「運ばれてたのかもな。。」ジューススタンドからこの道を見ていると考えさせられる。

店番をしている主人が招いてくれる。

「こっちにおいでよ笑」

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わたしは店内側に案内される。

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やっと腰を据えて先程まで道のりを振り返ることができる。

牛使いにカメラを向けると彼らは嬉しそうにポージングする。

「おい!写真撮られてるぞ!格好良く撮ってくれよ!笑」
わたしはシャッターを切ったフリをする。

「ほしいほしいの奴」はどうも苦手だ。
「どれどれ見せてみろ!なんだ!撮ってないじゃないか!」になるから足早にその場を去った。

暫く歩くが限界になりサイクルリキシャーの子供に道を尋ねる。

「オールドデリーはどっちだ?」
「NEWデリー?」
「違う違う。オールドデリー。知ってる?」
「OK!OK!乗れ!」
「なんでだよ!乗れるか!」
これで伝わらなければその後全て伝わらないわ!

「道だけ教えてくれよ!オールドデリーはどっち?」
「あの道を左行って、真っ直ぐ行った後、左!」
「ここに戻ってくるじゃねーか!」

道を教わる際、彼らは決して嘘は言っていないのかも知れない。
別の人に聞くと違う方向を指差す。
また彼らの意見が食い違っているのはひょっとしたら身分によって通れる道、もしくは職業上使っているローカルな道を教えてくれているのかもしれない。

「next to road」も、
ここのちょっとした小道も入ってるの?それとも大通りのこと?
え?ここ?さっきの場所から大分歩いたよ?というのがある。
彼らの距離感はまちまちで時間も悠久時計だからか「結構遠いぞおい!」と感じることがる。
彼らは彼らなりに正直に答えているのかもしれない。

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インドの牛はシヴァ神の乗り物とされ「神聖なもの」と聞いたことがあるが、
わたしが出会った牛使いは神懸かったそれを制御するため、目を覆いたくなるような強さで鞭を当てていた。
思いっきり振りかぶり、それを牛の背中に振り下ろす。
疲れたらピッチャー交代して、公道の端っこで子供達がその順番を待つ。
「僕にもやらせて」のような感覚に見える。
牛はさぞ泣いているのかと思いきや、微動だにしない。瞬きひとつせず受け入れている。
牛使いにいわすと「言うこと聞かす為さ!ヘヘヘ」だそうだ。

ヒンドゥが「牛を食べない」というのは厳格な信者だけだそうで、
種類に分けられて食べられているという。
インド人は牛が美味しいことを知っているようだ。

食べられる牛とそうでない、悪魔の牛と呼ばれるものもあるようで、牛にも階級が存在するようだ。
わたしはヒンドゥは牛を食べないという理由は、それとは別に、牛がそこら辺のゴミなどを食べていて不衛生からではないか。
とも思ったし、物流に欠かせない使役動物だからではないかとも感じた。

ニューデリー駅からオールドデリー駅までは歩いて50分~60分程で、
もしリキシャーで行ったなら100ルピー。(交渉すれば80ぐらいで行ってくれるだろう。)
公共のバスを使えば15ルピー程でいける。
距離感が分からず、手元の縮小された地図だけを頼ると何か近い感じがするが、
「これが交差点?」「これが表通り?」と驚かされ、「さっきのところ曲がるのか!」や道を聞くともう一度スタートに戻るの場所になりかねない。
リキシャーに乗って暫く町並みと道なき道を眺めていると「これはとてもじゃないが歩くのは無理だ。。」
と過去の自分の無知を反省することになるだろう。

今朝のわたしは体力があるし、何より興味深いものが興奮させて歩く活力にしてくれた。
リキシャーも遠い距離や明後日の方向を歩いていると「どこに行くんだい?」と声を掛けてくるが、
声を掛けられなくなった。デリー駅が近くて方向も間違いがないことをあらわしているのだろう。

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赤茶色したオールドデリ駅はレッドフォードのような造りで、辺りを城壁のように覆っている。
ちょっとした背の低い小さなお城のようで、駅周辺の「城下町」ではニューデリーのような観光客目当てのお店というよりは、ここでは地元の人を相手に商売しているようだ。
(後日聞いた話によると、ここら辺はムガル朝時代の城塞都市だったようだ)
外国人を見ることは殆どなく、地元民も珍しそうにわたしに一瞥しては隣りの奴と話の続きを始める。

オールドデリー周辺をみていると様々な人や運搬物が交差する「物流が行き交う場所」なのだろうと感じる。

誰もが何かを牽きながら歩いている。

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わたしは喉の渇きを覚えジューススタンドに立ち寄った。

主人の「こっちにおいでよ。」という優しい言葉に甘えると、

店内に入り、腰を下ろし、10ルピーのLimcaを流し込みながらメインストリートを眺める。

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歩いているうちは自分も「人」としての物流の流れに乗っていた一人だったのがよく分かる。
このように眺めていると人力車が多い。
わたしは華奢な体つきの男性が大きいものを人力で運ぶ様子には特に目を奪われた。
彼らは総じて大きくて重そうな荷物をどこからどこへか運んでいる。
なんという力強さだろうか。
それは人力だからと切り捨てることは容易いが、
この時代に逆行する彼らのうぶで盲目的な世界観に由来するエネルギーにわたしは心を打たれた。

うず高く積まれている荷物は積み方も分からないかもしれないし、これがベストな積み方かもしれない。
頭のいいインド人のことだから多分後者なのだろう。

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それらの様子は面白い目線で見れば「こらこら。テトリスか!」だけれども、

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彼らの背景にある物語に想いをめぐらすと、なんて「自分は弱いんだ」とも思えてくる。

彼らはニューデリーからデリーまで荷車で、人力車で、渋滞やあぜ道に苦慮しながら牽いて来た。

ここまでの道の途中にあったあの慢性的な渋滞も「結局歩くほうが早い」ということで人力を選んでいるのかもしれない。
あの距離を?

ひょっとしたらもっと遠くからかもしれない。

それでは終わらない。
長距離ならその後デリーで列車に積み、

終わったらさらに別の場所に別の物を積んで牽くはずだ。

そして仕事が終わる。

もしかしたら彼らには屋根もなく路上で寝る人もいるかもしれない。

路上で寝ている人をよく見掛ける。この人達かもしれない。

そして明日また同じ仕事がある。

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ん?

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いや。それは普通に持てるだろ。。

ニューデリーからオールドデリーまでの長い距離を、

わたしは、そのような力強く生きる人々の流れる道に乗って歩いてきた。

ひょっとしたらそれらの活力に呼応して足が進んだのかもしれなかった。

彼らがわたしをここまで運んでくれたのかもしれなかった。

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