やっぱりおかしい。

わたしは部屋のベットに仰向けになり、
天井の塗装が剥がれ、根元がむき出しで折れそうなシーリングファンに注意を払いながら
ある不安に駆られている。
フロントにパスポートを預けたのだが返してもらっていない。
そもそもなぜ明日の朝まで預けなくちゃいけないのか。

なぜ一番大事なものが今手元にないのだろう。

まだある。
チェックインの際支払った料金のお釣りが返ってこない。
フロントは「あとでお釣りとパスポートを部屋まで届ける」というがまだ来ない。
4階の私の部屋に設えてあるベルをならしてもブザー音がなるのだが、
その音はフロント前で車座になってテレビに興じているインド人の耳に響いているが
おそらく無視されていて、
来ないということは「動きたくない」「あとでって言っただろ」のようなメッセージのようだ。

インド人の「あとで」は一体何時間後なのだろうか。

こうしてはいられない。

わたしはエレベーターもない暗くて急な階段を降りてゆく。

やはりわたしの事はわすれているみたいだ。

フロントの前ではTVが映し出すクリケットに集中していて、

ホテルマンともいえない、私服の近所の奴らが
「おいおい何か言ってるぞお前聞いてやれ」「どうした」と耳を貸す。
わたしが不安な想いを告白すると
「そうかパスポートか。おい!」とそいつの弟のような弟に声を掛けると「なに?」
と用件を聞いている。

ここのゲストハウスに泊まっている外国人はわたしだけの様な気がする。
二人はヒンドゥ語で暫く話した後
弟が「付いてきて」と引き出しからわたしのパスポートを出し
外に出た。
インドの奴らはとにかく外国人を連れて歩き回るのが好きだ。
一体どこにいくというのだろう。

弟はわたしのパスポートを片手に
なんの間を埋める会話も無くわたしがまだ知らない道を連れまわす。

ちょっとちょっと結構遠いな。どこまで行くのか?
尋ねてみると「あとちょっと」だという。

わたしはインド人の「後で」と「あとちょっと」は世界基準の「後で」「あとちょっと」ではないと感じる。
先程ホテル従業員全員でクリケットに夢中になっていたのを理解してるし、
彼らはクリケットの試合が終わったら、さてと・・で動き出し、そろそろ寝るか・・とその日を
終わらせようとしてただろう。

わたしのパスポートは今まさにインドの子供に強く握られていて、
彼はそれがどれだけ大事なものか理解してはいない。
インド映画の半券を持って外に出てきた感覚と同等な扱い受けている。

もし今このこの子が誰かに襲われたらと思うと
わたしはこの子を襲ってでもパスポートを取り返さなくてはいけない。

私はとにかくそれはわたしの物で大事なものだから一旦こちらに渡せ。
もし使うならそのとき提示するから。一旦返せ。
と打ち明けるとは渋々返した。

ゲストハウスからもう一人では帰れないくらい連れ回されて
着いた先は友達のお店のようなこじんまりとしたスタンドで、
エレクトロニックと書かれた所を見ると電気屋さんなのだろう。

友達にコピー取らせてくれのような言葉を投げると、IDを見せろという。
子供がぶら下げていた認証カードのようなものを提示すると
「何枚だ」とやり取りする。
サムスン製のコピー機が動く。
子供はわたしのパスポートのビザ部分をコピーするとその用紙を持ってホテルにもどる。
わたしはそれを追う。
コピーする場所が近所に無いからここまで来なくてはならなかった。
だからパスポートを預けろということだったようだ。
コピー機ひとつ近所に無いのも驚くが、滞在者のパスポートがこの館内だけで処理されず
子供の手によって知らずに移動されているのが怖い。
もしなくなったらおよそ「預けたお前が悪い」と言われるのだから今後どこにも預けられない。

ゲストハウスに戻り子供がわたしのパスポートのコピーを別の男にわたす。
何言っているか分からないがもめている。

子供はふてくされてソファーにどかりと座りテレビを見る。

別の男がわたしに伝える。
「これはクリアーに写っていない。もう一度取る必要がある。
もう一回行く。場所は今度は遠い。
パスポートを預ける必要がある。パスポートを貸してくれ。」
「それはできない。もうそれでいいじゃないか。」
「いやダメだ。この子がまた行く。今度は駅まで行く。」

「駅?遠いよ!俺も行く」
「じゃあこの子の分お金を払うのか?」
「なんでだよ!一緒に行くだけだよ」
「一緒に。タクシーで行くのか?」
「行くけどこの子の分は払わねーよ。じゃあ俺がCHECK OUTの時に一緒に行こう」
「ノーノー。今行かなくてはならない。」
「なんでだよ。」
「なんでって、こんな薄いコピーじゃ読めないだろ!」
「しらねーよ!」
「この子が行ってくるからパスポートをよこせ!」
「よこさねーよ!」
「じゃあお前一人でコピーを取って来るのか?」
「なんでだよ!」
「なんでって、ビザのここの部分が薄くなっているからだ!」
「しらねーーての!」
「この子が行ってくるからパスポートをよこせ!」
「よこさねーよ!」
「じゃあお前一人でコピーを取って来るのか?」
「チェックアウトしたら取って来るわ。」
「さぁ行け!」
「なんで今なんだよ!」
「今コピーが必要なんだ」
「じゃあ一緒に行くから」
「一緒に行くんだな?じゃあこの子の分もお金を払え」
「なんでだよ!」
「なんでって、ビザのここの部分が薄くなっているからだ!」
「だからそれはしらねーって!」

わたしはこの輪廻のようなやり取りから解脱するためにお構いなしに部屋に戻った。
明日は朝5時に起きてリシュケシュを目指す。