「今まで訪れた国々の話」カテゴリーアーカイブ

こちらは「もりたけんじが今まで訪れた国々の話」のカテゴリーです。
旅はわたしに気付かせてくれました。
たとえ海外に行かずともあなたの周りにいる価値観が会わない人を理解する事。
それこそが旅である。
旅は続けなくてはならない。ってね。

カンボジアとベトナムの国境は全てバスで越えるのだろうか。
人が歩いていない。

国境の町というよりはサービスエリアのような場所がぽつんと在るだけだ。

人の往来がない事が隣町まで歩いて行ける距離じゃない事がうかがえる。

バスの中からの眺めといえば沼地や湿地帯ばかり。

インフラ整備がされていない一本道を駆け抜けてきた。
周りに何もない平野を見ると「ここが大都市になることはないのかなぁ」と余計なお世話が浮かぶ。

そういえば
先ほどのじゃがいもチキンを食べさせて頂いたのは「スワイリン」という地名らしい。
カンボジア3
日目②
ここが地図上でどこに位置していたのか後で確認してみようと思い聞いてみた。

そして「うわっ。ホーチミンまでこんなにあったんだ。まだまだだったんだ。」等とここがホーチミンだと勘違いした過去の自分をバカにしてやろうと思う。

余りにも退屈なバスでの移動はツーリストから会話を奪った。
昨日の夜から次の日になっても着かないのだから仕方がない。

皆、リュックサックと同じくらい喋らない。

全く誰も喋らない。

喋らないともはやどっちが「荷物」か判別つかない。

次の停留所で足がついたリュックが乗ってきても私は驚かないだろう。

どっちが本当にバスにとって「荷物」だろうという感覚はここまでの旅で時折考えさせられる。

タイのチャンブリ〜アランヤプラテートだったり
カンボジアのシソボン〜シュリムアップだったり
こういうツーリストバスには大抵お前金払ってないだろ!って奴が乗ってくる。
そして段ボールに何か詰めた物を積んで
熱い熱気を身体に纏い
涼しい顔して座ってる。

バスは何の合図もなく停まりそれらを乗せる。

停留所があるの?と思って窓越しから外を見ると何もない。

お前らは重い荷物を運んでいる奴が道端にいると停まるのか!と突っ込みたくなる。

そういった意味で私は
ツーリストバスに「バスが人を運んでいる。」というよりは
「荷物を運ぶついでに人を乗せている。」
印象を持った。

鉄道が走っていないカンボジアでは唯一の輸送手段がツーリストバスで
その輸送費の一端を私たちが担っているのかもしれない。

こっちの窓、向かって左から見る景色と
向こうの席の方、右手側と風景が違う事に気付く。

ある道では左手側に住居があり右手は原っぱ

ある道ではその逆だったりする。

こんな奴がいた。
エレメッカという所でバスに乗車して出発待ちをしていたら
おばさんが外から大量にサングラスを売ってくる。

私が構わず座席の前方を見ているとまだこちらを見ている。

「買わないっ」っていう事で無視しているのに
向こうは「こちらに気付いていないだけだ!」
と勘違いしてる。

まだ見ている。
頭に来たからずっと冷たい目で見てやった。

すると向こうも百戦錬磨。
「このサングラスを買え!」とばかり見てくる。

この2人の様子を他が見たら愛し合ってる2人みたいだろうが、
私たちは決して何かが芽生えた訳ではない。

このサングラスを買え!
いるかボケ!
のカンボジアVS日本の無制限一本勝負をしているのだ。

決して琴線が触れ合って
番号交換した後
別れを惜しんでじっと見つめ合っている訳ではない。

私はこちらをずっと見て離れないサングラス売りに「なんでまばたきもできないんだよ!」と段々頭にきてついには変顔をしてやった。

するとその大量のサングラス売りは急な変顔に腹立ったのか
持っていたサングラスでバスの窓を叩いた。
そして諦めてどこか行った。
「商品で叩いたらダメだろ!」と降りていって説教してやろうか思ったが

確かに変顔はルール違反だったなと反省する。

しばらくしてバスは動きだし勝手に川を渡る。

バスが大きい船に乗り入れて船が川を渡り
向こう岸に着いたらバスが降りる。

勝手に。
こいつらは本当、
勝手に停まって変な奴乗せるし
勝手に停まってまずいチキンスープ飲ませるし
勝手に川にバスごと入る。
全く、
お前ら一々アナウンスしろ!
カンボジア3
日目②

「はい、道端に荷物重そうな人がいるので乗せまーす!」
とか
「はい、私がハマっている美味しいチキンスープがあるレストランに停まりまーす!」
とか
「はい、バスは川に入りまーす!」
とか
一々アナウンスしろ!

やっぱアナウンスいいや!
うるさいから!

しばらくしてバスが停まったと思ったら男が乗り込んできた。

なんだか軽装の痩型が現れたから最初バスジャックかと思ったわ。

何やら前方に座ってる人が男にパスポートを預けている。

『バスジャック犯男』は「パスポート預けたら降りろ」という。

あれ?荷物は持って降りるのかな?

そうではないらしい。
バスも越境するみたいだ。カンボジア3
日目②

そこら辺にある資料館のようなセキュリティの甘い場所でカンボジア側から出国する為審査を受ける

顔も見てはくれずとにかくここに着いたという事で
スタンプラリーのように判子を押してくれる。

みんなパスポートを得体の知れない『バスジャック犯男』に預けたものだから自分のパスポートを貰うまで心配そうだ。

カンボジア3
日目②

入国審査も終えまたバスに戻ると隣のおばあちゃんが美味しそうな物を食べている。
発泡スチロールの入れ物にご飯、その上に照り焼きチキンがのっかっているだけなのだがなんか旨そうだ。
先ほど買ったらしい。

あまりにも美味しそうに発泡スチロール上のご飯と照り焼きチキンを食べるので一応何かあった時の為に
おばあちゃんと写真を撮った。
カンボジア3
日目②

私はようやくベトナムに入国した。

ベトナム側からカンボジア側をパシャリ。

バスは国境からさらに4時間掛けてホーチミンに着く。

首都プノンペンに着いたのはまだ日も上がらない早朝。
カンボジア3
日目①
同じバスで終点まで向かうのかと思っていたがそうではないらしい。
国境を越えるには越える為のバスと運転手が必要で
プノンペンはそのターミナル駅みたいだ。

バスの中で無くし物をした外国がいたので
一緒になって探してあげようと地べたに顔をつけて隅々を調べた。
するとバスが車庫に入る為動く。
「おいおい!今無くしもの探してるから!」
運転手も状況が分かったのかサイドブレーキを引く。
「ないなぁ。諦めてもらうしかないな、」と思い
ふと顔をあげると当の本人がいない。
バスの中はわたし1人。

あれ?と思いバスを降りると道路渡って向こうを友達と歩き出している。

え?あったの?諦めたの?何なの?

どうやら私は突っ込みよろしくの使い捨てコントをふっかけられたみたいだ。

プノンペンは背が高い建物が多い。

歩いてこの町の骨子を掴みたいのだが時間はあるだろうか。

露店を構えている胡散臭いおっさん達にバスチケットを提示するとホーチミンと書かれたチケットを渡された。
カンボジア3
日目①

「何時出発?」

「わからない。」

おっさんのいう「分からない」の意味するのは
ホーチミン行きのバスの点検や準備が出来ていないのか
まだそもそもここにバスが到着していないのか
どこかの都市からの外国人を乗せたバスも待っているのか
ちょっとよく分からなかったが
チケット売り場でおっさん6人が日の出前から談笑する姿に自分がそれ以上好奇心旺盛になるのを止めた。

そこに座っている金髪の外国人が友達に促されて立ち上がったら出発なのだろう。

昨日からの付き合いのこの集団を注視して散策しなければならない。

「お前は水祭りの事故現場を見たいか?」
「5分でいける。すぐそこだ。」

トゥクトゥクのおっさんが笑いながら提案してくる。

わたしは見たい衝動に駆られたが
いつ出発するか分からない国境バスに後ろ髪引かれて行く訳にはいかない
またおっさんの5分が本当に5分かどうかも分からない。
そのくらい簡単に行けるぞという意味の5分かもしれない。
やはりここを離れる訳にはいかない。

