「ベトナム」カテゴリーアーカイブ

こちらは「ベトナム」のカテゴリーです。
今ちょっと文章が読みづらくなっています。すみません。
4月中旬まで待ってください。

2470
Dong Khoi st(ドンコイ通り)にある『KITO』(788 Donghoi st.Dist1)はホーチミンに訪れる日本人に向けたMAP『ドンコイ通りを歩こうMAP』を手に入れることができる店として有名な場所だ。

もう既にカンボジアのゲストハウスでもらったホーチミンの地図を持っているが、観光客に宣伝効果が期待される商業地図は広告が大きく見づらい。

その地図は見易いらしく、また日本人がホーチミンを訪れたら「必ず」手に入れるという。

レロイ通りをサイゴン川のほうへ真っ直ぐ、皇居のような景観美しい広場をぐるぐる回るホンダを左手に大衆食堂やバーやら何もしていない若者を右手に真っ直ぐ行ってしばらくして右に折れる。

それまでのベンタインバスターミナル周辺の喧騒とは打って変わって背の高いブランドショップが並んでいるドンコイ通りは高級感が漂い、それまでのホーチミンの町並みの印象を変えさせてくれる。

デパートにはドアマンらしきものもいるし歩いている者は外国人が多い。

フランス領だった南サイゴンのなごりも建物の造りからうかがう事ができて、ゴシック建築ようなものが通りに乱立されている。

一瞬ここがベトナムということを忘れる。

そんなドンコイ通りも一歩路地に入ると暗くてじめじめとしたような、狭い、道ともいえない抜け道のような所に丸椅子と軽そうな机を置いてそこに人が集まり、寸胴の中身を熱して「食堂」としてる。

この暖かい気候も手伝っているのか、交錯している文化を肯定も否定もしていないホーチミンの無頓着さをわたしは気に入った。

ホーチミンというのはベトナムの初代民主指導者ホー・チ・ミンが由来で今でも町中にホーチミンの肖像画が飾られていたりする。
2465

カンボジアのゲストハウスでもらった地図を頼りに人づてに「KITO」を目指し歩くがそのお店はこちらではそれほど有名ではないらしい。みんな首をかしげたり仲間を呼んだりする。

手芸雑貨が置いてある「KITO」は私が何度も通り過ぎてしまった細長いビルに申し訳なさそうな看板を掲げて「ここ?」と疑いたくなる謙遜さで建っている。

こんな愛らしい雑貨屋さんに「あなた雑貨興味ないでしょ!」と突っ込まれそうなで抵抗があったが、

どうやら地図は雑貨屋さんにはなくて2階にあるという。

私は「ドンコイ通りを歩こうMAP」を手に入れるという金看板を掲げて女性店員の視線よろしくミシミシと軋む木造の階段を上に進んでいった。

そこは2階というよりただの「ロフト」だった。

下の温かい雰囲気とは一変「あれ?来ちゃってすみません。」と尻込みするような空気を感じる2階は旅行会社になっている。

左前方に「まあ、座って。じっくり今後のスケジュールを私たちと決めようじゃありませんか。」というようななんとも居心地のよさそうな長机が用意されていて、

一度座ったらちょっと帰りずらそうな印象を与えていた。

時間帯が悪いのか丁度わたし一人を十分に接客できる時に来てしまったみたいだ。

ベトナム人店員の注目を一挙に浴びたわたしは一挙手一投足をじっくり見られ、果たしてこいつは敵か味方か?まずそこから審査されているようだ。

「地図ありますか?」

「日本人ですか?」

小さな日本人の店員が接客してくれて安心して緊張が緩んでいると「MAPですね?これです。」と賑やかなイラスト冊子を渡してくれた。

これにはちょっと「あれ?」となった。

カンボジアのゲストハウスでもらって、ホーチミンに着いたら広げて、指をさして人に尋ね、ここに着くまで目を通してきた地図と全く一緒だったのである。

そうです。

P1000669_2
私は『ドンコイ通りを歩こうMAP』を見ながら『ドンコイ通りを歩こうMAP』を探していたのである。

P1000668

ちょっと1回カフェでも行って落ち着こうか。

ベトナム1
日目③
ベトナム1
日目③
レロイ通りのベンタインバスターミナルは多くの地元民でごったがえしている。
電車がないこの街はもちろん「ホンダ(バイク)」が足なのだけれども、
バスが長距離の足ようで案内所は「並ばない人」が我先に声を上げている。

