こうなることは分かっていた。
「ウエストゲートに行け。」と伝えたにもかかわらず「イーストゲート」で降ろされた。
降ろされたというか勝手に降りた。
「間違えてウエストゲートに来てしまった。」と告げられたからだ。
本当に間違ったのか、わざ間違ったのかは分からない。
もうそれ以上何も聞きたくないし、この男を信用はできない。
多分「近くにホテルがあるからそこに行こう」などと目的地を変えさせられるのだろう。
当然プリペイドシートは渡さない。
「待て待て!」
と追いかけて来る運転手。
「あなたは約束を破った。これは渡さない。」
とだけ告げる。
この街は停電でもしているのかもしれない。
辺りは暗くてリクシャーのヘッドライトと家屋の光だけを頼りに歩く。
暗い中だとさすがに「ヘイジャポン!」と声を掛けてこない。
『インド』には僕が何人なのか全く見えないみたいだ。
イーストゲートとウエストゲートは歩いて4分ぐらいの所にあった。
道行く人に尋ねてそれはあった。
大きな門は空いている。
そのすぐ近くに警察が3人程椅子に座っている。
椅子はパイプ椅子で警備をしているというか談笑している。
リラックスしているみたいだった。
わたしが「このホテルはどこだ?」と聞くと「すぐそこだ」と指を指す。
「センキュー」の発音も良くなって来た。
相変わらずの砂利道を少し行くとそのホテルはあった。
「ホテルの予約はしていない。部屋は空いている?」
するとそこの小さいおっさんが「ホントニー?」と笑いながら日本語で返してくる。
どうやら覚えたての日本語が流行っているらしい。
わたしが部屋は空いている?ともう一度聞いても
「ホントニー?」
語尾を少し上げる。
あまりにも明るいウェルカムな対応に少し前までキリキリしていたわたしは却ってぎこちない笑顔になっていた。
わたしは恐る恐る「幾ら?」
と聞いた。
小さいおっさんはこちらを試すように「250ルピー」と仕掛ける。
おっさんの目線は「250ルピーで通るかな?」と実験的な目線だった。
わたしが「テレビはある?」「シャワーは出る?」「クーラーはある?」「石鹸は?」等と事細かに聞くと「お前はどんなホテルに泊まっていたんだ?」と言わんばかりに笑われた。
わたしは「部屋を見せてくれ。」と要求する。
バラナシではこの事前に部屋を事細かにチェックしなかった。
結果、
石鹸はないわ、シャワーは出なくなるわ、南京錠は内側から掛けられないわ、
妥協する事が多かった。
小さいおっさんとフロント左側の階段を登ってすぐの部屋に行く。
ホテルの形は2階建ての筒状になっていてその真ん中は吹き抜けの中庭。
そこはガーデンレストランといった感じ。
金髪の外国人がオレンジ色のライトの中ディナーをしている。
「ここのレストランは『安全』なんだ。」と外国人がディナーをしていると事で判断できた。
オーナーが暗い部屋の電気をつける。
電気をつけるというか部屋ごとにあるブレーカーを上げる。
部屋はこんな感じ。
" /> 水周り[/caption]
小さいがテレビはある。
ここのホテルでもワールドカップが観れる。
写真では分からないが窓はモンキーが入り込まないように開かない。
外の光は大きなクーラーファンが窓のところに備え付けられていて遮られている。
ベッドは固くて薄いマットにシーツを敷いただけ。
いわゆる煎餅布団。
お世辞でも心地いいとは言えない。
トイレはこんな感じ。
まあまあ綺麗な方だ。
毛布や掛け布団は当然ない。
暑いインドでそれらを要求したら笑われるだろう。
この前の所より設備面はしっかりしているし何より小さいおっさん、オーナーが陽気だった。
何かと「ホントニー?」を連発してきてわたしが鍵をもらう時にはなぜか日本語で「モウカリマッカー!」と叫んでいた。
わたしは余りにもふざけているオーナーに「こーゆーインド人もいるんだ。」と驚いた。
ガイドブックには確か一泊シングル150ルピーと書いてあったと思う。
わたしは250ルピーを請求されたが、
「私は明日もここに泊まる。2泊するから1泊目を200ルピーにしてくれ。なので450ルピーだ。」
と交渉するとあっさりオーケーを貰った。
ここのホテルに決めた理由はガイドブックの口コミだった。
その口コミには「オーナーの気遣いがいい。何かと『何か困ったことはありませんか?』と聞いてくる。」と書いてある。
同一人物かは分からない。
このように覚えたての日本語で接してくれる所が『ディスイズインド』で疲れた日本人の緊張の糸を緩める。
前のホテルが一泊550ルピー。
なので250ルピーで泊まれるお財布にも優しいホテルだ。
部屋でライブなのか再放送だか分からないワールドカップ、
アルゼンチン戦をしばらく見る。
そして一旦シャワーを浴びて今日の事をノートしたらちょっと外に出掛ける。
フロントに立ち寄ると「ヘイヘイ!」と呼び止められ
「ちょっと見てくれ」といわれる。
何かなと思っていると独学で学んだ日本語とヒンドゥー語のノートだった。
宿泊する日本人に「いらっしゃいませ」「こんばんわ」「ありがとう」等数々の日本語の発音を確かめるのだろう。
「この発音は?こうか?『アリガトー!』当たっているか?」
等付き合わされた。
しばらく僕が『日本語教師』になってオーナーが『生徒』になって教える。
ユニークなオーナーだ。
外に出る。
警察が警備する門の所で先程道を間違えたリクシャー運転手がいた。
ゲート近くに座っている警察ともめていて、僕を見つけると「いたー!」と言わんばかりだ。
「駅からここまでこいつを乗っけてきたのにプリペイドシートを貰っていない」と警察に抗議していた。
わたしは確かに送って貰ったが「所定の場所まで、シートに書かれた場所で降ろしてもらっていない。」と警察に訴えた。
いずれにしても異国で面倒になるのは嫌だ。
どこに入れたかも分からなくなったシートを探してぐちゃぐちゃのまま渡した。
わたしはこの日いつ寝たか記憶がない。
このあとホテルすぐ隣のインターネットカフェでしばらくインターネットで最近の日本を調べて「あー、キングオブコント始まったんだぁ、、」なんて耽っていた。
そこのインターネットカフェを経営しているインド人と仲良くなる。
「俺のお兄ちゃんは神奈川県の川崎の高校で英語の先生をしているんだ!」
「本当に?私は川崎に住んでいたよ!川崎のどこ?」なんて会話をして
エイティーンとエイティンの発音がわからなくて家族の笑い者にされていた。
「また明日も来るでしよ?」なんて15才ぐらいの女の子に約束させられた。
ここアーグラでまたも心が繋がった瞬間だった。
こうしてインド5日目はこうして終わった。
そして旅は6日目、7日目と続く。