しかしほんの1週間前の自国の不幸を商売にしてしまうおっさんに面食らう。
カンボジア3
日目①
旅行会社の人らしくわたしが持っていたノートを乱暴に取り上げて雑に番号を書いてくれた。

そうこうしていると
ホーチミン行きのバスはなんの合図もなくやってきた。

私はここプノンペンからホーチミンまでがまさか「8時間」も掛かるとは思わなかった。
カンボジア3
日目①
沼地が続く。

カンボジア3
日目①
時折通る検問みたいな所で「ここは国境か?」と乗り合わせた隣のカンボジア人に聞く。
「私は分からない」らしい。
よく行き来しているんだろうと思い聞いてみたのだがファーストタイムらしい。

日本なら「道の駅」などの分かりやすい休憩地点があるが
このバスはなんの看板も無いところに急に停まる。

あれ?なんで停まったの?と戸惑っていると
後ろの方に座っていた外国人が「しかたねーな」みたいな顔をしながら前方の昇降口に向かっていきバスを降りる。

みんな降りるもんだからわたしもしかたなしに降りる。

じゃぁ降りなきゃいいじゃん!と思うのだが
とりあえず外の空気を吸いたいのだろう。

下ろされた所は「小屋」。

「小屋」が「レストラン」だと分かったのは不潔なコールドショーケースがあり、
砂まみれの席とテーブルがあり
簡易的な厨房があったからだ。
カンボジア3
日目①

「マトン?」
マトンは食べれない。
「チキン?」
あ、じゃぁチキンください。
なんだかチキンにポテトが入ったスープを頂く事にする。

あー!
なるほど!
温かくて!
よくダシが効いていて!

クソまずいな!

シュリムアップ〜ホーチミンまでの夜行バスは二段ベッドのシャトルバスでその座席は各々バスに乗り込んだ順に適当に選んだ。

座席という『領土』を確保するのは欧州?豪?米?しらないけど、速い。

私達アジアは空いた所に陣取る。
連れている女性も大きいこと大きいこと。

郊外に出て暫くすると一本道になる。
その頃には車内は暗くなり睡眠することを促していた。

眼が暗順応で物がかすかに見えた頃私はカンボジアを振り替えって思った事、感じた事、予想、素朴な疑問、旅をするにあたっての教訓、ベトナム情報等を仰向けになりながらノートの罫線関係無くペンを走らせた。
◇◆◇◆

カンボジアの子供は
小さい赤ちゃんを持つお母さんは「この子にミルクあげたいからお金頂戴。」

子供が立てるようになると店番をして「これ買って頂戴。」

子供が少し大きくなり歩けるようになると「サムシングドリンク?」「ココナッツ?」と動きながら仕事する。
大人になると果物を売りに出稼ぎに向かい店舗を構えて仕事。
男は小さい頃は女の子と同じ仕事。
大きくなるとモトサーや電動三輪車「ホエアユーゴーイング」が仕事。

穏やかな性格。
ふっかけてきてる感じはしないししつこくない。

日本の物は
森永ぷっか。
明治ヨーク
トヨタ
韓国のカップラーメン、アイス、ジュースが多い。

外国人で保っているような国。
アンコール遺跡郡の1DAYチケット高過ぎる。(20ドル)
自国民はタダなのだろう。

カンボジアの軍事費はいくら?
ヨーロッパの旅行客が年間どれくらい訪れているのだろうか?多すぎる。

終わりそうで終わらないアンコールワットで演奏されている音楽はなんだろうか?

カンボジアの赤土は何?

カンボジア政府はどこにお金使っているのか?

子供達に何か政策をしているのか?

社会主義とは何か?

後10分歩いて着かなかったら戻る。

今何がどこにあるか分かっているか?それがカバンのそこにあるという理由が必要。

日本大使館の位置。

カンボジアリレルは既に崩壊しているらしい。
1000リレルはチップにもならない。

タケオハウスのタケオはカンボジアの街の名前だった。

シンチャオ!

トランプ詐欺引ったくりが多い。

ベトナムの初乗り12000ドン〜15000ドン。およそ100円

◆◇◆◇

しかしさっきから。
字が書けない揺れ方だな。
こんな真ん中をこんなスピードで対向車来たらどうするの?

あー、眠たくなってきた。
窓の向こうには草原?原っぱ?畑?
とにかく何もない。

電信柱が豆腐に楊枝を刺したような不安定さで立っている。

これ電力供給どうなってるんだろう。

この広大な土地どうにかならないのかな?

それにしてもバスだ。

「お前は誰かに追われてるのか!」と突っ込めるぐらいのスピードで凸凹な道を我が物顔で行く。

死んだらそれはそれでいいやと妙に腹をくくっている自分がいる。

多分そういう奴がいる事を知っているから運転手もこんなスピード出せるんだろう。

愛する家族がいたら出せないスピードだぞ。

こんな時速だして。

お前はみんなが寝ている間にどうにか地面を垂直にして月にでも行く気か。

何時頃ホーチミンに着くのだろう。
そろそろ寝よう。

ベトナムに行ける手段がこんなにも普通な顔をして存在するとは知らなかった。

タイに2週間滞在するだけで終えようとしていた旅が
カンボジアに来れただけでもよかったと思っていたのにまさか陸路でベトナムに行けるとは。

帰国までの日にちもまだある。

ホーチミンまで行ってまたカンボジアに戻ってこよう。そしてまたタイ。

ホーチミンに行く前にシャワーを浴びたい。
ホテルをチェックアウトしたけど自転車で1日中廻ってたせいで汗を掻いた。

このまま夜行バスに乗って次の日夜までシャワー浴びれないのはキツイ。

ホテル「チャイタレー」に戻り、
どうにかシャワーを浴びせてくれないだろうかという英文と顔つきを考えて従業員に伝える。

あっさり「いいよ!いいよ!」とオーケーもらった。
ここのホテルはチェックインカウンターのすぐ横にトイレ兼シャワールームがある。

形はユニットバスだが日本のようなユニットバスとはいえない。

便座の真上にシャワーがあって人が2人入れるかどうかの狭いスペースだ。

私はリュックを外に置いとく事も考えたが
肌身離さずが原則な為に
一旦便座に蓋をしてその蓋の上に置いておいた。

すっ裸になる。

いざシャワーだと時になって
リュックを掛ける所がないのに気付く。

こんな狭いスペースでシャワー浴びたらリュックが濡れてしまう。

外に出しておくと盗られる。

仕方がないからリュックが濡れないように便器より低い体勢で体を中腰にしながらシャワーを浴びる。

なんだこれは。

俺はカンボジアまで来て便器より低い体勢で何をやっているのだろうと身の不遇を嘆く。

「リュックさん」が濡れないように
人間がリュックさんより低い位置でシャワー浴びてはダメだろ。

あー腹立つ。

しかもシャワーの勢いが悪い。
あーもう我慢できない。

一旦シャワーを地面に置いて、
人間として立って、
蛇口をひねった。

その瞬間だ、

地面に置いてあったシャワーがTRFのサムみたいに暴れ出してリュックびっしょびしょ!

あー!

サムが言うこと聞かない。

うわっ!ぷっ!顔っ!
ぺっ!

最悪。

一応浴びたんだか掛けられたんだか分からないシャワーが終わった。
濡れたリュック担ぎながらボーイに「センキュー」と礼をする。

なんのセンキューなんだよ。
リュック濡らしてくれてセンキューみたいになってないか?

このホテルはいいホテルだった。
カンボジアに行く人に紹介してあげよう。

シェムリアップ〜ホーチミンまでのバスチケット20ドル。
ここのゲストハウスでバスが来るまで待ってろと言われている。

タケオハウスのテレビは緑色を背景にカンボジア大統領を映している。
カンボジア2
日目⑩
この人の名前は分からない。

子供に聞いてみた。
「トゥーサン大統領」というらしい。

タケオハウスを経営する家族と一緒になって、
玄関先の大きなテーブルに置かれた16インチのブラウン管テレビを眺めていた。

私はその大統領演説に違和感を感じざるを得なかった。
壇上のマイクに向かって何かを訴えている大統領は定点カメラ1つで処理されていて
場面も切り替わらない、ズームもされないままだった。
簡単に放送されている印象というよりはある種国民が集中して訴えを聞ける手段のように思えた。

私はこれが「社会主義」なのかもしれないな。と勘繰った。

日本のニュースのようにコメンテーターがいる訳でもないし、
何をかいわんやの編集もない、
見方の方向性を植え付ける字幕もない。

なんの思考の邪魔もしないただ一点の斜め下から凝視するカメラアングルはこの国の代表の主張がストレートに伝わる最善の方法だった。

同時にそれは退屈を生んでいた。

私は隣で熱心に見ている13歳くらいの子供に
「この人は怒っているのか?」
と聞いた。
「怒ってはいない」らしい。
え?これ怒っていないの?怒っているでしょ?

