昨日まで泊まっていたバラナシの「サンモーニ」もよくよくガイドブックを見たら『一泊50ルピー』とうたっている。
100円。
だか言われた金額は550ルピー。1100円。

インドでは「言っていた事と違う!」と思う事が何度もある。

現地でたまたま会った少年に「うちのホテルは100ルピーだ」と言われてついていくと別の奴が200ルピーだ。と跳ね返す。

この「ガイドブック掲載金額」と「行った先で言われた金額」が違う事がまさにこのガイドブックは現地の少年と同じ事をしている事にはならないだろうか。

つまりこの旅のわたしはガイドブックを信用し過ぎたんだと思う。

ファーストフードの店員さんが改めて地図を書いて丁寧に教えてくれる。

書いてもらった地図
書いてもらった地図

ここら辺は地図の通り丸い大きなロータリーのような場所に位置する為、今どこにいてどの道がどこに位置しているのか分かりづらい。

必然的に道案内に化けたインド人が寄ってくる。

わたしは貰った地図頼りに修羅場のファーストフードでコーラを飲んだ後出ると
また歩き始めた。

すると「ヘイヘイ!困っている事はない?」と言ったような男が話掛けてきた。
続けて「持ってるよ?ほら!」と見せられたのは

お馴染みのガイドブック
「地球の歩き方」だった。

まさかインド人が日本で売られているガイドブックを持っているとは思わなかった。
わたしは手の込んだやり方に「そこまでするか!」と静かに驚くと無視してぐんぐん歩いた。

紅茶1つ買うのにこんなに疲れるとは思わなかった。
もうインドでお土産を買うことはないだろう。

コンノートプレイス郊外からニューデリー駅迄、
わたしは暑い日差しの中「タクシーに直接ニューデリー駅まで行ってもらえばよかった、」と後悔しながら歩く。

次へ

タクシーは予定通りバラナシ空港に着いた。

わたしはこの『予定通り』を信じていなかったが運転手は「ほら、着いたろ?」と自慢げな顔をしてみせた。

わたしはスムーズに運ばせてくれたお礼にチップをあげようとしたが次にこのタクシーに乗る日本人がチップをねだられる可能性がある為止めといた。

当たり前だが空港にはインド人ばかりで日本人がいない。
ヨーロッパ辺りの外国人グループは2組いた。

いつも思うのだが知らない場所にポンと下ろされてもどこに行っていいか分からない。

必ず場所を尋ねる事になる。

チェックイン手続きをどこでやればいいのか。

軍みたいな奴にチケットを見てもらう。

インドの国内線
インドの国内線

「あっちだ」

バラナシ空港は周りが何もない所に低い屋根の仮設住宅みたいな、簡易的な建物が並ぶ空港で中に入ると暗い。
「多分ここだろう。」と思われるチェックインカウンターとおぼしき所で並ぶ。

金髪の外国人のグループの後ろにとりあえず並んで様子を見る。

何の列か分からないで並んでる奴程間抜けなものはない。

前の人がそうしていたようにパスポートとEチケットを渡す。

わたしはヒンドゥー語で何か言われてる。

分からない。

係員は諦めたのか「どっかいけ!」とばかりに追い払う。

わたしは必ず荷物は機内に持っていく。
以前誰かから聞いた、
エアインディアで荷物を預けたら違う所に運ばれてその旅行は荷物なし。
「帰国日」に手元に返って来たという。

それが日常的ではないにしろわたしはリュックは常に本日生まれた赤ちゃんかと思われるぐらい背中で可愛がらなくてはならない。

チェックインが済み、
荷物チェックまでの時間、わたしはベンチを見つけると構内で買ったコーラを体に入れた。

わたしの隣にインド人が座った。

男はリュックから銀色のステンレス器を2、3取り出してカレーと思われる物に肌色の何かをつけて食べ始めてた。
そういえば僕は今朝から何も食べていない。

バラナシ空港
バラナシ空港

簡単なパスポートチェックの為の長い行列に並んでいる間、わたしはガイドブックに目を通す。
今日12時10分にこの飛行機は飛び15時にガンジー国際空港ターミナル1に着く。
ニューデリーに向かい、
わたしは列車までの2時間をそこで過ごさなくてはいけない。
コンノートプレイスに有名な紅茶のお店がある。
「マンゴーティーを買えるお店にいこうかな、」

2列で手続きを待つインド人達は熱心に「インド」と書かれたガイドブックを見る僕に変な違和感を覚えそのレアな画にさぞ居心地が悪かっただろう。

わたしがマンゴーティーを買いたい一心でインド人の穏やかな気持ちを不穏にした罪は
引き続きマンゴーティーを買うための努力で返さなくてはならない。

もしわたしの好きなラーメン屋の行列の中にリュックを背負った金髪の外国人が1人で並び、
熱心に「JAPAN」と書かれたガイドブックを読んでいたら
わたしはその「日常の中の非日常」に吹き出し、
そのシュールさにカメラを向けるだろう。

暫くして身体検査が始まる。
変な『囲い』の下で「金属バンザイ」をしてチェックが終わるとエックス線を通った「俺の」を急いで取る。

外したベルトを締めながらこの一瞬でも何も取られていないか確かめる。

チェックはそのくらいがちょうどいい。

搭乗時間までの間近くの集合ベンチで過ごす。

サリーを着た女性の集団が来るとインド人男性は席を譲る。
そのサリーを着た女性中でもサリーを着た高齢者にサリーの女性は席を譲る。

こんなにベンチが満員で立っている人がいる中
スキンヘッドでオレンジ色の袈裟を着ている男は1人で4人分の席を使っていた。

わたしはひょんな所で「ディスイズインド」を見た。

男の両手は広げて背もたれに、
片足はベンチの上に折り曲げて収め、
「この国は我の物ぞ」といったご様子だ。

そこに1人の男性が話し掛けた。
その話し掛けた男性はかなり金持ちなのが見て分かる。
ニューデリーやバラナシにはいない、
『ニューインディアン』だ。
男は「この国は我が物ぞ」に合掌しすると「隣に座っていいか」許可を求めた。
「この国は我の物ぞ」軽く頷き、その男はまた合掌して懐に座る。

見る限り、
男はなにやら「この国は我の物ぞ」に悩み事を相談しているようだった。

サリーの女性集団はたまに興奮する私服の子供を一喝する以外は一家の主である「我の物ぞ」と男の様子を静かに見守っていた。

何を言ってるか分からないがアナウンスの後、搭乗の為の列は作られた。

成田だとチェックインロビーと荷物チェック、出国チェックと搭乗口はそれぞれある程度距離を歩くが、
ここバラナシ空港は全てが歩いて何秒の範囲内。

搭乗券の半券をもぎられて皆が進む方向に飛行機はあった。

バラナシ空港
バラナシ空港

皆飛行場から直接搭乗する。

外から搭乗する
外から搭乗する

ここにわたしはインドの『国内線』を感じた。

離陸して暫くすると機内食は配られた。

キングフィッシャーの機内食
キングフィッシャーの機内食 

いつもカレー。
インドにいる限り逃げても逃げてもカレーはわたしを追いかけてくる。

「お前はベジタリアンか?それともノンベジタリアンか?」だけを尋ねられる。
もしも僕がその意に反して「どっちでもない」と抵抗したら
「お前は正直者だ。このベジタリアンの方をあげよう。」と言われるだろう。

次へ

「この運転手はインド人なのにクラクション鳴らさないなぁ。」
タクシーの後ろの席に座りながら不思議に思っていた。

プーー!