通りには仕事中のバイク運転手が縁石の上に座りながら息抜きしてたり
フォアグラーオ通りやデタム通りのパブのオープンテラスにはお酒をたしなんでいる外国人がいる。

毎日食べに来ているんだろうと思わせる地元人が飾り気のない店内の大衆食堂で軽食を無心で入れていて、
大通りには痩せたカマキリのような鋭い形のバイク波が途絶えない。

タクシーは専ら外国人の交通手段のようで
バイク8、一般車1、タクシー1の割合で道を占めている。

「活気に溢れている」とか「アジアンパワー」等と新興国を表現するけれどわたしはいつもそれを「何かが多い」所に感じる。

ホーチミンではわたしはバイクの数にそれを感じていてて、

これがもし所得が上がって一人一人が車を持つようになったら、渋滞になり、渋滞になったら『上』に高速を作り、高速でさばききれなくなったら新たに下に道を作るだろう。

この容易に想像できちゃう状態なところがアジアンパワーだと思える。

この飽和状態の道路や、バスターミナルや、パブのテラス席を見ているとその機運が迫っているように感じることができる。

わたしはそれが社会主義だから遅れているのか
自国生産できる物がなくて儲けられないのか、 軍事費に回っているのかよく分からないけれど

このテンションが上がっているホーチミンが好きになった。

グランドホテルさながらの大きくて重い入り口の銀行に入りドルをベトナムドンに変え、日本人女性にお金を返しに一旦彼女達が滞在するゲストハウスへ向かう。
子守りをするフロントというよりはただのお母さんと暫く話した後置き手紙を渡してもらうように頼んで別れを告げる。

これからカンボジアに滞在していた際に調べておいたある先輩がホーチミンに来たら必ず訪れた方がいいというカフェと食堂に行こうと思う。

11月30日15:12

Tシャツ、ロールアップジーンズ姿にパタヤで買った安サンダル。
頭皮は痒くて肌の色はベナン人の茶色より茶色い。

わたしは彼女達が「旅慣れてそう」と勘違いするには十分過ぎるぐらい汚かった。

バスから降りて
何の躊躇もなく、
道を知っているかのようにサクサク歩くわたしを迷いの無い人=知っていると勘違いして声掛けてくれたのかもしれない。

全くの誤解で、

わたしの心中は「こうなる事」を恐れてその場をすぐ離れようとしだけ。

サクサク歩くのはどこだか分からないんだから道とか方向は関係なく信頼できる人を早く探す為だった。

ホーチミンは活気に溢れている印象だ。

店にシャッターが無いのは防犯意識がないというよりは蒸し暑いから?

原付バイク同士を路肩に停めて
石段でたむろして
談笑する男性達がたまに通る外国人に気付くと「ハーイ」と挨拶する。

バイクに乗りたければ「ハーイ」と返せばいいし
乗りたくなければ口角をあげればいい。

歩道には低いテーブルとそれより低いお風呂の椅子みたいな椅子が大きな顔して置かれ
太い寸胴を細いおばあちゃんが番をする。

シャツを着た人達が簡単なお食事をする所だ。

何を食べているんだろう。
屋台というのはそれほど多くない。
声を掛けてくる人も少ない。

路上商のバケツに座っているオバサンに「ファングーラオ通りはどこか?」と聞く。
カタカナ発音に聞き取れないのか、
よく小さい子が履いている踏み出す度に「プープー」鳴るような音の「あー?」をもらう。

「ちょっと待ってね、ここ、ここ!」と
懇切丁寧に地図を渡して指差しても
取り上げたはいいけど遠目のご様子で、
その道がどこに表記されているかというよりは

おばあちゃん自身
地図上の何処のバケツの上に座っているのか確定できないでいるみたいだ。

スタートとゴールの2つの点が見つけ出せないんだから線は一向に引かれない。

わたし達もここが地球上の何処に位置するのか分からない。

おばあちゃんも地球上の何処のバケツの上に座っているのか分からない。

途方に暮れているわたし達に人が人を呼び、大所帯になるとようやく何かがわかったらしい。

「歩いては無理」

折り畳みの地図を渡したのだがそこには表記されていない場所にいるらしく
そりゃどこにいるか分からないわな!
ごめんごめん!だ。

人が人を繋いだ「ベナン検索」は諦めの色が濃かったがようやく遅い下り速度で「歩いては無理」を与えてくれた。

長距離バスで座らされていた経緯からわたしはちょっと歩いて、
安宿が連なっているという「デタム通り」「ファングーラオ通り」まで行こうとしたが
彼女らはタクシーを好んだ。