続けて「毎日この演説をやっているの?」
と尋ねた。

すると「最近カンボジアで起こった水祭りの事故の事だ。今日は特別だ。」と感情なく答えた。

そういえば日本でもニュースになっていた。
首都プノンペンで祭に来た群衆が橋の上で将棋倒しになり300人以上が亡くなったという人災だ。

私は日本で得た世界のニュースを現地でリアルタイムに考えさせられる場面に初めて遭遇した。

願わくはこの国の元首が何と言っているのか知りたかったが
あまりにも家族がテレビを注視する姿に
私が聞きたい事を聞いてその注意を削いでしまう事がないように質問をためらい、自制した。

家族は日本人がこの国の事故に関心がある事が嬉しそうだった。

母親は初めて笑顔になったし
何やら子供達に日本人について話していた。

確かに外国人がニュースで流れている話題について質問してきたら笑っちゃうかもしれないし距離が縮まるかもしれない。

私はこれはいい手段だと思った。

テレビの中の元首は人差し指を有効に表して語気強く荒れている。

私はあれは祭りを過小評価し過ぎた警備の問題じゃないのかな、ただそれだけなのではないかと冷たい考えだが
そこに怒っているのか?
もしその他の事なら何故事後にこんなに怒れるんだろうと理解しようとした。

一国の主が怒っている姿にパフォーマンスのような軽い物を感じた。

ふとテレビを凝視していた母親が奥の厨房に引っ込む。

子供は親の目を盗み今だとばかりチャンネルを変える。

いろいろザッピングしてドラマに落ち着く。
カンボジア2
日目⑩
その様子を見て「やっぱりそうだよな。」と安心する。
ずーっと真剣に見ていたと思ったら、
誰かの恋の行方が気になっていたんかい。

子供は私に気を使って大統領の話真剣に見ていたよね?
大丈夫?
とドラマにした事を申し訳なさそうにする。

私は「どうぞどうぞお好きに。」と委ねる。

暫くしてお母さんが戻ってくる。

息子はササッとチャンネルを戻す。

画面は大統領が怒ってる姿を映す。

暫くしてお母さんが厨房に戻る。

今度は私がお母さんを恐れているかのようにわざとササッとチャンネルを変える。
ただどのチャンネルがドラマか分からない。

お母さんが帰ってくる。

慌てチャンネルを大統領に戻す。

子供はげらげら笑う。

それがウケるもんだから何回か繰り返した。

子供があなたはどこの国の人だ?と聞いてきた。

ジャパニーズだと答えるとチャンネルを変えてくれて「NHK」にしてくれた。

うわ!流れてるの!?

子供は得意そうに笑っていた。

なんの言語の変換もなく日本の演歌歌手が歌う様子が流れている。

暫くカンボジアの子供達と誰だか分からない演歌を一緒に見入るというシュールな時間が流れたが
子供達にしてみれば日本語分からないし
私の為に日本の番組にしてくれて
この親がいない貴重な時間を捧げてくれていると思うとなんだか悪い気がして
本当はこれが見たいんでしょ?と、
ドラマに変えてあげたらエヘヘという笑顔になった。

厨房からお母さんが「もう寝なさい!」みたいな声を掛けたのか
テーブルを片付けに入った。
子供達と別れを告げると
さてと
今後のスケジュールについて考えなくてはいけない。

結構前から気になってはいたが
テーブルの後ろにいるのは欧州だかなんだかの外国人のグループ3人が2組。
あとアジア人女性が2人。

この人達とベトナムに行くのか。

ん?
話し声が聞こえてくる。

耳に入ってきたのは聞き慣れた日本語だった。

「日の入りの時間は大体いつ?」

「大体17時20分頃かしら」

「そうか、あと2時間ぐらいあるね、じゃぁまたその時来るよ。また後で!」

「待ってるわよ。」

アンコール遺跡群は丁度皇居の内堀通りのような大通りで囲まれていて
要所には守衛が古くさいパイプ椅子に退屈そうに座っている。
たまに通る外国人を抜き打ちで捕まえては「パスを持っているか?」と提示する事を要求するのだが、
毎日のルーティンワークに緊張感は削がれ
ぽかぽか陽気と観光地という解放感で
もはや建前で座っているだけで
本音はただ話し相手が欲しいようだった。

その証拠に「待ってるわよ。」が心からのような笑顔だった。
それかそういうカンボジア人特有の「笑顔に特化した歯茎」だったのかもしれない。

今、
遺跡群を自転車で廻りきり、
最後に本日2回目のアンコールワットを拝んで来た所だ。

ただ2回目のアンコールワットは自分の英語リスニング力のなさのせいで気が気ではなかった。

ひょっとしたら俺は囚われの身になって身ぐるみを剥がされるのではないか?
という恐怖感に駆られていた。

僕は観光客がいないちょっとしたアンコールワット敷地内の高台に腰をおろしズボンのベルトをゆるめ始めた。

下着の中を覗きおちんちんを認めると
そこにパスポートと10ドル札を隠して
急なお客さんで押すな押すなの凸凹な股間をしっくりさせる。

ジーンズのベルトの穴に留め具を通し

右足の裾を上げ靴下を下ろし、
幾重にも折ったトラベラーズチェックを忍ばせた。

「秘密警察」に荷物を没収されてもいいように。

カンボジア2日目⑨

夢を見た。 インドを旅している途中牛の糞を溜めている男がいて、 そいつに波打ち際の男女みたいに糞を浴びせられて 全身びしょびしょという夢だ。 最近また世界のこいだめインドに行きたいという熱が出てきた。 ニューデリー駅のホームのアナウンス。 何を言っているか分からないその後に流れる「デデーン!」という発表音が懐かしい。 また、チベットにも行ってみたい。 今夏終わったら中国を周遊して行くだろう。 2週間で足りるかな。 先立つものをためて体力もつけないといけない。 デデーン

タイ4日目①
おはようございます。
タイ4日目①

顔脂っこい。
背中が痛い。
手が汚い。
2時間おきに目が覚めた。
今朝は人が集まり、
バスが集まり始める音で起きた。

タイ4日目①
バスターミナルのコンビニも開店した。
タイ4日目①
石鹸と朝ごはんのポテトチップスを買い、
汚いトイレで顔と髪の毛を洗う。

さっぱりして気持ちがいい。
こんなにも洗髪が楽なのかと丸刈りにして正解だったと思う。

6時30分。
にぎやかになってきたのでチケットを買おうとする。
「アランヤプラテートまで。チケット1枚。」

「アランヤプラテート?ちょっと〜さん!」
誰かを呼ぶ。

どうしたどうしたで男性が喋りながら来た。
男性が「アランヤプラテート?アランヤプラテートならバス停が違うぞ?」と問題発言する。

勢いそのまま
「ミニバンで行きたいのか?」
「いや、ミニバンでは行きたくない。バスで行きたい。」

なんでバスターミナルで待っているのにミニバンで行かすんだよ!という想いだ。

「オーケー、オーケー、モトサイで行ける!おーい!」また誰かを呼ぶ。

なんでオーケーなんだよ。すぐ呼ぶな!

「何だ。何だ。」でおっさんが来る。

おっさんがおっさんに言う。
「アランヤプラテートまで行きたいそうだ。」
「オーケー。オーケー。近くにバス停がある。乗りな。」

「バス停?」
「そう。そこにミニバンがある。」
さっきと一緒!
だからバスで行きたいんだって!