あ。鳴らした。

運転手の右手をよーく見ると右手の親指の腹の根元。「ふかふかな所」で鳴らしている。

鳴りやまないクラクションの撃ち合いがインドの喧騒と混沌、雑多さを引き立たせている。

ホテルをタクシーで出たわたしはバラナシ空港に向かう。
タクシー代は600ルピー。チップは必要ないと言われている。

「本当にしっかり送ってくれる?」
「大丈夫だ。」
「彼は道を知っている?」「大丈夫大丈夫(笑)」

ホテルのオーナー、
ティーティンはどこまでも疑ってかかる日本人に笑って答える。

そろそろお別れの時間だ。パパやオーナー、フロント君にお別れを告げなくてはいけない。

ホテルの分厚い宿泊者名簿のチェックアウト欄に「森田賢二」を記入する。

するとその下の欄に前日からここのホテルに泊まっている日本人女性の名前があった。
女性1人でここに来てるのだろう。

「イズディスジャパニーズ?」

オーナーはそうだという。
ここインドで日本人が同じホテルに泊まっている偶然にわたしはまるで親戚と会ったかのような懐かしい親近感を覚え、
今までどのようなルートでここに来たか、
どのような出来事があったか吐露したい気持ちになった。

「みんなガイドブックを見てここに来ているんだなぁ。」

会えなかったのは残念。
わたしはフロントでお金の精算をする。
ホテルの延泊代。
ジュース代。
列車チケット代。
チケット代行手数料。
タクシー代。

全てクリアーになり、
ティーティンと握手をして別れを告げる。
ティーティンは「もしまたここに来るような事があったら訪ねてくれ。いつでも味方をする。」
という旨を英語でいうとヒンドゥー語で何か唱えた後合掌した。
わたしは心の芯から込み上げてくる感謝と
どうにもならない別れの悲しさに
気持ちが整わないまま合掌する。

別れは人を大きくすると聞いたことがある。

わたしは嗚咽する寸前のものを我慢すると
「この人との別れがこんなにも悲しい事だったんだ」と別れ際に気付く。

わたしはこのオーナーやパパとの別れがわたしを大きくさせたかは分からないけど
わたしはわたしを保ってられないぐらい悲しかった。

そしてわたしはタクシーの運転手を紹介されて、乗り込み、
バラナシのハリスチャンドラガートを後にした。

この旅は今後2日間どんな事があっても「来てよかった」と思えるだろう。

わたしは「空港まで何分ぐらい掛かる?」とタクシーの運転手に尋ねる。そして何度か英語のやり取りをした後「1時間。」 という答えを頂いた。

わたしは今後わたしの言いたい事や相手の言いたい事が英語でお互い伝わるまで
文章を変えて、発音、単語を変えて、僕と相手が分かるまで「ソーリー?」を繰り返すだろう。

お互いの心を繋げる努力を惜しまないだろう。

なかなか前に進まない牛のお尻「牛渋滞」を抜けバラナシ郊外の本当のスラムを横目にタクシーはまるでタイムスリップするかのような速度でバラナシ空港へ向かう。

次へ

ガンジス川

ガンジス川

ガンジス川

ガンジス川

「これ日本人みんな買うよ!これはガネーシャ!これはシヴァ! みんな買うよ!え?100ルピーだ!高い?高くないよ!みんな買うよ!」

「成る程そーゆーことか」とわたしはガンジス川を行くボートの上で思った。

その日朝5時のボートに乗る。

フロントの前の地面で寝るパパに「グッドモーニング」と声を掛け起こすと、
オーナーは自分のせいで太った体を自分の責任で立ち上がらせ「こっちに来い」と僕を促した。

「ガッガっ」と開きづらいホテルの扉を引くとパパはわたしを後ろに感じながら凸凹な道の前をゆく。

ホテルから50mもない目と鼻の先にガンジスはある。
朝早すぎてか地元のインド人は外にはいない。

わたしはどんよりする空を認めると「イズットクラウディトゥディ?」と聞いた。
「ノー」
ただ単に日の出前だという。
でも雲はある。
質問がまずかったのかもしれない。

川の畔に多数のボートが簡単な杭で繋がれていて朝に強い子供がいつもの調子で遊んでいる。

古いボートの前で止まる。
「これでいくのか?」とパパに確認すると「そうだ。」と案内する。

「それよりちょっと待ってくれ。お腹が痛いからホテルのトイレに行ってくる。」
わたしは昨日の夜からお腹を壊している。
ここに来てお腹の調子だけは気を付けていたが昨晩見事にやられてしまった。

マンゴーか、チーズか、鶏肉か、ホットチリスープか。

わたしは「水」がどれだけ食生活の基本的な問題であるかを知る。

「生水」だけは飲まないようにしてきた。

ただ「生水」を飲まないというのは「インドでは食事をしない。」「断食する。」という事とほぼ一緒。

マンゴーも洗って食べれないし食器に口をつけられない。
昨晩ピザを食べたが、
チーズは乳製品でその牛は水を飲み穀物を食べている。
穀物は水と大地で作られ、水はまた大地を作る。