まぁ普通はタクシーだろう。

普通にタクシーにしよう。

わたしは停めるタクシーが「マイリンタクシー」、「ビナタクシー」か「ビナサンタクシー」か確認して「マイリンタクシー」を停めるとメーターが作動するか運転手に確認した。

上記の3つは安心なタクシーらしい。

ベトナムでも外国人を狙ったボッタクリタクシーが横行しているらしく入国するまでにネットで色々調べておいた。

今の時代、
国から国へ旅をするバックパッカーにとってPCは必需品で
観光情報やホテル予約等を検索して計画しながら移動するみたいだ。

タイで2週間終えるつもりで来た旅初心者のわたしは
人づての噂でカンボジアに渡り、流浪な旅を余儀なくされたが
カンボジアのゲストハウスでネットを駆使する旅巧者達に「なるほど!そりゃそうだよな!」と手を打った。

チェックアウトしたにも関わらずネットの中のベトナム情報を漁って、
ちょっと怒られるんじゃないかと思うぐらい居座った。

それによるベトナム情報は、

100円は23000ドン
1ドル=19500ドン
1円=250ドン
(2010年11月)

タクシーの初乗りはだいたい
12000〜15000ドン
およそ60円

セオムと呼ばれるバイクタクシーはフアングラー界隈〜ドンコイ通りまでで
1ドル(15000ドン。)
ぐらいが相場らしい。

またベトナムでは30000ドンを持って「1時間乗せて!」という交渉も成り立つという。

この情報を持っていたわたしは
タクシーの運転手が遠回りしないように地図を確認しながら
「何度もホーチミンに来たことがあるんだ。いや〜、やっぱりいい所だね〜。」と釘を刺しておいた。

日本人女性2人組は大学生で世界一周している最中らしい。

一周している最中とは思えない程綺麗な身なりをしている。

ヨーロッパの国々をトルコ経由でインド等を旅してカンボジアに入って来たという。

車中わたし達はインドの話をしながら大いに笑い、心を通わせ、
やはり一悶着あったタクシーを降りる。

3人で15000ドンだと思っていた料金は1人15000ドンらしい。

どっちが悪いのか分からない。
わたし一人だったら
明日の朝まで話し合いするところだ。
なぜならこの話し合いが面白い所だからだ。

タクシー代を持ち合わせていなかった私は彼女らにベトナムドンを借りる。

彼女達は道々ATMで換金すると難なくベトナムドンを手に入れスマートに旅を進める。

無計画のわたしはどれが銀行だか分からない建物に首を折り曲げ見つけなくてはいけない。

彼女らはホテル一軒一軒回っては
「2パーソン」と言えばいいものを「3パーソン」と要求し、
2部屋より1部屋に泊まる方が安いとかお財布を気遣ってくれた。

わたしは自分が彼女達と一緒に行動するうちは彼女らは「3パーソン」としか言えないのかもしれないと思い、
わたしはわたしで「ちょっと探してて」と別行動すると彼女達の為に「2パーソン」のワンルームを探す。

やがて合流し内見すると
内装が女の子向けでファンがある所が気に入ったらしい彼女達の部屋が決まる。

当初同じホテルで泊まろうと気遣って提案してくれたが色々気を遣わせてしまうので違う所を見つけることにする。

一旦お別れ。

また一人になるとゆるんだ帯を締め直すような気分になる。
何かと闘っているみたいだ。
ファングーラオ通りやデタム通りら辺のホテルの相場は2人で10ドルらしかったが私は「いや必ずもっとあるはず」と妄信的になり他の場所を探し歩いた。

この際ドミトリーでもいいのだが。

大通りに面しているというよりは
ビルとビルの間の細い道、フロントというには余りにも緊張感が無さすぎる
民家、『ホテル』がある。

フロントというより『玄関』で、
サイケな服を着て子守をするおばあちゃんが「空き?あるよ?1人?」等とフロントマンをする。

そんな中、
わたしはデタム通りとファングーラオ通りがぶつかる角に位置する『264』というゲストハウスに泊まる事に決めた。

1泊5ドル。

何よりこの重いリュックをフロントに預けてここら辺を見て回れる事に一先ず安堵する。

その日泊まれる場所が決まるというのは本当に安心するものだ。

シャワーも浴びれるから歩きまくれる!
走ったっていい!
なぜならシャワーがあるからだ!