「いやいや、俺はここで待っていれば次のバリューまで行くバスがあると聞いた。」

「バリュー?バリューに行きたいのか?」
「アランヤプラテートだ!」
「じゃぁこい!乗れ!ミニバンか?」

「バスだよ!」
「アランヤプラテートまで行きたいんだろ?」

「だから!最終的にはアランヤプラテートに行きたいんだけどバリュー経由で行きたいんだよ!俺はここで待っていれば7時16分にバスが来ると聞いて昨日からずっと待ってるの!」

「バリューに行きたいんだな?」

「そうだよ!」

おっさんは自分を呼んだおっさんに
「こいつはバリューに行きたいそうだぞ?」
「え?アランヤプラテートに行きたいって言ってたぞ?」
「バリューらしい。」
「なんだバリューか。」

この『遊び』

アランヤプラテートに行きたい。
じゃぁバス停が違う。
乗れ!ミニバンだ。

ミニバンノー!バス!
アランヤプラテートに行きたいんだろ?
バリューだ。
バリュー?アランヤプラテートは?
行きたいよ!
じゃぁ乗れ!ミニバンか?
この遊び。
30分ぐらいしてた。

どんだけミニバンでアランヤプラテートに行かす気なんだよ!

バリュー経由でアランヤプラテートに行きたいの!

お前らどうせツアー会社の奴だろう。
バス停で待ってる外国人を横取りして自社のミニバンに詰め込んで儲ける気だろう。

いろいろあったが、ようやくバリュー行きのチケットを買ってベンチで待っている。

チャンブリ〜バリューまでは1時間掛かり32バーツ。
コンビニから出てきたオレンジ色の宗教服を着た乗座仏教のお坊さんがじっとこちらを見ている。

俺が坊主頭だからかもしれない。

向こうも向こうで「あの仏教のお坊さんリュック背負ってどこいくんだろ?」と思っているのかな。

今朝は寒い。
半袖だとクーラーを直接浴びているような寒さだ。

バスに乗り込んでようやく移動できる。

ちなみに昨日は真っ暗でどういう所で寝ていたか分からなかったが、
夜が明けて判明。
タイ4日目①

この灰色の所で寝た。

背中痛いベッドだった。

絶対にタイのバスではタイポップミュージックを流している。
それは運転手の趣味によるチョイスだと思う。
年配の運転手は民族曲。
若い運転手はノリがいい曲。

アランヤプラテートまでの道はすぐ脇に茂みがあり、田んぼや民家が建ち並ぶ道路はコンクリートになっている。
凸凹ではないが道路の継ぎ目で車体が上下に揺れる。
足は伸ばせず楽な格好ではない。
途中所々でバスストップというよりはガソリンスタンドのような所に入り人を乗せるし、
なんにもない所に急に停まったと思ったら後方のドアが開き乗客が降りて行く。

日本にみられる「降ります」合図もないのにどうやって運転手と意志疎通しているんだろう。

周りのタイ人と目が合う。

よくある事だがタイではこちらと目が合っただけでも笑顔を作ってくれる。
「微笑みの国」と言われるゆえん。

こっちが手を合わせてお辞儀をすると「まさか!そこまでやるのか!」というような風な感じで笑いゆっくり合掌する。

手を合わせる相手には自然と反射的に手を合わせてしまうんだろうなぁと感じる。
僕を仏教徒だと思っているのかな。

この手を合わせてお辞儀をする意味は何だろう?
タイ4日目①
バスから見える風景はこのような草原と林が大半で、
中でも痩せている木々が多い。
タイ4日目①

これは何だろう。
植林かな?

11時45分。
タイ4日目①

チャンブリから3時間以上掛かった。
やっとバリュー経由でタイとカンボジアの国境のタイ側の街アランヤプラテートにたどり着くことができた。

タイ4日目①
これから陸路でカンボジアに入国する。

タイ3日目⑥ 「降りろ。ここだぞ。」 チャンブリまで行きたいと乗務員に告げていた為暴力的に起こしてくれた。 「チャンブリ?」 「そうだ。」 バスから降りた所は車庫のような場所。 青いベンチが一画に数多くあって右側には公園のトイレのような簡素な建物がある。 青いベンチの隣には常勤できる人一人分のチケット売り場のようなものが置いてある。 人々がまばらにいる。 乗り合いバスから降りる者は誰もいなく自分一人だけ降ろされた。 「ここが『チャンブリ』?」 「チャンブリ」って街の名前じゃないの? もしかしたらチャンブリという街のバスターミナルかもしれないしチャンブリというバス停かもしれない。 原宿に行きたい僕は今「神宮前」で降ろされて「え?神宮前?ここは原宿じゃないの?」と騒いでいるだけなのかもしれない。 22時38分。 チケット売り場にいる私服で働いている男の子に 「アランヤプラテートまで行きたいんだけど?」と聞くと誰かを呼びに走っていった。 その友達みたいな子が「今から?」と驚いている。 周りに人が集まってきて「なんだ。なんだ。」で共有しだした。 「アランヤプラテート?明日の朝バスが来るよ。」 「ここに?」 「ここ。」 「バリュー(アランヤプラテートまでの途中にある街)行きのバスは?」 「バス停はあるけどここから距離があるし今日はもう終わったよ。」 「私は明日ここにこなければならない?」 「そうだね。朝6時くらいだ。」 タイ3日目⑥ チャンブリバスターミナル付近はまったく何もない。 ホテルもコンビニもない。 人々に忘れさられたような場所。 向こうの方で野良犬が野良犬を追いかけている。 周りにいたタイ人が 「この日本人どうするんだろう。あてでもあるのかな。」という同情の目をしているのを感じる。 僕はただ苦笑いをして、 青いベンチにリュックを置き、 とりあえず持っていた硬水を口に入れて、 時間を掛けて途方に暮れた。 野宿決定。 野宿になる日本人がいよーがいまいが関係なくバスターミナルは営業を終了する。 従業員何人かが手分けして掃除をし始めた。 何言っているか分からないテレビも電源を落とされる。 音がなくなり唯一の娯楽もなくなった。 従業員がモトサーに2人乗りして帰っていく。 当たり前だか「家があるっていいなー」と思う。 固くて青いベンチに座り どこで寝ようか考える。 ふと、 そこにいた親子が「差し入れ」をくれた。 タイ3日目⑥ 水とサンドイッチとちょっとしたお菓子。 「センキュー!」 ちょー優しいな。 わざわざ買ってきてくれたのかな。 すげーやさしい。 タイ3日目⑥ その親子と暫く話していたが親子が家路に向かったら本格的に一人になった。 先程追いかけていた犬が目の前を横切る。 パトカーが変な音を出して左の方に走っていった。 今日の宿はこんな所。 タイ3日目⑥ さーて。 ベンチに横になった所で寝返りもうてる幅もない。 ベンチの継ぎ目が痛くて寝れない。 コーティングがツルツルしていて滑ってダメ。 ベンチの後ろにある『なんだか分からない変な台』にカーペットが敷かれている。 横になってみる。 固い所で身体が凝りそうだ。 ここに横になるしかない。 貴重品を移動させて、 リュックを盗まれないように腕に縛りつけて、 それを枕にして目を閉じる。 爪の中が黒くて汚いのがストレスになる。 汗の匂いで蚊がたかる。 頭痒い。 24時19分。 ラン島の砂浜が懐かしい。

タイ3日目⑤
「マッサージはどう?」
「大丈夫。大丈夫。」
「1000バーツ。すぐ近くにホテルがあるわよ?」
「私はお金を持っていない。あなたは私とセックスしたいの?(もう聞いたろと思って)」
「そうそう。(『話が早いわね。』みたいに。)」
「あなたはセックスが好きなの?(もう聞いたろと思って)」
「そうそう!好きよ!(そこまで聞くの?恥ずかしいわよみたいに笑いながら)」
「ごめんね。僕もセックス好きだしあなたとしたいけどお金がないんだ。(もういうたれと思って)」
「じゃぁもししたくなったら私に声掛けてね?(嬉しそうに)」
「もちろんだよ。覚えてるよ。バイバイ。」
「バイバイ。」