結局は生水を使っている。
キッチンがどれだけ清潔かもコックが手を洗ってるかも分からないが、
その手を洗うのも結局は生水ではないか。

わたしは「生水」というものがいかに生きる上で絶対的に必要で食生活の根底に密着しているかを知る。

よくインドで腹を壊したか、壊さなかったかを問われる。
『インド』と距離が近かった人は壊すし
『インド』とある程度距離を取った人は壊さない。

わたしはこの腹を下したことをこのように結論づけた。

インドは前から裸だった。僕は初めそれを拒否した。そしてわたしはわたしの方から裸になった瞬間お腹をやられた。
多分こんなとこだ。

ホテルにもらった外国人用のトイレットペーパーもどんどん痩せていき芯だけになった。

わたしは急いで待たせている川辺にベルトをしめながら向かう。

大人が5人乗ったら沈むような木製のボート。
乗るのは14歳ぐらいの少年とわたしだけだ。

少年は足で杭を蹴ってボートを岸から離す。
水面が斜めを描きボートが離れてゆく。

少年は慣れた手つきで水を切り、漕ぎ始める。
それは次第に岸から離れて行った。

なんの救命道具も積んでいない木製ボートは今ガンジス川の真ん中をゆく。

「どこから来たんだ?」
「フロムコリア」

お約束の挨拶を終えるとわたしは聞きたいことを聞いた。
どこまでいくんだ?
「向こうの方まで、行って帰ってくる」

何分くらいだ?
「1時間くらいだ。」

あれはなんだ?
「お祈りだ」

この流れている声と歌はなんだ?
「近くの寺で歌っているものがスピーカーされている。」

向こう岸にはいけないのか?
「いけない」

なんで?
「いけない。」

沢山のガートがあるこちら側は沐浴などで賑やかだがその向こう岸は何もない砂漠が広がっていた。

木も建物もない本当の砂漠。
どのボートも川の真ん中を平行に流れて元に戻るのみで向こう岸に着こうとはしない。

後で知ったのだが向こう岸は「不浄」、汚い所と古くから伝えられているらしく誰も行かない場所だという。

わたしは「あっちに行きたい」という質問がどれだけ無知な質問だったかその時は知らなかった。

暫くするとボートが沢山行き交う。
ヨーロッパの団体がガイドを乗せ写真を撮っているボート。

アジア人。50代、60代の夫婦が乗っているボートとすれ違う。

みんな団体で僕1人が1人で乗っている。

みんなが川から見たガート、朝の沐浴風景を写真におさめていた。

ボートに乗ってわいわいしているインド人はいなく、外国人のみがボートに乗っていた。

するとそこにインド人が乗るボートがわたしの乗るボートに横付けしてきた。

そして何故か少年はボートを漕ぐのを止める。

「ヘイ!ジャポン!」
わたしは無視をする。
「これ買わないか?」

みると木製の像。置物。
ボートが露店と化している。

「これ日本人みんな買うよ!これはガネーシャ!これはシヴァ! みんな買うよ!」

こちらのボートを漕ぐ少年は一向に「おっさん邪魔だよ!あっちいけよ!」とは言わない。
疲れた腕を休ませて無言を貫いている。

こいつら「グル」だ。

「いくらだ」

「20ルピー」

とりあえず「高い。」と言っておく。
高く吹っ掛けてきてるに決まっているからだ。

「え?高い?高くないよ!みんな買うよ!」

「みんな買うかは知らない。俺には高い。」

「日本人みんな買うよ!」「俺は買わない。」

わたしは少年に早くボートを出せという。
少年は無視する。

「これならどうだ。こっちはガネーシャ。こっちはシヴァ。」

わたしは『夢を叶えるゾウ』を愛読書としているので一瞬ガネーシャに反応した。

「いくらだ。」
「100ルピー。」
「高い。」

少年は全くボートを出す気配を見せない。

「成る程そーゆーことか」
旅行客をボートに乗せて身動きが取れない水上で粗品を買わせる。
5時に来い!というのは言い換えると「インド人も朝の稼ぎをするからその時間に合わせてこい!」ということだ。

神聖なはずのガンジス、みんなが輪廻を信じて還るガンジスで外国人から金をふんだくる。

「これはみんな買うよ?この中にガンジスの水を入れて持って帰るんだ。お土産に喜ばれるよ?それでこうやって頭に水を掛ける。」
あ。でもこれはいいかもな。
と思ったが「高い。」で通した。実際100円で払ってもいいが
こいつらのこのやり方が今後、旅行客の朝ガンジスで高揚した気分を一旦削ぎ、
買うまでボートは動かないとするならこれは「戦い」だ。
どんなに安くても、どんなに買いたくても払っちゃだめだ。

わたしはだんだん腹立ってきて何故お前らから買わないか理詰めで説明した後ボートを出すように求めた。

「ゴーゴー」と言われた少年は露店商とヒンドゥー語で二言目三言交わして漕ぎ始めた。

少年は「こいつは買わないよ。」と言っている様だった。

わたしはその後30分ぐらいボートの上で拘束される。

次々と露店商が横付けしては売ろうとするがわたしは目を合わすことなくカメラで風景をおさめていた。

「あの『ガンジス川の水を汲んで持って帰れる奴』欲しかったなぁ」と何度も思った。

アラジンの魔法のランプの様な入れ物で100円だった。
あれはお土産にはたまらないぞ。
ガンジス川の水入ってるし。
あれは「買い」だろ。

もう一度戻って今度俺等がボートを「横付け」したらどっちがインド人か分からなくなるぞ。

さっき告って来た女にボロカス言って振ったのに10分後「すみません付き合ってください。」とは言えないしな、
実は好きでしたはおかしいしな、
あーでも欲しいなぁ。

わたしはなんとも変な感じでボートの旅を終える。

「着いたぞ。」
ボートが着いたすぐそこでは今朝も死体を焼いている。
わたしは昨日の巻き戻しを観ているような風景に早送りの様な足取りでホテルに帰る。

すると後ろで「ヘイ!マネー!」と少年が追ってきた。
マネー?なんで?
「マネーマネー!」
なぜだと聞くと漕いだから200ルピー払え!という。
「いやいや!お前には払わない。ホテルに払うんだ。しかも50ルピーだ!」
というとそれ以上のやり取りは無視してホテルに向かった。

するとやはり追って来なかった。
その事からすると「それとは別で貰おうとしたな、」と察した。

パパに50ルピーを払うとパパは「100ルピーだ」という。
「なんでだ。50と言ったじゃないか」というと
「それはボートに2人以上で乗った場合だ。」

という。
わたしは1人でホテルにチェックインして1人でホテル内を行き来してパパともソファーで「暑いねー、」やら「停電はいつまでなの?」やら話をしている経緯がある。
その僕が「ボートはいくら?」と聞いたとき「50だ。」と2人で乗った場合の金額を言うのはおかしい。

パパは「そこに書いてある。」とフロント横に貼ってある紙切れを指差してみせた。

いやいや文字小さ!

「オーケーオーケー。私は払う、でも今度からそういうのは先に言わないとダメだ。私が1人で乗る事は知っていたはず。そしたらその値段を言わないといけないし、あなたは説明しなければならない。」

