電車に乗っているとさてどうしようか、と思う事がある。

世間と付き合うか?自分と向き合うか?という二択にである。

電車の中でいう『世間と付き合う』と言うのは情報収集であり人間観察だ。

『自分と向き合う』と言うのは何かに没頭し、耽る事だ。

この目的地までの時間は世間と付き合ってみようと思う。

今、何やら目の前の小学3年生位の男の子が小さな青いバックから何かを取出そうと中身をゴソゴソやっている。

あ、落ちた。

へんな4つ折りの紙が落ちた。

その子は落ちたのもお構いなしにゴソゴソやっている。

まったく見えていない。

この子は将来どんな大人になるのだろう。

そういえば今朝こんな事があった。

財布が見当たらなかったのだ。

どこ探してもない。

血眼で探しても、鵜の目鷹の目で探してもない。

ないものはない。

ただ今部屋を出ないと間に合わない。

けど出れない。

落ち着いて考えた。

昨日のジーパンから出してないんじゃないか、毛布に包まっているんじゃないか、鞄の中に埋もれているんじゃないか、引き出しの中に無意識にしまったんじゃないか・・・。

ついには無意識まで疑い始める。

もう部屋を掻き回すだけ掻き回して・・・。

数分後。

あった。

テーブルの下にあった。

・・・・・。

そして脇目も一切振らず探した現場眺めてみる。

丸められた毛布、ひっくり返された布団、投げ捨てられたジーパン。

財布はあったが、後先考えず、躍起になり、全ての事を度外視してた数分間、もっと大事な物を見失っていたんだなと気付く。

それはこんな事で興奮して獣の様に肉を探した極端に表現するなら人間の喪失だった。

と、

こんな事を想ってたら、

目の前の男の子はもういない。

代わりに白髪の事務作業着姿のおばあさんが申し訳なさそうに座っている。

どうやらまた思いに耽り、この数分間も今朝と同様、小事で大事を見失っていたようだ。

自分はつくづく世間と付き合うのが下手なんだなぁと思う。

そして、あの子が将来こんな大人になるのかなぁとも思う。

黒の革財布