余りにも誘われるマッサージの数についにここまで明け透けに伝えるようになった。
この方が明るく断われる。

言葉は英語でも表情を読み取れば困っているか本当に嬉しいかは分かる。 心からの正直な言葉は表情も正直になって凄く伝わる。

『チェンブリ』という街を目指しサーバタヤンストリートを歩き始め「バス停はどっちの方向?」と聞いていたらマッサージの話をされた。

「ウォーキングストリートを真っ直ぐ。
頭上にSAMSUNGのテレビジョンがある所を右。
そこがサーバタヤンストリート。
それからずーっと真っ直ぐ。」
酔っぱらっている白人が教えてくれた。

サーバタヤンストリートを真っ直ぐ行って突き当たりの道がスッビンロード。

タイ3日目⑤

今からカンボジアに向かう。
タイ3日目⑤

不思議なものでお先真っ暗の計画に向かっていくときは足取りはしっかりとしている。
お腹も減らない。

先程ウォーキングストリートでアランヤプラテートまでの行き方をホテルの人に聞いてみた。

「バスで?」
「バスで。」

従業員が従業員を呼んできてその従業員がさらに詳しく知っている従業員を呼んできた結果、
目の前にはカンボジアまでの行き方に詳しい年配のおじさんとそれを流暢な英語で伝えてくれる女性が立っていた。

「まず『パタヤ』から『チャンブリ』まで行って、
『チャンブリ』から『バリュー』まで、『バリュー』に着いたら乗り換えて『アランヤプラテート』だ。」
何時間ぐらい掛かるの?
いくらくらい掛かるの?
チャンブリまでのバス停どこにあるの?

2人は何度も何度も繰り返して教えてくれた。

「書いてあげるから。パタヤ→チャンブリ→バリュー→アランヤプラテート。これはタイ語だから。これを運転手に見せれば大丈夫だから。」

タイ3日目⑤

今の自分にとって一番重要な紙を手に入れるとズボン前左ポケットに丁寧にしまった。

僕は握手をしながら何度もお礼をした。
2人はこんなに喜んでくれるものか!という笑顔をしていた。
「ありがとう!ありがとう。助かった!写真撮ってもいい?」
2人はさらに驚いて応じてくれた。
「私たちを?もちろん!」
タイ3日目⑤

バイクが多いサーバタヤンストリートでヒッチハイクしたらどうだろう。

「この道の突き当たりまで乗せていってくれない?
本当?ありがとう!」

タイ3日目⑤

後で分かった事だがチャンブリ行きのバスターミナルまではとても歩いて行ける距離ではなかった。

この後もう1台ヒッチハイクをして2台のバイクで15分ぐらい。

1台目で降ろされたスッビンロードは車の往来が激しくて幅が広い道路。 周りには何もない所で、
田舎に高速道路が作られた!みたいな所だ。
タイ3日目⑤

夜20時23分。

こんな所で降ろされて本当に大丈夫?

2台目はそんな外国人が目に入って「何やっているんだ、こんな所で。え?バスターミナル?まだまだだぞ!いいから乗れ!お金?いらないから乗れ!」という感じのおじさんだった。

日本では冬の到来の季節、11月下旬のタイは38C゜。 蒸し暑さを向かい風が除いてくれる。
タイ3日目⑤

タイ特有の痩せているバイク(モトサイ)の後ろに乗りながら、
「この距離歩いてはいけなかったな、途中でのたれ死んでた、」と自分の向こう見ずな所を反省する。

バスターミナルに降ろしてくれたそのおじさんは目を合わせる事もなく、 感情なく走り去った。

バスの誘導員が「お前はどこに行きたいんだ?チャンブリ?乗れ!乗れ!これが最終のバスだぞ!」と叫ぶ。
タイ3日目⑤

まさに今出発する所のバス。 中の乗客が窓から突然現れた外国人を物珍しそうに見ている。

あわただしくチケット(49バーツ)を買って乗り込んで今までの事を思い返す。

パタヤからバスターミナルまでの距離と計画がどれだけ無謀だったか知る。
「奇跡的に間に合った・・。」 もしこれを逃したら深夜3時まで野宿だった。
タイ3日目⑤

タイ語で何を言っているか分からないハリウッド映画が流れるバスの中で僕は道を教えてくれた方、 ここまで乗せてきてくれた女の子とおじさんを想い、 目を瞑り、 暫く本気で合掌していた。

旅客船で1時間掛けてパタヤに戻ってきた僕はピンクのネオンとリズミカルに低音が打たれている「ウォーキングストリート」を歩きながらこれからの旅程を考えていた。 候補は2つあって、 今日はパタヤに泊まって明日ここからカンボジアに向かうか、 明日バンコクに一旦戻ってゆっくり過ごすか。 船から降りた大勢の白人が散り散りになる中、 船着き場でインフォメーションを探していた。 周辺は大音量の音楽と何を作っているか分からない屋台で賑わっている。 聞くと今日は音楽祭らしい。 旅客船から降りてきた外国人相手にしているツアー会社の呼び込みに 可能性としてここからアランヤプラテート(カンボジアへの越境の町)まで今から行けるか? 尋ねてみた。 「今から?」 「今から。」 「明日朝8時にここに来い。これで運んでやる。」 と側にあるミニバンを指差した。 それは作業員のおっさん5、6人を乗せて後ろは作業道具。のような細長いバン。 何時間掛かるか分からない移動を目の前の車で揺れる事を想像した。 絶対アクシデントが発生する。 何か嫌な予感。 何がオーケだか自分でも分からないが「オーケ。オーケー。」と同意すると何がありがたかったか分からないが「センキュー」と言い残して賑やかな方に歩きだす。 あの人が言っている事が全てではないはずだ。 本当に明日にならないと移動できないのかな? 今日泊まる所探さないといけないしな。 残りの日数と残金から1日1000バーツで過ごさなくてはいけないとすると 日中に移動し夜に疲れ宿を探すという流れを変えないといけないのかもしれない。 移動を夜から朝にかけてする事で 「宿泊」をホテルではなく車中にできないか? そうすれば移動で宿泊費をまかなえる。 19時回った。 ちょっとした決断が必要だ。 よし。今日は宿泊しないで移動する。 ちょっとでもコマを進める。 じり貧生活の後押しで 今からタイからカンボジアに入る国境の町アランヤプラテートに向かって歩き始める。 □■□■□■□■□■□■ タイ3日目④ ロンコーン。 一見木の実のようだけれど皮をむくとライチのような果実が出てくる。 タイ3日目④ ミスニューハーフ世界一のポスター。 ここタイが開催国というのがいかにタイにレディボーイが多いかが分かる。 本当に見分けが付かないのだが、 分かったのは、 タイでは美人で長身な女性は間違いなくレディボーイ。 そうでもないのは本当の女性。 整形をガンガンやっているからかもしれない。 タイ3日目④ ネットカフェ。 当たり前だが最初に立ち上がるサイトもタイ語、キーボードもタイ語、打ち込まれる文字もタイ語。 日本語で打ち込めるように変換出来ないか店員さんに聞いた所、日本語で打ち込む客が今までいないから「できない」とのこと。 そりゃそうだ。 タイ3日目④ よく売られているポテトチップス。 トムヤンクンに代表されるようにタイではエビが食べられているので「カッパえびせん」が人気のよう。 タイ3日目④ ラン島の帰り便の桟橋近くにあるセブンイレブン。 島に着いた港や浜辺付近にはなかったコンビニが「今から島を離れます」って所にある。 これに限らず、 船の着く場所と出港場所が端と端に分かれている所や 港まではモトサーなしでは行けない所、 このようなコンビニの場所、 島全体がいかに外国人に金を落とさせるか考えられて作られている。 タイ3日目④ ラン島〜パタヤの帰り便に乗り込む外国人。 「さっきチケット渡した。」 「もらってない」 で地元のタイ人ともめている。 本気で怒った白人は思ってたよりコワイ。 顔が赤くなっているが 怒っているから赤いのか 日焼で赤いのか 酔っ払って赤いのか分からない。