向こうも納得したようなので「よし!もうこの話しはなし!」といい握手をすると緑色をした階段を上がっていった。

これから飛行機に乗る為のタクシーがホテルにくる9時45分までにサリーを買いに行かなければならない。

次へ

休みのヨガスクールからホテルに帰ると「部屋を掃除した者がTシャツを持っていった」とパパに告げられた。

わたしはその人がいつ返しにくるのか尋ねた。

「今日はもう帰ってしまったから明日。」

「明日?そいつの家はここから近いのか?」

「近い。」

「明日私はここを出なくてはいけない。」

「わかった。」

「9時までには来るか?」
「来る。」

「わかった。」

わたしの泊まっている部屋の階下を掃除した『者』は何で誰にもティシャツの事を告げず家に持って帰ったのだろう。

いずれにしろホテルにいるうちはホテルの人とうまくやらなければならない。

今回の件はわたしが「返ってくる」という事だけで腑に落ちなくてはいけない。

わたしは「明日、早朝ガンジス川をボートしたい。」
とパパに告げる。

「わかった。朝5時にここ、フロントに来い。」

「わかった。何ルピーだ?」
「50だ。」

「わかった。」

「あと明日ヨガを体験したいんだけどどうしたらいい?」

「ヨガの先生が8時にホテルにやって来る。呼ぶか?」

「幾らだ?」

「500ルピーだ。」
ホテル1泊分の金額だ。

「うーん、高いな、ちょっと考えさせてくれ。
鉄道チケットを予約したいんだけど、オーナーはいるか?」

「今呼ぶ。」

ヨガは一回1000円。
その頃インドの金銭感覚になっているわたしにはこれは手に届かない値段だった。

ホテルのフロントの内線を使うと近所にいたのかオーナーはすぐに来た。

そして「事務所でやろう。」と僕を呼び込む。

これがもし『インド1日目』で『心が通じてない奴』だったらノーと言っていただろう。

首から掛けたタオルでおでこの汗を拭き事務椅子に座ると「暑いね。」とオーナーは切り出した。

わたしは「ャァ。」と同意する。

さっき僕が買ったサリーを一般のインド人は幾らと判断するのだろう。

気になって値段を予想してもらう事にした。

「ちょっと聞きたいんだが、さっきわたしはこのサリーを買ってきた。幾らだと思う?」

オーナーはサリーに全く興味ないのかよく分からないといった表情をする。
「300ルピー?」

なるほど。
わたしは相場で買ったのかもしれない。

オーナーはちょっと微笑むと、
全く関心がないのか本題に入る気配をだす。

わたしがなぜこのような質問をするのか意図が分からないのだろう。

お互い瓶ジュースを飲みながら今後のプランについて話し合う。

わたしは昨日から考えてたここバラナシからアーグラまでどのように行くかプランを提案した。

出来るかどうかは列車の空き状況次第だ。

「明日なんだが、わたしはバラナシからニューデリーまで一回戻り、
その日の夜に列車でアーグラに着くようにしたい。大丈夫か?」

「リシュケーシュは?」

「諦める。」
わたしはリシュケーシュというヨガ発祥の地に行くことを諦めた。
「本当に俺は行きたいと思っているのか?」と自分に問いただしてみた結果だ。
ヨガを体験したかったらここでも出来るというし、
最終日にニューデリーでも出来る。

リシュケーシュは当初プランにはなかった。
わたしは『迷ったら原点に帰る。』事にした。

相変わらず薄暗い部屋に
わたしとオーナーだけだ。

事務所の扉は開いていて外が見える。

ここハリスチャンドラガートには火葬場がある。

インド全土から死体が運ばれて来ては焼かれる場所だ。
今僕がオーナーと旅行の計画を立ててるすぐ外が賑わしい。
リズムに合わせて叫んでいる。
またどこからか死体が運ばれてきた。

ずっとこの場所にいるからだろう、
オーナーは全く葬儀に目をくれず「どうやってここからニューデリーまで行く?」かわたしに尋ねた。

わたしはニューデリーからここまで列車で15時間掛けて来た。
また寝台で戻ったら時間が掛かる。
わたしは今度いつ来るか分からないインドで『時間』を取るか『お金』を取るかの判断を迫られた。

電車なら15時間。
安い。ただ明日は移動で1日潰れる。

飛行機なら1時間半。
高くつく。ニューデリーで乗り換えて即日アーグラを回れる。

わたしは外で故人の名前が何度もリズムよく叫ばれている中「国内線の飛行機だ。」と要求した。

インドに来て一番の買い物をした。

オーナーは
「オーケー、アイチェック」と短い英語で一人言の様に呟くと
飛行機で行った場合の便と値段を調べてくれた。

暫くして「あった。キングフィッシャー社6600ルピーだ。」と告げる。

昨日も国内線を調べてくれたがその時は4000ルピー弱だった。
昨日のエアインディア社の国内線は埋まってしまったらしい。
キングフィッシャー社の便は『午後便』で1万4000円。
昨日飛行機に決めていれば安く、時間もタイトにできた。
リシュケーシュに行くか否か、インドの国内線を使うか否かが僕の一歩目を遅らせた。
躊躇した事で条件は悪くなり費用は4000円近く掛かり、
尚且つ時間は「間延び」の結果になった。

わたしは仮に国内線で行ったとして、
ニューデリーからアーグラに行く列車は何時発か気になった。
オーナーは僕より先に気になっていたらしくもう既に調べ始めてた。
「ニューデリー17時発だ。それなら空いている。」

つまりアーグラには21時に着く。
飛行機で行ったとしても明日は1日移動で潰れる。

13時にニューデリーに着き17時までの4時間をそこで過ごさなければならない。
僕は「列車は予約できるか?」と尋ねた。

そして投げた後、
ガイドブックに目を落とし次に拝める世界遺産タージ・マハルの歴史を読み返しどのような見学ルールなのかも確認していた。

そして確認していて僕は思わず「あ。」と発してしまった。
『タージ・マハルは金曜日は休み。』

その事実を知らないオーナーは画面に穴が空くような眼でサイトが移動するのをカチカチやりながら待っている。

わたしは「いわなきゃ」と思いながらタイミングを見計らい頭を整理する。
逆算してみる。

もし明日夜に着いたとしても閉館してる。
次の日タージ・マハルは休館で入れない。
明後日は帰国日。
20時ガンジー国際空港だ。18時までに空港チェックインを済ませるなら
17時までにニューデリーに着かなくてはならない。

インドの列車は平気で遅れる。
聞くと「明後日の列車は10時アーグラ発ニューデリー14時着しかないという。」
という事は10時のアーグラ駅列車に乗らなくてはならないという。
タージ・マハルは朝6時から開館しているらしい。

10時アーグラ発だとしたら9時までの3時間しか回れない。

タージ・マハルにいられる時間はたった3時間。

わたしはこの事実を渋々納得しなくてはならない。

オーナーにタージ・マハルが休みという事を告げると「タージ・マハルの中には入れないが庭園には入れる。みんな写真を撮っている。」という。

いずれにしろこの旅程でゆくしかない。
オーナーに全てのチケット予約を頼んだ。
暫くしてオーナーが叫ぶ。「シット!」

わたしは映画でしか聞いたことのない言葉に不穏を感じ「どうした?」と尋ねる。

「ここのパソコンは速度が遅い。この近くにネットカフェがある。そこで予約する。一緒に来てくれないか?」
なかなか怪しい発言だ。
この国はとにかく外国人をついてこさせる。

わたしは今までの「経緯」に信頼をして「イャァ」と同意すると立ち上がった。

飛行機、列車のチケット予約を近くのネットカフェでする。

日本の旅行会社に航空券の予約を直接頼みに行き、
暫くして担当が「うちの会社はネットが速度が遅い。ちょっとそこのマン喫まで来てくれないか?」と言われたらわたしは「じゃぁちょっと出掛けるのでやっといてくれないか?」となるだろう。