全てに力強くなれる。

荷物をレジスターの裏に置かせてもらい
もし誰かが盗ったとしてももめない物だけを残しゲストハウスを出る。

わたしはこれから銀行に行き宿泊費を払い、
タクシー代を返しに彼女等のホテルに行ったら
「ドンコイ通り」にあると言われている「kito(キト)」という陶器や小物などが揃っているお土産屋さんに向かわないといけない。

なぜならそこには日本人御用達の「ドンコイ通りを歩こうMAP」という有名なマップがあるらしかったからだ。

今日は美味しい物を食べよう。

バスはそれまでの退屈な農道に別れを告げ4車線の道路へ。
暫くして適当な所を曲がると市街地に入る。

ここにいる乗客全員がホーチミンが近い事を感じている。
皆表情が緊張している。

いつ停まってもいいように腰をちょっと浮かせているみたいだ。
既に荷物はまとめられていて手元に用意されている。

明るい色彩の看板やベトナム語や英語が視界を埋める。
開けられた窓から入り込む風は市街地でも容赦ない時速を感じさせ
人々の喧騒も運んでくる。
ひょっとしたらもうホーチミンに入っているのかもしれない。

環状線を走っている時にポツポツいたバイクが
市街地に入ると道路を所狭しと埋める。
国民1人につき1台か!と疑うバイクの数だ。

これはすごい。
例えるなら初詣の参拝客だろう。
なかなか前に進まない状態。

あれぐらいの数のバイク(原付)が信号待ちをして、
青になったら動く。
大群は大群を引き連れそこに車間距離が生まれる事はない。

話しには聞いていたがここまでとは思わなかった。

バスの横をどんどんすり抜けてゆく。
バスもいちいち気にしない。
当たりそうになろうがブレーキは踏まない。

この光景は世界のどこに行っても見ることはできないだろう。

こうしてみると自転車は一台も見かけない。
中型、大型バイクも見かけない。
また皆色や模様は違えど大抵同じ型のバイクだ。

日本のそれのように横に太くなくもっと痩せている。
椅子の下にメットインできるように作られていないようで
自転車の様な格好をしている。
運転中ヘルメット着用義務のないベトナムではバイクにそれを収納する必要がなくその分細身になったようだ。

これは後から知ったがこちらでは「バイク」の事を「ホンダ」と言うらしい。
「お前最近ホンダ買ったらしいなぁ。」
「そうだよ。前のホンダはボロかったから新しいホンダを買ったのさ。」
等という会話になるみたい。

この終わらないバイク集団は一体どこに行くのだろう?
ツーリストバスから街並みや道路交通状態を眺めながら
私は他の外国人のようにこの光景に慣れる事はなかった。

この群集。

ひょっとしたら俺たち外人を驚かせようと
同じ奴が何度も何度もぐるぐる回ってるんじゃないだろうな?
現れては通りすぎ、
現れては通りすぎ・・。

だってそうじゃなくちゃ数が合わないでしょ!
こんなにバイク乗りがいる?!

国を挙げて、
なんかベトナム名物作らなきゃいけねーってんで、
国民1人1人にバイクをプレゼントして
「よーしお前ら!外国人がよく現れる道をとにかく通りすぎて、また現れて、朝から晩まで無目的に走れ!」って刷り込まされてるんじゃないだろうな!

私は同じ奴がバイクで物凄いスピードで地球を何周もして私の前に現れていないか確認しなくてはいけない。

バイク乗り一人一人、
顔は確かに似てるけど違う奴のようだ。

皆無表情の無言で停まっては走る。

皆が皆排気ガスを極力吸わないようマスクをして乗車しているのだが
様々な種類のそれで
カラフルな、
目立つ模様や
質感(レザーだったり)、
各々マスクでお洒落を楽しんだり自己主張したりしている。

バスは「ここは一体どこ!」というような雑多な場所で停まり今すぐ出て行く様に促される。

今日の宿探しとかそういうんじゃなくて
うまいご飯を食える所とかでもなくて、

私はここがホーチミンのどこだかを誰でもいい、
先ず聞かなくてはいけない。

どちらに向かえば何があるか分からないくせに
勢いよく歩き出すと

「すみません。」
後ろから呼び止める声がした。
それまでシュリムアップから同行していた日本人の女性2人組だった。

※kenjimoritata@yahoo.co.jp