タイ3日目③ 2010年12月22日のブログから。 うそつけ!という話です。

「ラン島」というバンコクから車と船で5時間以上掛かる島に行きました。
そこはビーチしかない島です。
昼間着いた僕は海をそれなりに満喫したのですが、
日も落ちて「さて帰るか。」と昼間船が着いた桟橋まで行きました。
するとそこには誰もいません。
「あんなに砂浜に大勢外国人がいたのに。どこに行ったのだろう。」
不思議に思った僕はそこにいたタイの女子高校生に「船は何時来るの?」と聞きました。
すると女子高生は
「ここには船は来ないわよ!帰りの船は向こう側の港からよ!」とうっすらと見える港を指差します。

「最終便だから!急いだ方がいいよ!」

僕は「ありがとう!」とお礼をすると急いで向こう側の距離にしてだいぶある港に行かなくてはなりませんでした。

「こうなったら手段を選んでいられない!」と焦っていた僕は近くで待機していたモトサー(原付バイクのタクシー)に近付きました。

そのモトサーのおっさんは事の重要さが分かっているらしく値段交渉にあっさりオッケーすると「乗りな!」と急かします。

そして勾配が激しい山道をスイスイ行きます。

何年もこの仕事をしていて山道を熟知している感じでした。

凸凹がある所はスピードを落として、
対向車が見えない所は徐行して、

この分だとなんとか船が出る時間まで間に合いそうです。

僕はおっさんに感謝の気持ちと安堵感から
後ろから聞きたかった事を質問しました。

「How long time have you been working this job?(あなたはどのくらいこの仕事をしているの?)」

するとおっさんは僕が「港まであとどのくらい?」と尋ねていると思ったらしく「10分だ!」と言いました。

「見ててくれる?」
「見てるよ。」
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。」

タイ3日目②

先程「ビーチチェアはどうだい?」と提案してきたおじちゃんに荷物を預けたかったが「盗るやつはいない。見ててやるから大丈夫だ。」と笑われた。

今そのおじちゃんを探したがどこにもいない。
どこか向こうの方に売りに出掛けているのだろう。

荷物全然見ててくれてないじゃん。
しょうがないからバックを腕に巻き付けてチェアに寝そべっている。

タイ3日目②

ラン島は外国人で賑わっていてタイ人といえば売り子だけ。
外国人の為に整備したような作りになっていて浜辺もここだけ。

後ろはすぐ山が迫っている。

タイ3日目②

「あれ。アジア系だ。
日本人かな?
あ。中国人だ。」

にしても白人の多い事。
タイはそっちの方の人に人気なんだなと感心する。

タイ3日目②

タイ語で「マプラオ」のココナツは元々はこのような小さなスイカぐらいある固い木の実で
若い衆がナタで削って割るものらしい。
全く知らなかった。

中を見るとちょっとココナツ水が入っているんだけどなんて事はない。
ストローから削った屑が口に入っちゃってペッペ。

タイ3日目②

白い所がココナツらしいけどやわなスプーンしか渡されてないものだから
小さい穴から中にへばりついた白いゼラチン質を削り取ろうとするけど、
スプーンが折れるし、
取れても白いの2センチぐらいだし、
底に落ちるし。
これどうやって食べるの!もういいよ!
「働けど働けど」だな!

トムヤンクン。

タイ3日目②

そういえばレモングラス嫌いだった。

これ衛生的に大丈夫かなぁ。
なんか魚を擂り身にして丸めた奴が入っている。
これはやめとこう。

うわ!

タイ3日目②

犬が隣で寝てる!
怖いんですけど!

タイ3日目②

夕日が傾くのが早い。

タイ3日目②

タイ3日目① ホテルを出た所にある大通り。 僕はよくホテル近くの通りを写真におさめることにしている。 ちょっとふらっと外に出た時に歩き過ぎて方向感覚を失いホテルに帰れなくなってしまう事がよくあるからだ。 ホテルカードがあれば住所も書いてあるので人に尋ねる時便利だが、ない時もある。 このように写真を撮っておくと「あった!」となる。 夜と朝の街の「通り」の様子があまりにも違うので「あ、こんな通りだったんだ。」とその変わりぶりに驚く。 モンキーバナナっぽい。 タイ3日目① ここには記さなかったが僕はバンコクでぼったくられた。 バナナ見て思い出した。 連れていかれたその店では 太いというよりお肉たっぷんたっぷんの女、 太すぎてお尻から足のかかとまで「大腿部」みたいな感じ。 想像できるだろうか。 「あのー。太すぎて、こうやって後ろから立っている所を見ると膝ぐらいまでが『お尻』に見えますよ?」っていう画。 その『「あのー。太すぎて、こうやって後ろから立っている所を見ると膝ぐらいまでが『お尻』に見えますよ?」』さんはポールがあるステージ上で裸で踊っていて モンキーバナナを女性のアソコに入れて 「ポーン!」とお客の顔に当てるという事をしていた。 ソファーで座っていた僕は「痛っ。」となった。 すると女が降りてきて、 近づいてきて、 「ごめんなさい」というと思ったら、 「はいバナナ当たったでしょ?200バーツ頂戴!」と請求。 「誰が「あのー。太すぎて、こうやって後ろから立っている所を見ると膝ぐらいまでが『お尻』に見えますよ?」さんの性器から出てきたモンキーバナナ顔に当てられて200バーツ払うんだよ!こら!」 その後もいろいろあってモメた。 思い出した。 そう。確かこのくらいのバナナだった。 タイのマックのドナルド君。 タイ3日目① 違った。名前なんだったっけ。 「ナマステー。」 タイ3日目① コンビニでアイスを買って写真のように「当たり」が出たのでもう一度お店に戻って、 アイス選んで、 レジで「当たったよ。これもらうね?」 と当たり棒差し出すと店員に「は?」という顔をされた。 「だから当たりが出たから!もらうよ?」 店員は「なんで?」みたいな顔してる。 どうやらタイのアイスの棒は全部こういう風に刻印されているらしい。 店員も まさか外国人がレジに舐め回した棒出してお店のアイス取っていこーとするとは思わなかっただろう。 恥ずかしかった。 人だかり。 タイ3日目① 何やら騒いでいる。 白人の外国人がどうやらボートに乗って楽しんだらしいのだが、タイの人の言っていた料金と違うので「払わない!」「払え!」でモメている。 これを暫く見物していたらあるタイ人が僕に「ボートに乗りませんか?」と売り込んできた。 「乗るわけねーだろ!」 タイ3日目① パタヤの海岸沿い。 昨日は暗くて全く見えなかったがこんな感じだったんだな。と思う。 昨晩ホテルのチェックインを済ませて暫くしたら夜中散歩に出掛けた。 そして海岸線を歩いていたらゲイに追いかけられた。 最初あれ?話し掛けてきた。と思ったら力強く腕を取られ「うわ男だ。」で腕を振り払ったら なんかブツブツ言い出すので構わず背中向けたら追いかけられた。 普通「追いかけられた」と言えばまぁ10、15mぐらいの短い距離だと想像するかもしれないが それは周りから見たら 「あの2人友達同士でしょ?じゃれてるんでしょ?」と思うぐらいの距離を追いかけられた。 30歳のおっさんがパタヤの海岸線で友達同士ぐらいの距離をゲイに追いかけられるの想像してほしい。 本当今度からやめてほしい。 この今までお伝えした バンコク ↓ アユタヤ ↓ パタヤ までは日本で考えていた日程だった。 ここからは旅をしながらルートを決めて行かなくてはならない。 タイでそのまま2週間過ごしてもよかった。 多分今思い返すとこの「ラン島」という島に船で行った辺りからその後のルートが変わったんだと思う。 タイ3日目①