インドでもわたしはそのように答えたが通じなかった。
「こい。」という。
『来させる国、インド』だ。
凸凹の道。
牛の集団。
薪割り少年。
日差し。
寝ている奴。
死体から上がってくる微かな煙。

オーナーは汚い、屋台とも言えない『リアカー引き』の前に立ち止まると
「ちょっと待ってくれ。腹が減った。」といい、
何かそいつに頼んでいた。
そいつはなんか米粒みたいなものを汚いところであぶり粉をまぶしたり何かを混ぜたり手慣れた感じで表情変えずやる。

14歳ぐらいで若い。
誰がこんなの買うんだよ!と今まで道を通る度突っ込んでいた物をオーナーは買った。

10ルピー札を出してお釣りをもらっていた。
わたしはインドに来て10ルピー以下の物を買った事もない。
「お腹がすいた、」と辛そうな顔をしたオーナーはこの変なヤツで腹ごしらえするつもりだ。

新聞の切れ端、よく小学生の尿検査時に紙切れで折って作った紙コップみたいのに目の前の無表情が米粒500粒くらい入れると

そうそうこれが食べたかったんだよみたいに受け取る。
わたしは「そうそうこれこれ。」と一旦米粒を投げ込む振りをしてこんな汚いもの喰えるか!とやるもんだと思っていた。
そしたらどうだろう。
オーナーは一向に米粒を掴んでは口に入れる。
食べながら前を歩き始めた。
あ、成る程、ある程度食べてから「こんなもん喰えるか!ボケ!」だ。
わたしはいつその声が聞こえるのか待っていた。

牛と牛の間をすり抜け、
軽いスラムみたいな通りをすり抜けオーナーは「ベビースターみたいな食い方」をしながら進む。

すると前をいくオーナーが歩を休め、
わたしの方を振り向き
「食べるか?」と聞いてきた。

わたしは折角の好意を無駄にしたくない気持ちとチャレンジという意味で手を差し出した。
日本人には『にんじん』と言ったら分かるかもしれない。
駄菓子屋で売ってる赤い人参の包装に入っている揚げスナックだ。
オーナーはこちらがそんなにいらないよ!と思うぐらい手の上にそれをのせる。わたしは恐る恐る一粒口に入れる。
スパイシーな奴だ。
不味くはないが食べないでも平気だ。
わたしはあまりちょびちょび食べていると相手に不快に思われる事を懸念して次はひとつまみチャレンジする。
わたしは美味しくはないが不味くもないそれを不気味に感じ手にあるそれをオーナーが前を行く後ろをうかがえないうちに道に捨てた。

こーゆー貰いものが一番怖い。
そこまではこの国の『食』を信じていない。
おもむろに振り向いたオーナーは僕の手に『人参』が無くなっていることに気付いた。
すると「美味しいか?」と感想を求めてきた。
わたしは最高の演技で「美味しい美味しい!」と感動してみせる。

するとオーナーは嬉しかったのかまたわたしの手に『人参』を乗せてきた。

「うわー!センキュー!」顔ではセンキューだが、
内では「こいつ何してくれてんだよ!ふざけんな!喰えるか!」だ。

この『人参』の量。
まずい!
今捨てたら鳩が寄ってくるぞ!
この道を行く両サイドのインド人全員が「こいついいのもってるじゃねーか」と監視してる。

ほしいならやるよ!
今道路に捨てたらこいつらに「おい!捨ててるぞ!」とチクられる。
そして多分「お前落としたぞ!ほら!気を付けろよ!」
といって落としたたそれがまた手の内に汚くなって戻ってくるだけだ。
あーどうしよ。

その次のわたしの行動を見ていたインド人の目には「あの日本人相当お腹が空いていたんだな、」と映っただろう。

わたしは口の端に付いちゃうぐらい意を決してガツガツ全部平らげた。
それを笑いながら見ていたオーナーは「そんな旨かったのか!」と勘違いしてわたしの手にまた『地獄』を乗っけた。
「ノーノーノ!」
オーナーのが無くなっちゃうじゃないか!という旨を伝えるとオーナーはわたしの気遣いに感謝しながらネットカフェに入っていった。
まさか「捨てたら鳩が寄ってくるぐらい」くれるとは思わなかった。
それが原因かその夜のイーバカフェが原因かは分からない。
わたしは朝まで寝てはトイレを繰り返し下痢に苦しむことになる。
多分全部当たったのだろう。なぜなら僕は肛門でこれは「何の分」「これはマンゴーの分」「あ、これはまだイーバカフェの分だな。」とかが本当に分かった。
「これはクリリンの分!」
わたしは怒った時の孫悟空みたいな事を朝までやっていた。

※インドの歯磨き粉は辛い。キャップをしないで放置していたら翌日蟻が集ってた。

インドの歯磨きセット
インドの歯磨きセット

※インドの一番大丈夫そうなマンゴー。20ルピー。40円。

マンゴー
マンゴー

※必ず飲むことになるミネラルウォーター。真ん中の水色ラベルのが一番飲みやすかった。

黄色のラベルの奴のように日本から「ポカリの粉」を持っていって対応していた。

ミネラルウォーター
ミネラルウォーター

※インドの歯磨き粉。「FAITER」インド人にとって歯磨きをすることは「戦い」なのだろう。

FIGHTER
FIGHTER

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右足の親指と人差し指のサンダルの支点となる所の皮が剥けている。

靴擦れを起こしている。

舗装された道路がないバラナシではサンダルで砂地を歩く。

わたしはどうにかその支点を爪先側にずらす事で対処してペタペタ歩く。

「お兄さん!お兄さん!昨日の僕だよ!覚えてる?話したよね!昨日話したよ!」

この感じだと結構近い距離で声を掛けられている。

わたしはそちらに振り向く事なく目の前を急に止まるサイクルリクシャーを避けたり、声の主とは別の客引きをあしらわなくてはいけない。

よそ見していたら誰かしらにぶつかる。

「お兄さん!覚えてる?!」
「覚えてない!」

「話したじゃん!」

「話してない!」

歩を前に進めながらわたしは誰だか分からない声の主に答えた。

多分声の感じからしてダーシュワメードガートの「大沢たかお少年」だろう。

または違うかも知れない。昨日通りすがりでたまたま見た日本人に「昨日会った!」と振り向かせようとしているかもしれない。

向こうから来る「インド」と急ブレーキする「インド」を避けながら縫うように歩いてゆくと
話しかけてきた「インド」はやがて聞こえなくなった。

ここら辺はバラナシに来た観光客がお土産を買う通り。

店頭にサリーを着たマネキンを置き
お店の雇われ人が目が合った僕に軽く顎を「クイっ」とつきだし
無言で「どうだ?(買うか?)」とやる。

または店頭でそれだけの為に立っている男性がわたしに向かって「ヘーイ!サリー!」と叫んでくる。

ニューデリーでもここでもそうだが、
よくインド人は自分が売っている物の名前で人を呼ぶ。
わたしが歩いていると隣につけて「ヘーイ!タクシー!」
わたしが「あ、マンゴーだ、」と見てると
「ヘーイ!マンゴー!」

