インドの警察

最初から読む→【アーグラの夜猿】1日目

6月27日〜7月4日出来事をお伝えしました。

長い文章なのに最後まで読んで頂いてありがとうございます。

たった1週間の出来事ですが、
みてお分かりのようにわたしにはあの国に半年いたような気さえします。

どれだけ心が震えた日々だったかは以前の武骨日記との違いを見てもらえれば分かっていただけると思います。

この後わたしは成田に着きエクスプレスで都心に向かいます。

車中窓から見えた景色は新鮮なものでした。

わたしが初めてガンジー国際空港に降り立ち
バスでニューデリーに行くまでの間にインドを見るような目線で日本を見る事ができました。

「うわっ。日本にはガードレールがあるんだ。」

「うわ。自動販売機だ。すごい便利!」

「切符がすぐ買えるじゃん!しかも券売機で!」

「歩いてる女性みんな綺麗だな!」

「すごい!建物が1つも壊れていない!」

「誰もが清潔な洋服着てる!汚れてない!」

「誰も列車の窓から洋梨の種を捨ててない!」

こんな感じなので、
今は治りましたが、
暫く「逆カルチャーショック」に悩まされる事になります。

具体的には、
今までしてきた事を疑い出します。
また、
自分の大事にしていた物の順位が変わります。

これが俗に言う
『インドに行くと人生観が変わる』ということだったんだ体感しました。

わたしは海外が初めてでしたし、一度染み込んだ色を白に戻すことが大変でした。

インドに行って学んだというか、感じた事があります。
それはこうゆうのが『旅』なんだろうな、という僕なりの定義です。
旅慣れていないながらの答えです。

今の所わたしは『旅』についてこう思っています。

それは「価値観が違う人とどうにか心を通わせる事」が『旅』で、その努力が「旅に出掛ける」という事では?という事です。

ちょっとこれだけだと何はしゃいでんだこのやろーなので、説明しますと、
日本にいてもそうですが、
どんなに有名な建築物を見に行っても「あー来てよかった、」とはなかなかならないんですね。

わたしの場合そうでした。
わたしは実際ガンジス川を見てそこに敬虔に生活する人の心を想う事はあってもその川自体にはさほど感動を覚えない。

多分それはわたしがヒンドゥーではないからだと思います。
ただそこに暮らす異国の人が自分の気持ちを分かってくれて、汲んでくれて、 優しかったりするとわたしは「あー来てよかった」となりました。

でもこれって日本にいながら体感できるんですよね。

ここでちょっとみなさんも考えてもらいたいのですが、
普段全く性格が合わない人や、疎遠な人、嫌いな人、タイプじゃない人。

みなさんの近くにも、
誰にでも周りにいると思うんですが、
こういう人達は全く自分と価値観の合わない。

ここではそのような価値観が全く合わない人を『インド』とします。

だとすると、精神的な『インド』は飛行機に乗らないでも身近に存在する。

わたしは心が通じてるインド人と心が全く通じてない日本人、「どっちが僕にとって『外人』なんだろう」とふと思ったことがありました。

このような考えから、

わたしは『旅』というのは何も海外に行ってとか

遠くに行ってあれこれ見て、ではなく
どこにいても、
もちろん日本にいても、

「どれだけ深く人と心が通じるか」だという考えに至りました。

その自分の価値観に合わない『インド』に精神的に向かう努力や姿勢が「旅に出掛ける」ということなんだなぁと感じました。

なので『旅』は怖いのですが、ただ『インド』と心が通った時の喜びったらありません。

このような理由でわたしはこれからも、
日本にいても、
どこにいても精神的『インド』への旅を続けると思います。

長々とあれですが、
みなさんはどう感じましたでしょうか?

みなさんがこの旅行記を読んで感じた事をお寄せください。

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