タイの女の子は外国人に買われていた。 それはバンコクのタニヤ通りでもそうだしパタヤでも同じだった。 僕はパタヤでこの国のセックス産業をみた。 よくタイに行くと「タイにいる彼女が忘れられなくて再度タイに行きどんどんのめり込む」と聞くがこの意味が分かった。 僕はある少女達が案内したホテルの一室で ぬるい風を送ってくれるファンを見ながらさっきまでの行動を振り返っている。タイ2日目④ バンコクからバスで2時間掛けてパタヤに着いた時にはもう夜も20時回っていた。 バスターミナルを出たらとりあえず賑やかな海岸線を目指すのだが どっちに歩けばいいのか分からない。 バスターミナルには待っていましたとばかり原付に股がっているおっさんがいる。 それらは決まって「ウェアユゴーイング?」と勝手に話し掛けてくる。 おっさんの多くは蛍光色のゼッケンをつけていてどこかからの「公認」のような格好をしている。 法外な値段を取る悪徳なモトサーでないことをアピールしているみたいだが、手の込んだ悪徳に見える。 その一人に海岸線の方向を尋ねると 「乗っていくのか?」と聞かれる。 僕が「歩いていく。」というと 「海岸線の場所は知らない。」とへそを曲げた。 現金な奴らにさっさと別れを告げて 近くにあるセブンイレブンで海岸線を尋ねる。 「向こうだ。」 ヨーロッパ系の外国人が同じ方向を歩いている。 ついて行けばたどり着くだろう。 ここ「パタヤ」はベトナム戦争に従事していたアメリカ軍の保養地らしく街には英語が溢れている。 ホテルもリゾート丸出しで、 入り口やロータリーには派手な電飾と噴水やヤシの木なんかが設えてある。 要所要所で方向を聞いて歩くとショッピングモールのような所にたどり着いたので安心した。 ショップのセールの時に聞かれるような購買意欲を掻き立てる低音のリズムがどこからか聞こえてくる。 タイ2日目④ ピンクのネオン。 写真では見にくいが、 きわどい水着を着た大勢の女の子がポールダンスをしている。 お店はそれらをオープンにして外国人を呼び込む。 店の前で座っている呼び込みも10人ぐらいでエロ心を誘ってくる。 そんなお店が両サイド100m先まで建ち並ぶ。 ここら辺一帯が「ゴーゴーバー。」(お店で飲んで気に入った女の子を外に連れ出しデートする店) そんな感じだから単純道に迷って元の道に戻ろうとしても 店の前に座っている女の子に「あれ?またこいつだ。好きなんじゃないの?」と思われそうで行ったり来たりできない。 僕は道に迷っていて、 来た道に戻りたいのに恥ずかしいから「ぼくは童貞君」みたいにぐんぐん前に進む。 結果迷う。 あんなに露出されて大勢の前を歩かなくちゃいけないのはなぜか恥ずかしい。 海岸線にたどり着くとここでも白人系の人の多さに驚かされる。 今歩いている左手にはテラスがあるレストランが建ち並び、右手には道路、向こう側はちょっとした石畳があって、ヤシの木が生い茂りちょっとした憩いの場のようになっている。 そしてすぐ砂浜、海という具合だ。 タイ2日目④ 街灯はいいムードを演出しているのか、電気が供給できないだけなのか暗い。 レストランの店頭に置いてあるメニューに目を配らせる。 「外国人価格」になっている。 地元の人は高くて入らないレストラン。 道路挟んで向こう側、 海岸沿いの公園は怪しい。 何をする訳でもないタイの女性が多くて必ず2人組で佇んでいる。 これは明らかに「マッサージ(セックス)」だろう。 すると「どこから来たの?」と誰か話しかけてきた。 見ると22、23ぐらいの女の子。 「韓国だよ。」 「韓国?何日間こっちにいるの?」 「2週間ぐらいかな。」 「ふーん。」 「この辺に安宿ない?」 「どのくらい安い奴?」 「500バーツ。」 「ちょっと待って聞いてみる。」 すると違う女性が現れた。やっぱり2人組で行動していたらしい。 彼女等はまず片方が声を掛けて 何かにつけてもう一人現れるみたいだ。 縄張りもあるらしくそこからは動かないで来た外国人に話掛けるみたいだ。 僕は今来た女の子に同じ話をした。 彼女等は「こっちにおいで?ホテルまで案内してあげる。」と大通りに歩き出した。 「ちょっと待てちょっと待て。どこいくんだ?」 「ホテルよ。」 「自分一人でいけるよ。教えてよ。」 「私たち今日泊まる所ないんだけど。」 「無理無理。お金ないから。」 「私たちお腹空いているんだけど。」 僕はこの手の手法は 形は違えどバンコクで偉い目にあっている。 女性2人組はくすくす笑いタイ語で何やら話している。 「ついてきて。あなた名前は?」 「ケンジ。」 一通り「ケンジ〜!」「ケンジ!」と名前で面白がって、飽きるとスタスタと前を歩き始めた。 変な3人組は大通りを歩き続ける。 「どこにいくの?」という質問も もまあまあ付いてきなよ。という。 最初に話し掛けて来た一人は完全に意志がない。 もう一人はどうにか外国人から巻き上げようとしている。 安宿があることは分かった。 このまま前に行かせて巻いてやろうかなと思う。 彼女等は「何日間こっちにいるの?」と聞き 例えば「6日間」と答えるとその6日間「疑似彼女」を演じて「あそこに行こう」だの「これ買って」だの、お金を落とさせる。 自分の決められているコースに組み込もうとしている。 「個人的なツアー」だ。 それはホテルや飲食店なども予め決まっていて場所によってはマージンをもらえるのだろう。 そして帰国日には涙を流し「彼氏」を見送るとまた新しい外国人の「彼氏」に「あなたは何日間こちらにいるの?」と話し掛ける。 帰国した外国人にしてみればタイに彼女ができたら 「また会いに行きたい。」と思う。 これが『のめり込む』の正体だろう。 結婚すればいいが大体は現役を引退して羽をのばしに来た家庭のありそうな白人のおじさん達。 タイの女性にしてみれば「仕事」 一人では危険な外国人相手の「商売」だからか2人で行動して決して一人にはさせないようだった。 もしくは不景気で2人まとめて相手にしてもらおうとしている?様だった。 ホテルの周りには 明らかに繋がっているでしよ?と思わせるくらい屋台が多くて 手を繋いで「疑似的な恋愛」を楽しんでいる白人とタイ女性を見た。 タイ2日目④ 女性達がその後大通りから路地に入った所に入っていくと 案の定ホテルのチェックインカウンターで「3人で1500バーツだ」とフロントマンに告げられた。 「いやいや僕一人だ」 というと 「こちらの女の子は『3人で』と言っている」 僕は韓国人と言った手前バレないようにパスポートを差し出しながら 「いやいやこの子達は関係ない。」を貫いた。 とにかくセックスなんてしたらどんな奴が出てきて金を請求されるか分からない。 「だから最初に言ったように1人で泊まるんだけど?」 「じゃぁ部屋までいっていい?」 「なんで?」 「トイレ。」 彼女等は部屋でトイレを済ませると「これはあかん」と思ったのか諦めて帰って行った。 冷房が効いていない部屋を案内されたみたいだ。 部屋を確認してからお金を払うという基本的な事も忘れていた。