わたしはそれらを全部無視してあげる。

ワゴンにぐちゃぐちゃに重ねられたサリーや
どことどこを結んでいるのかロープを張らしそこに引っ掛けるように吊るされたサリー、
ちょっとテントの中の奥まったお店に行くとサリーを切り売りしている。
それら筒状のサリーは立て掛けてあったりボックスに突っ込んであったりで、
店頭のそれとは値段が違うのがわかる。

どこもそうだが僕がサリーのお店に入ると必ず店員が「あ、日本人が来た。」みたいな顔がする。

「このサリーは肩から袖に掛けて風通しがよさそうだ。春や秋にいいかもしれない。
あげる人のイメージにぴったりだ。」

日本人に反応した店員は
「いらっしゃいませ」や「どのような物をお探しですか?」とは絶対言ってこない。

わたしの目線の先にあるサリーを追って「800ルピー」と始める。

値段交渉が始める。

店「800」

わたし「いや、このサリーは200だ。(サリーの事全く知らないのに。)」

「200?これはいいサリーだぞ?知ってるか?200なんて無理だ。」

「わたしは知っている。これは200だ。」

「ラストだ。600だ。」

「200しか持っていない」
「600だ。」

「残念だ。帰る。」

「400だ」

「人の話し聞いてるのか。これは200だ。」

「オーケー。分かった200ルピー。」
ボロボロの薄いビニール袋にサリーを畳んで渡してくれる。
握手をする。
店員が聞いてくる「ホエアユーフロム?」

「フロムコリア。」

店員は「やっぱり、韓国人だからか。」みたいになってる。

過去に韓国人と何があったのだろう。

それにしても
あのやろー最初3倍近くの値段吹っ掛けて来やがった。
帰ろうとしたら値段下げて来た。
200でも高いかも。
100でいけたかも。

近くのお店で似たようなサリーが幾らスタートになっているか何軒か回ってみる。
「多分これは相場だ。」

ヨガを習いたいのでホテル近くのヨガスクールに訪れる。
校舎に入ってゆき扉を開けようとするが鍵が掛かっていていてこれ以上入れない。
ここだけは静かだ。

バラナシにある寺院
バラナシにある寺院

「歯を磨きたい。」

あそこの建物からこっちを見ている人がいる。

向こうのほうから見ている
向こうのほうから見ている

「今日は休み?」

返事がない。

聞こえているけど言葉がわからないのか。

聞こえていて意味が分かっているけど無視しているのか。

聞こえていないのか。

「明日からのスケジュールを決めないといけない。マンゴー買って帰ろう。」

次へ

今日しなければいけない事。
明日から最終日までの全ての交通機関のチケット取得。

「その前にご飯食べにいくか。」

Tシャツが朝5時には下のベランダにあったのに10時にはなくなってた。

フロントも「知らない。」という。

わたしはホテルの従業員や下の階のお客さんが取っていたという風に考えず「消えた!」「幻?」等とミステリアスな方に捉えていた。

そしてフロントの「お客さんは泊まってない知らない」発言はますます僕の心臓の脈を速くさせた。

一階に降りていき
「みんなに聞いて調べておいてくれないか?」
と投げるとパパが「わかった」と受け取る。

一旦Tシャツの件は置いておく。

インドに来て以来食事は主にキャップ付きの「ペプシ」か「ミネラルウォーター」

他は全て「実験」をした上でお腹の調子、経過を診た後食べれる物を判断しなくてはならない。

食べ物に関して、
インド1日目は、
とにかく食べ物は絶対口にしない。
という意識だった。

そして
インド2日目は高級レストラン、もしくは袋入りなら食べる。

インド3日目は信用できるインド人が薦めたお店なら食べる。

このように徐々にではあるが僕の「食べ物への信用」のハードルが低くなってきた。

そして今まで人に対しても食べ物に対してもインドを全く信じていなかったが「信じてみようかな」という心境の変化があった。

両方ともここバラナシに来てからだ。

「今日はちょっとだけ新しい食べ物にチャレンジしよう。」

『信用がなかったものを信用するようになる』という心境変化は環境に適応する能力が働いたのかもしれない。

「ここインドで生きなくてはならない」という問題に直面した時こちらが一方的にインドを信じるしかない。
なぜなら何も分からないから。

どんなに騙されても信じるしかない。

もしインドの料理でお腹を下して

病院に担ぎ込まれ入院しても出されたものを信じて食べるしかない。

全く価値観や文化が違う所に放り込まれた時
人は人を信じなくては生きられないんだと実感する。

そこの国の人を信じる事でしか生きる方法がない事を目の当たりにする。

例えば考えが合わない奴が「インド」だとして、

「最初はお前の事嫌いだったけど今は〜だ。」みたいなのは最初受け入れられなかった行動、信じられない発言があっても一緒に団体生活をしていく(生きていく、信用し続ける)上でこちら側のその人に対する信用のキャパが増えて、こちらが譲歩して仲良くなることがある。

だめな奴の中にも信用が芽生える。

わたしは最近人と人が別れたり疎遠になる時は「お互いの信用がなくなった時、振られた側の何かの信頼がなくなって回復できる見込みがないと判断された状態」だと思っている。

だから信用がない初めましての時期はすぐに「あれが嫌」だけで別れがくる。

逆に積み上げて来たお互いの信用はなかなか崩れない。

また新しい人と関係を築くのは信用を重ねるしかない。

わたしは日本の国の価値観を信用してきて

インドという異国で衝突して何度も腹が立って別れたかった。

ただわたしはインドでは何も知らない弱い立場で、
あと3日目間別れられないし付き合っていかなくてはならない。

わたしが重ねてきたインドへの信用(これだったらインドでも大丈夫という)の範囲内で行動しなくてはいけないし、
インドに対する信用を築く為に僕の方がリスクを背負って、冒険して、新しいアプローチをしないといけない。

それが「今日はちょっと新しい物を食べてみよう。」なのだと思う。

もし腹を下してもそれは多分階段を4段飛ばしぐらいで積み上げようとした結果で、
1歩づつ慣れないといけない。
インド人がよく口にする蝿が舞った料理を食べてもお腹が痛くならなくなるにはインド料理という階段のかなり上の方まで信用を積み上げた結果なのだろう。