僕が今回台湾(台湾北部)4日間で訪れた場所はこちらです。 忠考復興(ヂョンシャオフーシン) ↓ 三林(シーリン) ↓ 中山(ゾンサン) ↓ 西門(シーメン) ↓ 淡水(ダンシュイ) ↓ 九分(ジュウフン) ↓ 基隆(キーリン) ↓ 北投(ペイトウ) ↓ 新北投(シンペイトウ) ↓ 龍山(ロンサン) ↓ 忠教敦化(チョンシャオトンファー) ↓ 中正記念堂(チョンヂョンジーニエンタン) 僕が台湾を訪れた理由は 決して「台湾に行きたかった」からではありませんでした。 台湾に世界遺産はないそうですし、 見たいと掻き立てるものがなかったし、 台湾のイメージがわきませんでした。 僕が行った理由は近い将来中国語が必要になる時代が必ず来るだろうと感じた事と、 僕自身も近い将来北京や上海をまわりながらチベットに出るだろうと予感しているからです。 ということで「中国語」です。 台湾に行きたい。というよりは中国語を勉強したい。 この時期経済的に行ける中国語圏は台湾だったのです。 そんな「台湾」は僕の予想に反して魅力的でした。 何が魅力的かは追々ですが。 そしてこれはちょっと語弊があるかもしれませんし、 あくまで僕の主観ですが、台湾は「日本より日本っぽい国」でした。 アジア初の民主主義がもたらされたのは台湾らしいですが、 それもあってか世間の目を気にする傾向があって ある部分では日本より決まりやマナーを重視していてきっちりしている感じを受けました。 また、 全く知識なくあくまで予想ですが、 台湾は「国として健全に育っている。」という印象を受けました。 (またこの『国』というのは議論するところですが。) この「健全に育っている。」という意味は 変に外貨に頼らない所や自国生産消費を骨としている所です。 僕もそうだったように日本はよく韓国と比較しがちです。そして近年の中国の勢いも無視できません。 それは軍事的にも地理的にもそうなんだと思います。 ただ台湾もなんのなんのです。 じゃぁなぜ台湾がもっとクローズアップされないのか。 僕も向こうに行ってから知ったのですが、 日本は台湾と国交を断絶しているそうです。 日本は「台湾は中国の一部」として認めている為、 「中華民国」として認めていないそうです。 (台湾の方は自分達はひとつの国『中華民国』と主張している) なので日本は台湾を台湾と呼び中華民国とは呼ばないそうです。 ここからは無知な僕なりの「予想」ですが、 日本としては国として認めていない台湾(中華民国)を語るより韓国や中国を語った方がアジア平和なのかな?と僕なりに解釈しています。 新北投(シャンペートウ)という温泉街で温泉に入れる時間を待つ間、 中国語を勉強しに行った僕は全く知らなかったそれまでの「なぜ台湾が台湾たるか」の歴史を知り 自分の無知さを痛感する事になります。 僕は高校教師(政治経済)の教諭免許課程をふんで取得しましたが、 「台湾は一時日本が統治してた」ぐらいしか知りませんでした。 なぜ台湾は中国から独立したいと思っているのか、 なぜ日本人より日本人なのか、 なぜ台湾が台湾なのかを僕の主観と薄っぺらな知識と短い期間ですが垣間見ました。 そしてそんな矢先、 ガイドブックには乗っていないザ・台湾。 「あ〜来てよかった」と思えるような台湾の方の心を見ることになります。 あとでお教えしますが「あれ」は台湾に行ったら是非見ていただきたい「世界無形遺産」です。 去年の韓国、東南アジアの旅も紹介しきれてないのですが、鉄が熱いうちに台湾の旅を僕目線で紹介したいと思います。 最後に、 この旅は周りの方々の協力なしでは行けませんでした。 本当にありがとうございました。 台湾#0

台湾から帰国
台湾から帰国

みなさまこんばんは。 わたくし森田はただいま台湾から無事戻ることができました。 ありがとうございました。 今日はちょっとあれなのでまた落ち着いたら概要をお知らせしますね。 ちなみに下の写真は台湾3日目の僕です。 現地では中国語しか使いませんでした。 その結果、 顔が変わってしまいました。
台湾人
台湾人

僕はバイクの後ろに乗りながらジーンズのポケットに手を突っ込んでお金を出す準備をしていた。

「ノーマネー」と伝えて乗ってはみたもののおばちゃんの好意に胸が苦しくなったからだ。 おばちゃんは急にバイクを砂利道の端に寄せ、 路上商のような人に何かを届け、 何やらタイ語で話しかけられた後 「え?これかい?違うよ!日本人を駅まで届けに行くんだよ!あー、忙しい忙しい!」と迷惑なのか、 嬉しがっているのか分からないような高い声で叫んでいた。 こっちに戻ってきて、 無言でバイクのエンジンを掛けるとまた走り出した。 拾ってくれてから今までのこの距離をもしあのまま歩いていたらと思うとぞっとする。 僕は右手に用意したコインをポケットにしまうとお札を用意した。 頭の中で英語を作っておく。 通りが賑やかになってくる。 タイ2日目③ 行き交うモトサーや車の多さが 駅が近い事を表している。 中央分離帯には黄色い王室の国旗とタイ王国の国旗が揺れ交互に現れては後ろになる。 歩道には露店が並び今日も汚くて美味しそうな物を売っている。 バイクがロータリーと言えない砂場に停められると おばちゃんは 「$仝#ゑΘ!」と指をさした。 僕はここが駅だ!と解釈してバイクを降り、 右手に用意していたお金を出した。 「センキューアイルギブサムマネー」と伝え終わるか終わらないかぐらいで おばちゃんは「¶ゞБ●#!¶ゞБ●#!」 と言うとささっと行ってしまった。 お金の為ではなく本当に心から助けてくれたんだと思うと胸が締め付けられ ちょっと涙が出そうになった。 多分あのおばちゃんにしてみれば当たり前の行為だったのだろうが 異国で心細い一人旅ではこのような行為をうけると「本当に本当にありがとう」という気持ちになる。 ちょっとした親切心に胸を打たれる。 これからバンコクに戻り今日中にタイのリゾート地「パタヤ」に向かうつもりだ。 タイ2日目③ ※アユタヤ〜バンコクへのバスチケット。 2枚あるのは途中バスからバスに乗り継ぐから。 タイ2日目③ ※バンコク〜アユタヤのバスの中で隣に座っていたタイのおばちゃんにタイ語を教えてもらっていたら仲良くなりおばちゃんが降り際に電話番号を教えてくれた。多分「この先何か困った事あったら掛けてね!」の意味だろう。 タイ2日目③ ※バンコク駅バスターミナルのセブンイレブンでソーセージドックを買ったら「スネ夫」のシールを貰った。何かのキャンペーン中らしい。

タイ2日目③ 今知らないおばちゃんの原付に乗っている。 先程寝釈迦を見た後歩き疲れたのでダメ元でヒッチハイクした。 それはすぐ捕まった。 「こんな所に人が歩いている事自体不思議だ。」というような顔つきでそのバイクは停まった。 僕は全く出来ないタイ語でなんとか「駅まで連れていって」と『歩き方』片手に伝えるが おばちゃんは眉間に皺を寄せてそんなのいいから「乗りな乗りな」とばかり急かす。 暑いから眉間に皺を寄せているのか、 何をこんな所歩いていんだ!乗れ!と怒りの皺なのか分からない。 こうやってバイクに乗っていると風が本当に気持ちいい。 〜1時間以上前〜 アユタヤ遺跡群に到着した僕はワット・ロカヤ・スタ、「寝釈迦(ねしゃか)」と呼ばれるものを見てみたかった。 よくタイで「ワット」は「寺院」の意味らしい。 今まで訪れた「ワットアルン」や「ワットプラケオ」「ワットポー」等 タイでは至るところに「ワット」がある。 これはタイに限ったことではなかった。 この後カンボジアに入った時の話、 タクシーを降りようとした僕に運転手が何か言った。 僕は何を言っているか分からないので 「What?(ワット?)」と尋ねたら 「ワット?(寺院?)ワットはあそこだ!」というボケをいただいた事があった。 僕は何いってるんだこいつはという意味で、また「ワット?」と聞き返すと その運転手は怒った口調で「だから!ワット(寺院)はあそこだ!見えるだろ!」と注意された。 ずーっとできる遊びだ。 話は戻って、 歩いていると注意書きが日本語で書かれてる。 タイ2日目③ 『頭のない仏像に自分の顔を置いて写真を撮るようなことはしないでください。』 ・・・。 頭のない仏像に・・・。 自分の顔を置いて・・・。写真を撮るようなことはしないでください・・。 日本語で書かれてるという事は日本人に多いのだろう。 ここら辺は遺跡群と呼ばれるだけあって見所は点在している。 「寝釈迦はどこだろう?」 「あそこにいるおばちゃんに聞いてみよう。」 家ともいえないバラック屋根の下にいるおばちゃんに 僕はジェスチャーで右腕を『枕』に見立て、 寝ている格好をして「寝釈迦」はどこ?と尋ねる。 おばちゃんも同じようなジェスチャーをしたので 「そうそう!どっち?」 と聞いたら 「すぐそこだ」と指さした。 指さした方には「ホテル」があった。 そうそう俺がホテルでこれからぐっすりって・・・ばかやろう。 頭のない仏像の上に自分の顔を置いてやろーかな。 僕は笑いながら「ありがとう」と伝えてそこを後にする。 タイ2日目③ 道とは呼べない道を歩いて行くと奥の方に黄色いのが見える。 あれがそうかな。 いた。 タイ2日目③ 寝釈迦・・。 ぐっすり寝てます。 めっちゃ周りガッシャンガッシャン工事されてますけど。 タイ2日目③ これじゃぁ起きちゃいそうだ。 「ここから駅までどのくらいあるのだろう。」 この後僕は初めてヒッチハイクをした。