今日は移動しない。
という事もインドに来て初めてだ。
今までなにかと時間に急かされていたがホテルも決まっているしじっくりバラナシと向き合える。

「どうしようかな。」

わたしはリュックをホテルの部屋に置いていくべきか否か考える。
従業員が勝手に入ってバックの中をあさらないかな。
こういう危ないことがインドでは考えられる。

もし持ち物がなくなって
「部屋にあった〜が無くなってる!」と騒いでも「知らない。」で終わるだろうし警察にも「管理してなかったお前が悪い」と言われて終わりだろう。

ただずっとリュックサックを背負ってるのもホテルに滞在している意味がない。
わたしはポシェットだけを腰に巻いて軽装で出歩くことにした。

そして出先で万が一身ぐるみを剥がされ、
無一文になった時の為
リュックサックのちょっと探しただけじゃ分からない場所にトラベラーズチェックと日本円とクレジットカード。
そのリュックサック自体をベッドの下に、
そしてさらに見にくい所に隠す。

途中「わたしは何やってるんだろう」と思うぐらい誰かの為に防犯をした。

引き続きウンコ臭い道を通り
ガイドブックに載っている美味しいと評判のお店「ケサリ」に向かう。

ダシャーシュワメードロードから少し入った所にある。
老舗のベジタリアンレストランらしい。
途中ティーポイントカードに似たお店。

バラナシのホームセンター
バラナシのホームセンター

「お客さんが来ないから寝る」のか「寝てるからお客さんが来ない」のか。
店番するインド人
店番するインド人

とにかくインド人は布団を掛けないで寝るのが大好きだ。

写真が大好きなインドの子供。

バイクに乗るインドの少年
バイクに乗るインドの少年

これはかわいい。

「ケサリ」に着いた。
え?ここが美味しいの?って思うぐらい清潔感なくて看板を確認してしまう。

従業員が「またガイドブック見てきた日本人が来たぞ!」みたいなニヤニヤした顔で出迎える。
分かりやすい表情をする奴らだ。
こっちは言葉が通じない分表情を読むことをする。
それに気付いていないのかな。

相手の待ってました!に応えるにはちょっと癪だったけど、「しょうがない他に裏取れている所ないし」という思いで入る。

写真もない、
何が書いてあるか分からないメニュー表に戸惑っていたら店員が「今はランチメニューは終わってこれならある。」みたいな事を言ってるので「それにする」と告げる。

「何とかタリー」を食べる。

バラナシのカレー
バラナシのカレー

斜め右のボックス席ではインド人の家族がタリーを器用に右手だけで食べている。
彼らは蝿が来ても決して払おうとしない。

写真の奴。
味は全く美味しくなく
揚げパンの皮、油っこい部分に全くスパイスが効いていないカレーを付けて食べている感じ。

ちぎって、乗せて、つけて放り込むが上手くできなくてえらい苦労した割には
全く満足できない。

「びっくりドンキーのハンバーグ食べたい。」

会計の際また最初言ってた値段と違う。
「彼は最初『80ルピー』と言った。」と伝えたらおっさんは従業員と話して渋々値段を変えた。
このやり取りはこの国にいる限り、
わたしが顔を整形してインド人にならない限りずーっと繰り返されるのだろう。

「あ、そうだ!」

インドに来て以来今までわたしは歯磨きをしていない。

ホテルにあるものだと思ってたしすぐに買えるものだと思っていた。

そういえば石鹸も買わなければいけない。

インドでは歯みがき粉と歯ブラシを買うのに2時間掛かる。

2時間。

コンビニという全ての生活用品が一堂に会してる所がなく全て専門的なお店だ。

なので歩き回って、

聞きまくってようやく買ったお店はインド人も敬遠しそうな汚いお店。

何百年ぶりのお客さんに驚いたのか幸せそうな顔をしていた。

わたしもわたしでやっと買えた歯ブラシに満足して店の人と握手をしたぐらい買うのに苦労した。

大人2人が歯ブラシを買えてよかったという握手。

二人ガッチリ交わす。

何してんだろ。

それらはポシェットに入らないので暫く手に持って歩いていたらインド人が好奇の目で見ていた。

歯磨き粉
歯磨き粉

子供が近づいて来たので
「これかい?これは歯ブラシと歯みがき粉さ、」
と説明すると
笑いながらどっか行ってしまった。

確かに
わたしも日本のどこかの田舎道で外国人が前から歯ブラシと歯みがき粉だけ手に持ってぐんぐん歩いていたら笑う。

そしてその外人が
「これかい?これは歯ブラシと歯みがき粉さ、」と聞いてないのに説明してきたら急いで逃げるだろう。

わたしは歯ブラシと歯みがき粉を焼けた左手に持ちぐんぐん歩く。

これからインドの民族衣装「サリー」を買わなくてはいけない。

次へ

ホテル「レジェンド」
インドの電車は遅れる。

それも10分とかではない。
2時間〜4時間、場合によっては8時間遅れる。

わたしは全日程の鉄道の予約を日本で済ませればよかったと後悔していた。

日本でインドの鉄道会社の予約サイトにアクセスすると重くてどうしてもE-チケットを取る事が出来ない。(『Eチケット』※サイトを印刷すれば現地でチケットになる物。)

なので現地で電車予約をする事になった。

「電車を予約する」というと日本人は「ん?」と疑問に思うだろう。
日本では券売機でさくっと切符を買って多少混むし見送るときもある。ただその日電車に乗れない事はない。

インドでは違う。電車を予め予約しないと乗れない。

電車で移動したいのに席が満席になるとその日移動できない。

わたしは3日目の朝に「ガンジス川」がある『VARANASI』バラナシという街に着く計画をしていた。

なので2日目の夕方に寝台列車でデリーから15時間掛けて移動したかった。

hotelに着いて
一呼吸おいて
フロントで
「電車の予約は出来ないか?」と尋ねる。

ニューデリー1830分発
バラナシ7時30着
「2560 shiv Ganga Exp」

ホテルマン7人が固まって「こいつをどうにかしてやろう」とにやにや笑っている。
周りを囲まれる。

わたしは怖かったが怯んだらつけこまれると思い平静を保って堂々と立つことにした。

馬鹿にしている顔つきは世界共通だ。
その中で英語ができる奴が笑いながら「ない。」と言う。

「前日に明日の夕方発寝台列車の予約を取るのは無理なのかなぁ、ニューデリーで2泊するのか、」
と思っていたら

一人が「こっちにこい」と促す。

フロントのすぐ隣の奥ばったところの『トラベラーズツアー』と書いてある薄暗いちょっとした勉強机に座ると、
「旅は何日間なんだ?」
「日本人か?」
と聞かれる。

わたしは立ちながら
「関係あるのか?」
と尋ねると
「まぁ座りなさい」
と促す。

わたしは「座ったら最後だ」と。
ホテルに高額なツアーを組まされて金を巻き上げられる。

噂で何度も聞いていた。

わたしが「立ちながらでいい」と言うと向こうは

「その電車の予約は取れる」とさっきと違う事をいいます。
「いくらで?」
「1500ルピーだ」

わたしはこの値段は「怪しい」となんとなく感じ

「インターネットはあるか?」
「ある」
「エクストラチャージ?」「ノー」
のやりとりをして

すぐ脇にあったインターネットでインドの鉄道予約サイトにアクセスして
わたしが今提示した乗りたい列車、
今こいつが言った値段が適正か調べてみる。

500ルピー、

日本円で1000円の手数料が発生している事に気づいた。

ここでの500ルピーは現地の感覚で1日働いた収入ぐらいだ。

その時のわたしまだ日本の金銭感覚で向き合ってたので1000円で予約の手間が省けるならいいかもと思ったが、

手数料が500?かなりふんだくってるな。と感じ、

「インドで絶対騙されたくない!」
「絶対腹をくださない!」という強い意志があったわたしは

そもそもさっき
「列車はない」と言ったのに「ある」になり
「巻き上げ」に走るホテルマンに腹が立ち
そこから何を言われようが「I don't speak English」を連呼して

「だめだ、こいつは言葉が通じない」
と向こうがお手上げになるまで演じる。
こうしてわたしはツアーに強制加入される事避けられた。
ホテル「LEGEMD」

日本人はその場の空気を悪くしたくない。という考えがある。なのでどうしたいんだ!という判断を迫られる時一瞬躊躇する。
でも考えなくちゃいけないのは「この旅は誰の旅」かという事だ。
自分の旅だ。
ちょっとでも違和感を感じたらどんなことでも曲げない事だと。

ただ自分の旅と言うからには責任がある。

自分の事は自分でしなくてはいけない。という事だ。

部屋に戻りテレビで何を言ってるか分からないCMを観ながら
「自分で直接ニューデリー駅の『外国人予約オフィス』に行けばもしかしたら発券してくれるかも」という考えにいたった。

(外国人専用チケットオフィス。直接インド鉄道チケットが買えるオフィス。インド人は入れない為並ばないで買える。)

わたしは朝5時にホテルをチェックアウトをし
全く街灯もない日も上がっていない暗いニューデリーの街を予約オフィスが開く朝8時までの3時間散歩も兼ねて歩く事にするのだった。

次へ

暑いから起きた。

どうやらまた停電になっているみたいだ。

時計は朝10時を指している。
寝覚めは良くはないが体はもうこれ以上の休息は望んでいない感じだ。

腹を下さなかったことから判断すると昨日食べたイーバカフェの全ての食材は「大丈夫だった。」ということだ。

ベランダから下の階のベランダを見る。

「あれ?なくなってる!代わりに椅子が置いてある!」

わたしは何が起きたか理解に努める。

話はさかのぼって昨日サッカーを観る前。

Tシャツとパンツとバスタオルをベランダの手摺に掛けて干しておいた。

わたしはサッカーが終わると「もう乾いただろう。」とそれを回収しに自分の部屋のベランダへ。
「あ!」
なくなっている。
すぐ下を見る。

暗くて分からない。

風で飛ばされた?

干す時ビチャビチャで干しておいたから手摺によくくっついていたが

サラサラに乾いたTシャツはそのまま飛んでいったのだろう。

運良くパンツとバスタオルはベランダ側に落ちている。

先程インドで初めて充実した時間を過ごした矢先だったので僕は妙にプラス思考になり
「これはこういう事かもしれない。」と哲学する。

「成田から昨日までの3日間、ずーと同じTシャツを着てきた。
そして昨日までわたしはインドでかなりの辛酸を嘗めてきた。
しかし先程3日目にして初めて幸福を感じた。
そしたらTシャツが無くなった。

『昨日までのインド=昨日まで着ていたTシャツ』
だとしたら、

無くなった事は
「昨日までのインドをもう忘れろ!」と表しているのかもしれない。

そのように解釈した。

ただ次の瞬間
「俺シャツ2枚しか持ってきてないし!やっぱ困るわ!」と我に返った。

わたしは部屋を飛び出し、
階段を2段飛ばしで降りていった。

何が昨日までのインドだ!Tシャツなくなったら今日からのインドどうするんだ!

ホテルに庭はなく
もしわたしのベランダからボールを下に落としたら落下地点はゴミ置き場だ。

ただ無くしたのはボールではなくTシャツで、
飛んでいっても半径10mだろう。

一番最悪なイメージは
落ちている「黄色いTシャツ」をインド人が「あらこれちょっといいわね。」と取っていっちゃうパターン。

売っちゃったりするかもしれない。

ただ辺りは真っ暗だしすぐには落ちている事も気付かないだろう。
僕はそんな事を想定しながら真っ暗なホテル周辺を「あれー?ないなぁ、」とうろうろしてた。

周りのインド人にしてみれば「こんな時間に何やってんだこいつ。」だっただろう。

わたしはこういうとき英語でなんて言うんだろう。
必死に文章を組み立てて「どうした?」と心配そうに追ってきたパパに伝えた。
「アイロストマイシャツ。」までは伝わったが、

手摺に干していたから風で飛んでいった。
が言えなくて
とにかく「Tシャツイズフライング」を連呼する羽目になった。

パパにしてみれば
「Tシャツは飛んでる?ん?飛んでる??ん?ここら辺を?ぐるぐる?Tシャツが勝手に?」
だっただろう。

「もう暗いから明日にするよありがとう。」

探してくれたパパに伝えた。
明日探せばいい。

寝よ。

「このホテルはなんで石鹸を置いてないんだ!」と思い、
腹いせにツインのベッドを斜めに、
両方使って寝てやった。

アラームが5時に鳴る。
ボートの時間だ。

過去の自分に叩き起こされ、
目も開けられない状態で
ベランダに出る。

初めての朝ガンジス。
えーと、写メ、写メ。
携帯、携帯。
あった。
はい。

バラナシのガンジス川
バラナシのガンジス川

えーと、Tシャツはどこかな、
あるかな?
ベランダの下を確認してみる。

「あった!」

黄色いTシャツは下の階のベランダに3ヶ月ぐらい前からあるような顔をして落ちていた。

「後で『下の階のベランダに落ちていた』とフロントに伝えよう。

ボートはどうしよう、
まっいっか。
今日じゃなくても。

ちょっと寝足りない。
「もうちょっとだけ寝させて。」
起きしなの太陽に許しをもらってベッドに沈む。

「Tシャツあってよかったよかった・・・」

それからわたしは何時間後に「暑いから」起きた。

どうやらまた停電になっているみたいだ。

時計は朝10時を指している。
寝覚めは良くはないが体はもうこれ以上の休息は望んでいない感じだ。

腹を下さなかったことから判断すると昨日食べたイーバカフェの全ての食材は「大丈夫だった。」ということだ。

ベランダから下の階のベランダを見る。

「あれ?なくなってる!代わりに椅子が置いてある!」

わたしはフロントが見つけてくれて預かっているのかと思ったが聞いたら
「あったのか?知らない」という。

「え!!??」

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